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第8章―2

 即死であった。ほとんどの矢が馬の脳と心臓の位置に突き立っていた。

 馬は一瞬いななき前足を振り上げたが、次の瞬間にはもう事切れたように地面に倒れ落ち、やがて動かなくなった。

 馬車の姿勢はそれほど乱されはしなかったが、車両は道の真ん中で立ち往生する形となってしまった。

「みんな、床に伏せろ! 鎖かたびらを被るんだ!」

 気づくと、ハルヒコは御者台から荷台へと飛び移っていた。何ができるというわけでもない。それでも、体が勝手に動いていたのだ。

 ――この手練れ……。

 盗賊などではない。間違いない――。

 ――ルアンの追手だ!

 ハルヒコは周囲を見渡した。

 馬車が停まったのは、ゆるやかな斜面を横切る農道。道の左右には、こうべを垂れた麦穂が風に小さく揺れていた。

 と、その麦畑が波打った。手にボウガンを携えた兵士達が次々と現れた。遠巻きに馬車を取り囲み、感情を殺した目で皆こちらをうかがっている。

 ハルヒコはもう一度周囲を見回した。兵士達の中に見知った顔がいたような気がした。

 もはや疑いようがなかった。恐れていた最悪の事態――アイスの刺客にとらえられたのだ。

 そして、ハルヒコはさらに驚愕することになる。

 馬車の進行方向、十数メートル先の道に二人の人物が姿を現した。そのうちの一人をハルヒコはよく知っていた。

 ――どうして……。

 助けにきてくれたのか?

 そんな突拍子もないことを思い浮かべたぐらいだ。

 ――いや、矢を射られたのだ。

 そんなはずがあるわけない……。

 それほどまでに、その再会はあまりにもハルヒコの想像をはるかに越えるものだった。

「ウタル隊長……」

 思わず、その名がハルヒコの口からこぼれ出ていた。

 床に伏せていたシュウとクイールも、ハルヒコがもらした名を耳にして立ち上がらずにはいられなかった。二人とも信じられないといった眼差しでウタルを見つめる。戸惑いの奥に寂しさや悲しみの感情が揺れていた。

「ハルヒコ殿なら、きっとこの道を選ばれると確信しておりました――」

 おごり高ぶる様子もなく、いつもの世間話をするときのように淡々と、しかしよく通る声でウタルは口を開いた。その自然さが、いっそ、より不気味な雰囲気を助長していた。

「しかし、どうして我らの軍にアクラ出身の兵士がいないと思われたのか?」

 ウタルの指摘通りだった。

 それに馬に矢を射られたこと――ハルヒコが追手をふり切るために考えていたことだ――それを逆にしかけられてしまった。

 ――それも想定していたことだ……。

 自分達の馬車が足止めされる可能性も、もちろん考えていた。

 だが、そのように矢を射られる事態におちいっても――。

 ――素早く逃れられる、上手く切り抜けられる……。

 そんな希望的観測に――いや、願望に――ハルヒコはすがってしまっていたのだ。

 とはいえ、たとえ街道を進んだとしても逃れることはかなわなかっただろう。街道には、この場に倍する兵士達が待ち構えていたのだから。

「どうして、王の……王妃の命を奪ったんですか!」

 気づくとハルヒコはそう叫んでいた。

 ウタルにはそのハルヒコの問いかけが意外だったようだ。答えるべきか逡巡しているように見えた。

「あれは……不幸な事故だったのだ」

 その言葉はハルヒコを激怒させるのに充分だった。

「事故……? 人の命を奪っておいて、それをただの事故ですませるのか!」

 ウタルの隣にいた兵士は一瞬たじろんだ様子を見せた。うしろめたさを何処かに抱えていたのだろう。だが、ウタルはその言葉を真正面から受け止めた。表情をちらとも変えず微動だにしなかった。

「我々も知らなかったのだ。王族の呪いがあのようなものだったとは……」

 ウタルの口調は重かった。

「だが、今となっては言い訳にしかならぬ」

 そのとき、ハルヒコの背筋にぞくっとしたものが走った。ウタルの表情が晴れやかなものに変わったような気がしたからだ。まるで何かを覚悟したかのように。迷いを断ち切り決断したかのように。

「アイスからはハルヒコ殿らを捕らえよとの命が出ている。だが、よく聞いてほしい。私は今から、その命令に背く――」

 次の瞬間、ハルヒコは驚愕の言葉を耳にする。

「私はこの場で、あなた方の命をもらい受ける――」

 ――どうして、そんなことになる……!

「ウタル隊長、あなたは子どもの命まで奪おうというのか!」

 ウタルは冷徹な色を見せるわけでもなく、さりとて心を痛めている気配も見せず――そこに感情と呼べるものは何一つなく――ただ淡々とこう言い放った。

「証人を生かしておくことはできない――」

 ウタルは手を上げた。それに応えるように、兵士達がすでに矢を装填したボウガンを構えた。

 彼らがどこを狙っているかなど、疑問の余地はない。ハルヒコが辺りを見渡せば、麦畑に布陣する兵士達一人一人と目が合った。彼らの狙いはハルヒコ自身、そして家族とクイール以外にはありえなかった。

 ウタルはためらうことなく手を下ろした。

 咄嗟にハルヒコはシュウとクイールを抱きかかえ、床に伏せるトウコとカナの上に覆いかぶさった。

 いくつものシュッという矢が風を切る音が聞こえた。

 ハルヒコは覚悟した。

 自分の体にいくら矢が突き立とうとも貫こうとも、せめて子ども達とトウコには、その鋭く冷たい矢先が届かぬようにと祈った。

 ハルヒコは覚悟した――。

 ――?

 だが、いつまでたっても矢が届く気配はなかった。代わりに風の音だけが聞こえてきた。それは遠くのようでもあり、近くのようでもあった。風からもれ出した、ゆるやかな空気の流れが、ハルヒコ達の肌を優しくなでていくのが感じられた。

 ハルヒコはゆっくりと顔を上げていった。

 風が渦巻いていた。馬車を取り囲むように、まるで防壁のように――。あたかも意思を持っているかのごとく、風はハルヒコ達を護っていた。

 数本の矢がその渦巻く風の防壁にからめ取られ、宙をまだ舞っていた。やがて勢いを失うと、矢はハルヒコの目の前で一本また一本と地面に落ちていった。

 ――何が起きている……?

 ハルヒコはウタルを見た。ウタルもまた驚きの表情を隠せないでいた。

 しかし、歴戦の強者の判断と行動は素早い。すぐさま、再度、ウタルは手をかかげた。

 それに呼応するように、兵士達は次の矢をボウガンにつがえていく。

 ウタルにためらいはなかった。ウタルが手を振り下ろす。兵士達は一斉にボウガンから矢を発射した。ハルヒコ達に向かって――。

 だが、今度ははっきりとハルヒコは目撃した。矢は風の壁に飛び込むと、空気の渦に巻き込まれ、勢いを奪われ、失速していった。そして、そのまま風の奔流に翻弄されながら馬車の周りを回転すると、やがて外に向かって吹き出す風によって次々と地面へとはき出されていった。

 ハルヒコはもう一度思った。いや、この場にいる誰もが思った。

 ――いったい何が起こっているというのだ……。


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