第7章―6
「見えないな……。ちょっと明るくしてみる――」
「ダメだ、シュウ!」
ハルヒコは焦って、自らも馬車の荷台にかけ上がった。もちろん誰かに気づかれないように、努めて冷静に――。
「魔法は使うな。パパさんも探すの手伝うから」
荷台から忘れ物――布にぐるぐる巻きにされた剣――を取ってくる。それぐらい、シュウひとりで充分だろうと安直に考えていた。だが、実際に馬車に乗りこんでみると、闇は確かに深く、幌越しの焚き火の明かりも足元までは届いていなかった。
「本当に真っ暗だな」
「ね、見えないでしょ」
「手探りで探すしかないか。パパさん、こっちを探してみるよ」
昼間座っていた板の下に手をのばす。目の前にあるはずの指先さえ、闇に同化して見えなくなってしまった。指先の感覚にもだんだんと自信が持てなくなり、本当に暗闇にのみ込まれてしまったのではないかと不安を覚えたぐらいだ。
丁寧に床を探っていくと、こつんと指先に何かが当たった。硬いものが布地の奥にくるまれている。シュウの剣に間違いなかった。
――そういえば、こちら側に荷物をまとめて置いていたな……。
最後に念を入れて確認しておくんだった。
アクラに入って気が抜けてきたのかもしれないなと、ハルヒコは自省した。
「ガブナ、チロム、変わったことはなかったか?」
不意にアルベルトの声が幌の向こう側で上がった。あきらかに自分達に向けて声をかけられたわけではなかったにもかかわらず、ハルヒコもシュウも何か自分達が咎められているような後ろめたい気分になった。思わず、しーっと唇に指をあてて、互いに確認するように顔を見合わせた。
「サムザイは?」
「野暮用じゃねえの。それよりも、ギルドの方はどうだったんだよ。なんか、いい仕事はあったかい?」
チロムの声だった。
「この町のギルドにはキャラバンの護衛ぐらいしかなかったな。バラディンに着いたら、もう少しマシな依頼もあるかもしれない。それよりも……」
アルベルトは声を落とした。ハルヒコはなぜか不吉な予感を覚えた。
「隣国のルアンでクーデターが起きたらしい……」
声をひそめていたにもかかわらず、幌越しにアルベルトの言葉は鮮明に聞きとれた。すぐ隣りでゴクっと息をのむ音がした。シュウもまたその会話を耳にしていたのだ。
――早すぎる……。
昼夜を問わず早馬が走ったのか? それとも何か別の連絡手段があったのか……。
「国境は閉じられたって話だ。これから東に向かうのは、いろいろと面倒なことになりそうだな」
――国境が封鎖されたのはいい。しかし……。
情報と共に、何者かがすでにアクラに入ってきているのではないか……。
そして、さらにハルヒコを驚愕させる言葉をアルベルトは口にした。
「王族は討ちとられたようだが、王子だけが城から抜け出したそうだ。どうやら、魔導士と共に逃げているらしい――」
ハルヒコは背筋が凍るような感覚に襲われた。吐く息も白くなったのではと錯覚したくらいだ。音もなく鋭い刃のような冷気が体内に忍びこみ、唐突にハルヒコの心臓を鷲づかみにした。シュウは小刻みに震えながら、訴えかけるような目でこちらを見つめていた。
「それに関しては何か依頼はなかったのか。例えば、捕まえて引き渡す、とか――」
感情も抑揚もない声――ガブナであった。
シュウは体の向きを変えようとした。無意識にその場を離れようとしているようであった。ハルヒコが目で押しとどめる。動くな――と。
――捕まえる……。引き渡す……。
どこに――!
「依頼なんてなくったって、もし、とっ捕まえたら、すげえ報酬がもらえるんじゃないか。すぐ探しにいこうぜ」
昼間の姿からは想像もつかない――少年とは思えない――したたかさを、チロムはあらわにした。
「そういうわけにもいかないだろう。護衛の仕事がまだあるからな。バラディンに到着して、もっと情報を集めてみないことには――」
それよりもメシを食おう。アルベルトは二人を引き連れ、その場を離れていった。
その足音が完全に遠のいて聞こえなくなってからも、ハルヒコはしばらくそのまま動かなかった。辺りの気配をうかがい、周囲に誰もいないことを確信してから――それでも慎重に音を立てないように――馬車から降りていった。
来たときと同じく暗がりの中を音もなく戻っていく。シュウはうつむいたまま、口を開こうとはしなかった。
ハルヒコは胸の内で何度も繰り返した。
――悟られるわけにはいかない……。
自分達の正体を――。
沈痛な面持ちでハルヒコは宿の階段を上がっていた。こんな顔を見られたら、きっと誰もが大丈夫かと声をかけてくることだろう。
――上手く、とりつくろうことができるだろうか……。
今は自信がなかった。
シュウは一言も発せず後ろをついてきていた。不安なのだろう。だが今のハルヒコには、かけるべき言葉を思いつけなかった。大丈夫、心配ない――ありきたりの言葉は、この状況にそぐわないような気がしたし、かけるべきではないようにも思えた。実際のところ、ただそれだけのことさえも考える余裕がハルヒコにはなかったのかもしれない。
――部屋に戻ったら、みんなに何て説明したらいいんだろう……。
事実を淡々と告げ、それでも心配ないと、自分でも思ってもいないことを口にするしかないのだろうか。みんなを励まさなくてはならない。しかし、今回はあまりにも度を越している。
そんな幾つもの気がかりが重しのようにのしかかり、階段を上る足も文字通り重く鈍くなっていた。階段を上りきれば、トウコ達の待つ部屋が廊下の先に見えるだろう。
正体がバレないように気をつけるしかない。そんなことしか思いつけないうちに、ハルヒコの足は二階の廊下を踏んだ。
――!
人がいた。廊下の先に――。
ハルヒコ達の部屋の前で、その人物は閉じられたドアを訝しげにうかがっているようだった。何かを確認しているかのようにも見えた。
気配を感じて、彼はハルヒコの方を向いた。
こちらに向かってきた――。
「こんばんは。お出かけだったんですね」
今もっとも会いたくない人物――サムザイであった。
――何を確かめていた……?
「明日の出発について連絡にきたのです。そうしたら、お留守だったので――」
深く考えている時間はない。返答に窮すれば、不自然さを怪しまれてしまう。
「ええ……。少し通りの方を見にいってたんです……」
ハルヒコはとっさに思いついた作り話を口にしていた。
だが、トウコ達のこと――ここにいない者達のことは、あえて説明をしなかった。物事を偽るときには、その嘘をとりつくろうように、自ら聞かれてもいない答えを重ねていってしまう。実のところ、ハルヒコもトウコ達は――と喉まで出かかっていたのだ。それをすんでの所で押しとどめた。
――彼はどこまで知っている……?
トウコ達には、部屋に誰かが訪ねてきても居留守を使うようにと言っている。だが、もし室内にいたことにサムザイが気づいていたとしたら――。
――嘘をついた弁明をどうする……。
今は相手の出方をうかがうしかない。
「そうですか……。他の家族の方は?」
「あれ、まだ戻ってないですか……。一緒に出かけて、先に部屋に戻っていったはずなんですが……」
「いえ、部屋にはまだお戻りではなかったようです」
トウコ達はハルヒコの言ったとおり、息を殺して部屋に身を潜めていてくれたようだった。
「そうですか……。トイレにでも寄ってるのかな。ちょっと探しにいってみます――。ところで、明日の出発についての連絡とは何ですか?」
ハルヒコは話題を切り替えようとした。
「ああ、そうでした。明朝ですが、日の出とともに出発する予定です。明日の朝、また声をかけにきますが、それまでに出立の準備をしておいてください」
ハルヒコは少しだけ胸をなで下ろした。サムザイは何かを調べにきたのではなかったのだ。それにルアンのクーデターの件も、サムザイにはまだ知らされていないはずだ。
――慎重になりすぎたか……。
不自然な態度に受け取られなかっただろうか。
「わかりました。出発に遅れないように準備しておきます。わざわざ教えにきてくださって、ありがとうございます」
「いえいえ、大したことではありません」
ハルヒコは部屋にいったん戻りトウコ達を探しにいきますと、サムザイに軽く会釈して廊下を進み始めた。
シュウはサムザイとすれ違うとき、表情を見せないようにうつむいたままだった。
ハルヒコとシュウはそのまま何事もなかったかのようにサムザイから離れていく。決して早歩きにならないように。心の動揺を気取られないように。
「あなたも魔導士だったのですね――」
二人の背中にサムザイの声が投げかけられた。
「ハルヒコ殿もお人が悪い。同じ魔法使いなら、そうおっしゃっていただけたら良かったのに」
ハルヒコもシュウも心臓が破裂してしまいそうだった。一発一発の鼓動が激しく全身を揺らす。大排気量のバイクエンジンの振動が地面を伝わって体を震わすように。
ハルヒコは自分が今どんな表情を浮かべているのか分からなかった。どんな表情を浮かべるべきか分からなかった。汗は次から次へとふき出してきていた。
ハルヒコは小さく笑っていた。玉のような汗をいくつも浮かべながら、思いもかけない笑顔をひきつらせて。
おもしろいはずがない。だが、あまりにも頭の中が混乱し、冷静に何かを考えることができなかった。ぐるぐると何度も思考が同じところを回っている。熱暴走した回路みたいに。
浮かべた笑顔は心の防衛反応だったのだろう。そこまでハルヒコは追いつめられていたのだ。
「ですが、部屋の扉にシュロシロをかけるのは、余程のことがない限りやめた方がいい。鍵の魔法がかかっていると、見る者が見ればすぐに分かりますからね」
そして、サムザイはこう付け加えた。
「まるで大事な何かを隠していますよと、教えているようなものですから――」
ハルヒコはただ、ぞっとするしかなかった……。




