第7章―4
「まあ頑張りな。お父さん――」
もし船でナリッシュに向かいたいなら、二日後にまた港を訪ねてくるといい。ボナルドはそう言いそえた。
結局のところ、ハルヒコは事情を言い出せず下船することにした。ボナルドの人柄という不明瞭な要素には、すがれなかったのである。
自分の直感にしたがって前日に初めて出会った人間を信用する――ハルヒコにはそれがどうしてもできなかった。自分一人だけならそれでもよかっただろう。だが、自分の下した選択で、家族やクイールに危険がおよぶことだけは絶対に避けなければならなかった。
――失敗したら、即ゲームオーバーだ……。
リセットは効かない。
後になって、もしかすると裏ワザのような選択があったと気づくかもしれない。何のリスクもなくスマートに目的が達成できるルートがあったと知ることになるかもしれない。
現状に当てはめるなら、ボナルドに事情を告げ、ナリッシュを経由して安全に首都バラディンに至る――。
だが、それはあくまでも願望だ。ただの夢想にすぎない。
できる限りの情報を入手し、論理的に思考を重ねていく。その上で、リスクを極力ゼロに抑えた選択を探っていく――。大成功する必要はない。失敗しないようにしなければならないのだ――絶対に。
――まず、情報を手に入れないとな。
もちろんバラディンに直接向かう馬車の情報だ。一歩譲って、途中経由するロランの町行きでもと言いたいところだったが、それはできるだけ避けたかった。国境により近い町で、あらためてバラディン行きの馬車を探す――それはあまりにもリスクが高すぎる。
そして、ハルヒコにはもう一つ仕入れたい情報があった。むしろ、そちらの方が一発で問題を解決することができるかもしれない。
――だが、最初から期待してはいけない。
こちらの世界に来て――元の世界でもそうであったかもしれないが――ずいぶんと高い授業料をはらって手に入れた教訓だ。
ミッツの町は、サッハと比較するのもためらわれるほどの偉容を誇っていた。港の規模も桟橋の数も数倍はある。停泊していた、あかつき丸のような大型船の数も二十は下らなかった。そして、当然のようにさまざまな店が商いを行っており、ところどころに立つ市は人と商品であふれかえっていた。
ハルヒコ達は市場の人混みにまぎれ、さりげなく情報を入手する機会をうかがっていた。しかし、こんな切羽つまった状況にもかかわらず、子ども達は――クイールでさえも――好奇心を抑えることができないらしく、陳列された商品をもの珍しく眺め歩いていた。
「パンだけでも買っておきましょうか」
ちょうど食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきたところだった。トウコがそう提案してきた。探すまでもない、パン屋は目の前にあった。
店内に入ってトウコが保存のきく黒パンを選んだ。ハルヒコは店主に代金を支払いながら何気なく尋ねた。
「今からバラディンに向かうなら、どこで馬車を拾ったらいいですか?」
お金を手渡されているときは誰でも気分がいいものだ。店主はにこにこと笑顔を崩すことなく丁寧に隊商の馬車が集まっている場所を教えてくれた。
ハルヒコはもう一つ質問をした。
「実は小さな荷物を一つ盗まれてしまって……。衛兵の駐屯所のような場所はどこかありますか?」
店主は災難だったねと同情してくれたが「行っても無駄だよ。あきらめた方がいい」と話を続けた。
詳しく事情を聞くと、ミッツは地方領主が治めており、軍隊もアクラ国のものではなく領主が集めた私設軍であるとのことだった。
「門前払いをくらうのがオチさ。あいつら、兵士っていうよりは、ただのゴロツキどもだからよ」
パン屋の店主が言っていたことは本当だった。念のため衛兵の駐屯所を訪れ、遠くから様子をうかがっていたハルヒコは、昼間から酒をくらって酩酊する兵士達を目の当たりにすることになった。
――あの兵士達に頼るのは無理だな……。
彼らを見れば、軍の規律も――そして領主の程度もおのずと知れた。
――彼らに王子は託せない。
ハルヒコが考えていたのは、アクラの軍にクイールを保護してもらうことだった。もっとも安全で確実な手段――。
だが、ミッツの軍や領主を信頼することはできなくなった。彼らが褒賞目当てでクイールをルアンに引き渡すともかぎらない。
ハルヒコ達はその場をそっと離れた。そして、バラディン行きの馬車を求めて、隊商がたむろする場所へ移動していった。
その広場は人と馬車と喧騒で、ぎゅうぎゅう詰めであった。
ハルヒコがまず声をかけていったのは、馬車に幌がかかっている隊商だった。
「このキャラバンはバラディンに向かいますか? 日に弱い子がいて、幌付きの馬車に乗せてもらうことはできますか?」
目的地が違ったり、仮にバラディン行きであったとしても、人を乗せる場所はないだとか、幌付きの馬車に乗せてほしいなどと贅沢をぬかすなと、あからさまに難色を示されたりとか、こちらの思い通りにはなかなかいかなかった。
――姿を見られないようにしたい。
どうしても幌付きの馬車でなければならなかった。
「ああ、いいよ。お子さんも大変だね」
そんな気のいい返事をもらえたのは、広場にいたキャラバンの半数ほどに声をかけ終わったときのことだった。
ロランの町で一泊する。食事と宿代はハルヒコ達自身で支払う。そういう条件だった。
「もう出発するが――」
ハルヒコはみんなの顔を見た。まだ他の隊商に声をかけることもできたが――。
「お願いします」
ハルヒコは決断した。
「じゃあ、先頭の馬車に乗っておくれ」
キャラバンの隊長が「おおい、客を乗せるぞ」と並んだ車列の先に向かって呼びかけた。
「もう、これで一安心だな」
馬車に向かう途中、ハルヒコは皆を励ますようにそう言った。
馬車はルアンで定期運行されているような人を輸送するのが目的の客車ではなかった。どの馬車も実用本位、物を運ぶことに特化した構造をしていた。荷台前方の両端に申し訳程度の板が腰を下ろせるように張られていた。
ハルヒコ達は御者台側から馬車に乗り込んだ。荷台には先客がいた。
先に上がった子ども達がどこに座ればいいのかと迷い、入口付近でつっかえていると、その先客は優しい声でうながした。
「さあ、こちらでも向かいの席でも、空いているところにお座りなさい」
頬のこけた痩身の男性であった。おまけに座っていても一目でわかるほどに背が高い。馬車の幌が頭にふれて、いかにも窮屈そうだった。
子ども達とトウコはその男性の向かい側に、ハルヒコは男性の隣に腰を下ろした。
「失礼します」
男性はいえいえと、にこやかに席を勧めてくれた。
そのとき、ハルヒコは気がついた。
――あ……。
この人は魔導士だ……。
男性は自分の左肩に立てかけていた木の杖を、ハルヒコとは反対側に移動させた。杖には装飾が施され、その一部には魔術書に書かれているような古代文字が刻まれていた。
ハルヒコは警戒した。
まさか追手ではないだろうが――ここまで先読みされているとは考えにくい――自分達の正体を気取られるわけにはいかない。
――シュウ、めったなことを口走るなよ……。
杖の装飾を目にして、自分も魔法が使えるなどとは間違っても口にしないでくれ――ハルヒコは祈った。男性の前で今さら言い含めることも難しい。
「わたしはサムザイと申します。仲間と一緒にこのキャラバンの護衛をしています。ですので、そんなに緊張なさらないでください」
「仲間……」
そのときだった。
「サムザイ、出発だってよ」
御者台に少年が軽快にジャンプして乗り込んできた。腰には小剣を帯びていた。
「チロム、他の方もいらっしゃる前で――。もう少し、その言葉遣いをなんとかできませんか。何度も言っているでしょう、年長者に対する態度を。わたしは恥ずかしい……」
「何を今さら言ってるんだ、サムザイ。客人がいるからって、無理するなよ」
「しかし、アルベルト……」
声をかけてきたのは馬に騎乗した剣士だった。彼もまた剣を帯び、少年もそうだったが、機動性を重視した革鎧を身につけていた。
「お客人、チロムのやつは口は悪いが、根はいいやつなんだ。口の悪さだけは勘弁してやってくれ」
チロムはサムザイをからかうように、おどけた表情をつくった。
ハルヒコ達はあっけに取られて、そのやり取りをただ眺めているだけだった。
「お仲間さん……ですか?」
「ええ、うるさくて申し訳ありません。あと一人、ガブナという仲間が最後尾についています。歴戦の戦士ですので、万が一盗賊などに襲われてもご安心ください」
サムザイはにこやかに答えた。
――そして、あなたは魔導士だ……。
ハルヒコは胸の内でつぶやいた。




