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第7章―2

 あかつき丸が出航したとき、空にはまだ微かに朱の色がにじんでいた。船は沈んでしまった陽を追いかけるように、水平線を目指し帆をふくらませた。

 ハルヒコ達は船房の一室にいた。カビ臭い、ひどい部屋を想像していたが――下手すると船倉にでも放り込まれるのではないかとさえ思っていた――あてがわれたのは、簡素ながらもベッドと書き物机が据え付けられた客室であった。小さな丸い窓が一つだけ空いている。暮れゆく世界を覗けるその穴だけが、現実との唯一の接点のように今は感じられた。

 クイールはその船室でシュウの服に着替えているところだった。身につけていた衣服は華美ではなかったものの、生地の素性、仕立てのよさ、本物を知る人間が見れば、一発で身分がばれてしまう。ハルヒコは森に皆を迎えにいった際、クイールにマントを着用させ、彼のほおを軽く土で汚した。マグダルより託されたミスリルの杖には、その表面の光沢がもれ出ないようにボロ布を何重にも巻きつけた。

「パパさん、この船でアクラまで行けるの?」

「アクラ国には入るけど、国境近くのミッツっていう港町に到着するそうだ。そこで別の船か馬車を見つけられたらいいんだけど……」

 シュウの不安げな表情は晴れなかった。ハルヒコは小さく笑顔をつくって付け足した。

「でも、もうアクラに入ったも同然なんだから、安心していいんだよ」

 ――本当にそうなんだろうか……?

 皆を安心させるような言葉を吐きながら、自分はそうとは思っていない――ハルヒコの中にいる誰かがそうつぶやいた。

 アクラとルアンは兄弟国だ。非常時でない限り国境の往来は制限されていない。だがクーデターが起きたのだ。もはや平時であるはずがない。一般人はもとより、言わずもがな軍隊など国境を越えることができるはずもない。

 ――でも、それはクーデターが起きたことがアクラに伝わっているのが前提だ……。

 この世界でもっとも速く情報が伝達される手段は早馬だ。少なくともハルヒコには、それよりも速い通信手段を知らない。もしかすると、遠方と瞬時に連絡をとる魔法があるのかもしれないが、ハルヒコが読んだことのある魔法の書には記述されていなかった。

 ――そんな手段があったら、国境はすでに封鎖されているかもしれない……。

 無かったとしても、やはり昼夜を問わず早馬を走らせれば、自分達が港に到着する前に反乱の報はアクラに届いているだろう。

 それはハルヒコの望んでいる状況だった。国境が閉じられてしまえば、確かに自分達もアクラに入国することが難しくなる。だが、国境を警備するアクラの軍にクイールをただちに保護してもらえばいいのだ。

 問題なのはクーデターの情報がアクラに届いていない場合だ。

 ――ありえる話だ……。

 可能性は高い。まず、クーデターが起こった現場から情報がもれ出ないようにするはずだ。アイスに抵抗した側の人間をエオラから逃さないようにする。仮に反乱の報が外部にもれ出ても、街道に二重三重の検問をはればいい。

 一方で、たとえ国境が封鎖されていなくとも、軍隊のような大集団が隠密にアクラに侵入することは難しい。少数精鋭が一般人を装って入国する可能性は高いだろう。

 ――自分が思いつくようなことを、アイスさんが見落とすはずがない……。

 ミッツの港に到着しても、気を緩めることはできないだろうとハルヒコは覚悟していた。そのとき――。

 グゥ……。

 静まり返った部屋に、なんとも気の抜けた音が響き渡った。

 ハルヒコがはっとして皆に視線を移すと、一人しらじらしい顔で目を合わせない者がいた。

 カナだった――。

「そういえば、お腹減ったな。朝にパンとスープを食べただけだもんな。トウコ、パンはまだ残ってる?」

「そうね、みんなで分けましょうか。お芋と干し肉も残っているけど……」

「火を使うわけにはいかないしな……。いや、パンに干し肉をのせてフラーモで弱く焼いてみようか――」

 そんなふうに夕食をどうするか相談していたときのことだった。

 コンコン――。

 ノックの音がして、扉の外から声がかかった。

「おおい、晩飯ができたぜ」

 ボナルドだった。

 ハルヒコは急いでドアにかけていたシュロシロ――鍵の魔法――を解いた。開いた扉のすき間から顔をのぞかせた。

「食事はなかったんじゃ……」

 ボナルドは室内の子ども達を見渡して、あっけらかんとした笑顔をつくって言った。

「腹をすかせた子どもをほっとけるかってんだよ」

 

「おじちゃん、いい人だね」

 カナがパンをかじりながらそう言うと、ボナルドは照れ隠しに酒の入ったジョッキをあおった。

「よせやい……」

 遠くから船員達の陽気な声が聞こえてくる。彼らも酒が入っているのだろう。昼間、肩にくい込むほどの荷物を担いでいたのだ。重労働の疲れと鬱憤を酒で吹き飛ばす。さぞかし爽快な気分に違いない。

 ハルヒコ達が食事をとっていたのはボナルドの船長室だった。荒くれ者達と一緒では落ち着いて食事ができないだろうとの配慮がうかがえた。

 いつもは海図を広げて航海の計画を練るテーブルに、今は食事が所狭しと並べられていた。パンとスープと魚のソテー。魚が苦手なカナでさえ手を止めることなく、次から次へと食べ物を口に放りこんでいた。

 ただ、服を着替えたクイールは、見た目こそ庶民に――それでも、とてもましな庶民に――化けてはいたものの、体に染みついた所作は誤魔化しようがなかった。スプーンでスープをすくい口に運ぶ。ただそれだけの動作にもかかわらず、見る者が見れば、並んで食べているシュウ達とは明らかに育ちが違うことを見破られてしまうだろう。

 ハルヒコはクイールをできるだけボナルドから遠ざけた。そして、彼に耳目を集めないように、多弁に――家族が違和感を覚えるほどに――ボナルドとの会話を途切れないように努めた。

「いい人か……」

 ボナルドは手に持つジョッキに目を落とした。赤い果実酒に映る自分の顔を眺めているようだった。

「俺の祖先は海賊だったって話だ……」

 ハルヒコはぎくっとした。意図せず身構えていた。気取られないようにしたつもりだったが、腕の筋肉がきゅっと収縮したのをボナルドは見逃さなかったようだった。

「警戒しなくていい。こう見えて、俺はまっとうな船乗りだからよ」

 ハルヒコのみならずトウコも緊張の色を隠せずにいた。ボナルドは余計なことを言ってしまったとばかりに、無意識に頭をかいた。

「俺がガキのころに爺いから聞かされた話さ。遠い祖先が海賊だったと――。けど義賊だったと必ず付け加えてたなあ」

「パパさん、義賊って何?」

「良い海賊ってことだよ」

 ボナルドはぷっと吹き出した。

「人の物を奪ったり盗んだり、良いはずがねえけどな――。どれぐらい昔の話かは分かんねえ。魔物が世界を蹂躙してた時代は、それはもうひどかったらしい。そんなときぐらいやめときゃいいのに、人間どうしでも争いをおっぱじめやがった」

「犠牲になるのは、いつも庶民ってことですか……」

 ボナルドはハルヒコに、ああとうなずいた。

「だから、ご先祖様は貴族や軍の船を襲って、奪った金や食料を貧しい人達に配ってたらしい。だが、それでもこれは、やっぱりほめられた話じゃねえよな……」

 ハルヒコはどう答えればいいのか分からなかった。

 ボナルドはまたジョッキに目を落とし、ぽつぽつと語りだした。もしかすると酔いがまわって饒舌になっていたのかもしれない。

「うちの船、みんな悪そうな奴ばかりだろ。見た目だけじゃなく、本当に悪さをしてた連中ばかりなんだ。行く先々の港で、掃き溜めのような場所から抜け出せないで、皆もがいていた。そういう奴らを見ると――見捨てられなくてね。やっぱり俺にも祖先の血が流れているって証しなのかもしんねえ。それとも、祖先の罪滅ぼしをしているだけのかもしれないな」

 ハルヒコはやはりどう答えるべきか、かけるべき言葉を見つけることができなかった。部屋は気まずい沈黙に包まれていった。

 だが知ってか知らずか、一人の人物が発した言葉によって、場はふたたび和んでいったのだ。

「おじちゃん、いい人だね」

 カナだった――。

 ボナルドは「よせやい……」ともう一度ふき出した。


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