第7章―1
「兵士は見張ってないか……」
ハルヒコ達は森に潜んでいた。エサを前に待てをくらっている犬のように、彼らは目と鼻の先にある町の中へと今すぐ飛び込んでいきたい衝動を必死におさえ、息を殺していた。
驚いたことに大森林と接していながら、港町サッハには防護のための塀や柵が見当たらなかった。
――もしかすると、この険しい地形が自然の要害となっているのかもしれない。
サッハへ至る街道は急峻な山脈のわずかな切れ目をぬうようにして延びていた。ハルヒコ達が下ってきた崖も然り、その向かい側にも天を見上げるような絶壁が、たやすく脅威を侵入させまいと立ちはだかっていた。
「やっと、ここまで来れたね、パパさん」
ハルヒコ達は皆で協力しあい、なんとかあの断崖を突破することができた。
実際に作業を始めてみると、間隔は離れていたが足場として使えるポイントも数多くあったのだ。その間を埋めるようにして、ハルヒコはシュロシロの魔法で石を崖にくっつけていった。トウコとカナが石を集めてきて、シュウとクイールがその強度を確かめる。そして、足を踏み外さないように細心の注意をはらいながら、崖で作業をしているハルヒコの元まで運んでいく。
ハルヒコは石を運ぶのも自分一人でするつもりでいた。だが、刻一刻と時間が差し迫る中、シュウとクイールを信じようと決断せざるをえなかった。それはとても勇気のいることだった。
そして、日が沈んでしまわないうちに、なんとか崖下までたどり着き、森を駆け抜け今この場所に潜んでいる。だが、西の空はもう真っ赤に染まっていた。日が完全に暮れてしまうまで、それほど猶予は残されていなかった。
「町の様子を見てくる。みんなはここで待っていてほしい――」
一人、ハルヒコは町の方へと足を踏み出していった。
港町サッハは規模としては小さい方に分類されるだろう。森に近い側には平屋建ての民家が並び、港に近づくにつれレンガ造りの倉庫とおぼしき建物が増えていった。
街道がそのまま町のメインストリートにつながっており、二台の馬車が行き交うことが可能な石の舗装路になっていた。だが、町の本通りであるにもかかわらず、食品や雑貨などを扱う店は見受けられず、酒場を兼ねた宿屋だけが一軒、ぽつんと営業しているばかりであった。
ハルヒコは兵士がいないか警戒しながら港の方に向かっていった。兵士の姿をしていなくとも、こちらを監視している人間がいるとも限らない。不自然に感じられない程度にちらちらと辺りをうかがいながら、ハルヒコは進んでいった。
港に到着すると、大小さまざまな船が係留されていた。
山脈が一気に海へと落ち込み、水深の深い入り江を形成している。要はリアス式海岸――天然の良港というわけだ。
ハルヒコが想像していたよりも大規模な港だった。大型の帆船も桟橋に接岸していた。
「おらおら、ぼーっとしてんじゃねえぞ!」
突然、ハルヒコの頭上から怒鳴り声が降ってきた。慌てて、そちらを振りあおぐ。
船上でガタイのいい半袖姿の男が、山のような荷物を肩に担いだ船員達に怒号を飛ばしていた。船員達の頭は荷物に隠れて見えなかったが、その下から覗く肉体ははち切れんばかりの筋肉におおわれていた。
怒声を上げていた男が、ちらとハルヒコの方をうかがった。
反射的にハルヒコは目をそらし、あたかも気づかなかった振りを装いながら、ゆっくりとその場を離れていった。自分は無関係であることをアピールするために、思わず鼻歌まで出そうになった。
――こわぁ……。
いかにも海の男って感じはしたが、あの船はないなとハルヒコは思った。
――それにしても……。
日が暮れかかる時間帯のせいだろうか。港には人気がほとんどなかった。それこそさっきのような男達があふれ、喧騒に満ち満ちた景色をハルヒコは想像していたのだ。
まずいかもしれないなと、嫌な予感が頭をよぎった。次いで、追いかけるように焦燥感が体の奥を震わせた。
ハルヒコは人見知りというわけではなかったが、誰彼かまわず声をかけるタイプでもなかった。だが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。ハルヒコは船で作業している人間の姿を見つけると、片っ端から尋ねていった。
「この船はどこに向かうのか?」
「人を乗せることはできるか?」
だが、かんばしい答えは返ってこない。ほとんどの船がアクラとは逆方向の目的地であったり、アクラに向かうにしても旅客を乗せる余分なスペースはないと、ぶっきらぼうに追い払われるばかりであった。
――まずいかもしれない……。
「アクラに行きたいなら――ほら、あそこのでかい貨物船が確かそっちに向かうって話だったぜ」
これが最後かと願うように尋ねた船にもあっさりと断られ、知らず天を仰いでいたハルヒコにそんな救いの声がかけられた。
――ほとんどの船には当たったはずだけど……。
なんとなく嫌な予感がした。そして、それは的中することになる。
ハルヒコが指し示された方向を確認すると、この港で一番目を引く大型の帆船が目に飛び込んできた。道ゆくハルヒコの頭上から突然怒号が落ちてきたあの船だ。
今も屈強な男達の間で、お互い喧嘩を売っているようにしか聞こえない大声が飛び交っている。
――この町で一泊しても、明日の朝、船を探したら間に合うだろうか……。
ハルヒコがまず考えたのがそれだった。
――そういうわけにはいかないか……。
背に腹は変えられない。ハルヒコは覚悟をきめて足を踏み出した。
――ドクロマークはついてないけど……。
海賊船じゃないだろうな……。
ハルヒコの素直な感想だ。
「あの……」
貨物を積むために掛けられたタラップの下で、あくせく働く船員達に向かってそう叫んだ――少なくともハルヒコは叫んだつもりでいた。
だが返事はない。気づかれてさえいないようであった。
さすがに声が小さかったかと、ハルヒコは努めてさっきよりも大きな声を上げた。
「あの、すみません――!」
やはり反応は見られない。もしかすると、わざと無視してるんじゃないかと思ったくらいだ。そうなると、不思議なもので腹が立ってくる。
「あのお! すみません!」
ハルヒコは本来なら出せるはずの大声を張り上げた。自分ではそうと思っていなかったが、知らず萎縮して声が出ていなかったのだ。
だが、張り切りすぎた。一人二人が気づいてくれればそれでよかったのに、ハルヒコの声に船上の屈強な男達が一斉に振り向いたのだ。ハルヒコは何十もの凶暴な目にさらされることとなった。船員達はまるで因縁をつけられたみたいにハルヒコを睨みつけた。
――まずかったか……。
ヘビに睨まれたカエルのように、ハルヒコはその場で固まってしまった。
「なんか用かい、兄ちゃん?」
タラップの上にいた男が声をかけてきた。他の筋骨隆々の船員達とは少し雰囲気が違う。日に焼けてたくましいのはもちろんだったが、
――無駄にでかくない。
それがハルヒコの感じた第一印象であった。本当にそう思ったのだ。
同時にこうも思った。
――他のでかい人達よりも、この人の方がずっと強いんだろうな……と。
「この船はアクラの方に向かうと聞いたんですが――」
「ああ、そうだ」
「乗せてもらうことはできますか?」
すぐに返事はなかった。男は値踏みするように、ハルヒコを上から下までねめつけた。
「馬車を使ったらどうだい?」
「急いでるんです。今すぐ出発したいんです」
「どうしてそんなに急ぐ理由があるんだ? なにかやましいことでもあるのか?」
ハルヒコはこんなふうに問われたときのために、あらかじめ答えを用意していた。戸惑う素振りを見せず、すぐに返答できるように。
「アクラにいる父親が危篤なんです。今すぐ駆けつけないと、もう会えないかもしれない」
「どうして、父親が危篤だって分かるんだ?」
「手紙をもらいました。それにはもう間もないと……」
ふたたび男は何かを考えるように、ハルヒコを凝視した。
「手紙で知ったなら、どんなに急いだところで間に合わないかもしれないぜ。辛い言いようだが、もう亡くなっているとも限らない。故郷を離れるってのは、そういう覚悟を持つってことじゃないのか」
偽りの理由でありながらも、男の言葉にはどこかハルヒコの心をぎゅっと締めつけるものがあった。
「……それでも駆けつけたいんです。間に合わなくても――」
――そうしたいと心が叫ぶんだ……。
男はもう一度ハルヒコの顔をじっと見つめた。瞳の奥を覗かれているのだと、ハルヒコは気づいた。目をそらすことはできない。男の目に揶揄するような色はなく、眼差しは真剣であった。
「ふーん、まあいいや……。あんた一人かい?」
「あと、妻と子どもが三人います」
そう言いながら、ハルヒコは少しだけ安堵した。海賊と勘違いしそうな船ではあったが、先の見えない未来に展望が開けたことで、ずっと張りつめていた気持ちに一息つけたような気がしたのだ。もちろん、努めて表情に出さないように注意はしていたが。
「ただ、お金の持ち合わせがあまりなくて……」
おそらくアクラまでの旅費としては充分すぎる金銭を所持していただろう。だが、ハルヒコはそう言っておくべきだと判断した。それでもし追い払われるような事態になれば、そこから交渉が始まると考えていた。
男はまたハルヒコの奥に潜んでいるものをうかがうような目をした。
「銀貨一枚だ。食事はなし。交渉もなしだ。それでいいか?」
正規の客船ではないにしろ、その金額がアクラまでの五人分の乗船代として高いのか安いのか、ハルヒコには判断できなかった。
だが、ハルヒコにはその男の言葉には表裏がないように受け止められた。直感としか言いようがない。銀貨一枚は決して払えない額ではなかったし、もしここでごねるような真似をしてしまえば、男の言った通り本当に交渉はそこで打ち切られてしまうとの確信があった。
ハルヒコは了承した。
「よろしくお願いします」
男は賢明だというふうに、小さく口角を上げた。
「俺はこの船の船長――ボナルドっていうんだ。船の名は、あかつき丸。まあ、よろしくな」
ボナルドは、さあ交渉はもう終わりだと、分かりやすい笑顔を浮かべた。胸のすくような、夏空を思わせる笑顔だった。




