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第6章―4

 玄関の扉に手をかけたとき、ハルヒコは再び勇気を奮い立たさなければならなかった。

 マグダルとクイールが訪れてよりここまで、時間にして半刻といったところだろうか。思いつく限りの準備はしたつもりだったが、もし足りない物があったとしても仕方がない。後は知恵をはたらかせ、工夫を――辻褄を合わせていくほかない。

 ハルヒコは皆にバッグを一つずつ持たせ、自らは食料が入ったものも含め二つの麻袋を肩に担いだ。シュウとクイールは、さらに自分の剣も背負っていた。

 ――迷っている時間はない。

 ハルヒコはゆっくりと玄関の扉を押していった。

 外の様子をうかがいながら足を踏み出す。鶏小屋の鍵を開けたときと同じように、闇夜は静けさの底に沈んでいた。

 目が覚めた数羽のニワトリが、窓の隙間からもれたわずかな光を頼りに、コッコッコッと寝ぼけ眼で庭にこぼれたエサをついばんでいた。

 ハルヒコは耳をそばだて、注意深く辺りの気配をうかがった。そして、しばらくして皆に合図を送り、外に出るよう促した。

「パパさん、これからどうするの?」

 ハルヒコはシュウの質問には答えず――実際には答えられなかったのだが――マグダル達が乗ってきた白馬に近づいていった。

「馬に乗っていくの?」

 ハルヒコは白馬の鞍を探りながら答えた。それは独り言のようでもあった。

「馬は使わない――。いや使えないと思った方がいい……」

 シュウ達はハルヒコの言っていることが、にわかには理解できなかった。

 ――あった……。

 ハルヒコは鞍に差し込まれていた、人の身長ほどの長さを持つ白銀の棒を取り出した。

「それは!」

「マグダル様の杖です……」

 ハルヒコはその白銀の杖をクイールに差し出した。

「マグダル様から託されました。一緒に連れていってくれと……」

 陽の下でその杖を注意深く観察すれば、その白銀の奥に七色の光が宿っていることに誰もが気づくであろう。肉眼ではとらえることのできない微細な魔法の文字と紋様が、表層のみならず金属内部にまで刻み込まれている。もちろん魔法の力によって刻まれたものだ。鋼を火で鍛えるように、白銀を魔法で鍛えた金属――ミスリル――であった。

 そのミスリルの杖は、マグダルがクロム王より賜ったルアン国の宝だった。

『そんな物をいただくわけにはいきません――』

『では、どうするのだ。わしには黄泉の国まで持っていけはせんぞ』

『しかし……』

『連れていってほしいのだ。わしの心も一緒に……』

 ――そして、守らせてほしいのだ……。そなた達のことを。

 つい先ほどまでマグダルと交わしていた会話を思い返し、ハルヒコはまた胸が締めつけられそうになった。

 ハルヒコはクイールに向かって「お許しいただけますか?」と尋ねた。

 少しの間があった。クイールは毅然と言った。

「そなたが持つにふさわしい――マグダルがそう認めたのだ。私はその思いに従う」

 そして、こう付け加えた。

「どうか、マグダルの思いを……」

 後は言葉にならなかった。

「クイール王子……。ありがとうございます。マグダル様の御心と共に、どこまでも参りましょう……」

 ハルヒコは白銀の杖をぎゅっと握りしめた。


 ――どこに逃げる?

 ――どうやって逃げる?

 最終的には、クロム王の兄、バナム王が統治する隣国アクラに辿り着かなくてはならない。

 ――ひとまず、村人の家に匿ってもらうか?

 ダメだろうな……。すべての家を床板まで外して、隅から隅まで捜索されるだろう。

 ――なら、どの方角に逃げる?

 北はもちろん論外だろう。アイス団長率いる軍が今もエオラに駐屯している。しかも、王家の呪い――死者がうごめいている?――も気になるところだ。相手の裏をかくにはおもしろい選択だが、不確かな要素ばかりでリスクが高すぎる。そもそも北に向かったところで、隠れる場所も逃亡する経路もない。北に向かって行き着く先は、高さ数十メートルにも及ぶ断崖が連なる『最果ての絶壁』だけなのだから。

 ――東はどうか?

 自分達がこの世界に飛ばされてきた、始まりの場所コメンコがある。だが、その先も北と同じく断崖の岬となっており、そこに逃げ道はない。

 ――裏をかくといえば、南に下ることも考えられる。

 あえて首都のリュッセルに逃げ込むのも手かもしれない。ハサルなら間違いなく自分達を匿ってくれるはずだ。そして、相手があのアイスであったとしても、巧みに我々をアクラ国へと逃してくれるだろう。

 ――だが、リュッセルまで辿り着くのが至難の業か……。

 街道を行くわけにはいかない。馬や馬車を使ったとしても、すぐに追いつかれるか、要所要所で検問に引っかかるのがオチだ。

 ――街道を通らずにリュッセルまで行けるか?

 それも無理だろう。相手は軍隊だ。人海戦術で森も草原も隈なく捜索されてしまうに違いない。

 ――深く考えず、西のアクラまで街道を馬や馬車で駆け抜けるか?

 いや、それも無理だ。リュッセルに向かうのと同じで、簡単に追いつかれてしまう。

 ――じゃあ、どうすればいいっていうんだ……。

 将棋なら詰んでいる状態なのかもしれない。どんなにもがいても、もう負けは決している。逆転の一手はない。そう、ゲームのルールに乗っかっている限りは……。

 ハルヒコはすでに思いついていた。進むべき道を。

 だが、それはあまりにも常軌を逸した選択で、ハルヒコもそのことを自覚していたからこそ、他の可能性をもう一度探りたかったのだ。

 ――もう考えている暇はない……。

「みんな、パパさんのこと信じてくれるかい? クイール王子も私についてきてくださいますか?」

 近くにいたシュウとクイールが小さくうなずいた。

 ハルヒコは自分が考えていたことをかいつまんで説明していった。こんなことしか考えつかず、また、それを皆に押しつけることに胸を痛めながら。

 一通り自分の考えを打ち明け皆の様子をうかがうと、誰もがその表情を曇らせていた。追い打ちをかけることを承知で、ハルヒコは確認するように続けた。

「みんな、パパさんを信じて、ついてきてほしいんだ……。進むべき道はあそこしか残っていない――」

 ハルヒコは躊躇いつつ、その方向を指差した。信じてほしいと言いながら、自らも確信が持てず、まだ迷いの中にいる。だが、その不安をみんなに見せるわけにはいかなかった。先頭に立って歩く者は、不安も迷いも押し隠し、自信をみなぎらせ確信に満ちた表情で皆を率いていかなくてはならないのだ。そうでなければ誰もついてきはしない。

 つくづく、ハルヒコはそんな自信に満ちあふれた人間を装うことに、自分は向いてないなと思った。それでも、そのように振る舞わなければ――演じなければならなくなったのは、いつの頃からだろうか……。

 ――父親になったときからだ……。

 父になるとはそういうことなのだと、いつしかハルヒコはそう自分に言い聞かせてきたように思う。

 自分に確固とした自信を持つようになったわけではない。そう感じている者は勘違いをしているだけなのかもしれない。

 装っているだけなのだ。演じているだけなのだ。

 ――だから……。

 精一杯、装ってみせるさ。立派に演じきってみせるさ。

 そうしていれば、いつか偽りも真実になるときが来るだろう。

「みんな、行こう――!」

 ハルヒコは先頭に立って足を踏み出した。

 振り向きはしなかった。だが、まずクイールが、続いてシュウが歩き出すのを気配で感じた。

「ママ、行こう――」

 カナがトウコに声をかけ手を引っ張った。

 ハルヒコ達は住み慣れた家の敷地から足を踏み出した。

 この先、自分達に何が待ち受けているのか分からない。ようやく手に入れた安寧の日々とも、不意に別れを告げなければならなくなった。これから先も、そんなことは幾度となく起こるのだろう。

 ――負けてたまるか……。

 家族がいる限り、自分が諦めることはないだろう。

 ハルヒコ達は街道を渡り、石垣を越え、斜面を下りていった。まだ、光の魔法は使っていない。大森林を監視する櫓に当番の村人がいる。気づかれたくなかった。それでも今宵の月は世界を明るく照らし、ハルヒコ達の足元に影をつくるほどだった。

 ハルヒコ達は斜面を下り川を渡った。そこからは緩やかな上り斜面。そして、その先には……。

「パパさん、本当にここを行くの……?」

 ハルヒコは皆の顔をもう一度見た。誰もが不安の色を浮かべていた。

 ――自分は上手く感情を隠せているだろうか……。

 ハルヒコは顔の筋肉がこわばっていないか意識した。しかし、そこに自分の顔はないように感じられた。どこかに行ってしまい、どこかに失われていた。

 ――仮面をかぶっている……。

 どこかに隠れてしまった自分の顔の代わりに、偽りの表情がそこにすげ替わっている。

 ――どこまでも、かぶり続けてやるさ……。

 それで家族が、誰かを守ることができるなら。

 ハルヒコ達が今立っている場所は、かつてトロールとの死闘が繰り広げられた草原だった。そこから見上げた先には、やはり魔性の者がいまだ潜む大森林。

「行こう――」

 ハルヒコは足を踏み出した。

 目の前には、夜の大森林が底無しの暗い口をぽっかりと開けていた。


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