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第6章―1

 一年が経とうとしていた。

 村で栽培していたタバコや薬草は今年も順調に育ち、ハルヒコはふたたび王都リュッセルへ、ハサルの商店に卸しにいった。

 ハサルは大いに歓迎してくれた。宴に招待され、興が乗ったのか、酔っ払ったハサルがはしゃぐ一面も垣間見られた。

 ハサルの提案で、村で茶葉を栽培するようにもなった。苗木を植えて数年間は収穫できないが、今後数十年に渡り村に安定した収入をもたらしてくれると、みな期待している。

 村の耕作面積も広がった。村人がさらに増えたのだ。ルアン国は平穏そのものだったが、国の外からは途切れることなく難民が押し寄せてきていた。外の国で戦火が絶えることはないようであった。

 そして、元の世界に戻る糸口は……。

 そのきっかけさえ見つからぬまま、時間だけが無為にただ過ぎていくばかりであった。


「村の方は順調かの?」

 エオラ城の執政室で、マグダルは茶を飲みながらハルヒコに尋ねた。

 ハルヒコがマグダルの仕事を手伝うのも変わりない。むしろ、より重要な仕事まで任せられるようになってきていた。ハルヒコにとっては、村で鍬を振るっている方が何かと気楽ではあったが。

「順調です。何年後かには、今飲んでいるこの紅茶も村で収穫できるようになるかもしれません」

「それは楽しみじゃの」

 マグダルは微笑んだ。そして、唐突に尋ねてきた。

「やはり、ハサルとの取引きは続けておるんじゃな……」

 どこか探るような目であった。

「はい。商売のことに関しては信頼のおける方ですから」

「そうか……」

 マグダルはあまりハサルのことを話題にあげなくなった。新進気鋭の商売人で、その思想が国にとっては懸念の種であった。だが、探りを入れても、一向にハサルが政変を狙うような気配を見せることはなかった。

 ――ハサルさんがそんなことを望んでいるかどうかは別として、簡単に尻尾は見せないだろうな……。

 肩を持つわけではないが、ハサルという人物はただの単純な傑物ではない。変な話だが、もし周囲を欺こうとするなら、ハサルは自身がついた嘘を本気で真実と思い込むことができるだろう。彼の心の内を覗くのは容易いことではない。

 だが、それはそうとして、彼が国家の転覆を狙っているような素振りを、ハルヒコの前で見せたことがないのもまた事実だった。

 ――結局、自分も欺かれてるってことかな……。

 真実は闇の中だ。

「新しい家はまだ建てんのか。いい加減、屋敷を構えてもいい頃じゃろう。もうすぐ爵位も賦与されるというのに」

「まあ、そうなんでしょうが……」

 ハルヒコは近く貴族の列に加わることになっていた。元々、開拓地の村長として赴任し実績をあげた者には爵位が与えられる。だが、それは通常、平貴族と呼ばれる位であった。

「今回は男爵止まりじゃが、徐々に位は上がっていくじゃろう。いきなり高い爵位を与えると、門閥貴族どもが騒ぐでな」

 ハルヒコは「はあ」と他人事のように呟いた。

 異例の賦与である。爵位は上から、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士、平貴族と序列がつけられている。村長なら名前ばかりの平貴族ということになるはずだが、武勲をあげた者はこの限りではない。ハルヒコは、つまり騎士を飛び越え男爵を叙任するだけの功績をあげたということだ。

 言わずもがな、クイール王子の危機を救った功績である。それだけではない。トロールの討伐において、中心的な役割を果たしたことも大きい。

 あの日、トロールを業火に包み、とどめを刺した後、何が起こったか。

 負傷したウタルと兵士は、森に駆けつけた救護部隊によってすみやかに処置が施され、一命を取りとめることができた。驚くべきことに、この戦いで多数の重傷者が出たにも関わらず、死者は一人も出なかったのである。

 ハルヒコはシュウとクイールに肩を借り、森を街道に向かって歩いていた。さすがにもう限界であった。魔法を使いすぎたときのあの眠気がハルヒコを襲い、気を抜けば歩きながらにして意識を失う自信があった。その疲労感をにじませた様子を気にかけ、クイールがシュウにハルヒコを支えようと持ちかけたのだった。

 ハルヒコはぼんやりした頭の中で、

 ――なんだ、すごくいい子じゃないか……。

 と、まるで近所の子どもをほめるみたいに、クイールのことを感心していた。この国の次期国王を――である。

 やがて、森を抜けた。

 そこでハルヒコを待ち受けていたのは――。

 割れんばかりの歓声。

 英雄の帰還であった――。

 そう、ハルヒコは望みもしないのに、英雄になってしまっていたのだ。名実ともに炎の魔導士に祭り上げられてしまっていた。

 ――ああ……いやだな……。

 そのときに抱いた、ハルヒコの正直な感想である。

 それから一年。

「森の様子はどうかの?」

「変わりません。灯りはあいかわらず、あの近辺を行ったり来たりですね」

 トロール退治が終わってすぐ、ハルヒコは村に櫓をつくった。森を監視するためである。丸太を組んだだけの簡単なものだったが、四階建ての建物に相当する高さがあった。

 村で当番を決め、毎夜森の監視にあたる。櫓では手元や足元が辛うじて確認できる程度の灯りだけが許された。強い灯りでは、逆に森から見つけられてしまう危険があったからだ。

 ――見つけられてしまう……。

 いったい何に――?

 監視を始めてから数日と経たぬ真夜中、はるか遠くの森にぼんやりと灯りがともっているのを見張りの一人が発見した。それがトロール達のものかどうかは定かではなかったが、ともかく何者かが――それも深夜の森で一夜を過ごすことのできる何者かが――森に存在していることは疑いようがなかった。

 馬車ならば村から二日といったところだろうか。近い距離ではない。灯りはその辺りの森をまるで徘徊しているみたいに、日毎、場所を変えては淡く森の底を炙った。

 村の方に近づくでもなく遠ざかるでもなく――今もそこにあり続けている。

 ――トロールの足では、この村まで移動してくるには数日かかる……。

 だからこそ、監視の手を休めてはいけない。少しでも、その灯りが村に近づくようなことがあれば、直ちに軍の派遣を要請しなければならないのだ。

「おそらく、彼等にとっては、そこがきっと過ごしやすい場所なのでしょう」

 ――彼等と呼ぶか……。どこまでも、のんびりとしとるのう。

 マグダルは呆れるような気持ちになったが、ハルヒコの呑気さは今に始まったことではない。

 ――本当に元の世界は平和だったんじゃのう……。

 マグダルはハルヒコとの会話を通して、ずいぶんとハルヒコ達の世界のことを学んだ。にわかには信じられないようなことばかりだった。その内の一つに政治の仕組みがあった。民衆が自分達の代表を決めて国を治めさせる――民主主義という名の仕組み。

 ――民が賢くなくては務まらん仕組みじゃな。

 そんなものは衆愚政治になるのが目に見えとる。マグダルはそう馬鹿にしたものだ。

 だが、ふと考えた――。

 ――だから、ハルヒコは村人達に学ばせるのか……。

 ハルヒコがこの国の政治を変えようなどと思っていないことは百も承知だ。ただ、ハルヒコは無意識のうちに、人はそうあるべきだと――自分で考え、より良いものを判断し選択できるべきだと――考えている。その前提となる知識を得るために文字の読み書きを教え、曖昧さに騙されないように計算を学ばせている。

 ――ハルヒコ達の世界では、そのような思想が知らず知らず皆に根付いているのかもしれんな……。

「おお、そうじゃ」

 マグダルは思い出したように、突然話題を変えた。

「ハルヒコよ。いろいろなことが落ち着いたら、魔法を本格的に学んでみんか?」

 予期せぬ提案であった。

「学ぶ……とは何処でですか?」

「隣国アクラのマギア魔法学院じゃ。わしの母校じゃよ」

 アクラはルアンの西に隣接する兄弟国であった。元々は一つの国であったが、魔族が世界を席巻していた混沌の時代が終わる頃、王族の兄弟が平和裡に国を二つに分け治めることになった。魔物の侵略で父王はすでに亡く、荒廃した国を力を合わせて復興させるためであった。

 そのアクラ国の首都バラディンにマギア魔法学院はあった。国内のみならず、ルアン国、そしてさらには近隣の諸国からも魔法の才を秘めた者達が集まり、日々研鑽を積んでいた。

 その学校で、さらなる高みを目指して魔法を学ばないかというのだ。

「現在のダイン学長は、わしの兄弟子なんじゃ。わしとは比べるべくもない、とてつもない力をもった大魔導士なんじゃよ」

 マグダルは自分のことのように誇らしく語った。それだけで、そのダインという人物の人となりが窺い知れた。

「実はもう推薦状を送っておる。話もつけておる。ハルヒコが望めば、いつでもマギアに行ってもよい。もちろん滞在中の費用はルアン国が持つでな」

「いや、そこまでしていただくのは……」

「分かっとらんのう。魔導士を育てるのは、その国の益になるからじゃ。国を強くするために必要な投資なんじゃよ」

 それに――とマグダルは続けた。

「ハルヒコが向こうで学んでいる間、家族はどうするんじゃ。こっちに置いていくつもりか。そんなことできるわけないじゃろう」

 暗に、家族思いのバカ親が――と言われている気がした。

「シュウも一緒に学ぶべきじゃろう。ハルヒコに負けず劣らずの才をもつ大魔導士なんじゃから」

 確かに魔法をさらに――しかも専門の機関で体系的に――勉強できるのは魅力的だ。いや二つ返事で今すぐにでも了承したいぐらいであった。マグダルもハルヒコのその気持ちを見透かしているようで、少し癪であった。

 ――シュウも勉強したいと言うだろうな。

 家族と離れることもない。違う国を見る良い機会でもある。

 ――でも、村はどうする……。

 順調に村は動き始めている。新たな村人も増え、開拓も道半ばだ。

「とても興味のある話です。ですが、村のことが気がかりで……」

「ハルヒコが村の運営に納得がいくようになってからでよい。それに何もかも自分でやろうとするでない。信頼できる誰かに仕事を任せるのもリーダーの務めじゃ。それとも、信頼できる人間がおらんのか?」

 最後の言葉はハルヒコの心にぐさっと突き刺さった。

 ――もちろん、いるさ……。

 すぐさまバルトやヤンガスの顔が浮かんだ。しかし――

 ――二人に任せようとしないのは、自分が彼等のことを心からは信用していないということなんだろうか……。

 ハルヒコは自問自答した。そして、他人に全幅の信頼を置けない自分の心に問題があるのだろうとの結論にたどり着く。

 ――あんなにも村のために懸命に働いてくれている二人を信用できないのか……。

 ハルヒコは自分の心の在り方に、我ながら嫌悪感を覚えた。

「まあ、今すぐにというわけではない。じっくりと家族とも一緒に考えるがよい……」

 ハルヒコは、はっとした。気取られぬよう、マグダルの表情をうかがった。その瞳が何を語ろうとしているのか探ろうとした。

 マグダルがしめくくった会話の語尾に、奇妙な含みを感じとったのだ。まるで、それまでの会話の内容など、どうでもいいような――これからが本題だと言わんばかりに……。

「ときにハルヒコよ。最近、お主の家によく訪ねてくる者はおらんか?」

 ハルヒコは再びハサルの顔を思い浮かべた。だが――

 ――いや、ハサルさんは本当に家には来ていない……。

 だとすると、マグダルはいったい誰のことを探っている?

「訳の分からない貴族達が突然訪ねてくることはありますね――」

 これは事実だった。おそらくはハルヒコと顔をつないでおきたいとの思惑を持った貴族達だろう。事前の連絡もなく、ハルヒコの都合も考えず、突然家にやってきたかと思うと、不遜な態度と脈絡のない誇示を撒き散らし、一通り喋り終えると満足したのか、来たときと同じようにまた唐突に帰っていく。無意味なマウントを取りたいのだろうが、いちいちそれらを丁寧にあしらわなければならないハルヒコの家族はうんざりであった。

「他には?」

 不吉な質問だった。

 ハルヒコには答えるべき解答は後一つしか残っていなかったからだ。

「アイス団長がときどき寄られます。リュッセルとエオラを行き来する際……私の家の目の前はすぐ街道ですので」

「どんな様子じゃ。――どんな話をする?」

 決定的だと思った。水面下で、ルアン国に何かが起ころうとしている。よもや、アイスの名がそこに出てくるとは、ハルヒコには予想もつかなかった。

「取りとめもない世間話をするぐらいです。ときどき、お土産をいただくこともあります。あの、アイス団長が何か……?」

 マグダルは逡巡しているようだった。そして、今はまだ何とも、とそれ以上は語ろうとしなかった。

 結局その日はそこで話は打ち切られ、ハルヒコは後味の悪い帰宅を強いられることとなった。

 この異世界にやって来て、この異国で暮らすようになって、二年という月日が過ぎようとしていた。

 何もかも上手くいっていた。上手くいっていると思っていた。

 この平穏な暮らしがいつまでも続くものと思っていた――。

 だが、その平穏は突如崩されてしまう。

 それは外からもたらされたものではなかった。

 燻っていた火種が予期せず大火をもたらすように、国の内側で密かに――しかし揺るぎない信念を持って――生じた綻びが、時を得て一気にほどけてしまったのだ。

 誰かが悪いわけでもない。言ってしまえば、時代が悪かったのかもしれない。

 マグダルと会話を交わした数日後、それは起きた。もしかすると、そのマグダルとの会話もきっかけの一つになったのかもしれない……。

 首謀者の名はアイス。

 クーデターである――。


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