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第5章―3

 紅をわずかに残し、西の空は紫に染まった。東は黒とも紫ともつかない深い闇に覆われつつあった。

 日はすでに地平の下に潜ってしまっている。これから、闇に潜む得体の知れない者達に怯える、長く不安な夜が訪れるだろう。それでも、ハルヒコはこの沈みかけた空を美しいと思った。

 ――誰かがマジックアワーと呼んでいたな……。

 名称はともかく、一日のうちに世界がほんの一瞬だけ垣間見せる、恥じらいの向こう側にあるこの艶やかな表情――その姿に惹かれない者はいないだろう。

 ――こんなことを考えているのは、自分だけか……。

 ハルヒコは思わず自嘲せずにはいられなかった。

 これから生死のやり取りが繰り広げられるかもしれないこの場所で、あれほど騒いでいた心が、今は不思議と静まり返っている。

 ――ダメだな、もっと気を張らないといけないのに……。

 いつ足をすくわれるか分からない。

 皆、早めの夕食を終え、忙しそうに動き回っていた。ハルヒコは申し訳ない気持ちで、彼等の仕事をただ目で追いかけているだけであった。

「ハルヒコ殿、初めての戦場にしては、ずいぶんと落ち着いているご様子ですが――」

 アイスが気をきかしてか、声をかけてきてくれた。傍目からもそう見えているのかと、ハルヒコはあらためて自分の心の平静さを不思議に思った。

 側にいたシュウはもちろん、クイールでさえそわそわと落ち着かない。ときおり、空になったコップを手にとってはテーブルに置いてみたりする。何かをしていないと間が持たないといった様子がありありと見てとれた。

 ――仕事がら、いろんなことが突然起こったりしたからな。

 まずは冷静に状況を確認する――そういう癖がついてしまっているんだろう。

 そういえば、元の世界でも初めて会う人に何度か同じように指摘されたことがあったなと、ハルヒコは思い返していた。

 ――落ち着いているのは、この状況を把握しようとしているからなのか……。

 確かに兵達の動きを目で追っていた。ハルヒコは彼等の動作一つ一つの意味を理解しようと、自分なりに納得しようと、努めていた。彼等の仕事が持つそれぞれの小さな目的と、それらがどのように組み合わさって、これから達成しようとしている大きな目的に繋がっていくのかを見極めようとしていた。

 ――自分なりに納得できないことに我慢ならないのは、生まれつきの性分かもしれない。

「そういえば、討伐用の武器を説明できていませんでしたね。ハルヒコ殿がよければ、あらためてご説明しますが――」

「アイス団長は、お時間の方は大丈夫なんですか?」

「一段落したところです」

 おそらく今がアイスの取れるわずかな休憩時間だろう。ハルヒコはその申し出を受けることに躊躇を覚えた。だが、好奇心を抑えることはできなかった。

「アイス団長がよければ、ぜひ――」

「お、なんだかおもしろそうですな。私もご一緒させてもらってもよろしいですか」

 二人の会話を耳にしたバルトが、これ幸いにとその話題に乗っかってきた。ハルヒコの傍らで、ずっと手持ち無沙汰な様子でくすぶっていたのだ。

 アイスは笑顔で、二人を本陣の外へ誘った。

「あれが、先ほど説明しようとしていた、トロールに対抗する大型の槍です」

 街道脇に設置された幾つもの台には、槍というよりは配管に使用されるパイプと言われた方がむしろ納得のできる、金属の太い筒が三本ずつ横向きに掛けられていた。

 長さは大人の身長の三倍ほど。柄の部分は、手で握っても親指と人差し指が届かないほどの太さがあった。

 ――絶対に一人では持てないよな……。

 金属の塊と形容するのが妥当であったろう。頑丈さにかけては折り紙つきの代物のように思えた。柄の部分まで金属でできていたが、唯一の救いは――これを扱う兵士のことを思えば――内部が中空の筒状になっていたことぐらいだ。

「この槍を持てるのかとお思いですよね。一人では無理です。ウタルならできるかもしれませんが……」

 アイスは苦笑いを浮かべた。

 ――槍というぐらいだから、先端は尖っているんだよな……。

 ハルヒコは近づいて観察した。そして、さらに違和感を覚えることになった。

 ――この穴は何だ?

 槍の先端は、尖塔のように確かに鋭く加工されていた。だが、槍頭の付近には無数の穴が開けられていたのだ。それが通常の槍の構造でないことは――何か特別な目的のための構造であることは――素人のハルヒコにも一目瞭然であった。

 ハルヒコの怪訝な表情を察して、アイスが問いかけてきた。

「その穴が気になりますか? いいところに目をつけられましたね。これが今回使用する武器の要となる部分なのですよ」

 そして、アイスはこう付け加えた。

「大型の怪物に対抗するためのね――」

 アイスは簡単には答えを教えてくれそうになかった。それどころか、ハルヒコならきっと気づいてくれるだろうと、彼は楽しそうに期待の目を向けていた。

「もう一つの武器をご紹介しましょう」

 アイスは解答を保留し、代わりに別の武器が置かれている場所へと移動した。ヒントを与えようとしているのだろう。

「これはクロスボウという武器です。弓と似ていますが、練度の低い兵士にも扱えますし、何より威力があります」

 それは弓を横に倒して、ライフルの引き金と銃把を取り付けたような武器だった。片手で持てるような大きさではない。まさしくライフルのように、両手で構えなければならない大型の武器であった。

「リュッセルの大防壁には、この数倍もある物が設置されてます。それはバリスタと呼ばれています。持ち運べるような代物ではありません。地面の台に固定されているのです」

 ハルヒコはアイスの説明を聞きながら、クロスボウの近くに置かれていた矢に注目していた。

 ――普通の矢がどんな大きさなのかよく分からないけど、これはきっとそれよりも長いんだろうな。それに……。

 やはり太いなと、ハルヒコは思った。

 木製の矢柄に金属製の矢尻がついたものが、ハルヒコのイメージする一般的な矢の構造だ。だが、このクロスボウの矢は、先ほどの槍をそのまま小さくしたようなパイプ構造で、先端には無数の穴が同じように開いていた。

 ――これが突き刺さるのか……。

 すると、どうなる……?

 ハルヒコは先ほどの槍がトロールに突き刺さる光景を想像してみた。

 ――!

「なんて残酷な……」

 槍と矢の構造が持つ意味を理解したハルヒコに、アイスは満足そうに笑みを浮かべた。

「その通りです。この武器でなくては、大型の怪物には敵わないのです。もう何年も前になりますが、西の荒地に地竜が出没したときも、この武器を使って撃退したのです」

 村や城で過ごした少なからぬ時間のおかげで、ハルヒコもずいぶんと現実的な目でこの異世界を眺めることができるようになっていた。それでも、やはりまだどこかにファンタジーの残滓のようなものを重ねてしまう――期待してしまう自分がいた。

「剣と魔法で戦うわけではないんですね……」

「戦う相手によります。トロール相手では、ただの剣では表面に傷をつけることぐらいしかできませんし、文献によると魔法もあまり効かないようです。目的に応じて――戦う相手によって、効果的な武器を選択するのは当然のことでしょう」

 そして、こうも付け加えた。

「剣で戦うのは小型の魔物か……人を相手にするときですね」

 アイスの目は、その言葉を聞いたハルヒコの反応を観察しているようにも見えた。

 バルトが頭を抱えて問いかけてきた。

「何が分かったっていうんです? 俺にはどんな仕組みかさっぱり想像がつかないんですが」

「実際に見れば、いやでも分かりますよ」

 アイスのようにバルトに気づきを求めたわけではない。ただ、ハルヒコには、その武器の残虐性を口にするのをはばかられただけのことであった。

「先ほどの地竜というのは、あの空を飛ぶ巨大な竜の仲間ですか? 私達家族がこの世界に来たとき、城の上空を飛んでいたんです」

 アイスは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「三大災厄の一つ、シエラレゴのことですか? そういえば、あなた方が現れたときに、シエラレゴもその姿を数百年ぶりに見せたと噂になりましたね。ですが――とんでもない。地竜とシエラレゴを比べることなど。シエラレゴは神獣です。もし悪意を持ってこの国に現れていたとしたら、今頃ルアン国は焦土と化していることでしょう」

 ――災厄? 神獣とも呼ばれている……?

 頭が混乱してきた。

 この世界のことをハルヒコはずいぶんと知った気になってきていた。だが、その深淵を覗くには、この旅はまだまだ短すぎるのだった。


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