第4章―6
思いのほか早く、駐屯所の馬車が一人待つハルヒコの元に到着した。
馬車は毎日の定期便と同じ車体で、人が十名は一気に乗車できるものであった。だが乗っていたのは、御者台の兵士二名と客車の――先ほど駐屯所に向かわせた――村人二名、合わせてたったの四名だけであった。
ハルヒコは落胆の色を隠せなかった。てっきり、兵士達がぞろぞろやってくるものとばかり思い込んでいたからだ。
こんな怪物が出現することなど、この世界では日常茶飯事の出来事で、兵士達が森に分け入り害虫を駆除するみたいにその怪物を手際よく退治してくれる。あわよくば速攻で事態は解決に向かう。そんな甘い期待がなかったわけではない。
「村長さん。お待たせしました」
分隊長を名乗る兵士が、切羽詰まった様子もなく淡々とそう言った。
落ち着いていて頼りになる、と捉えるべきなのか……それとも事態をまったく把握できていないのか。ハルヒコは得も言われぬ、もどかしさを覚えずにはいられなかった。
「いろいろと心配事はあるでしょう。ですが、協力して頑張ってまいりましょう。村人達の避難の件はお任せください。駐屯所の方でも準備は進めておりますので」
分隊長はそう言うと、安心させるように笑顔をつくった。
ハルヒコは恥ずかしくなった。一瞬でも彼等のことを疑った自分に対して。兵士達は自分達のすべき事を心得て、村人達の安全のためにすでに動き出してくれていたのだ。
ハルヒコは努めて気取られないようにしていたが、内心はどうしたらいいのか、不安と焦燥が胸の内に渦巻いていたのだ。
――落ち着かないといけないのは自分の方だ。
分隊長の名はグンターといった。そして、グンターが次に語ったことで、彼等の事情も大体は察することができた。
「正直言って、このような事態は――少なくともこの地域では初めてのことで――私達も困惑しています。これからどう対処していくのか、我々も考えていかなくてはなりません」
グンターはさらに付け加えた。
「村人達を避難させる判断は間違ってなかったと思います。それに、城へも同時に遣いを出してくれたのもありがたかった。どのみち、我々もこれからどう動けばよいのか、城に指示を仰がなくてはなりませんでしたから」
――やはり、こんなことは、こっちの世界でも稀なケースだったんだ……。
それが自分達の身に降りかかってきた不運に、ハルヒコはあらためて持って行き場のない恨めしさを覚えずにはいられなかった。
だが、ともかく駐屯所への避難は確約できた。それだけでも、ハルヒコを押しつぶしそうとしていた重圧はずいぶんと軽くなっていったのである。
――それでも気を緩ませたらいけないんだろうな……。
何が起こるかなんて、まだまだ分からない……。
兵士が駆けつけてきてくれたから、後は彼等に任しておけば大丈夫――などとハルヒコは考えもしなかった。自分はまだこの事態の中心に位置する当事者なのだ。怪物と戦うことは無理でも、村人達のこれからの生活を配慮していかなければならない。その責任を放棄することは、もちろんできない。
ハルヒコとグンターがこれからの動きを相談していると、北の街道にこちらへと疾走してくる二騎の騎馬が現れた。城からの指示を携えた先遣隊であった。
「グンター分隊長殿、お越しでしたか。それと、ハルヒコ村長殿。この度の事態、胸中お察しいたします。皆で協力し、この難局を乗り越えてまいりましょう」
その兵士は駐屯所ではなくエオラ城に避難するようにと、マグダルからの指示を手短に伝えた。
「この後、村人達を城まで運ぶ馬車も到着するでしょう。グンター分隊長殿には、城からの後発部隊と共に森を監視するようにとの任が出ております。詳細はその部隊の隊長からお聞きください」
ハルヒコは子細をもっと尋ねたかったが、その兵士達は「我々は、これよりリュッセル城に急ぎ向かいます」と、まだ息も整わない騎馬に鞭打って、あっという間に視界から消えていった。
――ここにいても仕方がないか……。
ハルヒコは村の若者達と共に村に戻ることにした。
ハルヒコ達が村に着くと、街道にはすでに四台の客車を引く馬車が並んでいた。バルトがハルヒコに気づき近づいてきた。
「もうお聞きになられていると思いますが、マグダル様が村人達は城の方に避難させるようにと仰られました。今、馬車に乗ってきた兵士達が、村の者に避難するよう声をかけて回っているところです」
ハルヒコの指示を仰がずに自分の判断でそのように先に動いたことを、バルトは気にしているようだった。
「ありがとうございます。時間が勝負ですからね。急げるだけ急ぎましよう」
ハルヒコは駐屯所に行ってもらった若者達にも荷物を準備してくるよう促した。
「途中、村のみんなに会ったら、火の始末は大丈夫か、あらためて声をかけてください」
彼らが走っていくのを見送ってから、ハルヒコはバルトに言った。
「バルトさんも荷物をまとめてきてください。ここは私が見ておきますから」
「いや、私もここにいましょう。荷物のことはシドに準備するようにと言伝を頼んでいます。任せて大丈夫でしょう。どのみち村の馬車で、最後に城に向かうつもりでいましたから」
「そうですね。私もその最後の馬車に乗っていきましょう」
それから少しずつ村人達が集まりだした。ハルヒコは来た者からどんどん馬車に乗せていき、客車がいっぱいになると先に城へと出発させた。誰が乗車したかのチェックはバルトに任せた。
「ハルヒコ殿!」
村人達の乗車を忙しく手伝っていたハルヒコの背に声がかけられた。
「――ウタル隊長」
それはシュウがクイール王子と共に剣を学んでいる、親衛隊隊長のウタルであった。
「まさか、ウタル隊長が出向かれるとは……」
――それだけマグダル様は事態を重く見ているということか……。
「この度は大変なことになりましたな。我々も最善をつくさせてもらいます。それと、お願いがあるのですが……。兵達が休憩のとれる待機場所を提供していただきたいのです。マグダル様より、昼夜を問わず森を監視するようにと命ぜられておりますので」
ハルヒコはしばらく考えた。
「それでは、私の家をお使いください。それほど大きくはありませんが、村の集会所としても利用されています。近くに井戸もありますし、かまども自由に使っていただいて結構です」
「ありがたい!」
――こういう事態も想定して、いつでも対応できる集会所をそのうち作らないといけないな……。
「ご案内しましょう。ちょうど私も家に戻らないとと思っていたところです」
そのとき、タイミングよくヤンガスもやって来た。
「村長、金庫の鍵を持ってきたが、どうするね。いったん村長に預けておこうか?」
ハルヒコは言われるままに鍵を受け取りそうになったが、思い直してヤンガスに聞いた。
「ヤンガスさんに急ぎの用がなければ一緒に行きましょう。こんなときですが、だからといって金庫の鍵の取り扱いをうやむやにはしたくないので」
バルトがここは任せておけとヤンガスをうながした。
「じゃあ参りましょう」
ハルヒコは、ウタルとヤンガスを伴って自宅に向かった。努めて平静を装ってはいたが、本当は今すぐにでも駆け出したい衝動にかられていた。
――トウコ達はもう避難の準備はできているんだろうか……。
理性では村人達の避難を最優先に考えながらも、ハルヒコの心はいつも家族のことでいっぱいだったのだ。
「ただいま! みんな、避難の準備はもうできてる?」
ハルヒコは家の前まで来ると、我慢できず小走りに玄関の扉を開けた。
「あ、パパさん。おかえりー」
迎えてくれたのは、何とも気の抜けた、いつものカナの声だった。
テーブルの上には山のように積み上がった荷物が置かれていた。だが、家族の三人はというと、その山積みの荷物を前にして、椅子に腰掛け、のんびりとお茶を飲んでいるといった始末であった。
――何をこんな悠長なことを……。
「もう、パパさん遅いよ。待ちくたびれちゃったよ」
「さあ、じゃあ行きましょうか」
まるで自分が遅れてきたのが悪かったかのように皆が振る舞う。
ハルヒコは納得がいかなかったが、ここでそんなことを議論している時間などあるはずもなく、いつものようにぐっと感情を飲み込んだ。
――せめて危機感とか緊張感は持ってほしいんだけどな……。
「あ、ウタル隊長!」
シュウが玄関から顔をのぞかせているウタルに気づいた。
「よう、シュウくん。しばらく、この家で厄介になるよ」
その言葉を聞いたトウコは、また責めるような目でハルヒコを見た。
「ああ……。兵隊さん逹が森を監視してくれるんだけど、待機場所が必要でね。集会所を使ってもらおうと思ってるんだ」
トウコが何か不満をもらそうとした。そのとき、
「奥さん、突然押しかけて申し訳ありません。お部屋は綺麗に使わせてもらいます。兵達にも普段から身の回りの整理や清掃を徹底させていますし、私もしっかりと監督させていただきますので」
トウコの表情を読み取ったウタルが、先回りをして、そう説明した。
「ウタル隊長。もし可能なら、奥の寝室は使わないでいてもらえるとありがたいのですが……」
おそらくトウコが絶対に譲れないであろう条件を、彼女に代わってハルヒコが頼んだ。
「もちろんです。ご安心ください」
こういう交渉ごとはよくあるのだろう。手慣れた調子で、様々な要望を事務的にさばいていくウタルの姿が目に浮かぶようだった。
ハルヒコは大雑把にテーブルの上に広げられた荷物を確認し、それから幾つかの棚や引き出しをのぞき込んだ。
「荷物にはなるけど、念のため塩と胡椒も持っていこう。向こうでみんなの食事を作る可能性だってあるかもしれない。それ以外は大丈夫そうだ。みんな、頑張って持てるだけ持っていってくれるかな」
そう言うと、カナは自分のおもちゃが入った小さな鞄を一つだけ肩にかけ、トウコは着替えなどでパンパンにふくらんだ袋を二つ両腕に抱えた。
――まあ妥当な量か。
だが、シュウだけはあきらかに無理をしているのが分かった。トウコと同じ量の荷物を頑張って抱え、さらに腰には修練で用いる剣までをも帯びていたのだ。その剣は小振りながら――ハルヒコも手に取ったことがあったが――ずっしりと重く、その重量は剣として果たすべき本来の目的を無言のうちに示唆しているかのようであった。
「シュウ。みんなで分けて持っていったらいい。パパさんの荷物も残しておいてくれよ」
「これくらい大丈夫だよ」
「でもな……」
その様子をうかがっていたウタルが声をはさんだ。
「シュウくん。いざというときに自由に動けなければ、自分の身も、そして家族や他の誰かも守ることはできないぞ」
シュウは少し考えてから、片方の腕に抱えていた荷物をテーブルに戻した。
その様子を見ていて、ハルヒコは思った。
――ウタル隊長にいいところを見せたかったのかもしれないな。
「ヤンガスさん、金庫の鍵を――」
ハルヒコは金庫が収まっているキャビネットの鍵を開け、金庫脇に置かれている自分の家の貴重品袋を取り出した。
「これはトウコが持っておいてくれるかい」
トウコはその袋を受け取った。中には銀貨や銅貨といった貨幣が入っており、小さい見た目のわりには、手にずっしりとその価値にみあった質量がのしかかってきた。
次にハルヒコはヤンガスから預かった鍵を金庫に挿し、重たい扉を軋ませながら開けていった。中には紐で頭をくくられた袋が数個置かれており、そのすべてに小さな紙片が付いていた。
ハルヒコはその中から冊子状の紙片が付属した大きめの袋を手に取った。袋には村のお金が収められており、冊子は出し入れした金額を記入する出納帳であった。
再び金庫の扉を閉めようとして、ハルヒコは中に取り残された小さな袋達を一瞥した。
――村がまた平穏を取り戻して、この袋をあの子達に手渡すときがくるんだろうか……。
小さな袋には、村の子ども達がそれぞれ成人したときに渡すお金が入っていた。
ハルヒコは――こんなときにも関わらず――まだ見ぬ、そんな未来の情景を思い浮かべ小さく微笑んだ。
「それじゃあ出発しようか」
ヤンガスが「俺は手ぶらだから」とテーブルの荷物をいくつか担ぎ、最初に外へと出ていった。シュウとカナがそれに続き、トウコは家の中をぐるりと見渡し、それから後ろ髪を引かれるような面持ちで扉の外へと足を踏み出していった。
部屋にはハルヒコとウタルの二人が残された。ウタルと目が合ったハルヒコは、ふと、
「シュウも他の人の言うことはよく聞くんだけどな……」
と、先ほどの荷物の一件を小さくつぶやいて苦笑した。
「ハルヒコ殿。それは違いますよ」
ウタルがそう言った。確信を込めてそう断言した。
「シュウくんはいつも、父さんはすごいんだと、事あるごとに話してくれます。嬉しそうに、憧れの眼差しで。本当に尊敬しているのですよ、あなたのことを」
意外だった。
――まさかシュウが外でそんなことを言っているなんて……。
照れ臭くなったせいか、ハルヒコは思わず軽口をこぼした。
「だったら、もう少し言うことを聞いてくれてもいいのに――」
ウタルは笑みを浮かべて言った。
「負けたくないのですよ。尊敬しているからこそ、身近にいるあなたに――父親に」
ハルヒコにとっては、まさに青天の霹靂であった。ウタルに言われたことは今まで考えてもみなかったことだったのだ。
「私には父親がいなかったので……そういう子どもの気持ちには疎いのかもしれない」
分かったような気がしているだけで、自分は子どものことをまだまだ何も知らないでいる。もっとまっすぐにシュウやカナと向き合おうと、そのときハルヒコは小さく胸に誓った。
「ウタル隊長のお子さんもそうだったのですか?」
ハルヒコが何気なく尋ねると、ウタルはただ小さく微笑むばかりであった。
人は『今となっては』と、いつも過去の――そのときのことを思い返す。
だが、過ぎ去った時は決して取り戻すことはできない。
このときのハルヒコも、ウタルのその微笑みの本当の訳を、知るよしもなかったのである。




