第3章―8
「いやあ……。炎の魔導士なんて、私には過ぎた名前ですね……」
ハルヒコは魔法を使えることを、あえて否定しなかった。おそらく、城の大部分の関係者にとっては周知のことなのだろう。このアイスという男に下手な小細工は通用しない。いや、必要ないだろう。
「まだまだ小さな火の球をつくることぐらいしかできません。魔導士などと呼ばれると、少しくすぐったく感じてしまいますね」
ハルヒコは努めて笑顔をつくった。
「そんなに謙遜なさらなくてもいいでしょう。兆しの試練後、すぐに炎の魔法を使えたと――伝説に名を刻む魔導士になるだろうと、もっぱらの噂です」
――間違いない。マグダル様が言いふらしている……。
マグダルにどのような意図があって、そのような風聞を広めているのかは定かではないが……。
「マグダル様は、ハルヒコ殿のことを我が事のように喜んでいるご様子でした」
定かではないと思った矢先、はっきりとマグダルの意図が確認できた。悪意はないのだ……。
――まいったな……。
ハルヒコはできるだけ自分達の存在を目立たせないように努めてきた。特に城の中では、その思いはなおさら強かった。要らぬトラブルに巻き込まれたくなかったのだ。
異世界から来たということだけでも注目を集め、自分達の預かり知らぬところで誰かの悪意に無理やり引きずり込まれてしまうことだってあるかもしれない。
ハルヒコにとっては、富や名声を得ることなど眼中にはなかった。想像することさえなかった。
ハルヒコにとって唯一の、そして命に代えても守らなければならないものは――家族、ただそれだけであった。
「マグダル様みずからが城門まで出迎えにいかれたそうですね。今頃、城は大騒ぎになっていることでしょう」
アイスは自分には関係のない話だと、無責任な笑みを浮かべた。嘲笑と呼んでもいい。城の誰かに――あるいは全員に――思うところがあるのかもしれない。
「マグダル様の後継者候補の一人、そう以前から噂になっていたのですよ。その人物が、今日、城を訪れた――」
ハルヒコは戦慄を覚えた。
「後継者! そんな、困ります……」
アイスはその言葉の中に、ハルヒコの嘘偽りのない思いを読み取ったようだった。そして、さらに興味深そうにハルヒコを眺めた。
「そんなこと言われては、困ります……。私は別にそんなに大層な人間になりたいわけじゃない。ただ……」
ハルヒコは、シュウやカナ、トウコの――家族の笑顔を思い浮かべていた。
「私はただ家族を守っていきたいだけなんです……」
アイスは、なるほどと得心したように微笑んだ。
「そうだ、ハルヒコ殿はウラギオス国がどんな国かと気になっているご様子でしたね」
アイスはハルヒコのことをおもんばかってか、話題を違う方向へとそらしてくれた。
――この人はこういう気遣いもできる人なんだ……。
「とても強固な国です。強い軍隊がいる。そうならなければならない理由があるのですが……」
――このルアン国が圧力をかけているはずはない……。
ああ、さっき同盟国と言ってたな。
「ウラギオス国のさらにはるか南、ザインツ帝国という国があります。数百年にわたり、ザインツ帝の治世が続いています。領土拡大の野心を隠そうともせずに」
ハルヒコは突如、焦燥感に駆られた。どこかで、この穏やかな生活がいつまでも続くものと思い込んでいたからだ。この平和なルアン国の日常だけが、この世界のすべてだと、ずっと自分に言い聞かせてきた。
よくよく思い返せば、この世界の非情さを機会があるごとに耳にしてきたのではなかったか。村人達はどこかの国から悲嘆にくれて流れてきた人々だったし、シドやバルトの恨みや怒りはいかほどのものであったか。
目を背けてきたのだ。こんなにもすぐ近くに、平和な日常を壊す脅威がごろごろと転がっていることに。
――それは、元いた世界でも同じだったかもしれないな……。
家族を守るために、村の人達を守るために、そして、可能ならばこの国の人々を守るために、自分はもっと強くならないといけない。それは魔法を極めるという意味ではない。どんなことにも心折れない明確で強い意志を鍛えていくということだ。賢明で最善の判断を選び取っていくということだ。
ここ最近、穏やかな日常に気の緩んでいたハルヒコは、一気に現実に引き戻された。あらためて身の引きしまる思いになった。
「安心してください」
ハルヒコの神妙な様子を気にかけ、アイスが声をかけてきた。
「ザインツ帝国は確かに強大な軍事国家ではありますが、この大防壁まで進軍できたことは、ルアン国史上、一度たりともありません。ウラギオス国と協力して、あの城塞都市が最終防衛ラインとなるように、いつもくい止めているのです」
――確か、ウラギオス国も強大な軍を持っていると言っていた……。
「地の利もあります。ウラギオス国より南の土地は湿地になっていて、帝国は思うように進軍できないのです。湿地の出口でウラギオス国の城塞都市から投石器による攻撃をしかけ、その攻撃を逃れた敵を、我々とウラギオス国との同盟軍で各個撃破していきます。四年前もそのようにして帝国を退けました」
――四年前!
つい最近じゃないか……。
ハルヒコは自分の持っている知識や知恵で、攻めてくる軍隊を退ける一助となるようなものがないか、必死に考えを巡らした。
――この世界で、まだ鉄砲や大砲は見かけたことがない。
火薬のようなものがあれば……。
明日にでも攻めてこられるかのような勢いで、ハルヒコは打開策を考え続けた。
「安心してください」
アイスはもう一度その言葉を繰り返した。
「帝国といえども、このような大遠征を短期間に何度も繰り返すことはできません。警戒は怠りませんが、少なくとも後十年近くは攻めてこないと考えて間違いないでしょう」
――それでも十年だ……。
子ども達はようやく独り立ちができるかという頃だろう。
大防壁まで攻め込まれたことはないといっても、それがこのまま永遠に続くとも限らない。
ハルヒコは想像せざるをえなかった。みんなで協力して発展した村が、凶悪な兵士達に蹂躙される光景を。村人達が、妻や子ども達が傷つけられていく惨劇を。
――限られた時間で、やれることをしておかなくては……。
「どうかしましたか?」
押し黙ってしまったハルヒコを心配するように、アイスが声をかけた。
「自分の家族や村の人達を、どうやったら守れるのかなって考えていました。でも、今は何も思い浮かばない……。あの、もし私に協力できることがあれば、何でもおっしゃってください。微力でも、力になれることがあれば……」
こんな何の権力も力もない、小さな村の長を務めているだけの人間が何を大層なことを吐いているんだろうと、ハルヒコは恥ずかしくも思った。だが、切羽詰まった気持ちがそう言わせずにはいられなかったのだ。
しかし、アイスは馬鹿にするような態度はいっさい見せず、真剣な表情で答えた。
「ありがとうございます。そのお言葉、本当に感謝いたします」
ハルヒコも意外だった。アイスがここまで真摯な態度を取るとは思ってもみなかったからだ。
「国のためにとまでは言いません。でも、その誰かを守りたいという思い、その志を持った者に私は敬意を表します。かつて戦場に散っていった私の部下達のように」
アイスもまた遠い目で、草原のはるか向こうにいる、思い出の中の仲間達のことを見つめているようであった。
「志を持った者達の思いを――命を、決して無駄にはしない……」
アイスが最後につぶやいた言葉は、南からの強い風にかき消され、ハルヒコの耳には届かなかった。
アイスは何かを思い出したかのように「失礼」と一言残して、待機している部下の元へと戻っていった。
一人取り残される形となったハルヒコは、アイスの眺めていたものを確かめるように、あらためて大防壁の南に広がる広大な草原を見つめた。
――ん……?
違和感があった。
さっきまで眺めていた景色と寸分違わぬ大草原がそこに広がっていた。だが、何かが違う……。
目を凝らす――そうすればするほど、むしろ景色はぼんやりとしていった。どんなに目の焦点を合わせようとしても、自然と視界が歪んでいってしまう。
――あれ……めまいか……?
だが、それはめまいなどではなかった。むしろ、白昼夢と呼ぶべきものであった。
ハルヒコの視界を、現実にはありえない幻影が埋めつくしていく。その幻はますます鮮明さを増し、あたかも現実と置き換わるかのように目の前の草原に重なっていった。
死の軍団だった――。
死者達がガチャガチャと甲冑の音を立てながら、みずからも肉が削げ落ちた口をカチカチと鳴らし、この大防壁に向かってアリのように群がってきていた。
山のような岩石の巨人が数体、その大きな一歩を踏み出すたびに、大地が悲鳴をあげて激しく揺れ動いた。巨人は手に持っていた岩を大きくゆっくり振りかぶり、迷うことなく大防壁に向かって投射した。岩は一直線に壁の上部へと吸い込まれ、設置された投石器を壁もろとも跡形なく破壊した。
そして……。
――あの死者達の後ろにいるのは、いったい誰なんだ……。
ハルヒコはなぜかそれが人であると直感していた。死者や魔物の類いではない。ハルヒコにはなぜかそれが分かったのだ。
――知っているような気がする……。
自分はあの人間を知っている……。
だが、それを確認しようとする前に、その人物が誰なのかと考えようとする前に、幻影は徐々に掠れ、やがて完全に霞のように消えていってしまった。
時間は一方通行に流れるわけではない。そもそも時間という事象が存在しているのかも定かではない。世界を構成する最小粒子には、我々が常識として考えている時間の向きとは逆方向に運動するものもあるのだ。
もし人の思考や記憶といった現象が、それら世界の最小粒子が介在するシステムだとしたら、我々は未来から過去に進んできた粒子――未来の記憶――を受け取ることができるのかもしれない。
――あれは、未来の光景なのか……。
予知――という陳腐な言葉が、直感的にハルヒコの脳裏を横切った。その直感は間違いのないもののように思われた。だが、あのイメージはその言葉では言い表せない生々しさがあった。それはまさに、記憶と呼ぶにふさわしかった……。
――あれは誰だったんだろうか……?
ハルヒコは死者の後方にひかえていた人物を、もう一度思い出そうとした。だが、どうしてもその人物の姿にはもやがかかり、表情さえうかがうことはかなわなかった。
――自分はあの人物を知っている……。
ハルヒコは心の中でそうつぶやいた。




