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第3章―7

 ごてごてした装飾と一見それとは見分けのつかない装甲に覆われた馬車に、ハルヒコ達は乗せられていた。馬車は人々の注目のただ中を走っていた。

 もちろん、馬車の車体に隠れて直接衆目にさらされてはいない。だが、自分達に集まる人々の視線が壁越しに嫌でも感じられ――要するに、居心地がすこぶる悪かったのだ。

 ――荷馬車に比べたら、乗り心地は当然いいけど……。

 落ち着かない――。

 ――王族の人達は、よく平気でこんな馬車に乗っていられるな……。

 王族専用の馬車には、ハルヒコ達とクイール王子が乗車していた。外せない仕事があるとのことで、マグダルは同行していなかった。

『じゃあ、僕がみんなを案内するよ。父上の了承も、もうもらってるんだ』

 クイールのその一声で、城門前はまた大騒ぎとなった。

『急ぎ、アイス団長を呼んでくるのだ!』

 マグダルが、ルアン国の精鋭を選りすぐった騎士団の長を護衛につけさせたのは、あまりに急で想定外の展開ゆえに正常な判断がつかなかったからだろう。

 駆けつけたアイスは苦笑いを浮かべていた。だが、どこか興味深げな目をハルヒコ達に向けていた。

 そのアイス騎士団長と麾下十名が美しい騎馬にまたがり、ハルヒコ達が乗車している馬車を取り囲むように護衛についていた。さながら大名行列の様相を呈し、町の通りは何事かと一時騒然となっていた。

 ――これは何かの罰ゲームなんだろうか……。

 ハルヒコは、どう考えても因果関係などありはしない、先ほどの衛兵に突っかかっていった自分を無意識のうちに責めていた。

 ――巡りめぐって、悪いことは自分に返ってくるんだな……。

「日が暮れるまでもうあまり時間がありません。とっておきの場所だけ回ろうかと思います。そこにはなかなか入れない――というか、一般の人は決して登れないところなんですよ」

 クイールは丁寧な言葉遣いで、ハルヒコ達に説明してくれた。

「クイール王子。それはもしかして、あのでかい壁のこと?」

 それに比べ、シュウは普通の友人に接するような態度で尋ねる。大丈夫なのかとハルヒコの方が気をもむくらいであった。

 だが、クイールは「そうそう、あのクソでっかい壁」と軽口をたたいて、シュウにほくそ笑んでみせた。

 この二人は普段こんな感じで会話を交わすのかと、ハルヒコは少し安堵した。クイール王子が少なくとも気分を害していないことに――ではない。シュウとクイールが本当の友人のように付き合えていることが嬉しかったのだ。

 ――こっちの世界でも、いい友達ができたな。

 馬車は大通りを進むばかりではなかった。こんな小さな路地を行くのかと思えば、あきらかに城に戻るような方向に曲がったり、中にはいったい何差路だと数えるのも間に合わないような交差点を横切ったりもした。城から大防壁まで、真っすぐすんなりとは、なかなか辿り着かせてはくれなかった。

「迷路みたいな町でしょう?」

 ハルヒコの思っていることを読み取ったのか、クイールが声をかけてきた。

「もっと簡単に進めたらいいんでしょうけど、城の守りのためには仕方がないのです。もし戦争となって敵が攻め込んできたら、先ほど通った道にある建物や橋を壊して、町全体をさながら大迷宮といった感じにしてしまうのです」

 話していて、クイールは苦笑した。

「もっとも、この町に敵が攻めてきたことなんて、ここ数百年起こったためしがないんですけどね。そんなあるかもしれないことより、町に住む人達が不便な思いをしない方が大切なんじゃないかなって私は思うのですが」

 ――この王子は、そんなふうに考えることのできる人物なのか……。

 ハルヒコはクイール王子とは挨拶程度の会話しか交わしたことがなかった。学友として一緒に過ごす機会の多いシュウから、王子の話を聞いて、その人となりを推測するばかりだった。

 だが、実際に目の前で言葉を交わすと、想像以上にしっかりとした自分の考えを持ち、それを口にすることができる。大人なんだなと、ハルヒコは思った。

 ――あるいは、無理して大人のように振る舞わざるをえないのか……。

「しかし、今までは大丈夫でも……」

「まあでも、将来、国をあずかる人間としては、人々の利便性ばかりも考えてはいられないですね。今までが大丈夫だったからといって、これから先も安心だなんて保証はどこにもないんだから」

 ハルヒコは自分が危惧したことをそっくりそのままクイールに言われ、深く感嘆した。

 ――すごいな、この歳で……。

 この王子は、物事をいろんな面からとらえることができる。

 頑なには見えない。柔軟な思考もでき、おそらく他人の進言もよく聞き入れるだろう。

 ――シュウと歳は同じくらいなのに、こうも違うもんだろうか。

 しかし、よくよく考えてみると、この世界の子ども達はみな早熟だ。元の世界ではまだまだ遊びに夢中な歳頃の子でも、こっちの世界ではみな何かしらの仕事を持っている。家の仕事を手伝うだけでなく、店番や肉体労働まで、賃金をもらってしっかりと働いている。

 ――シドも、ときおり子どもらしさは見え隠れするけど、シュウと並ぶとずいぶん落ち着いて、お姉さんに見えるもんな。

 ハルヒコはシュウやカナの将来を心配せずにはいられなかった。

 元の世界に戻るという選択肢を放棄したわけではない。常に意識して、帰還の手段を見つけようと努力はしている。だが、それが叶わなかったときは……。

 ――この世界で生きていくしかない。

 自分が死んでしまっても、子ども達はこの世界で生きていくのだ。そのために必要な財産――ではない。生きていくための知識や知恵、技術を彼らに身につけさせていかなくてはならない。

 ――どちらの世界でも、結局、親が子どもにしてやれることは同じか……。

 馬車に乗ってずいぶん経つような気がした。しかし、到着までにはまだまだ時間がかかる予感しかない。自分はただ馬車に揺られて進むことしかできないのかと、ハルヒコは窓に映るもう一人の自分に向かって問いかけた。


 県庁所在地にこれでもかと誇示するように生えている、なんとかタワーの根元に立ち、てっぺんを見上げる。

 ――ああ、こんな感じかもしれないな……。

 ハルヒコは目の前にそびえ立つ『北方の大防壁』を、首を傷めそうになりながら仰ぎ見た。

 どうやったら石を積み上げ、こんな巨大な建造物をつくり上げることができるんだろうか……。ハルヒコは、ただただ感心するほかなかった。

 だが、さすがに何もない大平原に、突如としてこんな巨大な壁を造り上げる技術は今もってこの世界には存在しない。魔法をもってして――岩石を操る魔法はあるにはある――と言いたいところだが、これほど巨大な建造物を建てるまでにはいたらない。

 実はこの場所には元々急峻な山脈が横たわっていた。それもロッククライミングでもしない限り越えられないような、大自然の要害が。この大防壁の端を眺めると、その元の山脈の連なりに壁がつながっているのを見てとれた。

 山脈の中でも比較的低い部分に、さながら山の表面を整然と積み上げた石材でコーティングするかのようにして、この大防壁は造られていた。正確に直方体として削り取られた巨大な石材どうしは、火山灰由来の土壌から採れる土に石灰と水を加えてつくられたモルタルを繋ぎとして、互いに強固に固着されていた。また、難工事であったろうと想像に難くない城門の部分は、長い歳月をかけ、その山脈の基底部の岩盤を掘り進め――いや、削り進め、トンネルを貫通させていた。

 ――テレビがあったら、ドキュメンタリー番組で取り上げられそうなプロジェクトだったろうな。

「皆さま、しばしお待ちください」

 アイスの命令で、部下五名が先に大防壁に上がっていくところだった。

 ――こんなに大きなエレベーターが実用化されてたのか……。

 エオラ城やハサルの商店でも、荷物を上階に運ぶための装置を見かけていた。動滑車と定滑車をいくつか組み合わせ、人力の巻上機でロープを引き上げていく仕組みだ。それを見知っていたハルヒコは、人を運ぶエレベーターもきっとこの世界には存在しているのだろうと予測はしていた。していたのだが……。

 ――まさかこれほどとは……。

「パパさん。どうして、僕達が先に乗ったらいけなかったんだろう?」

「うーん……。安全を確認するためかな?」

 二人のやり取りを聞いていたアイスが、間に入って説明してくれた。

「その通り。安全を確保するためです。上でこの昇降機を操作する兵士達も、もちろん信用できる者達ばかりです。しかし念には念を入れ、私達が先に上がり、巻上機も我々が動かします。さらに、その作業をしている者が不意に襲われないよう、彼らを守る者も同行させます」

 ――ああ、だからガタイのいい兵士達が上がっていったのか。

 確かに、ハルヒコ達はともかく、クイール王子が――国の最重要人物が、エレベーターに乗車するのだ。万が一、不慮か故意か、乗った昇降機がこれほどの高さから落下するようなことがあれば、国の損害や悲しみは計り知れない。

 そう思ったとき、ハルヒコはハッとした。

 ――今、自分は『損害』と思ったのか……。

 やけにドライな言葉が自然に湧き出てきたものだ。ハルヒコは自身に潜む闇を垣間見たような気がした。

「昇降機が降りてきました。さあ、皆さん、大防壁の上に参りましょう」

 いかにも沈着冷静な印象のアイスであったが、大防壁のことを語るときは、どことなく誇らしげな様子であった。

 エレベーターが地上に降りると、アイスは転落防止の木の柵を開けて、皆に乗り込むよう促した。

 クイール王子を先頭にハルヒコ達が乗車し、最後にアイスが乗り込んだ。

 ――あの兵士達は、ここに残って守りを固めるのか。

 アイスの指示がなくとも、兵士達はさも当然のように動く。普段からの練習の賜物なのか、それとも、彼ら一人一人が自分のなすべきこと、役割を理解して――

 ――命令されなくても、自分で考えて行動している。

 それができる人間は、兵士に限らず、どの分野でも強い。そして、そのような人材を多く抱える組織もまた堅牢だ。

 穏やかに見えるこのルアン国も、そんなしっかりとした基盤があってこそ成立しているのかもしれないなとハルヒコは思った。

 地上に残った兵士が上に向かって手信号を送る。すると、エレベーターはショックもなく動き始めた。人力でありながら、このなめらかな動きが実現できるのは、昇降機の仕組みというよりは、上で巻上機を動かしている者達の配慮あってのことだろう。

 エレベーターはそれが人力であることを忘れてしまうほど、なめらかに一定の速度で上昇していく。それにともない、リュッセルの町や城の全貌が眼下に広がっていく。

 壮大な光景だった――。

 町を馬車で移動していて、それと気づかなかったが、リュッセル城はゆるやかな丘の上に建っていた。そこを中心として、町はなだらかな傾斜と共に同心円状に広がっていた。

 馬車で通った道の印象から――大通りはともかく、それ以外の入り組んだ狭い路地などの様子から――町は計画的に作られたのではなく雑然としているのではないかと予想していた。しかし、こうして大防壁から眺めてみると、町の理路整然とした美しい幾何学模様が大地に広がっていたのである。

 ――みんなが誇りに思うのも無理はない。

 ハルヒコも思わず見とれてしまう、圧巻の光景であった。

「うわっ!」

 エレベーターが大防壁の中ほどまで上昇したとき、カゴの端にいたシュウが驚いて飛び退いた。何かが勢いよく横を落ちていったのだ。

「ああ、エレベーターの釣り合い用の重りだろ」

 意外なことではなかった。このような昇降機を発明できたのなら、それを動かしているうちにカウンターウェイトを付けるという発想も自然と生まれるだろう。

 人の持つ知恵の力に、ハルヒコはつくづく驚嘆せざるをえなかった。

 やがて、エレベーターは上がり始めたときと同じように、今度もまた何一つショックを感じさせることなく停車した。

 ハルヒコの感心した様子に気づいたアイスが話しかけてきた。

「昇降機がガタガタ揺れなかったでしょう。上で巻上機を動かしていた兵達の修練の賜物です。どんな兵士も最初はこの大防壁に配属されます」

 初任者研修みたいなものかとハルヒコは思った。

「兵にとっては体を鍛え、剣技を磨くことこそ本分――というのは当然ですが、だからといってその他のことをないがしろにしていいはずがありません。新米の兵士はここで昇降機を動かします。そのとき、乗っている者のことを考えて工夫する、どんなふうに動かせば快適に感じてもらえるか考える。誰にも言われず、そういうことができる兵士は、自然と精鋭になっていきます。彼らが――私の部下達がそうです」

 アイスは巻上機の周りで待機する部下に目をやった。汗一つかかず、息一つ切らさず、岩のように静かに揺るぎなく立つ、屈強で頑強な男達。

 ハルヒコは感謝の意を込めて彼らに会釈した。

 どこの世界でも仕事でも、活躍する人間の資質は同じなんだなと、ハルヒコは納得せずにはいられなかった。

「さあ、町の反対側もまた壮観な光景が広がっていますよ」

 アイスにうながされて、ハルヒコ達はまだ見ぬ大防壁の向こう側を臨んだ。

 言葉に違わぬ、壮大な景色がハルヒコ達を待ち構えていた。

「目の前に広がる草原は、南の同盟国、ウラギオス国まで続いています。見えますか? 左手の山脈が途切れているところを。かなり遠いですが……」

 クイールが丁寧に説明してくれた。その様子をアイスは興味深げに観察していた。

 この大防壁から南を臨むと、壁の左手は急峻な山脈につながっていた。その山脈が眼前の大草原を包むように、ぐるっと途切れることなく、視界のかすむ先まで続いている。まるで天地が重なり一本の直線に収束していく世界の最果てまで。

 確かに一筋に連なる山脈の先に、その稜線がかすかに途切れている箇所が見てとれた。と同時に、その場所には周囲よりも盛り上がった山――のようなものが鎮座していた。

「あそこにあるのは何ですか?」

 あきらかに周りの山とは色が異なっていた。ここより連なる山脈が鈍い黒色であるのに対し、それは白っぽい灰色をしていた。ときおり、その色の中にちらちらときらめく光の粒を確認することさえできた。

「あれがウラギオス国の城塞都市です」

 クイールも目をこらすようにして、その方角を見つめていた。

 ――城塞都市っていうことは、要塞みたいに守りが堅い町ってことだよな。

 ハルヒコは、その要塞の片鱗をどこかに見つけることはできないかと、目を細め懸命に探し続けた。と、気づけば、ハルヒコはそこに一人取り残されるような形になっていた。他の者はクイールについて、説明を聞きながら少し離れたところに移動してしまっていた。

「何か見つけられましたか?」

 不意に、一人になってしまったと思いこんでいたハルヒコに話しかける者がいた。

 騎士団長のアイスであった。

 ハルヒコは、アイスをいかにも実務的で淡々と仕事をこなす――感情という言葉とは無縁の人間だと思い込んでいたので、そのように声をかけられたとき、戸惑いを隠すことができなかった。

「ああ、いえ……。どんな町なのかなと、じっと眺めてたんですが――見えるわけないですよね」

 アイスは破顔して、ハルヒコが眺めていた彼方の町を、まるで懐かしい思い出をそこに重ねるかのように見つめていた。

 ――こんな表情ができる人なんだ……。

 ハルヒコはアイスの印象を変えざるをえなかった。こんな表情を見せる人間は、他者を思いやる優しさを間違いなく内に秘めている。

「やはり気になりますか……」

 アイスはハルヒコの方に向き直って言った。

「いつかは行けますよ」

 そして次の瞬間、思いもかけない言葉がアイスの口をついて出たのだった。

「炎の魔導士様なら――」

 その瞬間、なぜかハルヒコの背中にゾクっと冷ややかに走り抜けるものがあった。

 アイスという人間に対して恐れを感じたのではない。なにか大きな流れ――システムや歴史と言い換えてもいい――の一部に、知らず自分が歯車として組み込まれていっているという予感。ハルヒコの無意識下で、その予感が危険なものだと知らせる何かが、悪寒となってもたらされたのだ。

 それを予言と呼ぶには、そのとき――ハルヒコの覚悟はまだ足りなかったのである。


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