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第3章―6

 ハサルの『ぜひ今晩は我が家に泊まっていってほしい』との懇意を辞して、ハルヒコ達はリュッセルの城へと向かっていた。

 荷はすべてハサルに引き渡し、薬草もギルドに納め、馬車はずいぶんと身軽になっていた。馬達も心なしか軽い足取りで機嫌がよさそうだった。

 タバコの葉の代金は、明日の朝、村に向かって出立する際にハサルの店に寄って受け取る約束だった。町で大金を持ち歩くのは少なからず危険をともなうとのことで、ハサルの方から提案してくれたのだ。さらに、町にあと二日滞在できるなら、村の方面に向かう自分のキャラバンに同行し、安全に帰路につくこともできるとも申し出てくれた。

 だが、ハルヒコの家族や村人達には四日目の夕方までには戻ってくると伝えていた。この世界に電話や電報の類いがあるはずもなく、一日でも到着が遅れれば、どれほど家族が心配するか、村の人達が落胆するか、その姿が目に浮かぶようだった。

「ハサル殿の宿泊の誘いを断ったのはもったいなかったですね。いやらしい話ですが、きっと美味いものをいろいろとご馳走してくれたかもしれません」

 後ろを振り向かなくとも、シュウとシドがそのご馳走という言葉に敏感に反応しているのが手に取るように分かった。

「まあ、仕方ないでしょう。私もすごく心惹かれたんですが……。マグダル様がリュッセルでの用事が終わったら城を訪ねるようにと、何度も念押しされましたからね」

 不意に、堪えきれなくなったシュウが、ハルヒコとバルトの会話に割って入ってきた。

「ねえ、パパさん。今日はどこに泊まるの?」

 日はまだ高いとはいえ、正午からすでに一ジワンは過ぎている。もたもたしていたら、じきに西の空が赤くなってくるだろう。子ども達もそろそろ今晩の寝床のことが気になり始めていた。

「城の中にある兵の駐屯所あたりで野営をさせてもらおうかなと思ってるんだ。シュウが剣を教えてもらっているウタル隊長にこの旅の話をしたら、向こうでそう申し出ても嫌な顔はされないだろうって。ダメならダメで、町のどこかの空き地で野営したらいいんじゃないかな。始めからそのつもりだったし」

「キャンプだね、パパさん」

 ――キャンプと呼べるような楽しいものではないんだけどな。

 だが、シュウの言っていることも分からないでもない。昨晩、宿の敷地内で野営をしたとき、ハルヒコ自身もワクワクしていたのだから。天幕一つ隔てて、自然を隣に感じながらただ眠るだけのことなのだが――。

「晩ご飯はどうするの?」

「ご飯か……。せっかく町に来たんだし、薬草を売ったお金もあるし――どこかで美味しいものでも食べようか」

 交渉も上手くいき、懐もあたたかい。ハルヒコも気が大きくなっていたのだろう。

「その前に、とにかく城に行かないとな。パパさん、リュッセル城の中も見学させてもらえたらって期待してるんだ。だって、あんなに遠くからでも見えるんだよ。どんだけ、でかいんだって話だよ」

 馬車を走らせている今でさえ、進むべき方向に悩む必要はない。ハルヒコ達が目指す先には、紛うことなき白亜の尖塔が青空を突いてその威容を誇示していたのだから。


 リュッセル城の城壁は『北方の大防壁』にこそ及ばなかったが、それでも町を取り囲む城壁に比べれば、圧倒的な威圧感でその堅牢さを見せつけていた。

 城門はそれほど大きくなかったが、まるで鋼の塊がそこに鎮座しているかのように、厚い金属の扉が鈍く黒い光を放っていた。

 堀は河川のごとくゆったりと水が流れており、城門までは間に島を一つ設けるほどの長い石橋が渡されていた。

 城門のみならず橋の袂にも衛兵が目を光らせており、ハルヒコは声をかけることを一瞬ためらってしまうほどだった。

 ――いや、自分だって少なからず城の関係者なんだから……。

 エオラ城の人達とだって気軽に挨拶できる間柄だし……。

 それどころか、国の政治を司る者達の筆頭、マグダルの仕事を手伝っているぐらいなのだ。もう少し自信を持っていいようなものなのに、やはりエオラ城とは規模のまったく異なるリュッセル城のその威容を目の前にし、また自分のことを知る人間がいないという不安な状況も相まって、ハルヒコはその場の雰囲気にすっかり圧倒されてしまっていた。

 ハルヒコがなかなか衛兵に話しかけられないでいると、訝しんだ兵士の方が近づいてきて、厳しい表情で詰問される事態となってしまった。

 ――エオラの兵士さん達と違って、えらくキツい感じだなあ……。

 ハルヒコは、いわれのない罪をなすり付けられたときのような気分になっていた。

「ええっと、すみません――。マグダル様に城に立ち寄るように言われて参りました。ハルヒコと申します。マグダル様から何か言伝のようなものは預かってはおられませんでしょうか?」

 年配の兵士はあからさまに不審の目を向けてきた。

「貴様らのようなやつがマグダル様を名指しするとは無礼にもほどがある。おい、兵隊長に報告してこい! 怪しい奴らがいるとな!」

 そのように威圧されると、普通なら相手は気圧されて縮こまってしまうところだが、残念ながら、このときは相手が悪かった。すぐさま反論を加えようとしたのはもちろんバルトだったが、意外にもそれをおさえて前に進み出たのはハルヒコの方だった。

 ハルヒコはにこやかに微笑みながら兵士の前に立った。

「確かに訳の分からない輩がマグダル様の名を突然出したら困惑されますよね。ですが、私達は本当にマグダル様に言われてここに参りました。もしよければ確認を取っていただけないでしょうか?」

 後ろでそのやり取りを見ていたバルトには分かった。

 ――ああ……。怒ってんな、村長……。

 ハルヒコはふつふつとこみ上げてくる怒りを冷静に押さえていた。それはもちろんマグダルの顔を潰さないためだ。城の関係者との間にいらぬ軋轢をつくるのも望むところではない。

 だが、そういった理性的な思考と同じぐらい、ハルヒコの持って生まれた性分が暴れ出しそうになっていた。

 何が気に入らないかって――。

 人の話を聞こうともしない。頭ごなしに決めつけようとする。見た目だけで人を判断しようとする……。

 世の中に理不尽なことはたくさんある。それが分からないほどハルヒコも子どもではない。だが、それでもハルヒコはそのような道理から外れたことに対して嫌悪を抱かずにいられなかった。怒りを覚えずにはいられなかった。

 ――きっと、自分は早死にするタイプなんだろう……。

 ときおり、そんなふうに考えてしまうこともあった。だが、その生来の性分をあらためる気も毛頭なかった。

 ――理不尽なことに目をつぶって、見ないふりをするような人間になって……。

 それで自分は納得した人生を生きていくことができるのか?

 ハルヒコは気に入らないことがあれば何でもかんでも突っかかっていくような人間ではなかった。冷静に対処して、できるだけ穏やかに解決していこうとする。穏やかな解決というものが――人によっては真綿でじわじわと締めつけられるような――姿のない恐ろしさとして受け止める者もいただろうが……。

 ハルヒコはよく人の話を聞いたし、人を理解しようと努めていた。おおむね人当たりはよかったので、敵をつくるよりは味方を得ることの方が多かった。道理に合わないことも、話し合って解決の糸口を見つけようとできる限り努力した。――だが、話し合いのテーブルにつこうとさえしない者に対しては容赦がなかった。

「今一度、確認していただけますか? 私もマグダル様に言われて、ここを訪ねている以上引き下がることもできません。それは同じ立場であれば分かっていただけますよね。もしマグダル様の命に従わねばどうなるか、あなた方も重々承知のはずだ」

 最後に言った言葉は、なんだかマグダルの威を借りるような物言いで、ハルヒコは我ながら嫌らしいなと感じずにはいられなかった。だが、自然とその言葉が口をついて出てくるほど――外からはうかがい知ることはできなかったが――ハルヒコは怒っていたのだ。努めて冷静に。そして、理性的に――。

「きさまっ!」

 バルトはそろそろやばいなと感じ始めていた。兵士は顔を真っ赤にして憤怒の表情を浮かべていた。

 ――バカにされていることぐらいは分かる頭は持っているようだな。

 バルトも心の中ではそんな侮蔑の言葉を吐いてはいたものの、目の前の兵士の手が剣の柄にそえられると、さすがにハルヒコを制止しなければと二人の間に割って入ろうとした。

 そのとき、橋の向こうから数名の兵士達が走ってくるのが見えた。

 いよいよ喧嘩が始まるかと、バルトは身構えた。恐れや不安などは微塵も感じなかった。それよりも、久しぶりに兵士相手に、国を相手に、拳を振るう――そのことに不思議と血をたぎらせている自分がおかしかった。

 ――せめて、三人を逃がすことぐらいはできるか……。

「待て待て! その方達に手を出してはならぬ!」

 鎧をガチャガチャと鳴らしながら必死に近づいてくる先頭の兵士が叫んだ。あきらかに他の兵達とは異なる、過剰な装飾のあしらわれた甲冑を身につけたその兵士は、気の毒なくらいぜいぜいと息を切らし慌てふためいていた。

「重ねて命令する! その方々に指一本触れてはならぬ!」

 ハルヒコと対峙していた兵士達は、近づいてくる兵隊長の尋常ではない様子に戸惑っていた。

 ――よく分からんが、これでとりあえず、この場はおさまるか……。

 だが、事態は収束するどころの話ではなかった。その直後、兵士達の顔がみるみる蒼白になっていくのが分かった。

 兵士達は走ってくる兵隊長をもう見てなどいなかった。彼らの視線はそのはるか後方に縫いつけられていた。瞬きさえ忘れてしまったかのように。

「おーい、ハルヒコー!」

 聞き慣れた声が近づいてくる。

 バルトはため息をついて、警戒の糸をほどいた。

 ――ああ、本当にお人が悪い……。

 ハルヒコもまた安堵した。そして、ふっと子ども達の様子が気になり、背後を振り返った。二人の子ども達は緊張した面持ちで立っていたが、その様子はずいぶんと対照的であった。

 シドは、獲物を狙う猛禽のような目で、兵士達を睨み続けていた。一方、シュウはというと、シドとは逆に今にも泣き出しそうな情けない表情を浮かべていた。だが――

 ――へえ、やっぱり男の子だな。

 シュウは、背にシドをかばうようにして、必死に立っていたのだ。

 ――子どもを怯えさせてしまったな……。

 我ながら、まだまだ自分の方こそ子どもだなと落ち込まずにはいられなかった。

 なぜ、兵士達にあれほど突っかかっていったのだろう。もっとへりくだった態度で接すれば、もしかするとここまで緊迫した事態にはならなかったかもしれない。ハルヒコの性分がそうさせたのも、もちろんあった。だが――

 ――情けない父親の姿を、シュウに見せたくなかったんだ……。

 しかし、それも結局は自己満足のためでしかない。自分のプライドのために家族を危険に合わせることなど本末転倒ではないか。いったい父親になってこの方、幾度そのような後悔をしたことだろう。

 ――ごめんな、シュウ……。

 この沈んだ気持ちはしばらく引きずるなと、それも今までの経験からハルヒコは覚悟しなければならなかった。

「えらく遅かったのう。すっかり待ちくたびれたわい」

「マグダル様、こちらの方にお見えになっていたんですね。おっしゃっていただけてたなら、もっと早くに参りましたのに――」

 マグダルは口を大きく開けて笑うと、

「サプライズじゃわい!」

 としたり顔で満足そうに一人うなずいた。

 だが、ハルヒコ達の反応があまりにも薄く、傍らに退いた兵士達の緊迫した雰囲気に、ただならぬものを感じたマグダルは「なんじゃ、トラブルか?」と崩していた表情を厳しいものにあらためた。

 その瞬間、兵士達の緊張は頂点に達し、中には血の気を失い、その場にしゃがみ込んでしまう者まであらわれた。

「いえ、何もありませんでした――。それよりも、私達を城にお呼びになったのは、どういうご用件でしょうか?」

 ハルヒコはマグダルが兵士達を追及する前に話題を変えた。

 ――申し訳ないけど、これはマグダル様が悪いだろう……。

 もう少しいろいろなところに配慮があれば、こんな嫌な思いをする事態は避けられたのにと、ハルヒコも恨み節の一つも吐きたい気分だった。

「何を言っとる。リュッセルに来たら、町を案内させると言ったではないか。今から町の観光じゃ」

 何事もなかったなら、この申し出を手放しで喜べただろう。だが今は、正直なところ、観光を楽しむような気分ではなかった。

 ――しかし、むげに断るわけにもいかない……。

「ありがとうございます。ですが、もう日が暮れるまであまり時間がありません。無理なさらずとも、私達は大丈夫です。もうリュッセルの町の凄さは、嫌というほど拝見させていただきましたから」

 ハルヒコは後ろを振り返って、みんなの様子をうかがった。

 バルトはいつもと変わりない。子ども達も先ほどまでの緊張した表情は幾分緩和されていた。

「おお、お主は確かバルトであったな。用水路の工事では世話になった。それと、その子は……工事の現場にも一緒に来ておったな――」

「シドでございます。マグダル様」

「そうであった。元気な女の子であったな」

 シドは兵士達を睨んでいたときのような険しい表情はもう見せていなかった。だが、城の関係者に対する嫌悪感を努めて隠そうとはしていなかった。

「おい、シド。マグダル様に挨拶をしないか!」

 一向に口を開かず、マグダルを見すえたままのシドを見かねて、バルトが声を荒げた。

 シドはしぶしぶといった様子で、マグダルに軽く会釈をしただけだった。

「シド、おまえっ!」

「まあ、よい……」

 マグダルは皆の様子から事情を察知した。そして、さも気づかぬふりを装い、明るい声で言った。

「さあ、こんなところで立ち話もなんだ。とりあえず城の中に入ろうではないか」

 そう皆をうながし、マグダルは城門の方へと体を向けた。

 ――マグダル様、兵士達に何か一言、労いの言葉を……。

 ハルヒコの思いが通じたのか、マグダルは思い出したように兵士達に向き直り「お役目、ご苦労。気を抜かず、続けて勤しんでくれ」と声をかけた。

 ハルヒコもほっと一安心した。確かに兵士達には嫌な思いもさせられた。だが、それは彼らの任務ゆえ仕方がないと言えなくもない――幾分、傲慢さは否めないものの。それゆえ、この場でマグダルから形式上であっても労いの言葉をもらわなければ、彼らはいつまで経ってもこの場で犯した非礼に苛まれることになるだろう。

 ――これで、あの兵士達も、それほどショックは長引かないだろう。

 すんなりとはいかなかったが、ともかく事態は収拾されたのだ。ハルヒコは、次の瞬間にはすっかり気持ちを切り替えていた。わだかまりをずっと抱えるようなことはしなかった。

 この問題は方がついたのだ――。

 ハルヒコはそう思っていた。

 だが、この出来事は、その日、城全体を騒然とさせていく。兵士とハルヒコ達との確執が――ではない。この国で二番目の実力者であるマグダルみずからが、城門まで出迎えにいったという事実――事件といってもいい――が皆を驚愕させずにはいられなかったのだ。

 マグダルが迎え入れた者はいったい何者なのか、城はその話題で持ちきりとなった。

 そして、さらに皆を興奮させる出来事が起きる。それは城門をくぐり抜けた先に待っていた。

 ハルヒコ達が場内に足を踏み入れると何か様子がおかしい。橋の衛兵以上に緊迫した面持ちで、兵士達が左右に列をなして屹立していた。その中央に――

「遅かったじゃないか、シュウ――」

「クイール王子……」

 次期国王みずから、ハルヒコ達を出迎えにきていたのだ。

 城は狂騒の渦に呑み込まれていった。


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