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第3章―2

 満載された荷物は、かろうじて人二人が座れる空間を残して荷台を埋めていた。荷を引く馬達も声には出さなかったが、その背は恨めしげに悲鳴をあげているようにも見えた。年老いた馬達には、まさに荷が重い仕事だったろう。

 荷はシンプルにタバコの葉と薬草だった。タバコは収穫したての葉を未加工のまま載せている。ヤンガスの助言にしたがい、収穫する際、上の方に付いていた葉と下の方の葉を区別して集めた。どうやら、その位置の違いがタバコの味わいと深く関わっているらしい。

『混ぜてしまうと、全部が安い値段で買い叩かれちまう』

 いわく、上の方についた葉の方が高級品として高く買い取ってくれるらしい。下葉は二束三文にしかならないとも言っていた。

 薬草の方は村の川原に自生していた希少な品種を畑で栽培し増やしたものだ。熱や咳が出たときに服用すると症状が緩和される、使い勝手のいい薬草だった。もちろん、この栽培した薬草は近隣の町や村でも重宝されたが、思いのほか畑への根付きがよかったらしく、持て余すくらいの大豊作となり、その余剰分をタバコと一緒に売りにいくことにしたのだ。ただ、ヤンガスが言うには、今回は初めての作付けでたまたま上手くいったが、来年以降はどうなるか分からないとのことだった。同じ土で同じ種類の作物を栽培し続けると、植物は成長しにくくなるらしかった。

「マグダル様がギルドに書状を書いてくれたおかげで、薬草もなんとかなりそうですね。ギルドが取り仕切っている仕事は、部外者が関わるとなかなか厄介なことになりますから」

 御者台で馬の手綱を握るバルトが、並んで座るハルヒコに話しかけた。

「薬を扱っているような集団でも、やっぱりお金が絡んでくるとうるさいんですね……。人の命を守る、みたいな崇高な使命感はないんでしょうか」

「飯のタネですからね。おいそれと手放したりはしませんよ。私も昔、大工のギルドに所属していたことがありますが、血を見ることもたびたびありました。まあ、大工っていうのは、元々負けん気が強くて血気盛んな奴らばかりってのもありますがね」

 この世界では、ギルドと呼ばれる組合がさまざまな職種ごとにその仕事の権益を独占していた。薬を扱う薬剤師のギルドも存在し、薬品を販売することはもちろん、その流通も、さらに薬の原料の栽培や仕入れに関することにまで手を伸ばし、組合の支配下に置いていた。人の命や健康を守るべき立場の者達でありながら、その気になれば――多分に政治的、利権的な理由で――ある地域には薬の供給を止めてしまうこともいとわない集団であった。

 マグダルがツテをたどってしたためてくれた書状が無ければ、村の薬草は仲買の店で門前払いをくらうのみならず、最悪、身の危険にさらされることもありえたのだ。ただ、さすがにギルドにとっても快諾できる内容ではなかったらしく、底値での取引になることは免れなかった。

「ねえ、今日泊まるのはこの村だよね?」

 荷台から体を乗り出し、地図を指差しながらシュウが聞いてきた。荷台にはこちらに顔をのぞかせている子どもがもう一人いた。歳の頃はシュウと同じぐらいだろうか。すらっと伸びた手足は小麦色によく焼けていた。

「ねえ、親方。馬の手綱、わたしが変わるよ。朝からずっと御者台で疲れているでしょ?」

「子どもは子どもらしく、おしゃべりでも楽しんでな。こっちは気にするな。まだまだ年寄り扱いはするんじゃねえ」

 バルトは自分でも気づいていなかっただろう。その横顔は微かにほおをゆるませていた。

 ――気遣われて嬉しいんだろうな……。

 そういうところがもう歳をとった証拠だと、ハルヒコは自分のことを棚に上げ微笑んだ。

 シュウは荷台に戻り、そのもう一人の子どもの横に腰を下ろした。

「ねえ、シド。こっちの世界の地図ってすごく変わってるね。なんだか『すごろく』みたいだ」

「その『すごろく』っていうのが、わたしには分からないんだけど」

 シドはまっすぐな目でシュウの顔を見つめた。思わずシュウは視線をそらした。あわてて地図の方をのぞき込むシュウに、シドは不思議そうな表情を浮かべた。

「サイコロを振ってね、出た目の数だけ、自分のコマをこの地図に描かれているような村や町のマスの上を進めていくゲームなんだ」

「シュウの世界では女の子もする遊びなの?」

「男の子も女の子も一緒に遊ぶよ」

 シドはふーんと短く切りそろえられた髪をかき上げ、シュウの持つ地図に顔を近づけた。シドの横顔が接近してくると、シュウはもうどぎまぎせずにはいられなかった。

 シドと呼ばれた子どもは少女であった。髪は短く、肌も健康的に焼けている。一見、誰もが男の子に見間違えるが、よく観察してみると、すらっと伸びた手足は細く、どこか気高さのようなものを感じる顔は貴族のように整っていた。可愛いというよりは、まだ幼さは残るものの、美しいという形容詞がぴったりの少女であった。

 ――シュウがドキドキするのも当たり前だな。

 まだ真剣に恋愛するような歳頃ではない。だが、誰かに恋心を抱くのは、いつだって不意に訪れる。

 荷台の上で二人は地図を眺め続けていた。シュウはもちろん、シドもルアン国の地図を見るのは初めてだった。地図はハルヒコがマグダルより借り受けたもので、その表記のされ方は元いた世界のものとはずいぶん異なる。ハルヒコに言わせれば、元の世界でも古い地図にはこのような形式のものもあったらしい。

 シュウがよく知る地図は、まず正確な地形――山や川、海岸線などが等高線と共に描かれている。そして、そこに町や施設などが記号として配置され、それらは距離も向きも正しく測られた線――道でつながっている。だが、こちらの地図は、地形がまるで絵画のように象徴的に描かれており、海岸線にいたってはどこまで信用していいのか分からないほどのあいまいさだった。さらに驚いたのは、町がすごろくのマス目のように描かれ、それらが距離や方角があきらかに正確ではない線でつながれていることだった。線は街道を表していた。そして、その線には数字が――町から町への距離ではなく、かかる時間が――必ず添えられていた。

 この世界に腕時計のようなものはない。大きな町では、国の役人が日時計を元に時刻を知らせる鐘を響かせていた。だが、小さな村や街道を行く者達にとって、正確な時刻を知る術はなかった。

 ――方位磁石があれば、携帯式の日時計も作れるかもしれないな。

 ハルヒコが無意識の内に、いつでも時刻を知る術を求めていたのは、やはり異世界からやってきたからかもしれない。こちらの人間はそれほど正確な時刻を必要とはしていなかったからだ。つまり、日の出と共に――外が明るくなれば――その日の活動を始めるし、空が赤く染まる頃には仕事を終えて家路に着く、もしくは酒場にくり出す。

 では、その地図に書かれている数字――すなわち時間――は何を表していたかというと、日が出ている時間を大まかに四分割した『ジワン』という単位を元に、この町からこの町まではおおよそ何ジワンかかるのかという目安を示していた。つまり日の出から正午までが二ジワン。正午から日の入りまでが二ジワン。一ジワンは、日の出から地平線と天頂のちょうど真ん中ぐらいに日が差しかかるまでの時間、あるいはその地平線と天頂の真ん中にいた太陽が天頂に移動するまでの時間、といった具合におそろしく大雑把な時間の単位――感覚であった。

 だが、一般の人々にとってはそれで充分だったのだ。空を見上げれば、もちろん日が天頂あたりにあれば正午というのはすぐに分かるし、天頂と地平線とのおおよその中間地点に太陽がいれば、日の出から一ジワン経った頃かとか、後一ジワンぐらいで夕暮れかといったことを正確ではないにせよ知ることができる。庶民にはそのあいまいな『ジワン』という時間の感覚が強く根づいていた。

 地図の街道に添えられた数字は町から町へ何ジワンかかるのかということを示していたが、旅する人はそれだけで次の町に日が暮れる前に到着できるかを知ることができたし、どこの町で宿泊して――あるいは野営して――目的地にたどり着くことができるかという計画を立てることができた。

 今はもう日は天頂と地平線との中間より傾いてしまっている。地図によれば、夕暮れ頃には宿泊する町に到着する計算であった。

「まだ、地図には私達の村は描かれていないようですね」

「かけ出しの村ですからね。もっと人も集めて、食事や宿泊ができるような施設も作っていかないと」

 御者台のハルヒコとバルトは後ろの子ども二人のやり取りから、ちょうどいい話題を見つけたなと思っていた。村を出発した直後は、村の将来のことやこの世界のまだよく分からないことなど話のタネは尽きなかった。だが半日も過ぎる頃には、疲れてきたのもあったが、二人はただぼんやりと景色を眺め、馬車の車輪が鳴らす音にただ耳を傾けるようになっていったのだ。

「それにしても、のどかな風景が続きますね。村もこれくらいの規模で畑を耕作できたらいいのになあ」

「元々は荒地で、しかも森と崖にはさまれて土地も狭い。ゆっくり焦らず、今みたいに堅実にやっていくのが一番だと思いますね」

「村の人達の生活も、もっと豊かにしていってあげたいんですけどね」

 バルトは前方を見つめたまま、苦笑いを浮かべた。

「今から町でタバコや薬草を売って、みんなにお金を分けようとしているじゃないですか。それでも充分すぎるように思いますがね。村のみんなも、捨ててきた故郷での生活と比べたら、望外の境遇だと感じているんじゃないですか」

 ハルヒコはこの馬車に乗ってから――いや、本当は村に赴任した当初から――バルトら村人達に尋ねてみたいことがあった。だが、いざ聞こうとする段階になると『それは聞くべきことではない』という声が自分の中に響き、いつも思いとどまってきた。

 ――今なら聞けるような気がする……。

 ハルヒコはたどたどしく、探るようにバルトに尋ねてみた。

「この国は本当に平和で、みんな安心して暮らせるんですね。バルトさんがいた故郷はどんな様子だったんですか?」

 バルトからの返答はなかった。目は前方のどこまでも続く街道をじっと見すえていた。それはこれから通過する道でありながら、バルトの瞳にはこれまで通り過ぎてきた過去がかさなって見えていたのかもしれない。

 しばらく沈黙が続き、やはりこの話題は出すべきではなかったとハルヒコが謝ろうとした――そのとき、

「私の故郷はサイ国といいます。ここから数か月かけ、馬車や船を乗り継いで西に向かい、そして、そこからさらに南へ下っていったところにあります」

 ずいぶん遠くにあるんですねと、ハルヒコは相槌を入れようとしてやめた。今は、そんなものをバルトは求めていないような気がした。ハルヒコはバルトが語るにまかせた。

「戦争好きの国王でした。常に近隣の国に戦争をしかけ、民は心休まるときがなかった。そして、私の故郷も戦乱に巻き込まれてしまった……」

 そこでバルトはいったん話を止めた。遠い過去をじっと見つめなおしているのか、それとも語るべきことを感情が押しとどめているのか……それはハルヒコには分からなかった。

「私は住めなくなった故郷を捨てました。行くあてがあったわけではありません。とにかく、争いのない安全な場所を求め、各地を渡り歩いたのです。手に職もありましたからね」

 バルトの表情が険しくなった。渦巻く感情は怒りなのか、それとも悲しみなのか、その横顔からはうかがい知ることはできなかった。

「ある町で……。いや、あれはもう廃墟といってもいいかもしれない。家は崩れ、あるいは消し炭のように燃え落ちて、生きている人間はいなかった」

 バルトは荷台を振り返り、シドを見た。

「そこでシドを見つけたんです……」

 バルトはその廃墟となった町を警戒しながら進んでいた。兵士に虐殺された市民達の遺体がそこかしこに転がり、すでに耐えがたい腐臭が漂っていた。それは毒を含んだ臭気のようにバルトの喉をしめつけ、息をするのもやめてしまいたくなるほどだった。いや、もしかすると、もう呼吸などしたくないと心が叫んでいたのかもしれない。

 終わらせてくれと――。

 カラカラとどこからか石が転がるような、崩れるような音がした。バルトは細心の注意を払い、その音のした場所に近づいていった。もし兵士が潜んでいたなら、容赦なくそいつを八つ裂きにしてやろうと思った。

 音が聞こえた家屋を、それが壁であったことも忘れ去られた残骸のすき間から、そっと中をうかがった。そこには、ぼろ切れでできた布団のようなものの上に、やはりぼろ切れでできた人形のようなものが覆いかぶさっていた。布団のようなものは女性の亡骸で、覆いかぶさっていたのは少女の抜け殻だった。

 歳の頃はハルヒコの娘と同じぐらいであった。だが、その目は幾千もの苦しみを目の当たりにして、まるで間近に死期をひかえた老婆のように、ひどくくすんでいた。

 それがシドだった――。

「私はシドを連れ、国から国へと渡り歩きました」

 ハルヒコは、荷台の二人が静まりかえっているのに気がついた。今の話を聞いていたのだろう。だが、二人とも無言で地図を見つめ続けていた。その話に自分達は触れてはいけないもののように、気づいてはいけないもののように、二人は努めて押し黙っていた。


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