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第3章―1

 ガタゴトと本来は人を運ぶのが主要な目的ではない。荷馬車の乗り心地は、お世辞にも快適とは言い難かった。しかも、馬車に乗車しているのが中年の親父三人とあっては、余計に暑苦しく華もあったものではない。馬車をひく二頭の馬もどこかやる気のない背中を揺らしていた。

 せめてもの救いは荷台に幌がかけられていたことぐらいであった。その陰に身を押し込めば、初夏の日差しにじんわりと肌を焼かれていくことだけは何とかまぬがれることができた。

 整備された街道とはいえ老いた馬達の歩みは遅い。若者なら歩いた方が早いかもしれないくらいだ。だが中年男性達にとっては、急ぐよりも、いかに楽に移動するか――行動するかが至上命題であったのだ。

「村長、拾い物でしたね」

 バルトは荷台に鎮座した、人よりもその存在感を強く主張している黒い箱を一瞥した。それは箱というよりは塊だった。黒く鈍く光る金属の塊。よく観察してみれば、至る所に赤茶けた錆がうっすらと浮いている。

「しかし、こうやってただで譲ってもらえたのも、村長がマグダル様と親しい間柄だったからこそですな。ありがたいことです」

 御者台で馬を操っていたヤンガスが、前方を見すえたままバルトの言葉に続いた。

 荷台に載った金属の塊は金庫であった。城の倉庫でぞんざいに放置されていたものを、ハルヒコはマグダルに頼んで引き取らせてもらったのだ。確かに二度と城で活躍する機会など期待できそうもない代物であったが、曲がりなりにも王の所有物、庶民が欲しがってどうにかなるものではない。それを譲ってもらえたのは、マグダルと親しいというつながりはもちろんのこと、庶民とも分け隔てなく接する大宰相の人となりも無関係ではなかっただろう。

「しかし、村長。こんなことをしなくても、村のみんなは村長のこと、信じていますよ」

「まあ、それでも何と言うか……親しき仲にも礼儀ありって言うじゃないですか。今は良くても、その内どうなるかなんて先のことは分からないですし。もしかすると、いつか私も前の村長みたいに豹変するかもしれませんよ」

「そうなったら、みんなでクーデターでも起こすしかないですな」

 バルトは大きく口を開け、唾を飛ばして豪快に笑った。だが、バルトがそんなふうに冗談をとばしているときでも、彼の瞳の奥には何か怜悧な刃物のようなものが暗く光っているように感じることがあった。

 ――元大工といっても、それだけじゃなかったんだろうな……。

 そもそも、村人達はそのほとんどが祖国を逃れてこの国にたどり着いた難民だ。住み慣れた故郷を捨てなければならなかったのは、飢餓や貧困もあれば戦争も――国同士の争いはもちろん、為政者の乱心ゆえの内戦など――様々な事情があった。

 ――つくづく、このルアンという国は平和なんだ。

 何の疑問も抱かず、平和であることが当たり前だとハルヒコはずっと思い込んでいた。

 ――元の世界でも、平和の本当の意味を自分は分かっていなかったのかもしれない……。

「バルトさん。私が乱心しても、まずは『ストライキ』ぐらいから始めてくださいね」

 こちらの世界でまだその意味を表す言葉と出会っていなかったので、ハルヒコは『ストライキ』という言葉をそのまま使った。

「村長、『ストライキ』とは何です?」

「いきなり暴力にうったえるんじゃなく、まずはしっかりと話し合いで決めましょうということかな。それで、交渉が決裂したら労働を拒否する。使用者は労働をしてくれないと困るので、どこかで妥協して合意にいたる。そんな流れですかね」

 ヤンガスは遠慮なく吹き出した。

「村長、それはマズい。そんなことをしたら、一方的に処罰されちまう。牢獄に入れられたり、最悪は処刑――いや、そんな面倒なことはしないか。軍の兵士に有無を言わせず殺されちまうかもしれませんぜ」

 ハルヒコは絶句した。この世界ではストライキという仕組みもなければ、それを許容する土壌もないことを。そして、その概念さえも一笑に付してしまう人々の感覚を。

 ――もちろん、マグダル様はそんなことはしないだろうし、この世界のどこかを探せば、そんな仕組みがあるのかもしれないけど……。

 バルトは、ハルヒコとヤンガスのやりとりを黙って聞いていた。その目には、やはり暗闇に走る一筋の光刃のような微かな光が宿っていた。

 荷馬車は人のさまざまな思いを乗せて、のどかな田園風景をゆっくりと進んでいった。


「お、シュウちゃん。精が出るね」

 ヤンガスが門をくぐると、シュウが石塀に向かって手をのばし、炎の呪文を詠唱しているところだった。

「フラーモ!」

 勢いよく青い火球が塀に向かって飛翔した。

「うあっち! たまらん熱気だなあ。シュウちゃんは大丈夫なんかい?」

「ああ、ヤンガスさん。こんにちは……」

「ん? なんか元気ないか?」

 確かにシュウの顔は蒼白で、今にも倒れてしまいそうな様子であった。

「シュウ、魔法の練習は休み休みする約束だろ。誰もいないところでぶっ倒れたらどうするんだ」

 ハルヒコがシュウの肩を抱いて、地面にゆっくり座らせた。

「ごめんなさい。もう一発ぐらいなら平気かなと思ったんだけど……」

「少しでもおかしいなと思ったら、すぐに休憩しないとダメだ。パパさんみたいになったら取り返しのつかないことになるぞ」

 ハルヒコのその言葉をヤンガスは聞き逃さなかった。

「村長、いったいどうなさったんで?」

 ハルヒコは苦い顔をして「まあ、いろいろと……」と言葉を濁した。

「ともかく、シュウちゃんを家の中で休ませないと」

 しゃがんでいるシュウの前に、ヤンガスが背中を突き出した。

「ほら、シュウちゃん。おっちゃんの背中に乗りな」

 そう言うと、ヤンガスはシュウを背負ってハルヒコと家の中へ入っていった。

 一人残されたバルトは、何気なくシュウが魔法の標的にしていた石塀を眺めた。

 ――これが魔法の力か……。

 そこには無数の穴が穿たれていた。少し離れたバルトからもはっきりと確認できるほどに。

 シュウの炎はもはや米粒というレベルではなかった。ハルヒコが初めて打った火球ほどに、その大きさは成長していた。石塀にはそのサイズの穴が『融けて』穿たれていたのだ。

 魔法が使えると知って以降、シュウは毎日のように魔法の練習をした。ハルヒコも時間があれば何度も詠唱を繰り返した。

『こういうのはさ、ゲームみたいに何度も使っていたら、きっとどんどん成長していくんじゃないかな』

 ハルヒコの言葉は半分正解で、半分はまったくの見当外れであった。やみくもに魔法を発動しても、炎はそれほど成長することはなかったのだ。

 ハルヒコはただひたすらに炎を撃ちまくった。まず気づいたのは、魔法を使いすぎると体ではなく精神が段々と疲れてくるということだった。最初は眠くなってくるような感覚。そして、それを越えてなお魔法を発動し続けていると意識が朦朧とし、やがて気を失ってしまう。ハルヒコは誰もいない庭で倒れてしまったことがあった。ニワトリにほおをつつかれ目を覚ました。顔が痛かった。倒れた拍子に、地面にしたたかアゴをぶつけたようだった。青かった空はすでに赤く染まっていた。

 そんなことを繰り返すうちに――さすがに気を失うまでには至らなかったが――ハルヒコは魔法の練習のコツのようなものに気づいていった。落ち着いて考えてみれば、それは何かを上達するときには当たり前のことであった。

 スポーツなら、どうすれば早く走れるようになるのか、ボールを上手く投げられるようになるのか。勉強なら、どんなふうにして英単語や年表を覚えるのか、数学や理科の公式を活用するのか。そういったことをただやみくもにやっていても――確かにそれは決して無意味ではないが――効果的に前進できているかどうかは疑問の余地が残る。

 何かを上達したり修得したりするには、正しく――感覚や直感だけに任せないで――深く考え練習する必要がある。早く走れるようになるためには、ただやみくもに走るのではなく、正しいフォームを心がけ、丁寧に、一回一回を大切に走るのだ。英単語を覚えるにしても、力づくで単語帳を繰り返し読むのではない。脳の記憶のメカニズムを参考にして、覚え方を工夫していく。そして、フィードバックを忘れない。上手くいったこと、いかなかったことをしっかりと見直し、考え、次に活かしていく。

 ハルヒコは、少しでも炎の火球が大きくなったり勢いよく飛翔したりしたとき、どのようなイメージで魔法を発動したのか、どのように呪文を詠唱したのか、そういったことを徹底的に見つめ直した。そして、思いついたことはすぐさま試してみた。マグダルから借りた魔導書を熟読し、呪文や古代語に隠された意味を洗い直したりもした。それで上手くいくこともあれば、まったくの的外れなこともあった。

 ともかく、何かを上達するためには当然のこと――何も考えずに反復するのではなく、深く考え正しく練習すること――を実行することで、ハルヒコのピンポン玉と揶揄された火球は今や野球のボールほどの大きさにまで成長していた。シュウの青い火球もハルヒコが最初に放った炎の大きさに到達していた。シュウがはたしてハルヒコの助言をどれほど理解して魔法のトレーニングを行っていたか、それは定かではなかったが。


 シュウをベッドで休ませた後、ハルヒコとバルト、ヤンガスは荷馬車から黒光りする金庫をなんとか三人がかりで家の中に運び込んだ。城で荷馬車に積み込むときもそうだったが、三人の誰もが途中で手を離したくなるほどに、それは拷問に近い作業だった。今も三人ともめいめいのタイミングであきらめそうになる。他のみんなのため、はたまた自分のプライドのため、なんとか踏ん張ることができているような状態であった。三人にとって、その金庫は苦役の象徴以外の何物でもなかった。

「こんなもの、いったいどうするの?」

 カナが興味津々といった顔でベタベタと金庫に手の跡をマーキングしている横で、トウコは非難げにその箱を眺めていた。

「奥さん、立派な金庫でしょう。家が火事になっても大丈夫ですよ」

「火事になったら困ります!」

 よく考えもせず、思ったことをヤンガスはすぐ口に出してしまう。しかも、相手の反応にもまったく関心がないときている。

 ――うちのマイペースな女の子と気が合いそうだ……。

「ほら、ピッタリだ。まるで測ったみたいじゃないか」

「ピッタリはまるように、俺が作ったんだろうが」

 バルトが苦笑いをしながらヤンガスにつっこんだ。

「この金庫に家の貴重品を入れるの? こんなにたくさん入れられるほど、わが家に大事なものなんてないわよ」

 事前にハルヒコとバルトが玄関を入ってすぐの壁に何やら巨大なキャビネットを設置していたのは知っていた。大の大人二人がいったい何を企んでいるのだろうと怪しんでいたが、尋ねてみても、できてからのお楽しみとはぐらかされ、なんだか仲間外れにされているような疎外感をずっと味わっていた。

 だから今日、その巨大な金庫がキャビネットに収められるのを目の当たりにして、トウコは一気に怒りが込み上げてきたのだ。

「ごめん、ごめん。説明するから。でも、家の大事なものはこの金庫の中じゃなくて外に置いとくんだ。さすがに、わが家にこの金庫をいっぱいにするようなお宝はないからね」

 ハルヒコがにこやかにそう話してしまったのは失敗だった。火に油を注ぐ結果となってしまった。

「はあ? わけ分かんない!」

ハルヒコはしまったという表情を懸命に押し殺し、なだめるようにトウコに説明した。

「今度、収穫した作物を首都のリュッセルに売りにいくって話はしたよね。で、その売ったお金を、村の運営資金とみんなに分配するお金とに分けるんだ。その村のお金の方をこの金庫の中に入れるつもりなんだよ」

 トウコはまだ納得していなかった。

「だったら、家のお金も金庫の中に入れたらいいんじゃないの?」

 ハルヒコがさらに何かを言おうとしたところに、バルトが割って入った。

「すみません、奥さん。いろいろとややこしい話になってしまって。でも、村長は村のみんなのことを思ってこうしてくれてるんです」

 第三者が間に入ってくれたおかげで、トウコはいくらか冷静になれたようだった。ハルヒコはバルトに話を任せようと思った。

「確かに、村のお金も村長の家のお金も金庫の中に入れれば安心です。でも、そのためには村長が金庫の鍵を持っている必要がある」

 何を当たり前のことをと、トウコの表情が曇った。

「ですが、それだと村長が村のお金にまで手をつけることができてしまう。ですので、村長は金庫の鍵を持たないことにしたんです」

「じゃあ、誰が金庫の鍵を持つっていうの?」

「村長と相談して、私とヤンガスの二人がそれぞれ持つことになっています」

 トウコはまだ腑に落ちない顔をしていた。

「だから、金庫の中には家のお金を入れないってわけ? 金庫があるのに、わざわざその外に置いておくだなんて。それに……」

 トウコは思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込んだ。

 バルトはトウコが何を言おうとしたのかをくみ取って話を続けた。

「安心してください。キャビネットの方にも鍵はつけています。こっちの鍵は村長だけに持ってもらいます。ですから、お家の大切なものはキャビネットの中に入れていただいて大丈夫です。それと、奥さんがおそらく心配されている――」

 二人のやりとりを見守っていたハルヒコは、バルトの言葉を引き継ぐように話を付け足した。

「どうして、こんな仕組みで村のお金を管理するのかってことなんだけど、こうすることで僕とバルトかヤンガスのどちらかが立ち合わないと金庫を開けられないようにするためなんだ。僕が勝手に村の財産に手をつけられないようにするためだし――」

「我々が村長宅に忍びこんで、勝手に金庫を開けられないようにするためでもあります」

「もちろん、わしらは村長のことを少しも疑ってなどおらんよ」

 ヤンガスが続いた。知らず強い口調になっていた。

「これは僕から言い出したことなんだ。みんなは僕のことを信用すると言ってくれているけど、この先どうなるかなんて分からないからね。こういう仕組みを作っておくことは重要かなと思って。村の人も、この仕組みなら客観的に安心してもらえるのかなと思うし」

 そこまで話して、トウコはようやく理解できたようだった。だが、納得はしていなかった――彼女の顔がそれを物語っていた。

「そういうことなら、最初から私にも教えてくれてよかったんじゃない」

 そう言われると、ハルヒコには返す言葉が見つからなかった。ごめん、とうなだれるしかなかった。

「ねえ、パパ。どこかにお出かけするの?」

 それまでこちらに興味を示さず、絵本に夢中になっていたカナが突然尋ねてきた。

「ん? ああ、さっきの作物を売りにいくって話か。うん、行くよ。この国で一番大きな町に行くんだ」

「カナも行けるの?」

 ハルヒコはしばらく思案する様子を見せた。

 ――他の町を見せてあげたいって気持ちはあるんだけどな……。

 それは何度も考えたことだ。異世界とはいえ、子どもには可能な限りいろいろな経験をさせてあげたい。元の世界でも許される限りそうしてきた。だが、繰り返し考えて、今回はカナを連れていくことは断念せざるをえなかった。

「ごめんな、カナ。今回はシュウだけを連れていくつもりなんだ。カナも行きたいとは思うけど、またいつか必ず連れていってあげるから」

「えー! やだよー! カナも行きたいー」

 カナの反応は当然予測できたものだった。

「どうして、今回はカナを連れていけないかというと――。泊まりで行かないといけないんだけど、どうしても野宿することになりそうなんだ」

「野宿って?」

「ホテルとかじゃなくて、お外で泊まるってことだよ」

 カナは少し考える様子を見せた。今までの自分の経験から、似たようなものを探しているようだった。

「キャンプみたいなもの?」

 元の世界で一度だけ家族でキャンプをしてみたことがある。そのことをカナがよく覚えていたなとハルヒコは感心した。そして、そのときのキャンプは楽しかったかと、本末転倒な質問をしたくてたまらない気持ちをぐっとこらえた。

「まあ、似てるかな。でも、テントは張らないんだよ」

「じゃあ、どこで寝るの?」

「地面の上に直接――」

「じゃあ、やめるー」

 ハルヒコがすべてを言い終わらないうちに、カナは即答した。そして、また絵本のページをめくり始めた。

 ――もめないで済んだのはよかったけど、もう少し好奇心を持ってもいいんじゃないか……。

 そういうところはトウコにそっくりだなと、ハルヒコはまたうっかり口を滑らしそうになった。だが、土壇場で気づき、なんとか一命を取りとめたのだった。


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