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第2章―6

 ――さあ、慎重に話を持っていかなくてはならない。

 マグダルにうまくノせられたように、家族みんなに疑念を抱かせず事を運んでいかなくてはならない。

 ――落語でなんか似たような話があったよな。

 落語の演目は思い出せないが、確か屋台のうどんかそばを、お金のない二人組が店主を言葉巧みにだまして食べるという話だった。お金を支払う段階で「一、ニ、三、……」と数えていき、その途中で店主に今は何時だと問う。店主が時刻を伝えると、その時間の次の数字から再び数え直して、不思議なことに最後にはぴたりと代金は足りてしまう。これにうまみを覚えたその内の一人が、再び同じように真似をして挑戦するのだが……、という話だ。

 つまるところ、ただ真似るだけではボロが出てしまうぞ――という警告だ。真似るにしても、その言葉・行動にどんな意味があるのかをしっかりと理解し、臨機応変に振る舞っていかなければならない。

 ――こういうのが一番、苦手なんだよな……。

 ハルヒコは人をだますことに慣れてない。それに、

 ――きっと我慢できずに、途中で笑っちゃうんだろうな。

 ハルヒコはテーブルの上に、マグダルから借りてきたクリスタル――魔力も何も込められていない、ただの透明な立方体――を二つ重ねて置いた。

 もうすでに炎の魔法を実演した後だったので、これが魔力の込められた秘宝であるというハルヒコの虚言を疑う者は誰一人いなかった。それよりも、そんな貴重な宝をハルヒコごとき凡人に貸し与えてくれたマグダルの寛容さを、みな讃えたものだ。シュウやカナは分かってもいないくせにトウコのセリフをただ復唱しただけだったが……。

 ともかく、結論から言ってしまうと、ハルヒコはマグダルのようにみんなを上手くノせることに成功した。

 まず、シュウが誰よりも早く手を上げて立候補した。自分の子どもながら簡単にその気になってしまうシュウを見て、ハルヒコは我が事のように心配した。

 ――将来、誰かにだまされるんじゃないだろうか。

 悪い女性に引っかからなければいいんだけど……。

 自分のことは棚に上げ、ハルヒコは起こってもいない息子の行く末を憂えた。

「白い光が揺れている……。いや、少し青っぽいかな……」

 シュウの口からその言葉がもれるや、ハルヒコの指示を待つことなく、不意にクリスタルは互いに弾かれたように飛んでいった。それぞれが部屋の正反対の壁にぶつかり、床の上にサイコロを振ったときのような乾いた音を立てて転がった。

 ――マグダル様がこの場にいたら、いったいどんな顔をしただろうか……。

 ハルヒコは自分をとらえたあの恐怖を思い出した。光を飲み込んでもなお、闇より深く黒い何か――。そいつはハルヒコを静かにのぞいていた。まるで心の中を――魂を見透かしているかのように。

「シュウ、大丈夫か?」

「ん? パパさん、どうかした? それよりも、こっちは大丈夫なの。すごく大切な宝物なんでしょ。割れたりはしていないみたいだけど」

「ああ……。それはそういうもんなんだよ……」

 シュウは何か考えを巡らせているようであった。

「それで、パパさん。僕は魔法が使えるってことなの? すごい勢いで飛んでいったけど」

 ――ああ、使えるなんてレベルじゃない……。

 マグダル様に言わせれば、親子そろって伝説になれるだろうよ……。

 ハルヒコは嬉しいような恐ろしいような複雑な気持ちを抱いた。

「……そうだよ。シュウも魔法を使えるようになる。パパさんと同じように」

 その言葉を聞いた瞬間、シュウはガッツポーズをとって「マジでー!」と、飛び跳ねて喜んだ。カナが羨ましそうにその姿を眺めていた。

「次、わたしー! わたしもやるー!」

 カナが床に転がったクリスタルを拾い集め、テーブルの上に戻した。

 だが、勢いにのって家族全員が伝説になれるのではという淡い期待は、残念ながらそこまでであった。

「別に魔法なんて使えなくてもいいもーん!」

 幾度目かの挑戦の後、そんな捨てゼリフを残しカナは絵本に目を戻した。「そんな魔法なんかより、わたしの方がもっとすごいもーん」と、謎の見栄をはって。

 次はトウコの番だったが、何度挑戦してみてもクリスタルは微動だにしなかった。

「私にはどうやら魔法の才能はないみたいね」

 そう言うと「そろそろ晩ご飯の準備をしなくちゃ」と、そそくさと席を立っていった。

 だがそれからも、夜中みんなが寝静まった後や家に誰もいなくなった昼間などに、あきらめきれずクリスタルを取り出し自分の能力を探っているようだった。

 ともかく、その場で魔法の素質を確認できたのはシュウ一人だけであった。

「ねえねえ、パパさん。僕にもさっきの魔法を教えてよ」

 部屋にシュウの遠慮のない言葉が響いた。

 ――もしかするとカナやトウコが打ちひしがれているかもしれないのに……。

 シュウ、もう少し気をきかせられるようにならないとな。

 だが、ハルヒコも本音は早く知りたかったのだ。自分の息子にも大きな魔法の才があるのかを。

「ああ、いいよ。やってみようか」

 ハルヒコは本来なら最低でも一年は修行が必要であることを先に断った上で、マグダルから教えられた呪文を一語一句、丁寧に伝えていった。

「じゃあ、やってみるね」

「イメージが大事なんだ。パパもやってみて、それはすごく実感した。呪文を間違えず丁寧に唱えるよりも、炎が手の先に生まれるイメージを大事にしないといけないんだ」

「分かった。炎をイメージするんだね」

 ハルヒコは自分がマグダルにそうしてもらったように、まず自ら呪文のきりがいいところまで唱え、それを追いかけるようにシュウに復唱させた。

 カナやトウコに気をつかってか、ハルヒコの声は自然と抑え気味になっていた。シュウもそれにつられて――詠唱とはそういうものかと思い込んで――ほとんどつぶやき声のように唱えた。

 それほど長い呪文ではなかったため、シュウが一人で唱えられるようになるのに時間はかからなかった。

 シュウが何度も繰り返し同じ呪文を唱える。その様子を見守りながら、ハルヒコはすでに確信していた。自分のときと同じように、ハルヒコが情報という名で認識している何かが周りの空間からシュウに向かって集まっていく。その気配はますます色濃くなっていく。

 初めはシュウの体全体を遠巻きに包む散漫な気配であった。そして、時間と共にそれらがシュウの手先へと収束していくのが分かった。いや、見えていたというのが正確かもしれない。ハルヒコにも説明はつかなかったが、目に見えているわけではないのに、確かにそれは視覚情報として認識されていたのだ。

「パパさん、なんだか手の先が熱くなってきたよ! なんかヤバいよ!」

 シュウはすでに詠唱を止めていた。だが、情報という名のエネルギーはとどまることなく流れ込み、シュウの手の先に収束し続けていた。

 ハルヒコは恐ろしかった。まさか自分の息子にもこれほどの力があったとは……。

 そして、気が動転していた。目の前のシュウの様子をただ茫然と眺めていることしかできなかった。

 シュウは手を突き出したまま、焦りや恐れによって今にも泣き出しそうな顔になっていた。体は小刻みに震えていた。

「あなた! シュウは大丈夫なの!」

 トウコの悲鳴にも似た声に、我に返ったハルヒコはシュウに叫んだ。

「シュウ! 手の先に集まったものを飛ばすイメージで『フラーモ』と叫ぶんだ!」

 シュウはためらいの表情を一瞬見せた後、かまどの方を見すえ、上ずった声で「フラーモ!」と叫んだ。

 部屋は張りつめた空気に支配され、皆、時が止まったかのように事の成り行きを見守った。

 ――これは……!

 部屋は静まり返っていた。その場にいた全員が声を出すことができなかった。いや、その沈黙の中で口を開くことをためらっているといった方が正確かもしれない。だが、家族でただ一人、空気の読めない――読もうとしない――カナが、ついにその沈黙をやぶった……。

「え、何か飛んでいった?」

 そう、張りつめたあの緊張感を返してくれと言わんばかりに、何も――何事も起こらなかったのである。

「え? え……?」

 誰よりも当事者としてのシュウが一番戸惑っているようだった。

 パチッ……。

 ――ん?

 今、何か音がしなかったか……。

 すでにその場の空気はどっと崩れてしまっていた。みんなが思い思いのことを喋り合っている。

「なあ、今、何か音がしなかったか? パチッ、て……」

 シュウも含めた三人はいぶかしげな表情を見せた。

「なあ、シュウ。もう一度やってみないか?」

 シュウはあからさまに難色を示したが、少し考えて「やってみる」と再挑戦の意思を見せた。恐ろしかったのだと思う。しかし、確認もしたかったのだ、自分の能力を。だから、小さい体に勇気を奮い立たせ、もう一度あの人智を超えた現象と向かい合おうとしている。

 シュウは再び詠唱を始めた。今度はスムーズに一人だけで呪文を唱えていった。二度目ということもあり、焦りや不安といったものは幾分やわらいでいるようだった。恐れも先ほどよりは感じていないようであった。

 ――怖いという気持ちより、好奇心の方を止められないんだろうな。

 自分もかつてはそうだったんだろうか?

 ――あの頃は何でもできるような気がしていた……。

「フラーモ!」

 こちらがうながす必要もなく、シュウは自分のタイミングで魔法を発動させた。

 だが、やはり何事も起こらない。警戒すべき熱量を感じているにもかかわらず、シュウの手先に炎の姿は現れなかった。

 それでも、何かがシュウを取り巻き、それらが収束していく様をハルヒコは感じとっている。だが、現象が具現化しないのだ。

 パチッ……。

 ――! やはり、何かがこの部屋で音を立てている。

 ハルヒコは手のひらを何度ものぞいているシュウの横をすり抜け、魔法の標的であったかまどの中をのぞいてみた。

 ――何もない……。

 組まれた薪には少しも焦げたような跡は残っていない。かまどの奥の耐火レンガにも赤熱している様子はおろか、微々たる熱量を感じることさえなかった。

 ――本当に何も起こらなかったんだろうか?

 ハルヒコが顔を上げ、ふと視線を横にそらしたときのことだった。

 ……これは?

 かまどを組み上げた手前の耐火レンガに、それは――明らかに自然のものではない痕跡が――刻まれていた。「気づかれてしまったか」と、ひっそりと何かを物語るかのように。

「シュウ、もう少し暗くなってきたら、もう一度やってみよう。もしかすると、シュウの魔法の秘密が分かるかもしれない」

 そのとき、ハルヒコはなぜか、自分が覗いたあの闇の中から、何者かが手招きしているような気がしてならなかった。


 陽が傾き山の端にその姿が隠れる。西の空は茜に、東に向かって紫に、絵の具を水で流したような色彩の諧調が世界を渡っていった。

 部屋の中はまだ灯をともさず薄暗かった。普段なら、この時間にはすでにかまどに火を入れているはずであった。だが、かまどにはいつものように煮炊きをするための薪が組まれているだけで、ただそれだけのことなのに、不思議と部屋の中はどこか寒々しかった。

 シュウは家族が見守る中、詠唱を始めた。三回目ともなると落ち着いたもので、まるでもう一人前の魔導師がそこに立っているかのように見えた。

 シュウの周りを『フォント』が取り囲んでいく。ハルヒコが情報という言葉で認識していたものだ。マグダルから借りた魔導書に、この世界でそれは『フォント』と呼ばれていることを学んだ。

 フォントは視覚を通して見えているわけではない。だが、ハルヒコの瞳に映ってはいなくとも、その情報と呼ぶべき何かは確かに存在していた。疑いようのない実感がハルヒコにはあった。

 シュウの周りをゆっくりと渦巻いていたフォントは、徐々に手の先へと集まり凝縮していく。そして、そこに――昼間には見られなかった、ある変化が起こり始めた。

「シュウちゃんの手の先、光りはじめたよ!」

 おぼろげではあるが、ゆらめく炎の姿がそこに現れはじめたのだ。だが、その炎はハルヒコのものとはまったく異質な様相を呈していた。

「青い!」

 ハルヒコは小さく叫んだ。そして、それにかぶせるようにカナも叫んだ!

「小さい!」

「うっさいわ――!」

 詠唱中というのに、カナに負けじとシュウは条件反射のように言い返した。

 だが、詠唱を止めても炎が消滅するようなことはなかった。むしろ、フォントの勢いは増し、シュウの手の先への収束を強めていった。

 ――それでも……。

 小さい――。

 ハルヒコ自身の炎も決してほめられるようなサイズではない。ライターと揶揄されたように、よく見積もってもせいぜいピンポン玉ぐらいのものだ。だが、シュウの炎は……。

「米粒ぐらい?」

 遠慮のない言葉で、カナは事実を告げていた。

 ――それにしても、この炎の色は……。

 昼間に発見した、かまどの耐火レンガに残っていた痕跡。サイズはもちろん、そこで起きていた現象を見事にその炎の色は証明してくれている。

「パパさん、もう限界だよ!」

 炎の大きさは米粒のままであったが、今なら分かる……そこに込められた常軌を逸した熱量の重みが。

「シュウ。一直線に飛んでいくイメージで、その炎を飛ばすんだ!」

 ハルヒコがそう言うや否や、シュウは声の限り叫んだ。

「フラーモ!」

 薄暗い部屋の中で、飛翔する炎の軌跡がはっきりと見えた。昼間の挑戦では、部屋に差し込む光にまぎれ、その軌跡はかき消えてしまっていたのだ。あまりにも小さな炎だったがゆえに。

 それが今、まるで一筋のレーザー光線のように青白い軌跡を空間に描いて飛んでいく。その光跡がかまどに組まれた薪へと吸い込まれていく――。

 次の瞬間、薪という薪が一斉に火を噴き上げた。まるで押し込まれていた炎が解放され、一気に押し出されたかのように。

 ――つまりは、そういうことだ……。

 ハルヒコは燃え盛る火を眺め、一人納得していた。

 なぜ同じ炎の呪文であるにも関わらず、ハルヒコの炎は赤く、シュウの炎は青いのか――。その理由は分からない。だが、炎の色が指し示す意味ならよく分かる。夜空に瞬く星々がそれを教えてくれている。

 星の色は、その星が燃え盛る――厳密には燃えているわけではないが――その温度を示しているのだ。赤く輝く星は年老いて図体ばかりでかく――ぬるい。もちろん生物がその姿を維持することなどできないほどの灼熱の世界ではあるが……。一方、青白く燦然と輝く星は若く、あり余るエネルギーを光と熱に変え無尽蔵に放出している。宇宙で孤独にさまよっている何かが、その躍動的な姿に憧れにも似た思いで近づくと、あまりにも眩しい熱量に瞬時に焼かれ蒸発してしまうことだろう。

 炎の色も温度と関係がある。星と炎とでは起きている現象は同じではないが――赤い炎はぬるく、青い炎は熱いのだ。

 ハルヒコが見つけたシュウの炎の痕跡、それは耐火レンガの表面に穿たれていた小さな穴であった。米粒ほどの穴。だが、その穴は異様だった。

 融けていたのだ――。

 耐火レンガの表面に融けてえぐられたクレーターのような穴。それらが何かをささやかに証明するようにひっそりと穿たれていた。

 魔法によって発現した炎は、ただの炎とは異なる仕組みがはたらいているのかもしれない。なぜなら、普通の炎ではレンガを赤熱させることも融かすこともかなわないからだ。むしろ、夜空の星で起こっている現象に近いのかもしれない。

 ――そんな熱量が手の先に集まってきたのか……。

 ハルヒコも魔法を発動したとき、危機感を覚えるほどの熱量を手に感じる。だが、どんなに熱く感じようとも、火傷を負うこともなく、手が蒸発するようなこともなかった。

 ――やはり、魔法の法則は、日常の法則とは別のところに存在しているのかもしれない。

 もしかすると、我々の感覚ではとらえられない、多次元空間での法則と事象がこの世界に表出している――もれ出している――のかもしれない。

 宇宙のデザインは十の五百乗通りの可能性がある。つまり、十の五百乗通りもの物理法則の中から、たまたま――もしくは必然的に――選択された法則にしたがい、世界は律せられている。我々の世界は絶対的なものではなく、神が気まぐれに振ったサイコロの目によってたまたま決められたのだ。それゆえ、ハルヒコ達が元いた世界とこの世界とでは――どんなにさまざまな事象が表層的に似ていたとしても――異なる理でそれぞれの宇宙が駆動していても何ら不思議なことではない。

 ともかく、これでハルヒコの息子にも尋常ならざる魔法の才が秘められていることが明らかとなった。

 父に遅れること数刻。

 ハルヒコと並び、これより数百年に渡り、語り、讃えられる――。

『白の魔導師』の物語が、始まった瞬間である。


 ――それを、お前は望んだのか?

 誰かが、そうささやいた……。


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