第二部 第6章―4
――さて……。
確かにここは本当にやばいかもしれないな……。
ハルヒコは今から向かう丘の頂に目をやった。そこには普通の人々には決して見ることができない景色が広がっていた。この世界で唯一ハルヒコにだけ鑑賞が許された黄泉の光景――。
そこには幾つもの……いや、何千何万にも及ぶ炎が揺れていた。一般の人々には見えない、この世界でハルヒコだけが認識できる、魂の灯火……。
――ここなら確実に目的はかなうだろう……。
ハルヒコはその幾千万もの火が灯る、丘の頂に向かって足を踏み出していった。
最初は灌木に行く手をさえぎられ、腰までのびた雑草をかき分け、少し進むのにも大変な労力を要する。だが、やがてそんな障害物は突然に一斉に途絶え、目の前には一面の草原が広がっていったのである。
くるぶしに届くかどうかといった草花が、ハルヒコには気づけない微風に吹かれ揺れている。とても静かな場所だった。まるでそこは聖域で、何者も立ち入ってはいけないという無言の圧力を否応なく押しつけてくるようであった。
――でも……。
この畏怖の感情は、自分が勝手に作り出した幻想にすぎない。やがてはこの光景を心から美しいと感じられるときが来るのではないか――ハルヒコにはどこかそんな予感がするのだ。
はたして、その無数の魂の灯火は生者のそれではなかった。
――灰色って表現すればいいんだろうか……。
その魂の炎には色彩がなかったのである。どこか掠れているような印象も受ける。
――しかし、それも正確ではないような気がする……。
表現としては間違っている――どうしてもそう感じてしまうのだ。
――何だろう、この違和感……。負の色彩とでも言えばいいんだろうか……?
生者の魂は燃え盛る太陽のように輝き、鮮やかな色彩を高らかに奏でている。正の色彩、プラスのエネルギー。ひるがえって、この丘に灯る魂達には色がない。負の色彩……マイナスのエネルギー。直感がそう叫んでいた。
――それにしたって、この数は……。
かつて、この国は呪いによって次々と数万もの命が失われる惨禍に見舞われた。花びらが散るように、それはもうはらはらと突然に、そしてあっけなく……。
――おそらく、それは呪いなんかではなかったろう……。
病に違いない。しかも、元の世界で黒死病と恐れられた伝染病と症状が酷似している。
歴史書にはこうあった。死の間際、黒い呪いの斑点が体に現れ、まもなく皆、事切れたと。
――何かしらの細菌……いや、もしかするとウイルス……。
それらに体が耐えきれず、敗血症をきたして黒い斑点が現れたのだ。
――ペストなら抗生物質が必要だ……。
だが、この世界の医療レベルでは、それはまだかなわぬ夢だ。
――それに近いものといえば、聖職者が起こせる癒しの奇跡だが……。
自分も瀕死の淵でその奇跡を施された。しかし、それは王族を助けたことに対する特別待遇であった。
――一般の庶民にその施しは縁遠い……。
では、どうやってその病が収束していったのか――実はよく分かっていない。いろいろと対策はとられたが、何が決定打となったのか、いまだにはっきりとは決めきれないでいる。
ネズミとの関連が疑われ駆除していったことが功を奏したのか――ネズミは魔女の遣いだと信じられ、それが呪いと呼ばれるようになった由縁だ。
町の下水道の整備をさらに進めていったことが良かったのか――清潔な環境を広めて維持する、公衆衛生に努める考え方だ。
ともかく、この病が――呪いが――唐突に収まるまでに数年の歳月を要した。その間、人々は常に目に見えぬ恐怖にとらわれ、呪いにかかった死者は丁重に弔われることなく――まるでいつまでも視界の中にとどめておきたくないかのように――次々とこの丘に運ばれ打ち捨てられていった。中には病状が出た者を生きたまま葬った例もあったようだ。
――人生をまっとうできなかった人々……。
高望みの人生なんて求めてはいなかったはずだ。友人や家族と笑いあい、ささやかに暮らしてさえいければそれでよかった。
そんな悔いを残した幾つもの魂が、いまだ成仏できず、埋められたこの地に縛られている。
――その魂を自分はいいように利用しようと考えているんだ……。
その罪深さと、そして心の奥からわき出る探究心とは、いまだ天秤にかけられたままだ。どちらに傾くでもなく、その天秤は今も揺れている――。




