PM 6:15
少年らが帰るようだ。勘定をしてチリンと玄関のベルを鳴らして出ていった。
私は、そんな彼らを店奥でコーヒーを啜りつつ目で追った。お金は少年が払っているように見えたが──いや、当然気にすることではなくどちらが払っても良いのだが・・・。二人にしてみたら私は部外者でしかなく、私も二人の金銭状況を知っているわけではない。ただ一般的に青年が支払った方が場面的にしっくりくるなと感じただけである。
・・・しかしやはり、少年の青年に対する眼差しは変わらない。終始、目の色を変えることはなかった。
──憧れ──それに近づくため、人は願い、努力する。多分、少年も同じだろう。しかし、どんなに追求したところで詰まるところ憧れでしかない。万一に憧れという存在になり得たとき、それはもう憧れではなく到達すべき既成事実だったというだけの話だ。または、そこにある存在はそれまで追いかけていた存在とは全く別の存在だった、というオチである。
少年は憧れの存在に成り得ると信じて生きているのだろう。もう自分でも受け入れてしまっているように、底なし沼から抜け出そうと暴れることもなく、ただゆっくりと着実に沈んで行くのを実感しながら、とでもいうように目の前の事実を受け入れている。
しかし残念なことに、それは真実ではなく、偽りなのだ。さらに残念なことは、青年に心酔しきって客観的に自分を分析できていないということだ。少年は憧れの存在を追いかけたり、努力したりしていない。分析できていないどころか幻想を現実だと思ってしまっている。そこに存在する青年があたかも少年の到達点に感じられ、自分と青年を同一視してしまっている。
・・・・そんな目をしている、としか私には言うことができない。私は彼ではないし、彼の心を見通すこともできない。ただこの短い間ずっと彼らを見て、分析した結果だ。
私にはどうすることもできない。自らの理想が体一杯に詰まった虚構を青年という真実で覆い隠された、いわゆる『拡張型』の嘘を自分に吐いてしまっている。それは誰の声も届かぬ、寧ろ彼が彼自身がたてた虚構だと気づかなければならない代物だ。
子どもは無邪気で可愛らしい。だが、無邪気故に形成された偶像はとてつもなく恐ろしい。今後、少年はそれが虚構と気づいたときどのような反応を示すのだろう。どう対処していくのだろう。成長過程では彼は絶対に向き合わねばならない壁だけに少しばかり興味が湧いてくる。
私はコーヒーをいただき、持参した本を開いた。『礎の悪魔』という本だが、なかなか面白い。面白いのだが、どうも彼らの顔がちらついて読み進め難かった。




