[恵美]
私は、玄関のドアが開く音に夕食を作る手を止めた。
慌ただしい足音に続いて、悲鳴のような声が私の背中に覆いかぶさった。
「え、恵美──大変だ!」
婚約者──高梨祐司の尋常でない様子に、私は慌ててダイニングのドアを開けた。
玄関の三和土にうずくまって、祐司は震えていた。
「どうしたの? 藤尾君の家に行ってたんでしょ?」
手を差し伸べると、祐司は両手で腕を掴んできた。小刻みな震えが直に私に伝わる。
「藤尾を……藤尾を殺してしまったよ」
「え……どういうことなの? 殺したって、あなたが?」
祐司はそれから、藤尾宅に招かれた所から順を追って事情を説明してくれた。聞けば聞くほど奇妙な話だった。
「勘違いだったんだ! あいつ、家に上げるなり変な話をし始めてさ──超能力者を殺すための方法はあるかとか、変にこっちを見つめながら言ってくるもんだから」
「それじゃ、私達のこと」
「いや、違うんだ。今言った通り勘違いだったんだよ。藤尾は俺達のことに気付いていたわけじゃなかったんだ」祐司は言う。「ただ冗談で、あいつが超能力者だったとしたら俺はどうするか──そういう仮定の話をしていただけだったんだよ。俺達が本物の超能力者だったなんてまったく分かっていなかったんだ」
「じゃあ、あなたは自分のことを言っていると思って……」
「念動力で奴の心臓を握り潰しちまった。急に立ち上がるから、何をされるのかと焦って……あいつは『なんちゃって』と言いかけたが、止めるのも間に合わなかった」
祐司はぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
「……仕方ないわ」私は沈黙の後に口を開いた。「事故だったのよ。あなたにも藤尾君にも害意はなかったんだから……運が悪かったとしか言えないわ」
そう。
同じ状況にいたら、私もきっと同じことをしてしまっていただろう。
私達は、自分が超能力者であることを他人に知られることを何よりも恐れている。世間一般の大多数から見れば私達は特殊な存在であり、奇妙な異物であり、恐れるべき化け物なのだ。忌避されるどころか、人間扱いされなくなることは確実だ。
超能力を持たない私の両親もそう考え、幼い私にひたすらその特質を隠して生きていくよう厳重に教え込んだ。私はそれを守り、この秘密を一生抱えて生きて行こうと思っていた。
大学二年生の時のサークルのスキー旅行で、遭難した私達を助けるかのように岩が砕けるまでは。
あの奇妙な現象によって私達は助かった。あの時、私は真っ先に疑念を抱いた。
──超能力ではないのか?
そしてその疑念に基づいて、私は一緒に遭難していた二人の表情を観察した。
当時付き合っていた藤尾は、最初は何が起きたのか分からないという混乱した表情だったが、やがてこの出来事を何か外からの関与によって起きたラッキーな現象と解釈したらしく、生還の望みが出てきたことに素直な喜びを露わにしていた。
対照的に祐司の方は、ずっと浮かない顔をしていた。折角助かるというのに、何か重大な失敗をしてしまったかのような悔しさ、無念さのような雰囲気を漂わせていた。
私はすぐに、岩が砕けたのは偶然なんかじゃなく、祐司によるものだと確信した。しかし何かの間違いもあるかもしれないと思い、下山するまで私はずっと祐司を観察し続け、時には鎌を掛けるような質問も投げかけてみた。その結果、私の中の確信はますます強まった。
それからしばらくして、私は祐司に自分の超能力について打ち明けた。私が睨んだ通り祐司も私と同類で、私達は隠していた能力について思う存分語りあった。こんな奇妙な能力を持った同類が、同じ地域の同じ大学の同じ学年の同じサークルにいたという奇跡的な事実は驚くべきもので、そこには運命的なものすら感じられた。誰にも言えない秘密を共有できるよう仲間意識も手伝って、お互いに強く惹かれあうようになるのに時間はかからなかった。
藤尾が嫌いになったわけではなかったから、別れるのは心苦しかったのだけれど、藤尾は案外あっさりと承諾した。私が祐司に注目していたのを間違って解釈していたらしい。
しかし、外から見るだけでは分からなかった藤尾の本心が今日のことを引き起こしたのかもしれない。考えすぎかもしれないが、わざわざ祐司を呼びつけてまで脅して怖がらせようという企みにその時のことが関係していないとは私には断言できない。
だとすると──本当のことを言えるはずもなかった私達からしても、今日そうと知らずに祐司の核を激しく揺るがしてしまった藤尾からしても、避け得ない運命だったとしか言いようがない。すべては不幸な巡り合わせだったのだ。
「超能力者を殺す方法──それは、その人が超能力者であることを広く世間に触れ回ることだわ。あなたは死の危険を感じたのだもの、責められることではないわ」
私はエプロンを脱いだ。玄関脇に備え付けられているクローゼットから上着を出し、身に纏う。
「行きましょう」
「どこへ?」
やっと祐司が顔を上げた。視線がかち合う。
「藤尾君の家へよ。藤尾君の死体は普通に見れば単なる心臓麻痺でしょうけど、藤尾君が今日あなたを誘ったことがどこかに記録されていたら、あなたに疑いがかかってくるかもしれない。そこから私達の正体が露見するようなことは万が一にもあってはならないわ」
「あいつの家へ行って──どうするんだ?」
「彼の死体を何とかするしかないわ」私は決然として言った。「死体が出なければどうとでもなる。誰にも見つからない地中か深海に転移させるか、塵レベルに細かく分解してしまわなくてはならないわね」
祐司はその言葉の禍々しさに顔を歪めたが、やがて覚悟を決めたように頷いた。
「わかった。行こう」
重苦しい雨が、闇を蹂躙するように降り続けている……。