喜雨
失恋した。
雨が降り始めたのか、止んだのか。
曖昧だった。
「おはよーうっ!」
いつもの通学路、元気な声に振り向くと、先輩のナオだった。
「おざます!」
俺がそう言うと、クスッと笑って颯爽と走り去って行った。
俺は先輩が好きだ。
放課後、俺は先輩を学校から少し離れた公園に呼び出した。
「どうしたの」
先輩はキョトンとした顔をしていた。
あまりこの時間を長引かせたくはなかったので、夕焼けの力を借りて俺は言った。
「付き合ってください」
そして俺たちは恋人になった。
次の日、変わらぬ様子で
「おはよーうっ、今日からタメ語ね!」
それ以外はいつも通りだった。
手をつなぎながら登校、なんて思っていたが、そんなことはないようだ。
1日過ごしたが、恋人らしいことは何も無かった。
放課後、メールが届いた。
「一緒に帰らない?」
期待していたくせに、めちゃくちゃ緊張した。
他愛もない会話を弾ませながら帰った。
手をつなぐ、なんてことはなかったが、十分幸せな時間だった。
そして、1ヶ月が経ち、金曜日、メールが届いた。
「明日カラオケ行こうよっ」
カラオケ苦手なんだけどなぁ…
いつもはそう思うが、初めて出来た恋人とあれば話は違う。
土曜日、カラオケに来た。
「先に歌ってくれ!」
とても先に歌う勇気は無かった。
「いいよー!」
乗り気でナオが流行りのアイドルの歌い始めた。
マズい…ついていけない…
俺は流行りに疎い。
そんな心配をしていたが、ナオは時間が来るまで1人で歌い続けてくれた。
帰り道、下校の時と同じように、他愛もない会話をしながら帰っていると、ナオが手を差し出した。
一瞬戸惑ったが、すぐに手をつないだ。
これからしばらく幸せな日々が続くだろう。
そう思っていた。
月曜日、いつも通り、ナオと通学路で挨拶した。
いつも通りだった。
放課後、ナオがいなかった。
何か急ぎの用でもあったのかな
その日は1人で帰った。
しかし次の日も、その次の日もいなかった。
そして、次の日、メールで公園にナオを呼び出した。
「どうしたの?」
ナオはキョトンとした顔で言った。
なぜ一緒に帰らなくなったのか、聞いた。
すると笑いながらこう言った。
「え?何で一緒に帰るの?」
まぁ、そう言われればそうなのだが。
「恋人だろ?たまにはいいんじゃないかな?」
俺がそう言うと
「何言ってるの?」
からかってるのかと思った。
そうならよかった。
しばらく沈黙があった後、ナオが口を開いた。
「私たち、付き合ってるの?」
「そうでしょ」
「私、健忘症なの」
「健忘症??」
聞き慣れない言葉に戸惑い、尋ねた。
「なにそれ」
「時々記憶が無くなるの」
「からかってるの?」
つい言ってしまった。
「……」
ナオは顔を赤くして、涙を堪えていた。
「ごめん」
そう言った時には、もうナオは公園にはいなかった。
次の日、ナオはいつも通り挨拶してくれた。
学校で声をかけた。
「昨日はごめん」
「なんのこと??」
そうか、この事も忘れてるのか。
「健忘症のこと、知ってるんだ」
「あ、そうなんだ…」
ナオの声が小さくなった。
周りにバレないようにしている風だった。
「それで、俺昨日ひどいこと言っちゃったんだ。」
「いいの、忘れてるから」
笑ってそう言った。
俺は決めた。
「放課後、公園来てよ」
「え?うん、いいけど…」
放課後、公園。
夕焼けが綺麗だった。
「付き合ってください」
俺は言った。
「え、でも…」
ナオは続きを言おうとしたが、俺は掻き消すように言った。
「付き合ってください!!」
また、俺たちは恋人になった。
最初から、やり直しだったが、それでよかった。
少しづつ、進めていきたかった。
一緒に帰るようになって、デートして、手をつないだ。
健忘症は何かトラウマがきっかけで発病するらしい。
治る時はいきなり治るのだが、その時が最も危ない。
トラウマを思い出すからだ。
俺たちは少し進んで、忘れて。
それを数回繰り返した。
ナオのトラウマって何なんだろう
気になってしまった。
その答えは案外すぐに見つかった。
ナオの友達に話を聞いてみると、どうやら前に付き合っていた人がいて、その人と何でか別れたことでひどく落ち込んでいたらしい。
しかし、ある日ケロッと元気になった。
すぐにコレだとわかったが、複雑な気持ちだった。
そして、また公園にナオを呼んだ。
もちろん夕焼け時だ。
「ナオ」
「はい?」
「何であっても、絶対幸せにします」
「はい」
ナオは笑いながらそう言ったまま、キスしてくれた。
次の日、ナオは記憶が戻った。
俺のことは、忘れていた。
前の人と復縁したらしい。
俺の初恋はだいぶ変だった。
失恋した。
雨が降り始めたのか、止んだのか。
曖昧だった、けど、いい。