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七話 魔女との契約 前編

 いつものテーブルに座り、ゲオルグの紅茶を飲んでいる時だった。


 森に張り巡らせた結界が、侵入者を感知した。

 その侵入者を確認し、私はかすかに眉根を寄せた。


 私は口元へ運ぼうとしたカップを止め、飲まずにそのままソーサーへ置く。


「ゲオルグ」

「はい」

「今夜はカクテルが飲みたいわ。それも色とりどりの果実の味を堪能できる虹のような味わいのカクテルを」

「はい。かしこまりました。森で果物を採ってまいります」


 恭しく一礼すると、ゲオルグは家から出て行った。


 ゲオルグが家から離れていったのを結界で確認し、安堵する。


 間に合った。

 これなら、来訪者と鉢合わせる事はないだろう。


「さて、と」


 十分に家から離れた事を確認すると、私は小さく呟いた。


 続いて、家のドアがノックされた。


「魔女ベルベット! ここを開けよ!」


 高圧的な声がノックの後に続く。


「はい。今お開け致します」


 私は声に従い、ドアを開けた。

 玄関で出迎える。


 ドアの前にいたのは、五人の男性だった。

 誰もが屈強な体をした大柄の男達だ。


 内四人は全身を甲冑で固め、ただ一人だけがその例になかった。

 その例に漏れた一人は、質の良い煌びやかな服を着ていた。


 恐らく、これでも質素なものを選んだのだろうが、それでも派手すぎる。

 上流階級の人間というものは、その匙加減がわからないものなのだろうか?


 白髪の混じった頭髪と伸ばされた髭が特徴的な、威厳のあるおじさんだった。


「どうぞ、中へお入りください」


 五人を中へ案内する。


 私はテーブル席に着いたまま、それを出迎えた。

 なんとなく足を組み、頬杖をつく。


「貴様! なんだその態度は! 座ったままあまつさえ足を組んで応じるとは、陛下に対して無礼であろう! 跪き、畏まれ!」


 甲冑を着た男の一人が私に怒鳴りつける。


「私はゴルト帝国の家臣ではなく、まして臣民ですらないのですよ?」


 私は男を見据えて告げる。

 甲冑の男は、顔を真っ赤にして腰の剣へ手をかけた。


「よせ」


 派手な服装のおじさん。

 陛下と呼ばれた彼は、そう言って甲冑の男を制した。


「はっ!」


 男はその一声で剣から手を放した。

 けれど、私へ向ける視線には以前敵意が込められたままだ。


 私は魔法で椅子を引き寄せる。


「申し訳ありませんが、当家に椅子は二脚しかございませんので」

「構わぬ」


 陛下と呼ばれた男が答えた。

 用意した椅子に、彼は座る。

 そのそばに、他の男達が控えた。


 甲冑の男達は護衛の兵士だろう。


「お久し振りですね。ヴィルヘルム・フォン・コバルトゥルム三世陛下。申し訳ありませんが生憎と今日は使用人が所要で出ておりますので、たいしたおもてなしはできません」

「使用人、か」


 私が言うと、派手な服装のおじさんもといヴィルヘルム陛下は不機嫌そうに呟いた。


 彼、ヴィルヘルム陛下はゴルト帝国の皇帝である。


 そして私は、彼の来訪を快く思っていなかった。

 頼られるならその門戸は広く開いているつもりだが、かつての事を思えば会いたくない相手だった。


 何より、会わせたくないのだ。

 彼と。


「それで、今日はどのようなご用件でしょうか」

「回りくどい事は好まぬ。単刀直入に言おう。我が息子、ゲオルグ・フォン・コバルトゥルムを返してもらいに来た」


 ヴィルヘルム陛下の申し出に、私は目を細めた。




 私がゲオルグと出会ったのは、今から五年ほど前の事だった。


 私が十五歳の頃だ。

 その頃は、森の魔女として私の名が周囲に知れ始め、難事を抱えた近隣の村人達が我が家へ訪れる事が多くなっていた。


 そんな中、ある男性が一人のやせ細った少年と数人の兵を連れて我が家へ訪れた。


「森の魔女ベルベット! ゴルト帝国皇帝、ヴィルヘルム・フォン・コバルトゥルム三世陛下の御なりである! 謹んで門戸を開けよ!」


 ドアの前で兵士の一人が、過剰なまでの大音声で告げた。


 時折、弟に紹介された貴族が来る事もあるが、まさか王様が来るとは思わなかった。

 なので、その時は大層驚いた。


「はい。ただいま」


 私は魔法で扉を開けて、中へ入るよう促した。


 部屋へ入って来た陛下へ、部屋に唯一の椅子を移動させた。

 今まで、私が座っていた椅子だ。


 無礼があってはいけないと思い、跪いて出迎える。


「このような場ではたいしたもてなしもできませぬが、ご容赦ください」

「うむ。豪華な歓待を期待して訪れたわけではない」

「はっ。ありがとうございます」

「面を上げよ」


 陛下に言われ、私は俯けていた顔を上げた。


 改めて、訪れた者達の姿を見る。


 陛下は派手な質のいい服を着た壮年の男で、引き連れられた少年もまた質の良い服を着ていたのだが。

 少年の服には、破れた所やほつれた所が目立った。


 孤児だろうか?


 しかしそれ以上に目立つのは、彼の肌と髪の色だった。


 雪のような白……いや、無色と言った方がいいかもしれない。

 けれど目だけは赤く、兎のようだなと思った。


 少年は酷く怯えていて、不安そうで……。

 折角の可愛らしい顔が、曇ってしまっているのが残念だ。

 その曇りを取り除いてあげたいと思い、私は小さく微笑んだ。


 思惑は功を奏したのか、少年の表情がわずかばかり和らいだように感じた。


 しかし、この子はどこか儚い。

 物々しい甲冑姿の兵士の中、その少年は埋もれて消えてしまいそうに弱々しく見える。


「森の魔女ベルベット。この度は、願いがあってここへ来た。我がために尽力いたせ」

「願い、ですか? それは、どのような?」

「この子供についてだ」


 そう言って、ヴィルヘルム陛下はそばにいた少年を示した。


「この子に取り付いた悪魔を祓ってもらいたい」

「悪魔……?」

「そうだ。……これは決して他言してはならぬ事だが。この子供は余の息子だ」


 え、皇子なの?

 服装からして、そんな扱いを受けている子には見えないが……。


「生まれた時から悪魔に取り付かれ、体のあらゆる色を奪われておる。瞳の赤を除いてな」


 つまり、この真っ白な肌と赤い目を治せと陛下は仰っているわけだ。


 私は少年を見る。

 相変わらず、少年は不安そうだ。

 そこに子供特有の無邪気さや活発さは一切見られなかった。


 しかしながらこれは……。


「悪魔のせいか、今年で十になるが体も脆弱で小さい。悪魔を祓えば、それらも解消されるであろう。できるだろうか?」

「……恐れながら申し上げます。それは不可能にございます」

「何だと?」


 私が答えると、陛下は声に怒気を孕ませた。

 そんな彼に言葉を続ける。


「何故なら、この子に悪魔は取り付いていないからです」

「では何故、この子は斯様な姿をしておるというのだ? 悪魔以外に考えられまい」

「いえ、これはアルビノです」

「アルビノ? 何だそれは?」


 どう説明すればいいだろう。


 アルビノは生まれながらにメラニン色素を持たない状態で生まれてくる、遺伝疾患だ。

 色素がないから髪も肌も白く、瞳は血液の色を映して赤くなる。


 遺伝子の概念がこの世界にはまだないから、説明するのは難しい。


「そうですね。人は親から血を受け継ぐものです。その血に障害が起こり、色を持たぬ状態で生まれてくる事があるのです」

「余のせいだと申すか?」


 ヴィルヘルム陛下は私を睨みつけて訊ねる。

 周囲の騎士達も殺気立つ。


「いえ、誰のせいでもございません。彼はなるべくしてそうなった。それだけの事です」


 誰も悪いわけでなく、誰に何ができたわけでもない。

 そのように生まれてきてしまっただけだ。


「では、治せない。そういう事だな?」

「はい。残念ながら」


 私が答えると、ヴィルヘルム陛下は黙り込んだ。


 しばらくして口を開く。


「致し方ないな。では、報酬を払おう。お前は願いを叶えた相手から、相応の対価を得るのだろう?」

「そうですが。何のお役にも立てなかった身で、何かをいただくわけにはいきませぬ」

「いいや、お前は余の求めに応じて十分に尽力した。だから――」


 続く言葉に息を呑んだのは、私だけではなかった。


「この子。ゲオルグをやろう」


 報酬を差し出された、当の少年がヴィルヘルム陛下を顧みた。


「……何を仰られるのです?」


 軽い動揺を経て、私は問い返した。


「魔女は人の子を取って食うと聞く。十分な報酬となろう」


 私は再び絶句した。



 こうも簡単に子供を引き渡そうとする親がいるなんて……。

 それも、命を奪われる事を前提としてだ。


「本気でしょうか……?」

「無論だ。連れ帰ったとて、この子に未来はあるまい。今まで通り、人目につかぬよう幽閉されるだけだ。希望を持つ余地もなくな。今までは治す方法もあろうとそうしてきたが、その希望もたった今打ち砕かれた。他でもない貴様の言葉によって」

「だからと言って――」

「最早、この子には絶望しかないのだ。なら、ここで終わる方が幸せというものだ」


 私の言葉を遮り、ヴィルヘルム陛下は強い口調で言い切った。


「いらぬというのなら、前もって聞き及んだ通りに酒を進呈するが?」


 それなら、断然そちらの方がいい。


 その意思を伝えようとして、ふと思い当たる。


 先ほどのヴィルヘルム陛下の言葉が思い出される。


「最早、この子には絶望しかないのだ。なら、ここで終わる方が幸せというものだ」


 その言葉が、不吉な響きに思えた。

 このまま、この子を帰してしまっていいのだろうか?


 恐らく、この皇帝はこの子を邪魔に思っている。

 他言無用と念を押した事と、今まで幽閉していたという旨の発言からしてもそれは間違いない。


 そして、今までは治る見込みがあるからという理由で幽閉されてきた。

 しかし、その見込みがなくなった今、それまで通りに事は進むだろうか?


 邪魔でしかないものをこの皇帝はそのままにしておくだろうか?

 排除しようと考えるのではないか?


「……いいえ」


 私は小さく答えた。


「やはり、その子をもらいましょう」


 ヴィルヘルム皇帝は笑みを浮かべた。

 ここに来て、初めて見る彼の笑顔だった。


「では、そうしよう」

「ただし!」


 私は強い口調で続けた。


「一度報酬として差し出したからには、その髪の毛から魂の全てに至るまで私の物。これは今後覆らぬと思われる事です」

「ああ、良いとも。これはお前への報酬だ。好きなように扱うが良い」


 それから、ヴィルヘルム陛下は護衛の兵士達を伴って家から出て行った。


 たった一人、真っ白な男の子を残して。


 一人残された少年。

 ゲオルグは、私と対して恐怖に身を震わせていた。


「あなたは今、報酬として私に譲渡されました。つまり、あなたは私の物です。わかりますね?」


 ゲオルグは言葉を発しなかった。

 それで、小さく頷く。


「なら、これからはその身の全てを捧げ、私に仕えなさい」


 逡巡があったのだろう。

 ゲオルグは答えなかった。

 しばしの間があって。


「はい」


 と小さく答える。


「では、契約を交わしましょう」


 私は小指を差し出した。


「あなたは私の物として、私に仕える。その代わり、私はあなたの庇護者としてあなたをあらゆる物から守りましょう。衣食住といくつかの自由を与えましょう。その契約に従う意思があるなら、あなたの小指を私の小指に絡めなさい」


 恐る恐るながらも、ゲオルグは自分の小指を私の小指に絡めた。

 冷たい小指だ。

 本当に雪でできているかのよう……。


 その指を暖めるように、キュッと小指で包む。


「ゆびきりげんまん、嘘吐いたら針千本のーます。指切った」


 日本語でそう言って、指を放す。


「これで契約の儀式は終わりです」


 これは契約の儀式などではなく、形式的な事だ。

 何の拘束力もない、ただの軽い約束である。


 別に、彼を欲して手に入れたわけではないからそれでいい。

 だから、いつでも彼はここから出て行く事ができる。


「部屋を用意しましょう。それに、衣服も」

「はい……。ありがとうございます」


 躊躇いがちの小さな声で、彼は礼を言う。


 おおよそ王族の子供がする態度ではなかった。

 何かに怯えていて、不安そうで……。

 それは、ヴィルヘルム陛下に連れられて来た時から変わらない。


 口数が少ないのも、まるで言葉を発する事を恐れているからのように思える。


 この子は、国でどのような扱いを受けてきたのだろう。

 少なくとも、何不自由なく育てられた子供の態度ではない。


 高貴な家の人間というものは、もっと自信に溢れて奔放なものだ。


 私の弟は病気のためかそういう事もなかったが……。

 彼もその類だろうか?


 私は、ゲオルグの額に手を当てた。


「魔女様?」


 ゲオルグは不安そうに訊き返す。


「何か、病などは患っていますか?」


 訊くと、ゲオルグは悲しげに目を伏せた。


「僕は……悪魔にとりつかれています……」


 それは違うと言ったのに。


「それ以外は?」

「ありません」


 なら、栄養が足りていない所以外は健康そのものだ。


 ただ、周囲が彼を病気に仕立て上げていたのだろう。


 幽閉されていたとも聞いた。

 きっと彼は、幽閉の理由として「悪魔がついている」と言われて育ったのだ。


 そのような事などないのに……。


 だが、周囲の大人達がそう言うのならば。

 幼い子供がそう思い込むのも無理はなかった。


「魔女様は、僕が恐ろしくないのですか?」


 うかがうように、おずおずとゲオルグは訊ねる。

 表情がかすかに強張っていた。


「あなたは悪魔憑きではありません」


 そう言って、私は自分の胸元を手で示しながら続ける。


「それに私は魔女です。悪魔なんて晩酌友達みたいなものですよ。恐れるようなものじゃありません」


 言うと、ゲオルグの緊張に固まった表情が少しだけ綻んだ。

 実はこの話は、魔女ベルベットと六国の王子達の話だったのです。


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