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六話 魔女の壺

 家の倉庫。

 私はそこで、ある壷の中を覗きこんでいた。


 中の液体をひしゃくで掬い、木製のコップに注ぐ。


 それを口にする前に、ごくりと唾を呑んだ。


 別に、これが美味しいものだから思わず、というわけではない。

 むしろ、これを口にする事への緊張からだ。


 完成を確かめるためには致し方ないが、失敗していた場合は口にしたくない。


 私は意を決し、コップの中身に口をつけた。

 思わず眉間に皺が寄る。


「……すっぱい」


 メバロン酸盛りだくさんという味だ。

 酢になってる。


 正直、匂いで分かっていたんだけどね。

 一応念のため……。


「うまくいかないもんだな。火落ちめ」


 私は壷の蓋を閉じた。


 火入れの温度が間違っていたか……。

 その部分はうろ覚えだからなぁ。

 次は上手くいってほしいもんだ。


 そう思い、私は別の壷を新しく仕込む。


 次こそは……。


「来い! オリゼー! 来い! かーもせー!」

「何の呪文ですか?」


 声をかけられてみると、冷ややかな表情のゲオルグが立っていた。

 彼は近隣の村へ買出しに行っていたが、帰ってきたようだ。


 彼は背中に籠を背負っていた。

 籠には、野菜が入っているようだ。


「ちょっとね」

「そうですか」

「そうなんだよ」


 そんな時である。


「ん?」

「いかがいたしました?」


 私が不意に声を漏らすと、ゲオルグが訊ね返す。


「どうやら、お客さんのようだ」


 森の中に、誰か入って来た。

 それを私の結界が察知した。


 侵入したのは男性。

 木の実を頼りにこの家まで向かってきている。


 という事は、誰かからの紹介を受けたのだろう。


「お茶をご用意致しましょうか?」

「……そうね。前みたいに、攻め入ってきたわけじゃないようだし」


 少し前に、軍隊を連れて私を力ずくで連れて行こうとした王子がいた。

 その王子様は、多くの兵士を私の家へ差し向けた。

 けれど行き方を知らないらしく、兵士達は森をさ迷っていた。


 森の中にいられるのもちょっと怖いので、出向いて話を聞きに言ったら問答無用で着いて来いと言われ、拒否したら武器を向けられた。

 兵士の物言いにも少しカチンときたので、森の外に待機していた兵士ごと蹴散らしたのである。


 あの時のお詫びに貰ったお酒が美味しかったなぁ。

 上等な蜂蜜酒、蕩けるような甘さがあった。


 お詫びでいただけるなら、もう一度くらい攻めてきてもらってもいいのに。


「では、準備致します」


 ゲオルグは恭しく一礼する。


「あ、私の紅茶にはブランデーを入れて。紅茶三、ブランデー七の割合よ」

「では一垂らししておきましょう」

「紅茶を?」

「ブランデーを」


 そう答えると、ゲオルグは踵を返して倉庫から出て行った。


 ぐぬぬ、年々小生意気になっていきおる。

 かつての純真無垢で守ってあげたくなるような子だったゲオルグが懐かしい。


 家に戻っていつものテーブル席につく。

 ゲオルグが紅茶の用意をすると、丁度ノックの音が部屋に響いた。


「どちらさまでしょう?」

「モリブデンより参りました。マイケルです」


 ダンスとかバスケとか上手そうな名前だ。


「どのようなご用件でしょう?」

「魔女様のお知恵を借りるために参上致しました」

「どうぞ、お入りください」


 ゲオルグが入り口のドアを開ける。


「どうぞ」


 ゲオルグに促されて入って来たのは、金髪碧眼の青年だった。


 その顔つきは、とても精悍である。

 それに加えて表情は自信に満ちており、しかし傲慢な色は見えない。

 なんと表現すればいいのか……。

 さながらこの世のあらゆる物を信頼しているような実直さみたいな……。


 簡単に言えば……さわやか?

 少女漫画に出てくる、主人公と恋愛しそうな男子のような雰囲気がある。


 そして、顔の作りにはどことなく見覚えがある。


 金髪に碧眼と整った見覚えある顔立ち、そしてモリブデン。

 その正体にもピンと来るというものである。


「もしや、セシリア様と近しい方でしょうか?」


 モリブデンはアルフレドくんの奥さん、ダマスクスの王妃であるセシリアの生国だ。

 彼女の親戚と見ていいだろう。


 そしてどうやらそれは当たっていたようだ。

 マイケルくんはにっこりと素敵な笑顔を作った。


 ああ、この爽やかさは引きこもりの喪女には眩しい。

 溶けそうだ。


「はい。弟です」


 という事は、王子か。


「セシリア様の紹介ですか?」

「はい」

「では、私に願いをする代償についても聞いていますでしょうか?」


 ふっふっふ、とウィッチスマイルを披露する。


「それは勿論」


 そう言って、マイケルくんは二つのビンを取り出した。


「我が国で造っている、ジンとシードルです」

「ぬふっ」


 嬉しさの余り声が漏れ、マイケルくんが怪訝な顔をする。


「いえ、なんでもありません」


 取り繕っておく。


 しかし、ジンとシードルか。


 たまには口当たりの良いお酒もいいか。

 今夜はシードルに肉料理に合わせよう。

 あ、ふかしたジャガイモもいいな。


 しかし、今回でジンとウォッカが揃ったな。

 キナ・リレがあればヴェスパー・マティーニが作れる。

 しかし、手に入れようがないので、私オリジナルのカクテル『黒の組織』を作る事にしよう。


 ジンとウォッカを混ぜるだけの簡単レシピである。


 そのためにも、依頼達成に努めよう。


「わかりました。では、うかがいましょう」

「魔女様、涎が出ていますよ」


 おっと。




 テーブル越しに席へ座ってもらい、話を聞く。

 彼の前には紅茶の入ったカップが置かれている。


「我がモリブデンは今、未曾有の危機に瀕しております」

「危機、ですか?」


 マイケルくんの説明に、私は訊き返す。


 中々に剣呑な出だしである。


「と言いますのも、半年前から我が国の西端から王都にかけてオオトカゲが大量に発生しまして。頻繁に農村を襲うのです」

「オオトカゲ……」


 ぱっと聞いた限り、危機ではあるが未曾有の危機とは思えないな。


「そのオオトカゲは農作物を喰らいつくし、牧畜はおろか人まで襲って食べる始末でして。このままでは、我が国は滅びの淵に立たされるのではないか、と私は懸念しております」


 ふぅむ。


 規模がどれくらいなのかはわからないが……。

 ここに相談しにくるという事は、国では対応の手が回らないくらいなのだろう。


 確か、モリブデンは農耕や牧畜を生業にしているのだったか。

 それらを輸出して外貨を獲得している。

 主な取引先は両隣に位置するスターリとダマスクスだ。


 人を襲うという事は、生産を担う農民達にも被害が出る。

 生産物のみならず、作り手の減少に伴う生産量の低下もあるわけだ。


 つまり、今すぐに食べつくされるという事はないが、徐々に食料品兼輸出品が減っていく状況か。

 他国との取引にもままならなくなって、経済にも影響が出てくるだろう。


 言わば、国の支柱が倒されようとしているわけだ。


 なるほど。

 将来的には大変な危機に発展する事態だ。


「……トカゲごときで何事か、とお思いでしょうか?」

「いえ。かなりの大事だと思いますよ。早めに対処するべきかと」


 そう答えると、マイケルくんは嬉しそうに笑った。

 さっきのさわやかな笑みとは違う、子供のように輝く笑顔だ。


「おお。この事態の大きさを理解していただけるとは! 国では、誰も私の言葉を理解してくださらなかったのに」

「そうなんですか?」


 ちょっと考えればわかりそうなものだけど。


「父上も、その家臣達も、事態を重く見ていないのです。もし、何かあってもダマスクスに頼ろうとしている」


 モリブデンとダマスクスの王家は、今や姻戚関係にある。

 ゴルト帝国に軍事力で劣りこそすれ、総合的な国力は六国中でダマスクスが一番高い。


 その庇護を受けられると思えば、心強い。

 そして心強ければ頼りたくなるものだ。


「我がモリブデンとダマスクスは対等の関係。姉上は外交の道具として嫁がれたわけではないのだ。一方的に頼るべきではない。でなければ、属国と変わらなくなってしまう」

「だから事態の収拾は自らで図るべき。そう仰るのですね?」

「はい」


 マイケルくんは頷いた。


 どうやら彼は、実直な考え方をする方のようだ。


「わかりました。そのトカゲですが、討伐はなさらないのですか?」

「無論、軍の戦力を割いて討伐させています。しかし、如何せん数が多すぎます。王都近辺に群れが出現しても対処はできるのですが、王都から離れるにつれて手が回らなくなっていきます」

「なるほど……」

「全ての村に戦力を駐留させられればよいのですが、そのためには人員を増やさなければなりません。しかし、その費用は現状の生産による収益を上回るでしょう」

「戦力を駐留したとしても被害が皆無というわけではないでしょうから。その点を考えてもデメリットの方が多いですね」


 農村を守るために兵士を雇うと、農村で得られる収益以上の出費を強いられる。

 それで生産力が戻ればいいのだが、その間にもトカゲによる被害が出るからいずれ収益が上回るという事がない。

 だからといって、戦力を置かなくても被害がさらに拡大してしまう。


 ジレンマだ。

 対応策がない。


「とはいえ正直、これは私の手に余ります。憂いたとしても、私には何もできないのです。全ては、父上の判断する事ですから。それでも、何かできないかと思い、ここに参じたのです。魔女様、どうかお知恵を」


 これを解決するにはどうすればいいか……。


 私は考える。


 対処法としては……。


 一つ、トカゲを根絶する。

 二つ、被害以上の収益を出す。


 この二つか。


 説明で喉が渇いたのか、マイケルくんは紅茶を飲んで喉を潤した。


 私も紅茶を飲む。

 半分くらい中身の減ったカップをゲオルグへ差し出す。


「ブランデーを足して」


 半分ほど飲んで、その都度ブランデーを足せば私の望むブランデー増し増しの紅茶になるだろう。


 そう思っていたが、ゲオルグはカップに紅茶を足した。


 おい。

 と睨みつけると、ゲオルグは涼しい顔で恭しく一礼した。


 淹れてしまったものは仕方がない。

 カップをソーサーに置き、私はマイケルくんに向き直った。


「しかし、それにしてもどうしてそのようにトカゲが大量発生したのでしょう?」


 私は疑問を口にする。


「それはわかっておりませんが……。我が国の環境が繁殖に適していたのではないかと」


 南西のモリブデンは、一年を通して比較的温暖な地域だ。

 冷血動物のトカゲにとっては過ごしやすい地域だろう。

 気候が合い、食料も多量にあれば確かに繁殖するだろう。


 しかし、私の勘はそれが別の要因によるものだと告げていた。


「いいえ。おそらく、それは妖怪の仕業ではないかと思われます」

「妖怪?」

「はい。東洋の島国に生息すると言われる魔物の一種です」


 私が深刻な表情で告げると、マイケルくんは神妙な顔をした。


「そのトカゲは、守宮いもりという妖怪でしょう」

「イモリ? それはいったい……」

「死んだ兵士の霊が井戸に集まり、トカゲの姿に変じた化生の事です」


 守宮は落ち武者の霊などが集まって、トカゲの姿に変じた存在だ。

 霊の類であるため、僧侶の読経などで成仏させる事ができる。

 モリブデンがどのような宗教を国教としているかは知らないが、その宗派の僧侶に御祓いでもしてもらえば一発で解決するはずだ。


 あとは、その発生地を特定すればいい。


「守宮の生ずる井戸に僧侶を送れば全て解決するでしょう。発生源の近くが戦地になったという事はありませんか?」

「そもそも、六国同盟が結ばれて数十年。そのような戦乱は起こっておりませんが……。同盟外、以西の国に至っても、それはありません」

「そうですか……」


 ううむ。

 発生地が解からないという事は、地道に探す所から始めなければならないか……。

 しかしそれでも、根本さえ何とかすれば被害は抑えられるはずだ。


 時間がかかっても、捜索に着手するべきだろう。


「ベルベット様」


 不意に、ゲオルグが口を挟む。


「何?」

「トカゲの根本を叩くのはよろしいですが、他にも策を用意しておくべきとわたくしは愚考します。はい」


 確かに、発生源の捜索に手間取って被害が拡大する可能性はある。

 他にも、手は打っておくべきだろう。


「えーと……他に何かありますでしょうか?」


 マイケルくんが訊ねる。


 他か……。


「いっその事、討伐したトカゲの肉を食料とすればよいのではないですか? それらを加工して輸出するとか」


 これなら、食糧問題が解決するし、モリブデンでのみ発生しているというのなら特産品として輸出できる。


「それは私も考えたのですが……」


 何か含みのある言い方だ。

 王子の表情も曇っている。


 問題があったのだろうか。


「不味いのです」


 マイケルくんは短く答えた。

 さらに言葉を続ける。


「正確に言えば、味はまぁまぁなのですが。脂身が少なく、というより皆無でして。肉が固く、ぱさぱさしているのです」


 食感がとても悪いという事か。


「とてもではありませんが、食料としてはちょっと……」


 少なくとも、他国には売れないだろうね。


「なるほど」


 一つ頷き、私は紅茶を一口飲んだ。


 脂質が少なくてパサパサなのか。

 つまりそれって、純粋なタンパク質が多いという事ではないだろうか?


 アルフレドくんが望んで買い求めそう……。


 しかし、あの国の全員がボディビルダーであるわけでなし……。

 いや、アルフレドくんもボディビルダーじゃなくて王様だけどさ。


 アルフレドくん一人が求めても多くの需要が得られるわけではない。


 結局、問題は味か。


 この味さえ解決すればあらゆる事が解決しそうだ。


 食糧問題も解決し、輸出が増えれば人員の補充もできる。

 他国へ売れるとなれば、それ専門の狩人も出てきてそもそも人員の確保も必要なくなってくる。

 むしろ、今まで以上に儲かるかもしれない。


 嫌われ者のトカゲが一躍大人気になるわけだ。


 なら、調理法の確立がモリブデンを救う手立てか。


 これなら、マイケルくんの権力でも十分に何とかできるだろう。


 確か、味はまぁまぁだが固くてパサパサしているんだったな。

 脂質が無く、タンパク質に富んでいる。


 要は、柔らかくできればいいわけだ。


 うん。

 良い事を思いついた。


「王子。少し試してみてほしい物があります」

「はい。何でしょう」


 マイケルくんは前のめりになって訊ね返す。


 やだ、顔が近いよ……。

 脳内が少女漫画のヒロイン状態になる。


 惚れてまうやろ。


「マイケル様、お茶のお代わりは?」


 ゲオルグが提案する。


「いただきましょう」


 マイケルくんは答え、身を引いた。

 ふぅ、危なかった。


「それで、試してもらいたいものなのですが……」


 私はそれについてマイケルくんに話し、あるものが入った壺を一つ渡した。




 一ヶ月ほど経った頃。


「ベルベット様! マイケルです! お礼に参りました」


 マイケルくんがお礼参りに来た。


「はい。どうぞ」


 ゲオルグが入り口のドアを開け、マイケルくんが中へ案内される。


「ベルベット様!」


 マイケルくんがとても興奮した様子で私に詰め寄った。


 だから近ぇよ!


 が、その間にゲオルグが割り込む。


「マイケル様。この度は何の御用でございましょうか?」


 ゲオルグが来訪の理由を訊ねる。


「先ほども申しました通り、ベルベット様へのお礼のために参りました」


 マイケルくんは、気を害した様子も無く笑顔で返した。

 どうやら、嬉しさの余り興奮してらっしゃるようだ。


「ベルベット様のおかげで、我が国の危機は救われました」

「そうですか。それはようございました」

「そう、あの『塩麹』のおかげで!」


 どうやら、上手くいったようだ。


 トカゲの肉を食用として加工する方法として、私はマイケルくんに塩麹を提案した。


 近頃の私は、倉庫で酒を作ろうと試みている。

 それもここいらにあるような洋酒ではなく、日本酒だ。


 いろいろあって、私の家には大量のお酒がある。

 しかし、どうしても外から手に入れられないものがある。

 それが日本酒だった。


 しかし私は、どうしても日本酒が飲みたかった。


 そして無いなら作ればいい、と思い立ったのだ。


 思い立った私は買った米を植えて、実った米で日本酒作りを始めたのだ。


 この地域の米は日本のそれとはまた違うので、少しずつ品種改良できればいいなと思っている。

 そうして品種改良したベルベット米によって、ゆくゆくは私の私による私のための日本酒を作り上げてやろうという野望を抱いていたのである。


 その過程でついでにいくつか作ったものがあり、その一つがこの塩麹だ。


 まぁ、肝心の日本酒は未だ完成の目処が立っていないわけだが。


 塩麹は肉のタンパク質を分解し、うま味成分を増やす力を持っている。

 肉を漬け置くと美味しく、そしてしっとり柔らかくなるのである。


 だから、パサパサのトカゲ肉も美味しく食べられると思ったのだ。


「塩麹に漬け置いた所、トカゲ肉は別物のように美味しくなりました。肉は柔らかくジューシーになり、味もよくなりました。他国に紹介してみた所、評判もよく。新たな特産品として売り出せそうです」


 マイケルくんは嬉しそうに語る。


「トカゲ肉が特産として売れる事を父上に進言した事により、防衛ではなく狩猟のための部隊が編成されました。それだけでなく、民間の商人達も肉を仕入れるために傭兵を雇い、トカゲを狩るようにもなりました。そのおかげで、トカゲの被害も日に日に減っています」

「そうですか」


 私は笑顔で返した。


 どうやら、良い方に事態が転がったようだ。


「全ては、魔女様のおかげです。ありがとうございました。これは、そのお礼です」


 そう言って、王子は大きなビンと葉っぱの包みを差し出した。


「これは? シードルと塩麹に漬けたトカゲの肉です」


 今夜の晩酌も捗りそうである。


 実際、その夜の私はトカゲ肉のステーキを肴に、シードルを飲んだ。


 トカゲ肉は柔らかく、優しい塩味だった。

 その後味をリンゴ風味の甘さで洗い流せば、発泡性の刺激が喉を通り抜けた。

 味も、感覚も心地良く、私は最良の晩酌を楽しむ事ができた。




「さて、と……」


 私は倉庫の中で、壷の中を改めた。

 日本酒の醸造を試みている壷である。


「うん。匂いはいい。実にアルコールらしいアルコール臭だ」


 日本酒はアルコールの匂いが強いのも特徴の一つだ。

 質の良いものならばそれは果実のような芳しいものになるらしいが、素人が作るものならばこんなものだろう。


 さて、匂いはいいが味はどうだろう。


 味見だ。


 木のコップにひしゃくで注ぎ、一口飲む。


「くぅーー……っ」


 ふぅ……。

 確かに日本酒の味のように思える。


 でも、まだ解からないな。

 日本酒なんて何年も飲んでいないから、味を錯覚している可能性がある。


 もう一口。


「ううぅーーー……っ」


 ……ちょっと今のは、一気に飲みすぎた。

 もっと味を合わなきゃわからないなぁ。


 もう一口。

 もう一口……。

 もう一口…………。


「ひぅぅぅーーーー……っ」

「何事ですか?」


 冷ややかな声が浴びせられる。


 見ると、ゲオルグが立っていた。

 彼は手には、野菜を盛ったざるがあった。


 げぇっ! ゲオルグ!


「いや、これは」


 いかん。

 壷の中の酒を味見していた事がバレてしまうと晩酌を禁じられるかもしれない。


 見つけてくれるなよ。


 しかしながら私の願いも虚しく、ゲオルグは目敏くそれを見つけたらしい。


「完成なされたのですね。おめでとうございます」

「……ありがとう」


 ゲオルグは壷の中を覗きこむ。

 どういうわけか、壷の中身は半分以上無くなっていた。


 何故こんなに減ってしまったのか。

 ミステリーである。


「お味はいかがでしたか?」

「え? まだ飲んでないよ?」


 大嘘ぶっこいておく。


「そうですか……」

「そうなんだよ……」


 私は改めて、ゲオルグの持つざるへ目を向ける。


「えーと……。それは?」

「野菜です。これから、漬けようかと」


 言って、ゲオルグは酒壷の近くにある別の壷を見た。

 その壷には、石が載せてある。


「楽しみね。あなたの作る糠漬けはそれだけで肴になる」

「誠心誠意、心を込めて毎日混ぜさせていただいておりますゆえ。はい」


 ゲオルグは、恭しく一礼した。


 この糠もまた、塩麹と同じく日本酒作りの際に生じた物だ。


 日本酒作りは、多くの物を私にもたらしてくれた。

 その上、日本酒も完成して喜ばしい限りである。


 そして、酒を盗み飲んでいた件を誤魔化せた。

 これ以上ない結果だ。


 さぁ、今夜は糠漬けで日本酒祭りだ。




 その夜、晩酌用に出された酒はとても少なかった。

 どうやら、ゲオルグは誤魔化されてくれなかったらしかった。

 実際のトカゲはおいしいらしいですね。

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