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五話 悪魔の子

 感想への返信などは、活動報告で行っております。

 この世界で私が生まれたのは、スターリという国だった。

 それも一庶民の家でなく。

 国の頂点とも言える一家。

 王家の一員として、私は生を受けた。


 授けられた名は、バールハトだった。


 歪む視界と聞き慣れない言葉。

 最初こそ戸惑ってはいたけれど。

 次第に明瞭となる視界と言葉の意味を解するに至り、私がどこかの外国へ生まれ変わった事を把握した。


 そう。

 この時までは、地球上の外国に転生したのだろうと思っていたのだが。


 初めて宮廷魔術師という存在に出会った時、ここが前世とは別の幻想的な世界である事が知れた。


 多少の嬉しさを感じた。

 というのも、私は妖怪が好きだからである。


 これだけでは飛躍し過ぎて何の話かはわからないだろうが。

 つまり、魔法のような摩訶不思議な力のある世界ならば、前世では一度も目にかかれなかったそれらの怪異と遭遇する事もできるのではないかと思えたからだ。

 魔法という不思議な力があれば、見えざる存在も見えるようになれるんじゃないかと思えた。


 言葉を覚え、自由に歩けるようになった私が魔法の勉強を始めた事は言うまでもない。

 城の図書館へ毎日赴き、お付きの使用人に文字を習いながら魔法の知識を蓄えていった。

 庭に出ては実践し、本の内容を確かな経験に変えていった。


 しかしある日。

 手違いで中庭の温室を魔法によって爆破してしまうと、王である父は私に宮廷魔術師を教師としてつけた。

 同じ事が起こらないよう、監督つきで魔法を教えるべきだと考えたのだろう。

 いや、もしくは宮廷魔術師に私を見張らせる意図があったのかもしれない。


 思えばこの時から私は、両親に恐怖を与えていたのだ。


 燃え盛る温室を見て、どうしようと焦っていた時。

 父が駆けつけてくれた。

 心配してくれたのだろう。

 だが、振り返り、温室の炎を背負う私を見て、父の表情が強張ったのを憶えている。


 恐れを威厳で覆い隠したような歪んだ表情だった。


 魔力という物は生まれた時から誰もが持っている物だが、それを魔法として扱うにはそれなりの習熟が必要となってくる。

 私のように、一歳から魔法を扱える者などまずいない。

 魔法は技術を養わなければそうそう出る物ではないので、子供の魔力暴発事故などまずありえない。

 暴発事故を起こすとすれば、前提として魔法の基礎を知っている者だけだ。

 そして、魔法は基礎を覚える事すら困難な技術だった。


 何せ、父ですら魔法を使う事はできないのだから。


 だから、年端もいかない子供が暴発事故を起こしたとなれば……。

 もはやそれは天才などという話ではなく、むしろ異端な存在だ。


 両親からすれば、私と言う子供は恐ろしい存在だったのだろう。


 それ以来、両親は私から距離を置くようになった。


 その後。

 私が師事する事になった先生は、頭髪は乏しいがその代わり髭の量がボリュームに富んだおじいちゃんだった。

 雲のようにモコモコしている。

 表情も柔和で優しそうな人だった。

 実際中身も優しかった。


 先生曰く、私は他の人間よりも魔力の最大値が多いらしい。

 それは一歳足らずの幼い頃から魔法に傾倒していた事が起因しているのか、それとも異世界転生特有のチート能力なのかはわからないけれど。

 私は、本来人が持ち得ない程の強大な魔力を持っていた。


「どうやら、バールハト様は魔法の才能に恵まれております。それこそ、神が与えられたと言っても過言ではないほどの才能です。とても大きな力ですゆえ、正しく使う事を心がけねばなりません」


 そう言って、私の頭を撫でてくれたのが印象的だった。


 この頃の私は、両親よりも先生と過ごす時間の方が多かった気がする。


 それから二年ほど経ち、私が三歳の時。

 弟が生まれた。

 名前はルドルフ。


 温室爆破事件を起こしてから硬化していた、父の私に対する態度が少しだけ軟化したのはこの頃だ。


 とはいえ、ぎこちなさが消える事はなかったが……。


 ちなみに、母の態度はずっと硬い。

 一部の揺るぎもない。

 弟が生まれてからその傾向はさらに如実となった気がする。


 むしろ、私を見る母の目には、敵意すら感じられた。


 先生のおかげで魔法の使い方も覚えた私は、それ以来魔法を無闇に使わないようにしていた。

 そのためか、平穏な時間は長く続いた。


 両親の私に対するぎこちなさも、その時間が全て溶かしてしまうような気がしていた。


 そして、あれは私が十歳の頃……。

 弟が七歳の時だった。




 その日の私は、父からお叱りを受けた。


 この頃の私は、度々城の貯蔵庫へ忍び込み、中にあった酒を盗み飲む事を繰り返していた。

 それがバレたのである。


 実は私は、妖怪も好きだがお酒も好きだ。


 未成熟な体でアルコールを飲む事は、健やかな成長を妨げるという。

 わかってはいるし、控えようとも考えた。


 しかし、十年も酒を我慢した私が貯蔵庫のワイン樽を見れば「匂い」だけでもと栓を抜く事は当然であるし、匂いを嗅げば「一口」だけでもと啜る事は当然で、一口啜れば「ジョッキ」でと思うのも当然の帰結である。


 実に致し方ない事である。

 目の前に酒樽があり「酒を飲んでも良いし飲まないでも良い」と選択を任されれば私は酒を飲む方を選ぶ。


 人は欲望に弱い物だ。

 私も他と遜色のない一介の人間なれば、そこで酒を飲む事も責められまい。


 それでもジョッキ一杯で最初は我慢できたのだから褒めて欲しい。

 が、それから日を追うごとに飲む量が増えていったのがいけなかった。


 一杯二杯と増えていく内に、一日で半樽ほど空けるようになれば流石に不審がられるもの。

 その犯人を突き止めんと父が兵士を貯蔵庫に隠れさせた所、犯人は私だったわけである。


 兵士に突き出された私を見て、父は「んもう」といういかんともしがたい渋い顔をなさっていた。


「バールハト。つまみ食いの類は、幼い身であれば致し方ない事だ。余とて憶えはある。しかし、そなたはまだ子供だ。あれは子供が飲むような物ではない。わかるな?」


 と窘められ。


「お言葉ですが父上。モンゴルでは乳児ですら、お酒を飲んで育つのですよ」


 私はそう反論した。


 モンゴルの遊牧民は、馬の乳を発酵させたお酒を子供の頃から飲んで育つ。

 アルコール度数は少ないらしいが、それでも酒には違いない。


 どうせ生まれ変わるなら、遊牧民に生まれ変わりたかった。

 生まれてすぐにお酒を飲めるなんて最高である。


 父上はその後、心底疲れたような溜息を漏らし「ここはモンゴルではない」と小さく返すばかりだった。


 父上は呆れた様子で溜息を吐く。


「本当にお前は、何から何まで……。もう行ってよいぞ」


 と、こめかみを手で押さえる父から言われ、私は部屋を出た。


 父には苦労させているな。


 この前も兵士に駄々をこねて川まで行き、そのまま夜まで帰らずにいて心配させてしまったらしい。

 捜索隊を派兵させてしまった。


 何故川へ行ったか?

 河童がいるかと思って……。


 他にも多々迷惑をかけている。

 その自覚はある。

 ただ私は、行動している時に周りが見えない事がよくある。


 それは前世から同じだ。

 私は自分の欲する物を追い求めて、いつも突っ走っていた。

 前の世界で死んだ時も、それが原因だったようなものだ。


 前世の両親にも、迷惑をかけていたなぁ。


 そういう事もあって、今世の父には迷惑をかけないようにしたいのだけど……。

 行動で示せていない以上、おためごかし以外の何物でもないだろう。


 父の書斎から出て廊下を歩いている時。


 先生に出会った。


 宮廷魔術師である私の魔法の師だ。

 髭が雲のようにもこもこしたおじいちゃん先生である。


 名前はパブリチェンコと言う。

 正確には苗字だが、ファーストネームは知らない。


「これは姫。ご機嫌麗しゅう」


 ただでさえ優しそうな表情に優しい笑みを作り、パブリチェンコ老は私に挨拶してくれた。


「はい。先生こそ、ご機嫌麗しゅう」


 城内で私を恐れる人は多い。

 皆、影で私を悪魔の子だと称している事も知っている。


 けれど、この先生だけは私に対してそのような畏怖を感じていないようだった。

 それは初めて出会った頃から変わらない。


「また、魔法をご教授ください」

「いえいえ、もう姫は私などでは及ばぬほどの力をお持ちです。教えられる事は、もうございません」

「そうですか……。なら、お酒をご一緒しましょう」

「お茶の誘いならばお受け致しますよ」


 やんわりと酒盛りを却下されてしまった。


「ところで姫。これからどちらへ? お部屋とは反対方向ですが」

「ルドルフの所へ行こうかと」

「そうでございますか」


 温和な彼の表情に陰りが生じた。


「それは良うございます。ルドルフ様はあなたに懐いておられますゆえ。お会いになれば、喜ばれますでしょう」

「私という存在であの子が元気になってくれるのなら、良いのですが……」


 先生と別れ、ルドルフの部屋へ行く。

 部屋の中には、二人のメイドが控えていた。

 部屋に入ると、ベッドの中の弟は私へ目を向けた。


「姉上!」


 私を見るや、嬉しそうに声を上げる。

 表情も満面の笑顔だ。


 しかし、その眩さでは誤魔化しきれない程に、弟の顔はやつれていた。

 七歳とは思えない小さな体と枝のように細い手足。

 まるで末期の重病人のようだ。


 今にも、儚く消えてしまいそうである。


 上体を上げようとするルドルフの肩に軽く触れ、起きないよう促す。


 弟は、生まれながらに体の弱い子だった。

 詳しい事は知らないが、先生が漏らした話によれば先天的な疾患であるらしい。

 詳しく聞こうにも、先生はこの事を話したがらない。


 私に聞かせたくないのだろう。

 いつもうまくはぐらかされてしまう。


 もっと小さな頃はそれなりに動き回っていたが……。

 成長するにつれて、弟は動けなくなっていった。

 無理に動けば、すぐに蹲って苦しみだす。

 今の弟はベッドから離れられない。


 この部屋だけが弟の世界だ。


 だから最近の私は、一日の大半を弟のそばで過ごすようにしていた。

 この狭い世界の中でも、弟が寂しく思わないように。


 その小さな世界を少しでも広げられるように鍛冶師の力を借りて双眼鏡を作ってみたが……。

 余計に外の世界への憧れは強くなっているようだった。


 ベッドの横に置かれた椅子へ座る。


「姉上。今日は何の話をしてくださるのですか?」

「今日は……言霊使いとの戦いの話をしましょう」


 私が答えると、弟は瞳に喜びの色を湛えた。


 私がルドルフに話して聞かせるのは、ある妖怪の話だ。

 幽霊族と妖怪族のハーフで、虎縞模様のチャンチャンコを着た少年の話。


 最初の頃は、普通に妖怪の逸話など話し聞かせていたのだが。

 妖怪の話というものは、恐ろしい内容の物が多い。

 弟は妖怪の話をとても怖がり……。


 なので私は、怖い妖怪から守ってくれる妖怪の少年の話を聞かせる事にしたのだ。


「言霊使いは、仲間の姿を言葉で次々と変えていきました」

「それで! それでどうなったんですか!?」


 弟は私の話を食い入るように聞き、続きをせがむ。


 私はそんな弟のために話を聴かせた。

 弟は楽しげな様子で、時折言葉を挟みながら夢中になって耳を傾ける。


 そんな弟が可愛らしく思えて、私もついつい話を盛って話してしまう。


 この時間が私には楽しくてならなかった。


 けれど、楽しい時間というのはいつまでも続かない。

 殊更に早く終わるものだ。


「姉上。僕も、お話の主人公みたいに強くなりたいです……」


 話が終わるとルドルフは呟くように言った。


「強くなって、外で動き回りたい。そうなれたら、いろんな怖い物からみんなを守れるようになりたい……」


 ルドルフが、すがるような、さまようような動きで、こちらへ手を伸ばす。

 その手を取って、私はベッドに上がる。

 弟の隣に座った。


 弟は私に寄り添ってきた。

 その頭を抱いて、撫でる。


「姉上……。ぐっ、かはっ!」


 唐突に、弟が喘ぐように声を発した。

 そのままルドルフは苦しみ始め、体が震えだす。


 それは、ここ最近では珍しくない発作だ。

 ただ、いつもは無理に動き回った時だけで、ベッドの上で苦しみだす事は初めてだった。




 城の医師達がルドルフの部屋で懸命に頑張っている中、私は部屋の外で壁に背を持たれかけさせていた。


 母は私を一瞥すると、目をそらして部屋の中へ駆け込んでいく。

 ちらりと見えた母の目には、強い敵意が見える。


 部屋の中から、母の泣く声が聞こえてきた。

 その涙は、弟が生きながらえた喜びからだろうか? 苦しむ弟の姿を哀れに思っての事だろうか?


 どちらであっても、私が母にここまで想われていた事があっただろうか?


 それから少しして、父も部屋へ訪れる。

 父も私に気付き、しかし目をそらす事無く私に声をかけた。


「バールハト……。ルドルフの不調を知らせてくれたようだな。すまなかった」

「弟が苦しんでいれば、助けを呼ぶのは当然です」

「そうだな……。そうだった。容態は?」

「わかりません。すぐに外へ出たので。今は、母上が一緒におります」

「そうか。余も見舞ってこよう」


 そう言って、父もルドルフの部屋へ入って行った。


 溜息が一つ漏れる。


「姫様」


 聞き慣れた声に顔を向けると、パブリチェンコ先生がそばに立っていた。

 いつもの優しい笑顔を私に向けてくれていた。


「先生」

「部屋へ入らないのですか?」

「私が居ては、母も気が気ではないでしょう」


 私が答えると、先生はかすかに笑顔を曇らせた。

 けれどその曇りもわずかばかりの間だけで、先生はまた笑みを作って私の頭を撫でた。


「先生」


 そんな先生に私は声をかける。

 聞きたい事があった。


「何でしょう?」

「弟は、何の病なのですか?」

「それは……」


 先生は口ごもる。


「教えてください」


 重ねてお願いすると、先生は口を開いた。


「いいでしょう。幼少の身とはいえ、聡明な姫ならば受け止められましょう」


 そう前置いて、先生は弟の病について教えてくれた。


「ルドルフ殿下は、生まれつきの魔弱体質にございます」

「魔弱体質?」


 先生は頷く。


「人間の体には、二つのものが巡っております。それは血と魔力。この二つの巡りによって、人は始めて生きる事ができるのです。しかしながら、ゲオルグ殿下は生まれつき魔力を取り込む力が弱いようなのです。つまり、その身に満たされる魔力の量が少ない」

「魔力の量が少ないから、発作が起こるのですか?」

「ええ。少ない魔力でも、小さな体ならば十分に巡るでしょう。しかし成長し、体が大きくなるにつれて巡る魔力が行渡らなくなっていきます」


 成長していけばいくほど、魔力は不足していくという事か。


「魔力が行渡らなければ、どうなるのですか?」

「魔力とは人が生きるのに必要なもの。体を巡る魔力が足りなければ、あらゆる身体の機能が低下していきます」


 どうやら、この世界の人間は根本的に前世の人間と体の構造が違うようだ。

 魔力が身体機能の一部を担っているらしい。


 恐らく、魔力とは本来、体の健康を保つためだけにあるのだろう。

 魔法使いは、その本来の用途を歪めて使用している。


 つまり、魔法は不自然な使い方なのだ。

 だから、習得が難しいわけだ。


「ではこのまま成長して、魔力の欠乏が大きくなっていけば弟は……」

「体の機能が弱り、最後にはその命を……」

「そんな……」


 言葉を失う。


 ルドルフが、死ぬ?

 私の可愛い弟が?


「先生。助ける事は、できないのですか?」


 訊ねると、先生は黙り込む。

 しかし、否定はしなかった。


 その沈黙は、私に少しの期待を覚えさせた。

 もしかしたら、方法があるのかもしれないと思った。


「一つ……。伝承に記された治療法があります」

「教えてください」

「それは、剛竜ドラゴンの竜玉を飲ませるというものです」

「竜玉?」


 耳慣れない言葉に、私は聞き返した。


「竜、それも飛竜ワイバーンなどではなく、剛竜ドラゴンなど古代種の体には、魔力を蓄える大きな臓器がありまして。その臓器は死後に石化し、高純度の魔力を含む石となります。それが竜玉というものです」

「それを飲ませれば治るのですか?」

「伝承によれば、それを煎じて飲む事で魔力を増強する事ができるという話です」

「……魔力の増強、という事は魔力を取り込む力も強くできる?」


 私が訊ね返すと、先生は頷いた。


「しかし、あくまでも伝承。それが事実であるという確証はありません」

「でも、可能性はあるのですよね」

「はい」


 剛竜ドラゴンを倒せば、弟を助けられるかもしれない、か……。


「ですが、そもそも手に入れる事ができません」

「何故?」

「剛竜は人の手に余ります。討伐するには、この国の兵士全てを投入せねばならぬでしょう。それも、その大半を犠牲にしてようやく勝てるかどうか……」


 そんなに強いのか。


 先生はさらに続ける。


「その上、剛竜の住処は決まって人では到底足を踏み入れられぬ辺境。この国でも北方の山にて目撃されておりますが……過酷な環境下へ行軍させるだけでも、多くの兵士は犠牲となり、疲弊する事でしょう」


 万全な状態ならば兵士を差し向けて勝てる見込みもあるが、厳しい環境下で消耗した兵士ではたとえ戦ったとしても勝てないという事か……。


 無理だな。

 たとえ剛竜に勝てたとしても、兵士の大半を失うのでは国の守りが消えるという事だ。


 国の治安維持が難しくなり……。

 それだけならまだいいが、場合によっては六国同盟のどこかが裏切って攻撃してくる事もありえる。


 剛竜に勝つ事ができても、国が危険に陥るのならば父にこの方法は取れない。


 その時だった。

 ルドルフの部屋の扉が勢い良く開かれた。


 出てきたのは、形相を怒りに染めた母だった。

 その怒りの矛先は、恐らく私だ。

 母の涙に濡れた双眸は私だけを捉えていたから。


 母は私に詰め寄り、服を掴んだ。


「あなたのせいよ! あなたが、あの子の! ルドルフの分の魔力を奪って生まれてきてしまったから!」


 そして感情を吐き出すように、激しく私を叱責した。


 そうか……。

 謎が解けたよ。

 母がどうして私を嫌うのか……。


 私の服を掴んだまま、母は片方の手を上げた。


 叩かれる。


 そう思った時、その手を止める者があった。


「やめよ」


 母の腕を掴んで止めたのは、父だった。


「放してくださいまし! どうして庇い立てするのです! ルドルフの命を吸い取ったこの魔女をどうして!」

「王妃は混乱しておる。部屋へ連れて行くが良い」


 母に答えず、父は手近にいた兵士へ命令する。

 母は数名の兵士に付き添われて、その場から離れて行った。


「父上……。私が弟の魔力を吸い取ってしまったというのは本当なのでしょうか?」


 だとすれば、弟が死に瀕しているのは私のせいという事になる。


「そのような事実はない。そうであろう。パブリチェンコ」

「はっ。奪い奪われるようなものではございませんゆえ。絶対にありえませぬ」


 父の問いに、先生は答えた。


「母は感情的になっているだけだ。ルドルフを可愛がっておったからな……」

「そうですね」

「……余は、ゲオルグのそばについている。部屋へ戻るが良い」


 父が私に背を向ける。

 弟の部屋へと入って行った。


「陛下のおっしゃる通りになされた方が良いでしょう。もう、日も暮れました」

「はい」


 先生に促され、私は部屋へ戻った。




 部屋に戻った私は、寝巻きに着替えてベッドに横たわった。


 目を閉じても一向に眠くならない。

 それでは困ると思いつつ、私は無理やりに目を閉じ続けた。


 冴えた頭で、ずっと考え続ける。


 弟の事。

 父の事。

 母の事。

 今日にあった出来事全て。

 そして、剛竜の事……。


 眠くなるまで、ずっと……。

 考え続けた。


 考えるまでもない事だった。

 部屋に戻る前から、決心していた事だから。


 でも、考えずにはいられなかった。


 いつしか眠りについた私は、起きるとすぐに着替えた。

 弱い朝日の差し込む中、私は厚着に着替える。

 外気はまだ纏う布地を増やすには及ばない。

 若干汗ばむ。


 それを我慢しつつ外へ出た私は、中庭へ向かう。

 中庭の開けた空を見上げて、飛行魔法でその空へ飛び上がった。


 城の上空で留まり、北へ目を向ける。


 暗い雲のかかる白い山がその方向にはあった。

 徒歩で登る事も困難な切り立った岩肌と常に深く積もった雪が人の侵入を阻む極寒の山だ。


 私はその方向へ飛翔する。

 高速飛行による空気の圧力を魔法のバリアで切り裂いて、私はものの数分で北の山へと辿り着いた。


 上空から山脈を探知の魔法で探り、目当ての物を探し当てる。

 そちらへ向かいさらに飛び、激しい風雪を凌ぐために魔法のバリアを張ったままその地へと降り立った。

 降り立ったその先で、それは鎌首をもたげた。


 見上げてもまだ全貌の見えない巨躯。

 赤い赤いそれは王城ほどではないが、さながら砦のような軍事的な建築物を思わせる堅牢な姿だ。

 そして堅牢なだけでなく、その力は数多の命をいとも容易く葬り去るだけの苛烈さも持っている。


 生物へ抱くにはいささか過剰な表現かもしれないが、その過剰さすらも真っ当と思わせる程度にその生き物は脅威に満ちていた。


 その上、背には翼が生えている。

 これだけの巨体が、どうやら空を飛ぶらしい。


 それは、剛竜ドラゴンと呼ばれる生物だった。


 この世界の重力は私の前世の世界と変わらないだろう。

 ならば、このような巨大な生物が存在する事はできない。

 骨格や肉だけではその自重を支えきれず、動く事はおろか飛ぶ事など不可能だろう。


 魔力で体組織を強化している事は間違い無さそうだ。

 これもまた、魔力本来の役割か。


 なるほど。

 高度な魔力を有していなければ、存在すらできない生き物というわけだ。


 剛竜は私に対し、威嚇の咆哮を上げた。


 私に勝てるだろうか?

 勝てなければ逃げよう。


 そんな事を思ったのも束の間、剛竜は私に向けて炎を吐いた。


 炎が私の目の前へ吹きかけられ、バリアに沿って後ろへと流れていく。

 炎が止むと、周囲の景色が変わっていた。


 周囲の雪は余す所なく溶け、それどころか私の立つ場所を残して地面も溶けていた。

 すごい火力だ。

 バリアを張ったままでよかった。


 でも、私のバリアを抜く事はできなかったようだ。

 なら、大丈夫そうだ。

 倒される事は無い。


 切り札を使うまでもない、かな。


「さて……。恨みはないけれど。私にとってはあなたの命よりも、弟の命の方が重いんでね」


 私は剛竜に言葉を投げる。

 その言葉を理解したわけではないだろう。

 しかし、剛竜は怒りを覚えたかのように私へと向かってくる。


 私の身体を難なく収められそうな巨大なあぎとが迫ってくる。

 その鋭い牙の先が私の顔へかかりそうになる直前、その動きが止まった。


 その動きを止めたのは、巨大な二つのかいなだった。

 真っ黒な隆々とした筋肉質の腕が、開かれた剛竜の上下の顎を掴んで止めていた。


 私の背後にある空間の歪み。

 その闇の中から、腕は伸び出ていた。


 これは、私が使える召喚魔法の一つだ。


「だから、死んでもらうよ」


 言葉を続けると同時に、剛竜の喉の奥が明るく光る。

 次いで、炎が口から吐き出された。


 その炎の流れる様をバリアの内から眺め、私は表情を引き締めた。




 城内には、感情が渦巻いていた。

 しかしながらそのどれもが、畏怖と興奮の二種類だけだ。

 それらの感情が喚起されたのは、広い中庭に横たわる剛竜の遺体のためである。


 その剛竜の頭。

 血に塗れたそれの前に立つ、同じく血に塗れた私を見て。

 父は震えていた。


 その目には恐怖がありありと浮かんでいた。


 父親としての誇りと威厳だけでは、今の私への恐怖を誤魔化す事ができなかったのかもしれない。

 もしくは、忘れかけていた恐怖を改めて認識したか……。


 私が一歩近付くと、父の顔が引き攣った。


 剛竜の討伐は、最低でもこの国の兵士全てを投じなければ成しえぬ事だという。

 その大半の犠牲を伴ってようやく討滅せしめるに至るとの事。


 たった一人、それも無傷でドラゴンを殺した私はもはや化け物以外の何物でもなかった。


 私という人間は、結局の所……。

 前世でも今世でも、両親に迷惑をかける事しかできないらしい。


 中庭に、パブリチェンコ先生が遅れてやってくる。

 それでも急いで来たのだろう。

 息を切らしている。


 しかしながら、酸素への渇望よりも私の姿に戦慄を覚える事の方が急務のようだった。

 先生は息を呑んで私を見た。


 やはり、先生であっても恐ろしいものらしい。


 私は先生に近付く。


「先生。竜玉を弟に……」


 言葉短く告げる。


 先生はハッと驚き、深く息を吐いた。

 もう、私に対する戦慄の念は消えたようだ。


「わかりました」

「お願いします」


 疲れた。

 部屋に戻ろう。


 そう思って歩き出す。


「姫」


 先生に呼び止められる。


「あなたは、お優しい方ですね。どのような事があろうと、私はあなたへの敬意を忘れません」

「ありがとうございます。でも、そんな大層な事じゃないですよ。家族のために自分にできる事があるなら、それを成すのは当然です」


 振り返って答えると、私は部屋へ戻った。




 それから、パブリチェンコ先生の手によって竜玉の薬が弟へ与えられた。


 投薬を始めてから三日後、ルドルフは今までの不調が嘘のように元気を取り戻していった。

 五日目には、もう自由に動けるようになり。

 一週間経てば、他の子供よりも少しだけ魔力資質が高いほどになっていた。


 パブリチェンコ先生の話によれば、もう命を脅かされる事はないだろうとの事だった。


 それから十日後。

 ルドルフの体が完全に健康な物となった事を確認した私は、城を出る事にした。


 あの一件以来、私と両親との距離は再び遠ざかった。

 少しずつ歩み寄ろうとしていた父も、もう私に声をかけようとしない。

 会う事があっても、私を怖がってか避けようとする。


 だから、出て行こうと思った。


 もう家族ではいられないだろうと思ったからだ。


 それから私は、スターリの辺境。

 他の五国と国境に面した森で、暮らすようになった。




 それから十年になる。


 その日はルドルフが一人で遊びに来た。


「……父は、姉上がどうしてあのような事をしたのか、存じております。そして、後悔もしております」


 雑談の合間、ルドルフは少しの沈黙を経てからそんな事を言った。


「だから……」


 ルドルフの言葉が途切れる。

 その続きは、恐らく帰ってきて欲しいというものだろう。


「ルドルフ。人の心は理屈で計れません。事の理由を知っていても、恐ろしいものは恐ろしいでしょう?」

「それは……」


 ルドルフは言いよどむ。


 その様子から見て、やっぱり父は今でも私が怖いのだろう。


「ま、そんな事はどうでもいいのですよ」

「姉上?」

「私は今の生活が気に入っていますからね。手放したくないんですよ、この生活を」


 そう言って、私は微笑んだ。


「毎日お酒を飲めて、何より弟がたまに遊びに来てくれる。これは、とても嬉しい事だよ」

「姉上……。わかりました」


 ルドルフも笑みを返したが、それは苦笑の類だった。


 それでも、ま。

 弟とこうして今も話ができるのは、純粋に嬉しい事だ。

 多分、切り札は作中で到着しません。

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