十五話 魔女と護符
ベルベットという魔女がいる。
スターリの国境付近にある森へ居を構える魔女である。
魔女と言葉を交わす事はまずないから、正確な事は言えないが……。
恐らく、魔女の中でも変わっている部類に入るだろう。
魔女はブロンゾ聖堂会にとって滅するべき邪悪と言われている。
しかしそれは、正確ではない。
ブロンゾ聖導会には邪悪は滅するべしという教義がある。
そして魔女とはその大半が悪魔と契約して力を得た者達であり、悪魔とは正しく邪悪な存在である。
その邪悪な存在から力を得ているからこそ、魔女も邪悪であるとされている。
ブロンゾには悪魔を退ける聖印という物があり、これには悪魔の力を弱らせる効果がある。
悪魔の力を行使する者はこれの近くにあるだけで力を失い、触れれば肌を焼かれて傷を負うのだ。
しかし、このベルベットという魔女は、聖印を前にしても弱る事がない。
それどころか、聖印に触れる事ができる。
なら、彼女が悪魔の力を使っていないかと言われると……それを断じる事ができない。
何故なら彼女は、悪魔と思しき存在を召喚する事ができるからだ。
だが、聖印に触れられるという事は、彼女の行使する魔力が悪魔を由来としたものでないという事である。
なら、彼女は邪悪な存在ではないのだろうか?
いや、悪魔の力を使っていないとしても邪悪な存在でないとは言い切れない。
邪悪の定義は、悪魔にのみ定義されるものではないからだ。
人としての在り方も大事な要素だ。
だからこそ、私はこの魔女を見極めようと思った。
ベルベットは、付近に住む村人から慕われている。
彼女自身も、自分を慕う村人達には親切に接している。
面倒見は良く、約束事を重んじる。
魔女らしく依頼を受ければ対価を要求するが、その対価として要求されるのは酒である。
どうやら、彼女は酒が好き過ぎるようだ。
しかし、これは欠点ではない。
何故なら、私もそうだからだ。
酒が好きで何が悪い。
……話を戻そう。
彼女は約束事を重んじているが、かといってそれに縛られているわけではない。
前に来た依頼者ゲルハルト殿は、依頼を口にする前に意識を失って倒れた。
そんな彼に、ベルベットはすぐさま駆け寄った。
そして、さも当然のように治療へ当たったのである。
迅速な行動から、彼女が人命を尊び、助ける事に迷いのない事がうかがえた。
彼女は依頼を受けていない相手からは対価を要求しない。
たとえ、自分がその依頼を達成させたとしても、依頼を受ける前であるならば対価を受け取らないようにしているらしい。
それは人として美徳となる行為であろう。
彼女は時折、奇妙な事を口にする。
妖怪という存在の話だ。
彼女は依頼を受ける際、どうにもそれらの問題を妖怪の仕業にしようとする傾向がある。
例えば、前に来た依頼者の話だが。
「魔女様。私は建築業を営む者なのですが、村にある橋について話をお聞きしたくここへ来ました」
「橋ですか?」
「はい。この付近の村には私の見た事のない橋があり、どうやらその橋はある人物が酒と引き換えにかけたものらしいのです。私はその方から、橋の作り方を学びたいと思います」
「なるほど。わかりました。それは妖怪の仕業ですね」
「え、いや――」
「恐らく、三吉鬼の仕業です」
「いや、だから――」
「三吉鬼は酒が好きで、酒をあげると喜んで力仕事を手伝ってくれる妖怪です。その正体は鬼神ではないかと言われ……」
と妖怪について語るベルベットに、執事のゲオルグが口を挟んだ。
「それはベルベット様の事ではありませんか? 先日、村で橋を直した御礼に酒を貰ったと申しておりましたから」
「そうでしたっけ? ……そうでしたね。そうですか、私ですか……」
ゲオルグの言葉に、ベルベットは少しがっかりした様子で大人しくなった。
長い付き合いなのか、ゲオルグはベルベットの抑え方をよくよく理解しているようである。
その後、ベルベットは建築業の男についていき、彼の住む町で実際に橋をかけて見せた。
私はそれに同行した。
確かにそれは見た事のない橋で、丸みを帯びた形をしていた。
穏やかな川の水面に橋が映って見えると、まるで真円のようである。
「アーチ。見ての通り継ぎ目すら無い美しいフォルムでしょう?」
とベルベットは得意げに言っていたが、どう見ても継ぎ目だらけである。
あれは何だったのだろうか?
他にも。
「魔女様。私の兄と婚約者は共に腕の良い医者なのですが――」
「わかりました。それは妖怪ドウモコウモですね」
「ええっ!?」
「だって、二人が自分の医者としての腕を競い合って、最終的にお互い同時に首を切り合ってどっちが早く相手を治せるかという勝負をしたんでしょう?」
「何ですか!? その狂気の沙汰!」
というよくわからない事も口にしていた。
彼女のよく口にする妖怪……。
いったいそれは何なのか?
それは悪魔ではないのか? とも思うが。
それを口にすれば……。
「違うわい! 一緒にしないで! 妖しくて怪しい、あやしさの塊みたいなあの呼び方がいいんでしょうが!」
と珍しく怒りを露わにした。
しかし、そういったよくわからない部分もあるが、なんとなく彼女の人となりや本質がわかってきた気がする。
彼女は邪悪ではない。
そう、私自身の心は告げている。
しかし、それでもまだ彼女を断じきれない自分がいた。
断じ切れないからこそ、私は迷いながらも彼女へ挑み続けている。
それはやはり、ブロンゾの教義が私にも根付いているからかもしれない。
魔女は邪悪である。
その考えがあるから、善良な魔女という矛盾した存在に納得できないのかもしれなかった。
そしてその懊悩は、思わぬ所で氷解した。
それはゲルハルト殿が倒れ、翌日にベルベットの家へ付き添い送り届けた時の事だ。
「聖騎士様は、何ゆえこの地に留まられているのですか? それも魔女様とは知己である様子」
「言いたい事はわかります。……私は、見極めている最中なのです」
「ほう……。ブロンゾの者が、魔女を見極める、ですか」
ゲルハルト殿は興味深そうに呟いた。
この老人は、どうやらブロンゾがどのようなものであるか知っているようだ。
身なりも良く知見もある。
村人とは根本的に違う。
恐らく、身分ある方なのだろう。
「ブロンゾの教義は邪悪を滅するというもの。魔女を滅するというものではない。だから、あの魔女が邪悪であるかを見極めているのです」
「その割に、魔女様とは親しい仲のように見えましたが」
「親しいなどとは……」
「長らくの親交があり、それでも答えが出ぬというのなら。もはやそれが答えなのではないですか?」
私は絶句する。
思いもしない言葉だった。
衝撃的であり、しかし抵抗を感じぬ言葉であった。
私は強く納得してしまった。
「かもしれませんね」
答える時、私は思わず笑みを作っていた。
この笑みは、安堵だったかもしれない。
彼女を滅する理由が消えた、その安堵だ。
その翌日。
私はベルベットの家に向かった。
すると、家の前で構えを取るベルベットと鉢合わせた。
いつも来てすぐに戦いを挑んでいたため、最近私が一人で訪れると彼女は家の外で待っている。
魔力で来訪を察知しているのだろう。
が、前のように遠くから拳を落としてくるような事はしなくなった。
これは彼女なりの誠意なのかもしれない。
「今日は、戦いに来たわけじゃない」
「そうなの?」
私が告げると、すんなりと彼女は構えを解いた。
信頼されたものだな。
私もベルベットの事は言えないが。
私もまた、きっと彼女を信頼している。
「じゃあ、お酒を飲もうか」
「……そう、だな」
断ろうかとも思ったが、恐らくこれが酒を酌み交わす最後になるだろう。
「帰る事にした」
「え?」
酒を飲んでいる最中に、私はそう切り出した。
「この地に、邪悪な者はいない。なら、聖騎士が留まる理由もない」
「そう……なんだ……」
私に向けていたベルベットの視線が外れ、下を向く。
器に揺れる酒の水面を覗き込むようにして、ベルベットは口を開く。
「急だね」
「のんびりとしているわけにはいかない。聖騎士は、人々のためにある存在だから」
「ふぅん」
会話が途切れる。
私は酒に口をつけた。
「寂しくなるね」
ぽつりとベルベットが呟く。
「そうだな」
驚くほどするりと、同意の言葉が私の口から出てくる。
それから酒を飲み、途切れ途切れに他愛ない会話を交わし、時間が過ぎていく。
そうして帰る際となり、ベルベットが私を呼び止めた。
「ちょっと待って」
ベルベットは家の奥に入っていくと、少しして戻ってくる。
それは布製の袋で、中身にぴったりと沿うように平べったくなっている。
口には紐がかかり、首にかけられるようになっていた。
「これは?」
「お守り。本当は、ヘルガちゃんに作ったんだけどね」
「いいのか?」
「ヘルガちゃんの分はまた作るよ。今は、離れていく友達に贈りたい」
友達、か……。
袋には見た事のない文字が刺繍されていた。
「これは何と書いてあるんだ?」
「厄除。悪いものを除けてくれるという意味だよ」
「聖騎士が持っていては、邪悪に相対せなくなるのではないか?」
私は苦笑して答えた。
「まぁ、そういうものじゃないからお役目には支障ないよ。そのお守りに、助けて欲しいってお願いすれば助けてくれる。そんなものだから」
「困った時にはそうしよう」
そうして私は、ブロンゾ聖導会の本拠地へと帰った。
本拠地へ帰った私は、今回の事を上役へと報告した。
聖騎士を束ねる騎士団長である。
「何だと!」
報告を聞いた騎士団長は激して声を荒らげた。
「すると貴様は、魔女を前にして倒す事も適わずおめおめと逃げてきたのか!」
「恥ずかしながら、力及ばす……。しかしそれで良かったと思います。あの魔女は邪悪な者ではございません」
「貴様がどう思うかなどどうでもよい!」
私の言葉を騎士団長は一喝する。
そして、ぶつぶつと呟き始める。
「ああ、なんという事だ……。この事が知れれば、聖騎士の権威が失墜する……。この事は他の司祭共に知れ渡り、追及しようとするだろう……。私の教皇への道が閉ざされる……」
表情を苦悩に歪ませ、しばらく考え込んでいた騎士団長は不意に顔を上げて私を見た。
「そうか……。ならばいっそ、これを利用するか。誰かあれ!」
騎士団長が声を張り上げると、部屋の外で警備に当たっていた聖騎士が二人、部屋へ入ってきた。
「キアラを捕らえよ」
「どういう事ですか!?」
思わぬ言葉に声を上げる。
その間にも、私は二人の聖騎士に組み伏せられる。
頬を地面に押し付けられながら騎士団長を睨み、問いの答えを待つ。
「聖騎士は邪悪に退けられる事があってはならない。敵わずとも、その時は命を賭すものだ。逃げる事は罪である。罪は罰せられねばならん」
「私は逃げたわけではありません! あの魔女は邪悪ではなかった! だから――」
「黙れ! 邪悪でない魔女など居るはずがないのだ! 連れて行け!」
私は二人の聖騎士に両腕を拘束されたまま立ち上がらされた。
「聖騎士は清廉なものである。その在り方も清廉であるべきなのだ。それを示すため、この汚点を速やかに雪ぐのだ」
部屋を出る間際、騎士団長のそんな言葉が聞こえた。
本来、ブロンゾで罰せられる者は審問を受ける。
しかし、その審問すらなく、私は火刑に処される事が決まった。
その日を私は、冷たい石牢の中で待ち続ける事となった。
聖騎士の装備を取り上げられたが、衣服を取り上げられなかったのは幸いだった。
ああ、神よ。
どうかあなたに忠実なる者を救いたまえ。
何度、そう祈っただろう。
その間、私にベルベットの事を伝えた魔狩人が面会に訪れた。
「キアラ様。このような事になろうとは……。私が不甲斐無いばかりに……」
彼は、今回の事に責任を感じているようだった。
「あなたの責任ではない。私は、私が正しいと思う事をしたのだ。これがその結果であるなら、致し方ないだろう」
すみませぬ、という言葉を残し、魔狩人は去っていった。
そして、火刑の執行される日が訪れた。
火刑台のある広場は、群集に埋め尽くされていた。
人がいないのは、火刑台へ続く道のみ。
そこを通る最中、群集は私に罵声を浴びせ続けた。
神よ。
神よ……。
私はその罵声を消し去りたい一心で、小さく呟き続ける。
そしてついに私は、火刑台にかけられた。
体が杭に固定されていく。
周囲に藁が詰まれる。
私はここで死ぬのだ、という実感が強くなり、比例してその恐怖が身を蝕んでいく。
神よ……。
恐怖に押しつぶされないように祈る。
そして不意に、ベルベットの事を思い出した。
彼女と過ごした日々の事だ。
楽しかったな……。
あの日々は……。
ベルベット。
私の友達。
藁に、火が点けられる。
助けてくれ、ベルベット……。
私は思わず、そう願った。
その時である。
私の胸の前に、魔法陣が浮かび上がった。
謎の魔法陣の出現に、周囲がざわつく。
そして……。
「デュワ!」
魔法陣から、一人の人間が飛び出した。
ベルベットである。
彼女は周囲を見渡す。
「えー、どういう状況……。ああ、だいたいわかった」
彼女が手を振ると、火のついた藁が吹き飛ばされた。
「さて」
再び手を振ると、彼女を捕らえようと近づいてきた衛兵達が巨大な拳によって殴り飛ばされる。
続いて、ベルベットは両手から雷を発する。
光と轟音が周囲を舐めるように走り、その場に居た者達が恐怖で倒れたり、蹲ったりする。
「我が名はベルベット! スターリの辺境に住まう、森の魔女! ベルベットだ!」
ベルベットは声を張り上げ、自分の素性を口にした。
「我が友キアラを害するならば、この雷光の餌食となると心得よ!」
言うと、私を拘束していた縄が刃物で切られたように解けた。
「行こう」
そう言って、ベルベットは私へ手を差し出す。
私は……。
その手を取った。
次の瞬間、ふわりと体を抱きかかえられた。
そのまま、ベルベットは空へ飛翔する。
瞬く間に地上にあった物が小さくなり、不意に上昇が止まったかと思えば高速である方向へ一直線に向かう。
これだけの速度で飛んでいるのに、不思議と風の抵抗はない。
「まさか、こんな事になるとはな」
「お守りの話?」
言うと、ベルベットは意図を察して答えた。
私は頷いて肯定する。
「いや、危機にもいろいろあるじゃない? 何かに襲われたとかだったら、相手を攻撃するとかバリアを張るお守りとかでいいんだけどさ。遭難して帰り方がわからないとかだったら意味ないじゃない? なら、私を召喚した方がいろんな事に対処できるからいいんじゃないかと思って」
実際、今回はそれで助かったし。とベルベットは笑う。
「ベルベット……ありがとう」
私はこの連日の事で疲れていたのかもしれない。
思えば、満足に眠れる日もなかった。
だから礼の言葉を告げてすぐ、眠りに落ちた。
ゲルハルトさんがどこの人なのかという設定はあるのですが、一応謎のままにしておきます。
水木先生の妖怪大全を資料として買ったのですが「これは妖怪の解説なのか?」と首を傾げたくなる説明がいくつかあって面白いです。
特に『いやみ』と『狐者異』。
絵もいいですね。
先生の描く小坊主が怖い。
あと、疱瘡婆のどこに婆要素があるのか謎です。




