十三話 魔女の書2
ある日の午後。
森に踏み入る人物があった。
「ん?」
「どうかなされましたか?」
その人物の姿を見た私が思わず声を漏らすと、ゲオルグが訊ねてくる。
「いや、うーん。明らかに人間じゃない人が来た」
「どのような?」
「体は人間みたいなんだけど……。頭が豚」
そういえば、そういう妖怪もいたな。
僧侶のお供としてガンダーラへ行くのだ。
「オークですね」
妖怪じゃなかったか。
わくわくしだした気持ちが一瞬で醒めた。
オーク。
一部の国では魔獣として扱われる種族だったか。
オークは蛮行を働く者が多く、危険な種族だというのが一般的な認識である。
「追い払いましょうか?」
「待って。ここへの道順を知ってるみたいだ。なら、お客さんだよ」
しばらく待っていると、家のドアがノックされる。
「魔女様。お願いがあって参りました」
そう、声がかかる。
その声に、敵意のようなものは感じられない。
むしろ、恐る恐るといった声のかけ方だ。
「どうぞ。お入りください」
すると、オークが家の中へ入ってくる。
彼はフードで頭をすっぽりと覆い、マントで完全に体を隠していた。
体つきはでっぷりとしていて、横にも縦にも大きい。
「あの、ここにくれば魔女様が願いを叶えてくれると訊いてきたのですが……」
「対価と願いの内容にもよりますが。とりあえず、かけてください」
私は対面の椅子を示す。
彼が恐縮したように縮こまって椅子に座ると、ゲオルグがどうぞとお茶をテーブルに置く。
「それから、フードも取ってくださって構いませんよ」
「それは……」
私が言うと、緊張した様子で彼は言葉を詰まらせる。
「あなたはオークでしょう?」
私が指摘すると、彼の体から少しだけ力が抜けた。
「ありがとうございます」
オークは礼を言って、フードを取った。
「僕の名前はアルノルドです」
「私はベルベットです。それで、西を目指す僧侶から旅に誘われているけど迷っているという相談でしたか?」
「え、違います。どこからそんな話に?」
「それはともかく、対価は払えますか?」
「何を差し出せば良いのですか?」
強張った表情で訊ねてくる。
そんな彼に、私はひっひっひと魔女らしく笑ってみせる。
「死後の魂でもいただきましょうかねぇ」
「そ、そんな! そればかりはお許しください!」
アルノルドくんは慌てふためく。
「代わりの物を……そ、そうだ! 故郷の村に伝わる秘伝のオーク酒です」
「あひゃっ……わかりました。あなたの願いを叶えましょう」
未知の酒!
私の心にクリティカルヒットである。
もう、どんな願いでも叶えざるを得ない。
「あ、それでいいんですね……。ありがとうございます」
「で、願いとは?」
「はい。実は……」
アルノルドくんは語り始めた。
「僕は役者として働きたいんです」
「働けばよいと思いますが」
私が答えると、アルノルドくんは左右に首を振って答える。
「簡単にはいきません。だって、僕はオークですから」
「オークだと問題が?」
「ええ――」
アルノルドくんが、答えようとした時だった。
家のドアが蹴り開けられた。
「たのもー!」
聖騎士のエントリーだ。
「森の魔女ベルベット、今日こそは……何っ! オーク! ……滅してくれる!」
キアラの持つ槍の先が、アルノルドくんへ向けられる。
切っ先を向けられた彼は怯えた様子で両手を上げた。
「お客様に何してくれる」
私はキアラへ接近すると、構えられた盾を弾くように叩いた。
盾を弾かれ、体勢を崩したキアラに向けて体内電気で攻撃する。
「ぎゃっ!」
まともに直撃を受けたキアラはその場で突っ伏した。
「えーと、まぁ……。こういう扱いを受ける事が多いんです」
アルノルドくんが言うには、オークというだけで偏見の目を向けられるのだという。
「元々、危険な種族だと言われていますから仕方ありません……。演技力には自信があるのですが、雇ってくれる劇団がないんです」
と、アルノルドくんは苦笑する。
「前は、雇ってくれた劇団もあったのですが……。ブロンゾ聖堂会がオークを邪悪な魔獣として認定してしまったので風当たりが強くなったんです。その劇団は、ブロンゾの影響力が強い地域で営業していました。団長は引き止めてくれたんですが、劇団に迷惑をかけたくなかったので辞めました」
「それはさぞ生きにくいでしょうね」
ブロンゾ聖堂会の本拠はシルバニアにあるらしいが、教会は各国に点在している。
この辺りの国々にまだ信奉者は少ないが、彼が嘆くのも解る。
そう思いながら、倒れたままのキアラを見下ろした。
「でも、希望がないわけじゃありません。ダマスクスでは、どんな種族でも忌避される事はないらしいので。そこでなら、僕も役者として生きていけるかもしれません」
アルフレドくんの国か。
「では、ダマスクスへ行けばいいのではありませんか?」
「ええ。僕も一度ダマスクスに移住しようとしたんです。でも……」
アルノルドくんは顔を俯けた。
その様子から、結果が芳しくなかったのがわかる。
「太っている事を理由に住民登録を拒否されました」
どういう事?
と思って詳しく訊くと……。
彼が移住の申請をしに役所に行った時。
「なんだ、そのだらしねぇ体は!」
「でていけ!」
とムキムキの職員に追い出されたらしい。
「入国に関しては寛容なんですが、住民となるには体型の審査があるらしいんです。中肉中背はぎりぎり大丈夫らしいんですが、僕みたいな肥満体型は完全にアウトなのです」
なるほど。
種族は問わない。
ただしマッチョに限る、と。
アルフレドくんの国、何かおかしな事になってない?
「それで、魔女様に体を鍛えてもらおうと思って」
用件はわかったけれど、何故私に頼る?
「普通に自分で鍛えちゃダメなんですか?」
「僕にはどうすれば、あんなバキバキボディになれるのかわかりません」
中肉中背が大丈夫なのなら、ダイエットするだけでいいのでは?
「その方法を探している時、耳にしたんです。この森には、どんな貧弱な坊やでも強靭な肉体へ生まれ変わらせる事のできる魔女が住んでいる、と」
あの国における私の立ち位置はどうなっているのだろうか?
「実際、今の王様が魔女様の教えによって無敵のボディを手に入れたと伝説になっています」
確かにそうだけど、私はあんな風になる事を想定して助言したわけじゃない。
「話はわかりました。あなたが太っているのは妖怪の仕業ですね」
「妖怪?」
「はい。きっと寝肥の仕業でしょう」
「はぁ……寝肥とは何ですか?」
アルノルドはいまいちよくわからない様子で訊ねてくる。
「眠っている間に人を太らせる妖怪です。その力で、あなたは太ってしまったに違いありません」
「子供の頃から太っていたんですけど……」
「あと、寝肥は女性に憑依する妖怪なんですけど。実は女の子だったりしませんか?」
「男の子です」
よくわからないという様子のアルノルドくんが答えると、ゲオルグが口を挟む。
「魔女様、ちょっと強引かと思われます」
「強引じゃないと今回は妖怪を絡ませられそうにないので」
「意地になって絡ませる必要はないと思いますが」
「私のモチベーションに関わります」
左様ですか、と一言答えてゲオルグは引き下がった。
まぁ、寝肥は寝ている間だけ太らせる妖怪だから絶対に違うんだけどね……。
いや、違う。
新種の寝肥かもしれない。
「ところで、オーク酒ってどんなお酒なんです?」
「これなんですけど」
アルノルドは瓶を取り出して答える。
「本来なら、依頼を果たしてからいただくようにしているのですが……一口いただいても?」
ポリシーよりも興味が勝ってしまった。
「どうぞ」
快く承諾してくれたので、一口いただく。
ああ、これはスコッチだ。
ちょっとやる気が出た。
その後、アルフレドくんが帰って少ししてからキアラが復活した。
「お客様に手は出さないでくれる?」
私は強めの口調で注意する。
すると、キアラは強い視線を私へ向けた。
申し訳なさは何も感じさせない視線だ。
「何を言う。全てのオークがそうだとは言わんが、犯罪へ走る邪悪なオークは多いんだぞ。だからしん……いや、なんでもない」
「?」
その後、キアラはうちで酒を呑んでから帰った。
それから数日、寝肥退治のためにいろいろと試した後、どうやら新種の寝肥でない事がわかった。
彼はただ太っていただけである。
なので、そのだらしねぇ体を絞る方向で依頼を果たす事にした。
となれば、私のにわか仕込みの知識よりも実際に研鑽を積んで肉体を作り上げた経験者に訊く方がいいだろうと思ったからだ。
私はアルフレドくんへ手紙を出した。
誰か、トレーナーになってくれそうな人を送って欲しいという内容である。
そして……。
「お久しぶりです。ベルベット様」
トレーナーの派遣をお願いしたら、鍛え抜かれた裸の王様が来たでござる。
「ええ……。陛下、あなたが来てしまって大丈夫なんですか? あと、何で上半身裸なんですか?」
王様ってそんな暇な仕事じゃないよね?
そんな格好で現れていい身分でもないよね?
「ベルベット様の頼みですからね。脱いでいるのは暑かったからです」
と言って、アルフレドくんは暑苦しくさわやかに笑った。
本当に?
見せ付けたいだけじゃないの?
「陛下がよろしいのなら、私から何も言う事はないのですが……」
まぁ、私のにわか仕込みの知識で無敵のボディを手に入れた当人なので、これ以上の適任がいないのは確かである。
トレーナーが来たので、村に滞在していたアルノルドくんをゲオルグに呼びに行ってもらう。
「よろしくお願いします」
呼ばれてきたアルノルドくんは、アルフレドくんに頭を下げた。
そんな彼をアルフレドくんはじっくりと吟味する。
その腕を掴んだり、肩を揉んだりする。
「あの……?」
「なんて事だ……」
アルノルドくんが不安そうにする中、アルフレドくんは私に振り返った。
「彼は、百年に一人の逸材かもしれない」
そして、スポーツ漫画のコーチみたいな事を言い出した。
視線をアルノルドくんに戻し、その両肩を掴む。
「君には可能性がある。誰よりも強靭な肉体を手に入れる事のできる可能性だ」
「ほ、本当ですか?」
半信半疑の様子で、しかし若干希望の勝った表情でアルノルドくんは問い返す。
「ああ。僕に任せてくれれば、必ず君は最高の肉体を手にする事ができる」
「……! お願いします!」
そうして、アルフレドくんによるアルノルドくんの肉体改造が始まった。
アルノルドくんは村に滞在し、そちらでトレーニングは行われている。
進捗状況は、毎回挨拶しにくるアルフレドくんから聞いている。
どうやら、順調らしい。
気になるのは、「僕も忙しいから時間はあまり取れない」と言っていたアルフレドくんが、毎日来る点である。
何なの?
どうやら国境付近の村に別荘を建てて、そこで執務を行えるよう整備したらしい。
私は私で、アルノルドくんのためにある物を用意しておく。
正直に言って、今回私は何もしてないし。
何もしていないのに報酬だけいただくのは少し気が引ける。
そんなこんなあって数ヵ月後。
二人の出来上がったマッチョマン……この場合はマッチョメンかな? が私の家を訪れた。
二人入ってきただけなのに、室温が上がった気がするし、部屋が狭くなった印象を受ける。
圧が凄い。
どういうわけか二人とも上半身裸である。
鍛え上げられたアルノルドくんの表情からは、おどおどとした印象が消えており……。
その分だけ、自信で満たされたように思える。
自信に満ちた筋肉質の男性が部屋にいると、自分の家のはずなのに自分が場違いな場所にいるように思えてくる。
マッチョ特有の固有結界だろうか?
「見違えましたね。アルノルドくん」
「そうですか?」
嬉しそうに声を弾ませ、アルノルドくんは訊き返した。
「彼はダマスクスへの移住を断られたそうですね。彼のように有望な人材を逃すとは、移住に関する仕組みを変えた方がいいかもしれませんね。そうだ。移住者に対する指導施設を新たに作るのがいいかもしれない」
アルフレドくんがマッチョ生産工場を作ろうとしている。
「でも、こればかりは仕方がありませんよ。決めるのは王様ですから」
「まぁ、そうだね」
HAHAHA、と二人は笑い合う。
……暑苦しい。
どうやら、アルフレドくんは自分の正体を教えていないらしい。
まさか、あなたが……という水戸黄門のような展開が後々ある事は間違いない。
「ありがとうございます。魔女様。あなたのおかげで、僕はダマスクスで役者になれそうです」
「いえいえ、今のままでは報酬を貰うのが躊躇われるくらいに私は何もしていません。なので……」
私は糸で綴じた本を二冊、テーブルに置いた。
「これは?」
「どう書けばいいのかわからないので、話の流れしか書いていませんが。一応、話の原案です。鍛え抜かれた体で演じるのに向いた話になっています」
生前に私が知っていた映画の内容をそのままパクった話である。
マッチョな俳優が活躍するハリウッドアクションだ。
娘をさらわれた元特殊部隊の隊員が奮闘する話と、家族にも自分の仕事を秘密している諜報員が家族との関係やテロリストとの戦いで頑張る話だ。
「ありがとうございます」
アルノルドくんは丁寧に脚本を受け取った。
その後、アルノルドくんから届いた手紙によると、彼は無事に役者として雇ってもらえたらしい。
小さな劇団だったらしいが持ち込んだ脚本を元に作られた劇は大ヒットし、すぐに一流劇団の仲間入りをした。
そして主演のアルノルドくんは一躍時の人となったらしい。
彼は私に頼った事を周囲に話し、私は今ダマスクスにおいて「筋肉をもたらす魔女」と呼ばれているそうだ。
嬉しくないが。
某強炭酸水の宣伝のせいで、バキバキボディという単語を使いたくなったのです。
あと、適当に名前を決めたら似た名前が二人になって分かり難くなりました。
すみません。
キア「オーク! 危険な奴だ……生かしておくわけには いかない……!」




