十二話 魔女と聖騎士 後編
家の外に倒れ伏したキアラを放置して、ヘルガちゃんを家へ招き入れる。
「これ、おみやげ」
と、ヘルガちゃんが持っていたバスケットごと中身を私へ渡す。
中にはアンナさんの果実酒が入っていた。
「ありがとう。今日は遊びに来たの?」
「うん。……ん? ううん、違うよ。お願いがあってきたの」
なんと、依頼だったか。
いつもは遊びに来るだけだから思ってもみなかった。
いったいどんな内容だろうか?
しかしどんな依頼であろうと、すでに対価となる果実酒はいただいてしまった。
魔女として断る事はできない。
まさかこんな根回し的な事をしてくるとは、ヘルガちゃんは恐ろしい子である。
「じゃあ、座って。お話を聞きましょう」
今日のヘルガちゃんは依頼主である。
私は口調を正す。
私の対面の椅子を示すと、ヘルガちゃんは困ったように椅子を見た。
彼女の身長からすれば、少しばかり椅子が高い。
「失礼します」
と、ゲオルグが抱き上げて椅子に座らせた。
「どうぞ」
「うん」
ヘルガちゃんは私に依頼内容を語りだした。
「えーとね、おうちで飼ってるお馬さんが元気ないの。どうにか元気になってほしいんだけど、いい方法がないかなって。お母さんが、魔女様に訊いて来てほしいって」
「なるほど。わかりました。それは妖怪の仕業ですね」
話を訊いてぴんと来た。
これは妖怪の仕業に違いない。
「え、本当? じゃあ、ヘルガのおうちに妖怪がいるの?」
妖怪と聞いて、ヘルガちゃんが嬉しそうである。
私も妖怪の仕業だと思うと嬉しい。
ヘルガちゃんとは本当に小さい頃からの付き合いで、会うたびによくよく妖怪の話を聞かせていた。
それもあってか、ヘルガちゃんは妖怪が好きである。
「ええ。恐らくは、蝦蟇か馬魔の仕業ではないかと」
「がま? ぎば?」
ヘルガちゃんは首を傾げながら復唱する。
「蝦蟇は大きい蛙。馬魔は魔女だと言われています」
「魔女様なの?」
「私ではありませんが。あと、シチュエーションが違いますね」
もし馬魔だとすれば、馬の命は無い。
馬がアッー! な状態になって死ぬのだ。
なら、蝦蟇の可能性が高い。
「今回は蝦蟇だと思います。蝦蟇は生気を吸うので、馬屋に住み着くとそこの馬が弱って最終的に骨になるらしいです」
「どうすればいいの?」
「蝦蟇そのものはそんなに強いわけではありませんので、普通の人間でも退治できます。馬屋を調べてみるようアンナさんに伝えてあげてください」
「わかった。お母さんに伝えとく」
それで解決だ。
さ、仕事モードの喋り方はここまでだ。
「ベルベット様」
ゲオルグが私を呼ぶ。
「本当に蝦蟇の仕業でしょうか?」
「私の見立てが間違っていると?」
「僭越ながら、未知の妖怪の仕業であるという事も考えられます」
まぁ、私の知識も全ての妖怪を網羅しているわけではない。
可能性は否定できない。
「どのような妖怪の仕業であっても対処できるように、一度出向いて馬の様子を診てみるべきかと愚考いたします。はい」
「確かに、その方がいいかもしれませんね。わかりました。行ってみましょう」
私は立ち上がった。
「魔女様おうちに来てくれるの?」
「うん。直接、私が馬を見に行くよ」
ヘルガちゃんはへにゃっと嬉しそうに笑う。
あら可愛い。
二人で家を出て、いざ出発、という所で立ち上がろうとしているキアラと目が合った。
「どこへ行くつもりだ……! まだ、私は負けていないぞ……!」
回復が早い……。
「邪悪なる者に……私は絶対屈しない……!」
一度決着はついたと思うんだけどな……。
私は体内電気を発射して攻撃した。
先手必勝である。
「あばばばばっ!」
キアラは体を痙攣させ、再び地面へ突っ伏した。
どうやら、あの盾に魔力を弾く力があるらしい。
武器を構える前に奇襲すれば簡単に対処できそうだ。
私はヘルガちゃんと一緒にアンナさんの家を訪れた。
「ああ。来てくれたのかい」
とアンナさんが私を見て声をかける。
「ええ。私の見立てによればその必要もないと思うのですが、一応」
「そうかい。魔女様に直接見てもらった方がこっちとしては安心だ。こっちだよ」
アンナさんに案内されて歩き出そうとする。
と、その時である。
「待て!」
全力疾走してきたのか、息を切らせたキアラが背後に立っていた。
ひぇっ……。
山姥のようにしつこい。
三枚のお札なんて私は持っていないぞ。
どうしよう……。
「魔女めぇ……!」
「あなたはあと!」
今にも襲い掛かってきそうなキアラへ咄嗟に一言告げ、私は馬屋の方へ向かう。
「逃がさんぞ!」
言いながら、キアラは私の後についてくる。
しつこいよ!
かの有名なヤンホモですらああ言われたらしばらく大人しくしていたよ!
すると、ヘルガちゃんがキアラの前に立ち塞がった。
「魔女様の邪魔しちゃダメ」
「なっ……」
ヘルガちゃんに止められると思わなかったのか、キアラは困惑した様子で彼女を見た。
「これから妖怪退治するんだから」
「妖怪?」
初めて聞いたであろう単語に、キアラは疑問符を頭に浮かべる。
そんな彼女の肩をアンナさんが掴んだ。
「あんたが誰か知らないが。魔女様はうちのお客だ。何かしようってんなら、あたしが容赦しないよ」
かっこいいよ、アンナさん。
とても頼りがいがある。
キアラも一般人には手を出すつもりがないのか、しぶしぶという様子で槍を下ろした。
構えていた槍と盾を後腰に提げた。
馬屋へ向かう私達の後へ続く。
「え、結局ついてくるの?」
「魔女が何かしでかそうとしているのなら。見張らなければならない」
攻撃してこないならいいけどさ。
例の馬屋へ案内される。
馬一頭が入るだけの小さなもので、材木の真新しさから最近作られた物である事がわかる。
当のお馬ちゃんはその馬屋から顔を出している。
当然だが農耕馬らしく、全体的に小さく足が太くて短い。
「さて、じゃあ……」
私が近づくと、お馬ちゃんは見知らぬ人間の接近に驚いたのか、狭い馬屋のさらに奥へ引っ込んでしまう。
ごめんね、と思いながら近づき、手を翳した。
「何をしている?」
「探知魔法で馬屋の中を探ってる」
咎めるような口調で訊ねるキアラに、私は素直に答える。
きっと、すぐに蝦蟇が見つかるはずだ。
……と思ったが、生体反応はこのお馬ちゃんくらいしかない。
あったとしても小さな虫ぐらいのものだ。
あれ、蝦蟇がいないぞ。
そんなはずはないんだけどな……。
でかけているのか?
いや、でも蝦蟇ってだいたい居座って獲物を待つイメージがあるんだけど……。
もしかしたら、私の見立てが違うのか?
別の妖怪かもしれない。
他は虫だけ……。
ハッ、ツツガムシか?
と思っていると、キアラがお馬ちゃんに近づいた。
手を差し出すと、それから逃げるように後ろへ下がる。
「臆病な馬ですね」
キアラは、アンナさんに対して丁寧な口調で言った。
その視線が馬屋の中をさらう。
「吐いた跡がある。下痢もありますか?」
「よくわかったね」
と、アンナさんは感心した様子でキアラに答える。
「この馬、胃を悪くしているのでは?」
キアラの発言に、私は思わずその顔を見た。
「何だ?」
私には辛らつに返し、睨み返してくる。
「いえ、これは妖怪の仕業です。きっとそうです」
「妖怪? 何だそれは? 悪魔の一種か?」
「ちーがーいーまーすぅ! 一緒にしないでください」
何なんだよ、という疎ましそうな目でキアラは私を見た。
「そんな事より、馬の調子を見てくれないかい? 妖怪以外に原因があるかもしれないなら、そっちも調べてほしいんだけどね」
と、アンナさんが言う。
「はい」
多分、原因は妖怪だと思うので、お馬ちゃんを調べても意味はないと思うんだけどな。
しかし、依頼主の注文には応えねば。
私はお馬ちゃんへ手を伸ばす。
本当によっぽど臆病なのか、お馬ちゃんは私の手から逃れようとする。
「大丈夫だよー」
と、ヘルガちゃんが飼葉を入れたバケツで誘い出し、撫でてあげると少しお馬ちゃんも落ち着いた。
私も少し慎重な手つきでお馬ちゃんに触る。
魔法でお馬ちゃんの体をスキャンした。
そうしてわかった事なのだが……。
どうやら、胃に炎症があるようだ。
「………………」
癒しの魔法を炎症の患部まで流動させ、直接癒す。
すると、みるみる内に炎症は治った。
「治りました」
「妖怪は?」
ヘルガちゃんが穢れ無き眼で私を見上げながら問うてくる。
「ヘルガちゃん。残念だけれど、妖怪じゃなかった……」
「そんなー……」
二人、妖怪ではなかった事に嘆き、表情を歪めた。
こうして気持ちを分かち合える相手がいるのは少し嬉しい。
「じゃあ、何だったんだい?」
「胃に炎症がありました」
「なんだい。じゃあ、そちらの騎士様の言った通りじゃないか」
むぅ、妖怪だと思ったんだけどな……。
「騎士団では自分の馬の世話もするので、たまたま似た症状を知っていただけですよ」
「へぇ、うちは初めて馬を買ったからねぇ。近所にも飼育している所はないし、どうしていいかわからなくってね。助かったよ」
治したのは私なんだけどな。
「お礼をさせておくれよ。酒でもご馳走するよ」
え、治したのは私だよ?
「酒、ですか?」
「酒は嫌いかい? ごめんよ。お礼と言えば酒って事が最近は多いからね」
「いえ、むしろ好きですが……」
おお、同好の士だったか。
私のキアラに対する好感度が少し上がった。
友愛の視線を向けていると、キアラはちらりと私を睨み見た。
「ああ、もちろん魔女様にも」
多分、キアラは私を警戒して見たのだろうが、アンナさんには別の意図として受け取られたみたいだ。
「えー、いいんですかー? ヘルガちゃんにもさっきもらったんですけど」
「あんなのここまで来てもらうための手付けだよ。飲んでいきな」
前金と成功報酬が別だったとは恐れ入った。
気前の良いお客様は大歓迎である。
「じゃ、決まりだね。うちにおいで」
「いや、しかし……」
キアラは言いよどむが、アンナは「いいから」と強引に家へ彼女を連れて行った。
私もその後に続く。
「民に危害を与えるわけにはいかない。ここは大人しくしていよう。しかし、まさか魔女と酒を飲む事になるとは……。……美味いな、この酒」
「そりゃよかったよ」
アンナさんの果実酒は確かに旨い。
他の村人から受け取る物の中でも、一際に味わいが深い。
恐らく村で一番だ。
おお、旨い。
決してこちらを見ないようにしつつ、キアラは歓待を受けた。
好きだと言うだけあってどうやらキアラはかなり酒に強いらしい。
酒に満たされたジョッキを次々と乾していく。
途中でアンナさんが、小さく切ったチーズをおつまみとして出すとさらに呑む速度が加速した。
酒もつまみも出てくる。
なんだここは?
バー・アンナか?
「お酒の備蓄、大丈夫なんですか?」
「魔女様への頼み事が増えたからね。最近は樽で作ってるんだよ」
本当にお店のようだ。
そして二時間ほど経過した。
「ヘルガちゃん。お馬さんは大事にしなくちゃダメなんだよ」
「うん。ヘルガ、お馬さんを大事にしてるよ」
「良い子だねぇ。お馬さんに悪い事すると、酷い目に合うらしいからね。塩の長司って人がいてね……。お馬さんの肉が好きで、たくさんの馬を殺して食べてたんだ」
「馬を食うとはけしからん奴だ。馬は騎士にとって友も同じだというのに」
ぷんぷんと、怒りが伝わってくるような声音でキアラが言う。
「で、そいつはどうなったんだ? 酷い目に合ったんだろ?」
「殺して食べた老馬に祟られて死んだよ」
機嫌良さそうにキアラは小さく笑った。
お酒が入ってから、少しだけ彼女の態度が柔らかくなっている。
「それにしても、立派な盾だね」
言いながら、私は盾に触れた。
よく見ると、大きな赤い印の他、周囲に見た事のない文字が盾の形に沿って円く彫られている。
「ん、触れるのか?」
若干驚いた様子で、キアラは言った。
「触れるけど?」
「ふぅん」
答えながら、キアラはジョッキへ口を付けた。
アンナさんがジョッキを持って奥からやってくる。
「言いにくいんだけど、酒が尽きた。これで最後だよ」
二つのジョッキが私とキアラの前にそれぞれ置かれる。
どうやら、バー・アンナはこれで店じまいらしい。
「じゃあ、ご馳走様でした」
「こっちこそありがとね。馬を治してくれて」
「また遊びに来てね」
看板娘に可愛らしくお願いされると、またこのお店に来ようと思ってしまう。
返事をして、私とキアラはアンナさんの家を後にした。
「さて、と……。どうするの?」
私はキアラから視線を外したまま、そう訊ねる。
「……今日は見逃してやる」
キアラは答える。
かなりしつこかったので、その答えは意外だった。
彼女の事だから、外へ出ればすぐさま襲い掛かってくるかと覚悟していたのに。
「だが、諦めたわけじゃない。……邪悪を滅するのは、ブロンゾの教義だ」
そして、彼女は私から離れていった。
歩む方角、その先には教会がある。
エドアルド神父の所で世話になるつもりなのだろう。
しばらく村へ滞在するようだ。
また、ひと悶着ありそうだな。
そんな事を思って別れると……。
翌日キアラは完全武装でうちに来た。
カチコミである。
彼女との戦いに勝利すると、その後は二人で酒を呑んだ。
話に妖怪を絡めるととっちらかってしまいました。




