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箱庭列車

作者: うたぎうた

 本作を手に取って頂き、ありがとうございます。

「迷った」


 青々とした木々が生い茂る森の中、そんな呟きが、風で揺れる葉の音や鳥の声に混じって消えていく。

 辺りを背の高い木々に囲まれているせいか、苔や小さな花だけが生えている少し開けた空間で、呟きの主である少女、ミアは項垂れていた。


 次いで辺りに視線を向けるも、見えるのは種類すら変わらない木ばかり。人が通った跡はおろか、獣道すら見当たらない。


 というか、この、森に自然と出来た空間に辿り着く前から、道らしい道などなかった時点で状況は推して知るべしである。


『元より行き先なんて決めてないんだから。森の中を探検しているとでも思えば良いじゃないの』

「そういうの今はいいから」


 そんな足を止めた迷える少女を救うでもなく、ただせっつくのはミアと契約を行いその身に宿っている悪魔、アドニスだ。


 彼ら悪魔は、この世界に満ちている力、”魔力”の集合体のようなものであり、人や意思のある動植物と結びつくことで存在する超常の存在である。


 現にミアと契約しているアドニスも、古くから存在する自称”霧の大悪魔”であり、非常に強力な力を持っているのだが……。


 良くも悪くも、人とは価値観が違うのだ。

 脳内に響く頼りにならない相棒の声を素気無く切り捨て、ミアは思考する。


「アドニス。上から今、どの辺りに居るか見てきてくれない? 白いモヤモヤになれば出来るでしょ?」

『あ、あのねぇ、ミア。仮にも霧の大悪魔である僕を顎で使うのは、まあ、契約しているから許すとして。白いモヤモヤ扱いするのはどうなのさ』


 ミアが出した提案はともかく、あんまりな例え方にアドニスが文句を言う。

 いいからさっさとやってよ、と無言の訴えをするミアに対して、アドニスは拗ねたのか『どうしようもなくなったらやるよ』と投げやりに返した。


 アドニスにとってこの旅とはあくまで長い生における暇つぶし、娯楽のようなものなのだ。ならばこの現状も一つの楽しみ。


 ミア自身そんなアドニスの考えを嫌という程理解しているせいか、特に無理強いはせず再び森の中へと踏み込むことを決める。


「これが”路頭に迷う”ってやつかな?」

『違うと思うなぁ。というか”路”すら無いし』


 しょうもない軽口に笑えない冗談を返され、ミアの口から乾いた笑いが漏れる。

 運を天に任せようと、適当に投げた枝が指し示す方向にいざ進もうとしたその瞬間——。


「うわっ!?」


 突如として風が吹き荒れた。


 叩きつけるような突風がミアの青い髪を散らし、服に波を起こす。

 スカートが翻ってしまわないように手で押さえて……などという年頃の娘がやるような反応は見せず、顔と胸の前に手を掲げ、飛んでくる小枝や砂を防ぎながら状況を把握しようとするミア。


 未だ目を開けるのも厳しい風の中、アドニスの声が

その正体を教えてくる。


『ミア、上だ。何かが通ったみたい』

「何かって……?」

『さあ。僕の知識だと、あれは空を飛んだりするものじゃなかったと思うけど。……どうやら、向こうからやってきてくれるようだよ』


 ようやく風が収まりミアが視線を上に向けると、そこには四角い箱のようなものが幾つも連なった、大きな白い蛇の姿が。


「失礼、旅のお方。どうも迷っているように見えましたので……よろしければ、乗っていかれますかな?」


 蛇がそんなことを言うのと同時、ミアの目の前に真っ白な階段が、その胴体から伸びてきた。



 恐る恐る階段を登ったミアは、蛇の体についた扉をこれまた慎重に開け、内部が建物のようになっていることを確認してようやく、警戒の度合いを少し下げた。

 そんなミアを見て怖がらせたと思ったのか。室内に居る初老の、豊かな白い髭を蓄えた男性が声をかける。


「先ほどは失礼いたしました。私はここを管理しております、ジャルダンと申します」

「ミアです。実は道に迷っていたので助かりました。どこへ行けばいいのやら、皆目見当もつかなかったもので」


 ミアの言葉に「それはそれは」と好々爺然とした笑みを返すジャルダンを見て、ミアは少しだけ訝しげにしながらも、すぐにその頬を緩めた。


 同時に、これまでは得体の知れなかった鉄の蛇に好奇心が湧き上がってくる。


 見れば一直線の通路の片側にびっしりと扉が並んでいた。いくつもの、部屋のようなものが取り付けてあるのだろうか。


『アドニス、これが何か知ってる?』

『これは列車と呼ばれる乗り物だよ。寝台列車、が正式名かな。もっとも僕の知るものとは少し違うようだけどね』


 ジャルダンが「お疲れでしょうから、部屋でお休みになってください」と車内を案内してくれる傍ら、気づかれないように内緒話をする二人。


 この世界は魔力の影響で発展の度合いが地域によって大きく違うため、このようなミアの出身地には無かったようなものが、ままあるのだ。事実、内装一つとっても、とても同じ時代に作られているとは思えないほど精緻な作りをしている。


 アドニスから列車とはなんたるかを聞きながらも、ミアはあちらこちらへと視線を向けていた。


 そうしているうちに客室へと着いたのか。ジャルダンが一つの扉の前で立ち止まり、入室を促してくる。

 その時になってようやく、ミアは大事なことを思い出した。


「あの、乗せてもらうだけでも助かるといいますか……。今はあまり持ち合わせがないので、お気持ちだけで結構です」


 見るからに豪華というか、凄すぎて価値の分からないような列車なるものに、ミアは路銀の不足を懸念する。そんなミアをまるで微笑ましいものでも見るように、ジャルダンが目を細めて言った。


「終わりのない空の旅、貴女のような客人の方が珍しいのです。出会いにこそ、値千金の価値がある。ですのでお代は結構ですよ」

「……えっと、じゃあお言葉に甘えて。一晩だけ、お世話になります」


 とっさに、そういうわけにもいかないと返そうとしたミアだったが、どうやら本心からの言葉だということが分かってしまったため、申し訳なく思いながらも厄介になることを決める。


 ちゃっかり一晩と言ったのは、それだけこの列車がミアにとって魅力的だったのだ。


「ええ、どうぞごゆっくり。何でしたら一晩と言わず、気の済むまで居てくださっても大丈夫ですから。遠慮せずに言ってくださいね」


 それが分かるのか、微笑みながら言うジャルダンに、表情の変化が乏しいミアも恥ずかしさから顔を赤くする。

 一礼して去っていくジャルダンへ律儀に礼を返すと、ミアはさっそく室内へと繰り出した。



 客室は外から見た列車の大きさにそぐわず、かなりの広さがあった。

 ミアが両手足を広げてもまだ余裕のあるベッドに、そのまま寝台として使えそうなソファ、それに見合ったテーブルに浴室までがあったと言えば、その凄まじさが分かるだろう。


 ひとしきり部屋の機能を堪能した後、浴室へと突撃したミアを体内から追い出されたアドニスが暇そうに待っていた。


「おかえり、湯加減はどうだった?」

「ただいま。最高だった。アドニスがたくさんいたけど」

「それ湯気だよ」

「知ってる」


 機嫌が良いのだろう、鼻歌交じりで冗談を言うミアに、アドニスはそりゃ良かった、と肩をすくめる……ような雰囲気を出す。霧の悪魔の肩がどの辺りかなんて、流石のミアにも分からないのだ。


 再び体内の魔力にアドニスを戻すと、ミアは思いっきり手足を開きながらベッドに倒れこむ。


「一日じゃ物足りないかも」

『あの爺さんなら、言葉通りいつまでも居させてくれそうだけど?』

「ううん、多分これ帰りたくなくなるやつだと思う。だから、一日で我慢する」


 柔らかい感触に全身から力を抜いて癒されながら、そんな殊勝なことを言うミア。


『その方が退屈しないから、僕は良いけどね』

「……」

『あらら。お休み、ミア』


 森を歩き回ったり、列車を見てはしゃいだりしたせいか、既に浅い眠りに入っているミアを見てアドニスも眠りにつこうとする。


「お休み」


 その言葉を最後に二人は一日を終えた。



 久々にきちんとした寝床でぐっすりと眠ったおかげか。翌朝、ミアはすこぶる爽やかな気分で目が覚めた。

 心なしか、普段は座ったままの碧眼にも力と輝きが見られるほどだ。


 そんなミアは昨日のうちに決めていた、列車の見学と疑問の解消を行うべく、他の車両へと足を伸ばしていた。

 先頭の車両に居るだろうジャルダンを後回しにし、最後尾の車両から話を聞いていく。


 最初に話を聞いたのは、仲の良さそうな老夫婦だった。


「おや、こんにちはお嬢さん。何の用かな? ……私たちがどこに向かっているのか? それを聞いてどうするのかは分からんが、まあ良いか。


 私たち夫婦は小さな村の、これまた小さな畑で野菜なんかを育てて生活していたんだがね。一人息子が街へ出て行ってしまってな。


 私たちももう良い歳だし、土地は痩せていくばかり。これからどうしようかと思っていたんだが、そんな折にジャルダンさんがやって来てね。

 気分転換に旅行はどうだなんて言われてホイホイついてきたのさ。


 だから行き先なんてありゃしないんだよ。隣の部屋なんかには、小さな農園まであってなぁ。本当に良いところだよ、ここは。


 いつまで旅行するのかって……そうだなぁ。取り敢えずこれが何処かにでも停まったら、その時に考えるさ」



 次は、指を絵の具で汚した若い女性。


「なんでここに居るのかって?

 あんまり他人には言いたくないんだけど……失恋してさ。もう何もかもどうでも良いやってなってた時に、ジャルダンさんに趣味にでも没頭して男のことなんか忘れろって。


 実際あの人の言う通り、ここから見える景色を見ながら絵を描いてたら、もうどうでも良くなっちゃった。


 隣の部屋? えっと、今までに書いた絵を置いてあるんだけど、ちょっと描きすぎて足の踏み場も無いっていうか。……ってなんだ、見たいわけじゃないのか。


 新しい相手は見つけないのかって? うーん、まだちょっと気分じゃないかなぁ」



 次は、迫力のある彫りの深い男性。


「俺は狩りで生計を立てていたんだが、足を怪我しちまってよ。

 これから先、どうやって飯を食っていこうかと思っていたら、静かな場所があるからそこで療養してみたらどうだって言われてな。


 あん? いつからここに居るのかって……覚えてねえな。でも怪我が治ってないってことは、大して経ってないんだろう。しばらく狩りにも出てねえし腕が鈍るなぁ……。


 そうだ! 俺もジャルダンさんに頼んで、他のやつらみたいに運動場でも作ってもらうか!」



 その後も次々と話を聞き出したミアは、自室から荷物を取ると直ぐに最後の部屋へと向かった。

 そんなミアにアドニスが声をかける。


『認識の阻害に、空間の拡張、果ては記憶の改竄か。こんな物が空を飛んでいる時点で、かなりの大物だとは思っていたけど。僕ですら比べ物にならない格上だね、これは。魔法の規模が段違いだもの』


 万能の力。あまりにも魅力的なそれを昔の人は魔性の力と呼んだ。人々はそんな魔力を、法則で縛ることによって自分たちでも扱えるようにした、これが俗に言う魔法なのだが……。


 この列車に掛けられているものは、その魔法を使いこなすミアやアドニスをして規格外と言わざるを得ないものばかりだ。

 それでも歩みを止めないミアが、ぽつりと呟く。


「まるで”箱庭”みたい」

『”箱庭”って、あの箱庭? ……なるほど、言い得て妙だね』


 やがてたどり着いた最後の扉を、ミアは叩く。



「どうされましたか、ミアさん」

「聞きたいことがあって」

「聞きたいことですか? 滞在許可でしたら、昨日も申し上げた通り。遠慮されることはありませんよ」


 ミアの台詞に首を傾げるも、直ぐに人好きのする笑みを浮かべてそんなことを言うジャルダン。それを遮るように、きっぱりとミアは疑問を口にした。


「ここに居る乗客は、私一人だけ。違う?」


 そんな言葉を聞いて、しかしジャルダンは笑顔のままだった。だが、確かに纏う雰囲気が変化したのをミアは見逃さない。

 表情を変えずジャルダンが言葉をつなぐ。


「他の方々とは、直接会って話をしたのではないのですか? それとも彼らは全てまやかしの類いだと?」

「ううん。皆生きている。本物だと思う」


 試すような言い方に、はっきりと否定を返すミアは確信を持って答えを告げる。


「でも彼らはこの箱庭の住人で、列車の乗客ではない」

「……箱庭、ですか」

「そう。皆が自由に付け足して作った、好きなものばかりで出来ている。そんな閉じた世界」


 ミアの言葉に、ジャルダンは黙ったままだ。


 ミアが話を聞いた、その誰もかれもが、この車両で思い思いに過ごしていた。

 そこは以前までの辛いことなど何もなく、時間にも空間にも縛られず好き勝手に生きられる理想郷。


 しかしどこまでも停滞した、完結した世界だ。

 ゆっくりと一度、瞬きをしたジャルダンがミアへと尋ねる。


「どこで気づかれました?」

「ここの人達の話を聞いたのが決め手だったけど、本当は最初から」

「最初から?」


 眉をひそめるジャルダンに、苦笑混じりにミアが言う。


「乗り物なら、行き先を聞かないのは変でしょ。その時から、何かがおかしいなって」

「なるほど、それはまた。長らく聞いていなかったものですから……迂闊でした」


 盲点だった、と観念したのか同じように苦く笑うジャルダンは、今度こそ。


「それで……何が目的ですか?」


 剣呑な光を瞳に宿し、射抜くような視線をミアへと向けた。


 アドニスの言った通り、超常の、それも遥か格上の存在なのか。溢れ出す魔力で辺りを歪ませながら、ゆっくりとジャルダンは語りだす。


「もしも、こんなことは止めろと言うのであれば、残念ながらそれはお受けできません。迷い人の前に現れるこの列車の管理こそが、私の存在意義でありますので」


 言葉を裏付けるように、魔力が圧を増していく。障害となるのなら、力づくで排除するということだろう。


 いくら悪魔を宿すとはいえ、その悪魔が格上と称する存在に勝てる道理はまずない。

 空間すら息苦しさを訴えるような室内で、しかしそれを向けられるミアはゆっくりと首を左右に振った。


「そんなことはしない。というか出来ない」

「よく分かっているではありませんか。貴女も命を粗末にする愚か者では……」

「違う、そうじゃない」


 実力差を分かる頭はあったか、と早合点するジャルダンにミアは否定の言葉を重ねる。


「もしもあなたが彼らをただ捕らえているだけなら、私は最後まで抵抗したと思う。蛮勇でも、振るわないよりはずっとマシだから」

「……では、何故そうしないのです?」


「あなたに立ち向かう勇気はあっても、彼らの箱庭を壊す勇気はなかったから。だから、私は何もしない。出来ない。それだけ」


 そうして見事に言い切った。


 そんな少女に、ジャルダンは何度目か分からない問いを投げかける。


「では、本当に何のご用で?」


 疑問顔のジャルダンとは違い、晴れ晴れとした様子でミアは用件を伝えた。


「一晩お世話になったから、そのお礼に。あと、どこか適当な所で降ろして下さい。私は列車に乗っていたので」




「ここでよろしいでしょうか」

「ありがとうございます」


 地面へと足をつけたミアが、上を見上げてお礼を言う。

 既に列車から伸びていたステップは消されており、窓から顔を出すジャルダンの姿すら視認しづらい中、声だけがお互いに届いていた。


「さようなら旅人さん。貴女との出会いは、確かに黄金よりも価値があった」

「どういたしまして。もう二度と会わないとは思うけど、元気でね」

「ええ、そうなることを祈っています。お元気で。貴女の道行きが、迷いなきものでありますよう」


 最後にそんな言葉を言い残すと、白い列車は来た時とは打って変わって、静かに、そして高速で空へと消えていった。


 それを見送るミアに、アドニスが今更なことを聞く。


『良かったのかい? あの悪魔を見逃して。きっとまた、どこかで人攫いに勤しむよ』

「悪魔の言う台詞じゃないね」


 らしくない言葉にミアが笑う。ミアとて、そのことを考えなかったわけではない。

 ただ、一つ思ったことがあるのだ。


「悪魔だったのかな?」

『…………』


 あの箱庭を生み出す列車は、迷い人の前に現れると言っていた。ならば、彼らをあの列車に誘ったジャルダンの存在は、彼らにとってどう映るのだろうか。


 自分たちを連れ去り、閉じ込めた”悪魔”なのか。

 それとも……。


 ミアの言葉に、思わず黙ってしまったアドニスは、嫌なものでも聞いたと言うように、


『良い人だったね』


 と吐き捨てた。おそらく人の良いという意味では無いだろう、皮肉たっぷりな言葉にミアも思わず笑ってしまう。


「優しい人だよ。私にとっては、良い人だったけど」

『ふーん?』


 ミアが後ろを振り返ると、そこにはいつかの森が広がっていた。つまりはまぁ、そういうことだ。


 少なくともミアは降りられた。

 ならば、可能性はゼロではない。



 正面に村が見える。

 今度はどんな出会いと不思議が待っているのだろうか。

 遠くの景色に心を躍らせ、ミアはゆっくりと、前へ向かって歩き出した。

 お読み頂きありがとうございました。

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