川越巡礼
今年も豊作の様だ。
逢魔ヶ時に照らされた畑の稲穂は瑞々しく青い。
畑に突き替えた七夕の若竹が初々しく青い。
「あぁ野狐さん、今年も雷さんは避けて行きますかなぁ」
「行くだろな」
武蔵の中でも川越は人と神が折り合い良く暮らす国だろう。
近代化が進む町の中でも此処は古き良き処が廃れず残っていて、特に荒川沿いは未だに田園が広がり静かに伝統が護られている。
伝統とは神を忘れない祀り事。
例え形や物語は忘れても伝える事が大事。
「今年も豊作ですかなぁ」
「そうだな」
願いを込めて飾られる七夕の竹はそのまま畑の願いを込めて植えられる。
いも畑に差せば虫除けに、田んぼに差せば雷避けに、短冊を着ければ盗難火災避けにと効果は無限だ。
今を生きる人にはただの儀式だろうか。
田を護る物の怪には実の入りはいまだ死活問題である。
「それはようござんした。ところで野狐さんどちらへ行かれますかなぁ」
「宛はない。気の向いた処に押し掛ける」
「それならハバキ様の処に行かれて下さんせ。ワシはこの通り田畑を見とかんといかんで、ハバキ様へ初物供えて欲しいんですわ」
「良いだろう」
手土産も出来たし、今日はハバキ神にやっかいになるとしよう。
「ダイレンジ火、足元照らせ」
ふらふらと漂う火の玉を捕まえて提灯代わりとする。ここの火の玉は大連寺というお寺で最初に見つかったからダイレンジ火と呼ぶのだ。
昔はすれ違う人の殆どが見て驚いたり泣いたりしたものなのに、今じゃ振り替える人も居ない。
もっとも光の絶えない今はダイレンジ火の方がか細い光の粒なのだ。
それでも宵中の社はほの暗い。
そこに神が居ると尚更暗い。
所謂、神域というやつだ。
「もぃし、ハバキ神は息災か」
今宵の宿は下老袋のハバキ様。