第5話 麻桐(姉)と食卓
(前回までのお話)異世界に『悪魔』として召喚された槙矢。ユリカと名乗る少女にかけられた魔法封じを解いたのもつかの間、新たに現れたのは――
その人は麻桐リリナと名乗った。
部屋での騒動に顔を見せたリリナは、ユリカから事のあらましを聞くと、槙矢たちを招いた。
麻桐邸の食卓。割と現代的な内装の部屋――西洋風建物の町並みを見たのと、異世界ということから中世のイメージがあったのだが、ひょっとしたら槙矢の元いた世界とさほど変わらない時代なのかもしれない。
席につく槙矢。ヘイゼルとレオは後ろで控えていて、アグレスは静かにお座りしていた。ユリカはこの場にはいなかった。
リリナは食卓にスープとポテトサラダ、パンの入った篭を置き、お茶とおぼしき飲み物を用意する。
赤毛をショートカットにしていて活動的な印象を与える女性だった。こざっぱりしていて、背が高く、キリリとした顔立ちはどこかキャリアウーマン的な美しさがある。聞けば彼女はユリカの姉で、現役の対魔戦闘士なのだという。
「対魔戦闘士、ですか」
「ええ、化け物退治の専門家です」
リリナは穏やかな笑みを浮かべた。声に艶があって、聞いていて心地よい。姉がこうなのだから、妹のユリカももう少し好意的なら好感が抱けるのに、と槙矢は思う。
「すると悪魔なんかも退治の対象ですか?」
「そうですよ」
笑顔でリリナは告げた。目の前の槙矢は、悪魔と呼ばれているが、はたして退治されてしまうのか。槙矢は緊張した面持ちになる。
「俺も、ですか?」
ユリカから悪魔だと聞かされているのだ。リリナもむろん、それは承知しているはずだ。
「あなたは別ですよ、シンヤさん」
「何故です?」
「あなたはシーンヤー……そうでしょ?」
「そう言われてます」
「シーンヤーは恐るべき悪魔であると同時に、聖教会の定める天使でもある」
(天使?)
槙矢は面食らう。悪魔であると同時に天使とか意味が分からない。……ひょっとして堕天使とかそういうのだろうか。そういえば、かの悪魔王サタンは、もとは神の使い、天使だったという話を聞いたことがあるような――
「……それに」
槙矢の物思いを破るように、リリナは言った。
「シーンヤーは我が麻桐家の守り神ですから」
「守り神?」
「私が子どもだった頃、あなたにお会いしたこともあったのですが……覚えてらっしゃらない?」
「ぜんぜん……」
覚えているとかそういうレベルではなく、知らないのだが。そういう槙矢に、リリナは少し寂しそうな表情を浮かべた。
「……父からあなたの話はいろいろ聞かされました」
リリナは視線を壁に立てかけてある写真立てに向ける。
(写真があるのか……!)
ますます時代が近いことを予感させる。その写真には色があった。なかなかイケてる顔の魔法使いらしい男と、ふたりの赤毛の少女が映っていた。少女は……リリナとユリカだろうか。
「父、麻桐ユウヤはあなたのことを、とても女性にだらしなくて、変態ではあるが、根はいい奴であり、勇敢な相棒だったと言っていました」
「ずいぶんとひどい言われようですね……あと、俺はあなたのお父上のことは知りませんが」
真顔で言う槙矢。会ったことない人間に、変態扱いされるのは気分が悪い。シーンヤーが心の底から自分とは別人であることを望む。
「あと、嘘つきであることも聞いてます」
リリナは小さく笑った。
(駄目だ、この人も都合の悪いことは嘘で片づけるつもりだ……)
いったい誰なら話を聞いてくれるのか、途方にくれる槙矢である。
「まあ、召喚されてしまった以上、シンヤさんも大変でしょうが妹をよろしくお願いします。その間、この家を提供しますから。自由に使ってください。部屋も空いてますし」
「それはどうも」
槙矢はリリナの提案を受ける。異世界であてもない槙矢にとって、とりあえず寝泊りできる場所があるのはありがたいことだった。出てけと言われたら、はたしてどうすればいいのか想像もできない。
「でもリリナさん。自分で言うのもなんですけど、悪魔なんかを家に泊めて大丈夫なんですか?」
「まあ、監視の意味もこめて、ですかね」
リリナは口元をゆるめた。
「もしあなたの存在が危険だと判断すれば、戦うことにもなるでしょう。正直、勝てる気がしないのですが……。お願いですから、この町で暴れないでくださいね」
「そんな気はありませんよ」
シーンヤーがいかに伝説の悪魔だろうと、槙矢はこの世界でちょっと魔法に目覚めただけの人間に過ぎない。対魔戦闘士がどれほどのものかはわからないが、戦いなんて冗談ではなかった。
「さあ、槙矢さん。スープをどうぞ、冷めてしまいます」
「ありがとうございます。いただきます!」
槙矢はスプーンを手に、どろりとした乳白色のスープをかきまわす。ポタージュみたいだった。スプーンですくい、それを一口。とろみが舌の上で踊り……。
「△☆っ◎★※〇ッ!」
(なんじゃこりゃゃぁっ!)
はっきり言って不味かった。まさか、これは毒じゃないのか。微笑みの裏で悪魔を殺す気まんまんなのでは――
槙矢が目を剥いていると、リリナは小首をかしげた。
「お口に合いませんでしたか?」
そういって、自分の分のスープに口をつけるリリナ。同じ食材、同じ鍋からよそったものだ。それで平然としているということは、毒ではないだろう。ではあれか。味覚オンチというやつか。
「……そういえば、ユリカはどこへ?」
「あの子は部屋ですよ」
リリナは答えた。
「何だかわたしと一緒に食べるのが嫌みたいで……一人で食べてます」
「そうなんですか……全部?」
「ええ。あの子は一人で食べるようになってから残すことがなくなって。……前は好き嫌いが激しかったんですけど」
(好き嫌いの問題じゃないなーこれ)
槙矢は心の中で本音を漏らす。パンをつかみ、かじる。固めだが、ふつうのパンだった。
(きっとユリカのやつはパンだけ食って、後は捨ててるんだろうな)
槙矢は行儀悪いと思ったが、舌を出してひとさし指で撫でる。
(魔法で何とかならないのかな、これ)
味覚を操作。味覚を、遮断、と――
スープをもう一口。うん、うまい――わけがなかった。
(うげぇ、味を感じなくなったら余計まずくなった。なんだこれ、口ん中に砂が入ってるみてぇ)
槙矢はスプーンを置いた。
「ヘイゼル」
「はい、マスター」
メイドさんが進み出た。
「料理はできる?」
「もちろんです、マスター。東西南北、あらゆる料理に通じています」
「じゃあ、次からは君が作ってくれると嬉しい」
「承知しました」
「あの……」
リリナが困惑した。
「口に合わなかったでしょうか?」
「ええ、とても」
槙矢は素直だった。美人の作る料理。相手の気を引こうものなら、それがどんなにまずくとも、美味しいと言うだろうが、あいにくと槙矢はそこまで勇者ではなかった。
「失礼ですけど、悪魔の舌を唸らせるほどではありませんね」
別の意味で唸っていたことは――言うまでもない。リリナはがっかりした。その悲しそうな顔に胸が痛むが、胃が痙攣したり腹を壊すよりマシである。
と、突然、眩暈を覚えた。脱力感が押し寄せてくる。
(ひょっとして、マジで毒……だった……?)
視界が暗転し、槙矢は机に突っ伏した。
次回、明日20時30分頃、更新予定。