第4話 麻桐ユリカと魔法封じ
麻桐ユリカ。十七歳。
父親は対魔戦闘士と呼ばれる魔法使い。母親は聖教会の元武装シスター。いまは両方とも故人。姉が一人いて、現在二人暮し。
それが槙矢を異世界に召喚したユリカという少女だった。
「まあ、何でも言いから、はやくわたしを魔法使いにしてよ」
アグレスを交え、ヘイゼルとレオを紹介した後、ユリカはそう言い放った。槙矢は押し黙る。
「なに、その反抗的な目は?」
「俺だって人間だ」
槙矢は不満を声に出した。
「わけもわからず呼び出されて……」
「悪魔の弁舌なんて聞く気はないわ。要点だけ言ってくれる?」
ユリカは笑顔の一つもなかった。
(そう、それだよ、その態度……)
槙矢の苛立ちの原因はそれだった。可愛い顔をしているのだ。せめてもう少し、柔らかな物腰であれば、手伝ってあげようという気にもなるかもしれない。ユリカの態度は、かえって槙矢のやる気を削いでいた。
「何かを頼む時に、そういう態度はよくないと思う」
「悪魔に媚びろ、ですって? 馬鹿にしないで」
ユリカは突っぱねた。
「わたしは悪魔崇拝者ではないし、悪魔に取り入って逆に食べられるようなマヌケじゃないの。確かに悪魔によっては媚びたり、あるいは誠実に対応した方がいい場合もある。けどあなたは違うでしょ?」
うわ、何だろう。物凄く正論言われてる感じだ。だが、いざ自分の立場だと納得いかない槙矢である。
「いや、誠実に対応された方が、俺も誠実になれるんだけど……」
「あなたは召喚者が女であれば、何だってするんでしょ、この変態」
グサッと来た。面と向かって言われると、さすがにへこむ。
「わたしは悪魔に媚びるほど、落ちぶれてはいないのよ」
そんなのプライドが許さない――ユリカは厳しい顔。
アグレスが口を挟んだ。
「でも悪魔に頼ってる」
「……」
「シーンヤー閣下を召喚した」
「うるさい駄犬。うちで面倒見てあげてるんだから、余計なこと言わない!」
アグレスは黙る。槙矢は口をへの字に曲げた。いまのところ、この女に好感を抱く要素が何一つないのだが。
「死に物狂いなのよ……わたしは」
ポツリと、ユリカはつぶやいた。悪魔を呼び出してでも叶えたいモノがある――
槙矢はそれを深く追求する気にはなれなかった。もうこうなったら、さっさと彼女の願いを叶えて元の世界に帰るだけだ。
「あー、わかったわかった。願い事を叶えればいいんだろ」
槙矢は投げやりである。
「で、何だっけ? 魔法使いにしてくれ、だっけか」
「そうよ」
ユリカは胸を張った。十七歳にしては発育が残念な胸だった。
「少し魔法のことわかってきたけど、魔法使いにするって、具体的にどうやればいいんだ?」
火を起こすのとはわけが違う。魔法は、頭に思い描き、文字にして、物体に投影とノートに書かれていたが、魔法使いにするとは、どう想像しろというのか。三角帽子をかぶって、マントと箒があれば魔女――にはならないだろう。それではただのコスプレだ。
「ま、さすがの悪魔でもそんな便利な魔法はないのね」
ユリカはどこか嘲るように言った。少しカチンときたものの、彼女の言い分は間違っていないので黙っておく。するとユリカはセーラー服っぽい上着に手をかけた。
「おい……!」
槙矢が目を瞠る中、ユリカは上着をまくり……そのまま脱ぎ出した。
「ちょっ、待て……!」
「なに期待してるのよ! こ、これ以上はしないわよ!」
ユリカは顔を赤らめ、胸元を手で隠しながら背中を向ける。なだらかな背中のラインが何とも艶やかで、槙矢は思わず生唾を飲み込んだ。
「なんで……脱いだんだ?」
「脱がないと見えないからよ」
ユリカは背を向けたまま、視線を向けてくる。
「ほら、背中……見える?」
「……?」
槙矢はじっとユリカの背中を見つめる。うっすらと、模様のようなものが浮かび上がってきた。
「魔法陣、か……これ?」
「よかった。あなたには見えるのね」
安堵したようにユリカは言った。
「わたしにも見えるんだけど、他の人には見えないらしくて」
「これは?」
「魔法封じ……そうよね、アグレス?」
「左様。おそろしく複雑にして難解。強い魔力のこもった封印である」
「ふうん……」
槙矢はユリカに歩み寄り、背中の模様をしげしげと見つめる。赤い円の中に、なにやら読めない文字のような記号がびっしりと刻まれている。一つ一つの形に何の意味があるのかさっぱりだったが、言われてみればそれっぽい。
「魔法封じってことは……これのせいで魔法が使えないのか?」
「制限されているの」
ユリカは答えた。
「わたしが使える魔法は学生レベル……」
「幼児レベル」
アグレスが訂正した。するとユリカは怒鳴った。
「この駄犬! 黙ってなさいよ。この魔法封じ解いてくれなかったくせに!」
「我輩、やってもいいって言った」
ゴールデンレトリバーは顔をそむけた。
「でもユリカは断った」
「当たり前でしょ。解く代わりに『魂』を寄越せ、なんて、そんな契約呑めるもんですか!」
「アグレス?」
槙矢は思わずアグレスをにらんだが、彼は肩をすくめた。
「我輩、悪魔ですから。魂と契約は習性でございます。……それを受けるのも断るのも相手の自由です」
悪魔、契約、魂――犬の姿をしたアグレスが、初めて悪魔に見えた。悪魔と契約なんて、ふつうに考えたら嫌だよな、と槙矢は思った。
「解ける……?」
不安そうな声に、槙矢は顔を上げる。あれだけ突っぱねた態度をとっていたユリカが、すがるような視線を向けてくる。弱々しい小動物のような瞳。気のせいか、ユリカの身体が震えているように見えた。
(なんだ……結構、可愛い顔もできるじゃないか)
ユリカの視線にもやもやしたものを感じ、槙矢は顔をそらした。
「どうかな……消せる、かな」
槙矢は手を伸ばし、ユリカの背中の模様に触れる。
「っ……!」
ビクリとユリカの背筋が伸びた。そうした反応されるとこちらも緊張してしまう。
「マスター」
唐突にヘイゼルが口を開いた。ずっと沈黙を守っていたから気にしていなかったが、見れば、ヘイゼルとレオが何か言いたげな顔をしていた。
「よろしいのですか、マスター」
「何が?」
「その封印を解くことです、マスター」
「? ……いけないのか?」
ヘイゼルは黙した。いったい彼女は何が言いたいのか。いぶかる槙矢に、レオが笑みを浮かべて言った。
「いえ、シンヤさんがお決めになられたことなら従うまでです。ね、ヘイゼル?」
「……はい」
ヘイゼルは一礼した。何だか含みがあったような気がする。しばらく視線をさまよわせる槙矢に、ユリカがうなった。
「いつまでそうしている気? やっぱりあなた、そういう趣味が……」
「誤解すんな」
これ以上、変態呼ばわりされるのはごめんだ。だが確かに女性の肌に触れっぱなしというのもよくない。槙矢は呼吸を整えた。
(魔法封じ、消す……)
すっと模様を撫でれば、消しゴムで文字を消すように、ユリカの背中の魔法封じの模様が消えた。
「おおっ!」
アグレスが声を上げた。
「凄い! あのとても複雑な魔封じをいとも簡単に! さすがシーンヤー閣下! 我らとは格が違いすぎる!」
「え、これ、そんなに難しいもんなの?」
いわれた槙矢のほうが戸惑ってしまった。ただ消すと考えただけだったからだ。そしてすんなり消えた。アグレスの興奮の意味がわからない。
「まあ……これで、いいのかな?」
「お、終わったの?」
ユリカはバッと槙矢から離れ、鏡台へと走る。そして自分の背中を鏡で確認して。
「……解けてる! 模様がなくなってるっ!」
少女は歓声を上げた。むっつり顔に、初めて花のような明るい笑顔が浮かんだ。そのあまりの眩さに、槙矢は一瞬呆然。
(なんて、いい笑顔……)
鏡の前でポーズをとっているユリカ。当然、上着を着ていない彼女の胸元はお留守であり、その豊かではないが、膨らみのある胸がさらされ……揺れていた。
「おおぅっ!」
槙矢は思わず声を上げた。それはユリカにも聞こえ、当然自ら犯した失態に気づいた。
「み、見たわね?」
「……うん」
「くっ!」
手で胸を隠し、ユリカがつかつかと歩み寄ってくる。いやな予感がした。こんな光景、アニメとかで何度も何度も見ているような……。
「こぉの、変態悪魔っ!」
パシンといい音を響かせて、槙矢は頬を叩かれた。
「ぐはっ!」
そのまま倒れる槙矢。――おとうさんが、おとうさんが……!
「父と乳をかけたんですね、わかります」
ヘイゼルが助け起こしてくれたが、相変わらず魔法人形の目線は冷たかった。
そこへ部屋に新たな人物が現れた。
次話、明日20時30分頃、更新予定。