第26話 エピローグ
バラック大会は、決勝戦の決着がつくことなく閉幕した。突如乱入した異形軍団、その対応と事後処理のために、大会は中止となったのだ。
悪魔を召喚したのはクラスメイトの宮戸クラトだった。彼は悪魔召喚による災害をばら撒いた罪で逮捕された。あの純真そうな少年が、どうしてこんなことをしてしまったのか、槙矢にはわからない。ただショックだった。元の世界に帰るための計画を潰されたこともだが、二重の意味で落ち込んだ。
決着つかなかったから、ラナの魂もうやむやになったようだった。なぜなら、まだ槙矢はこの世界にいるから。
麻桐邸の庭に、黒髪の少女がいた。芝生の上に腰を下ろし、空を見上げて呆けている。そこへユリカがやってきた。
「こんなところにいたんだ」
「どこにいようと関係ないでしょ」
槙矢――女性化し、彼から彼女になった存在は頬を膨らませる。
ちょっといいことをし過ぎたらしい。万単位の人間の危機を救ったことで、ばっちし天使となり、少々の悪行では元に戻れない身体になっていた。
「まだ拗ねてるの?」
「拗ねたくもなる」
槙矢はそっぽを向いた。
「ユリカ、お前は自分が男になっても平然としていられるのか?」
「どうかな? なったことないし」
「そうだよな。この苦しみはなったものにしかわからない」
ただ、槙矢の気持ちは口にするほど悪くはなかった。むしろ、以前より気分がいい。
それは開き直りだった。
もうこうなっては、元の世界なんてどうでもよくなっていた。
天使モード全開。悪魔軍団を一掃するほどの力を発揮した槙矢。もう魂うんぬんなくても、世界を飛び越えられるほどの力があるような気がする。これが本来の力――だとしてもいまさら感が、槙矢の中にあった。
帰りたい気持ちはある。しかし、この姿で元の世界に戻っても、自分を受け入れてくれる場所があるとは思えなかった。両親にしたところで、息子が消えました。代わりに娘ができました、なんて……。
(ありえない)
家、近所、学校、社会――そのどこにも居場所はない。それなら、まだ受け入れてくれる家があるこの世界の方がいい。ユリカにしろ、ラナにしろ、カコにしろ――例え受け入れられなくても、想像力さえあれば魔法も使える。この世界でならば、金はなくとも魔法で生活はできるだろう。
「こういうときはいい事に目を向けるのよ」
ユリカが明るい声を出した。槙矢は「へえ」と皮肉げな笑みを浮かべる。
「例えば?」
「天使になったのよ? 皆から尊敬されるわ」
「悪魔でも尊敬はされる」
「う、で、でもほら、悪魔の襲撃から会場を救ったヒーローじゃん!」
「ヒロインだよ、今は」
槙矢は低く笑った。
「天使の公告でもすればいいかな? この身体も、なかなか魅力的だろ? モデルになるのもいいかな。うん、きっと客寄せのマスコットにはなれるかも」
「ごめん……」
ユリカがしゅんとなる。槙矢は笑みを引っ込めた。
「俺こそ、ごめん」
「ううん。全部わたしが悪いんだもん。あなたをこの世界に召喚したことが発端だし」
「……」
「力をくれたし、守ってくれたし……大会で悪魔を倒してくれた。わたしたちのために。悪魔だったのに。仲間に敵対して」
「仲間じゃないよ、気にしなくていい」
悪魔と呼ばれても、人間であるつもりだ。それに今回の一件で、悪魔たちから恨まれたかと思えばそうでもなかった。
ヘイゼルとレオはいつもどおりだった。アグレスは。
『やられたのは悪魔ですよ閣下。悪魔は悪魔に仲間意識など抱きません。友情? 何ですかそれは。……愛情と肉欲については別ですがね』
悪魔はどこまでいっても悪魔だった。
「この世界もいいかもしれないって思うんだ。何より、ここは自由」
槙矢はその場で寝っ転がる。芝生の下の地面は固かったが気にならなかった。
「帰りたい?」
ユリカが不安げな顔で聞いてきた。槙矢は目を伏せる。帰りたくないといえば嘘になる。
「帰れても、この姿ではね……」
沈黙が下りる。無言がかえって気まずい。何か言わないと――槙矢が頭を働かせていると、ユリカが口を開いた。
「三つ目の願いが決まったんだ」
願い事――待ちに待ったその言葉。だが槙矢にとってはもはや手遅れだった。バラックの大会前だったらまだしも……いや、それは言うまいと思う槙矢だった。あの悪魔召喚騒動で大会が潰れたことを思えば、ユリカや他の皆を守れたという一種の満足感を抱えている今のほうがよかったに違いない。あれだけさいなまれた後悔も、もう残っていない。
「その前に話があるんだ、聞いてくれる?」
「ああ、もちろん」
槙矢は目を閉じたまま微笑む。ユリカが顔を赤らめていることにはついぞ気づかない。
「わたし、あなたのそばにいたい……」
「ん……?」
「だから、契約しない?」
「契約?」
ようやく目を開ける。ユリカはじっと槙矢を見つめていた。これ以上ないほど真剣な眼差しを浴びて、槙矢はドキリとしてしまう。
「好きだよ、シンヤ」
「!」
槙矢は目を見開く。ユリカは何といったのか。好き、とは――
(こ、こっ、告白っ!)
「え、ちょっ……」
「わたしはあなたと別れたくないの」
ユリカの視線に力がこもる。
(正気か? 俺は悪魔で……違うか)
今は天使で、女の子である。その女の子同士でいいのかな、とか考え、ユリカの気持ちはそういうのではないだろうと自らに言い聞かす。
問題は、槙矢の気持ちだ。
初めは罵倒された。嫌な女だと思った。自分のことばかりと思いきや、意外と優しくて、気がつけば彼女と一緒にいることが多くなって……でも孫だと聞かされて。
(孫……そうだったな)
ユリカのために何とかしたいという気持ちになっていたのも、そのあたりが働いたのかもしれない。だが身体の変化を恐れるあまり、正面から向き合うことを躊躇った。
でも、いまなら。
槙矢は相好を崩した。
「いまさら俺がどこにいくっていうんだよ? いいよ、そばにいるよ」
「よかった。断られるかもって不安だったんだ」
ユリカは胸を撫で下ろす。
「そもそも嫌われてると思ってた……ほら、わたし色々悪いことしたし」
「確かに、いきなり呼び出されたときは面食らったなー」
皮肉屋の血がうずいた。
「三つの願いっていっても中々言ってくれなかったし。でも……頑張り屋で、健気で……放っておけなくて」
槙矢は半身を起こし、ユリカをじっと見つめる。
「俺も好きだよ、ユリカ」
「シンヤ……」
くっ、とユリカが顔をそらした。その目元がうっすらと光る。
「と、とにかく、契約よ! もしわたしが、あなたと別れることになったら、わたしの魂をあなたにあげるわ」
「何だそれ?」
槙矢は笑った。どんな冗談だと思った。好きですと告白した矢先に別れたらなんて、不吉な言い回しではないか。それとも永遠の愛を誓うとかというノリだろうか。恥ずかしくて蕁麻疹が出そうだった。
「別に魂はいらな――」
「契約ったら、契約!」
「はいはい……そういうことにしましょうか」
いまさら契約結んでもしょうがないが、しないとうるさいので、認めてやる。これで契約成立と。
「で、三つ目のお願い!」
ユリカが声を張り上げた。
「わたしの願いは簡単よ、あなたが元の男の子の姿に戻ること!」
元気よく、彼女は告げた。槙矢はその言葉を繰り返す。
「俺の身体が、元に戻ること……」
身体が戻ること――元の身体になること。すると槙矢の身体が変化を始める。戻りたいその気持ちが、願いに反応して、胸が、腰回りが身体が変わっていく。
「戻った……」
槙矢はペタペタと自分の身体に触れる。すっかり元通りに。
「ありがとう、ユリカ……」
そう口にしたとき、槙矢は眩暈を覚えた。
(急に、身体が重く……)
引きずり込まれるような感覚。ついで襲ってきたのは脱力感。いったい何が起きているのか? 身体が戻ったのではないのか。
そこでハッとする。召喚者の三つの願いを叶えたら、悪魔は元の世界に戻る。ユリカの三つ目の願いは、いま叶えられた。すると――
「ユリカ!」
「これで、地獄へ帰れるね。あれ、天使なら天国なのかしら?」
薄れゆく意識。暗転する視界の中、ユリカの声が消えていく。
「……待っててね、すぐにそっちへ行くから……」
「待て、ユリカ――」
槙矢は叫んだが、すでにその声は届かない。手を伸ばすが、それも届かない。永遠の闇の中を落ちていく。
馬鹿野郎、そんなの……こんな終わり方……。
・ ・ ・
リリナは、机の上にそれを置いた。
おそらくこの世界から消滅した妹の残した置手紙を。
妹の部屋。ここには数時間前まで、生活を共にしてきた肉親の匂いが残っている。その香りを嗅ぐと、例えようのない寂しさを覚える。
戸が開く。振り向けば、そこには青髪のメイドと赤毛の少年が立っていた。
「マスターは旅立たれました」
ヘイゼルが何の感動もない表情で告げた。
「では、ユリカも」
「はい」
「そうですか」
リリナは妹の椅子に腰掛ける。立っている槙矢の配下の二人を見やる。
「それで、あなたたちはこれからどうしますか?」
「しばらくはまったりと過ごせればいいと思います」
レオが答えた。こちらはいつもの穏やかな表情だった。
「もちろん、出て行けといわれるなら、すぐに出て行きますが」
「いいえ、あなたたちさえよければしばらくいて欲しい」
リリナは寂しげな笑みを浮かべた。
「一人は寂しいですもの」
「承知しました」
ヘイゼルが頷いた。
・ ・ ・
夢だったらどれだけよかっただろうか。
気がついたとき、槙矢は自宅の、自分の部屋のベッドに寝ていた。
見慣れた天井、懐かしき我が家。いったいどれくらい時間が経っているのか、見当がつかなかった。窓の外は朝になっていたが、槙矢が別世界に召喚される直前と、なんら変わったところはない。すべてが夢だったと現実逃避しても仕方がない。
異世界にいた夢を見た。そこでユリカという少々ひねくれた女の子と知り合った。彼女はツンツンだったが、看病したり面倒みたりしたら仲良くなった。氷見先輩やクラスメイトのカコに惚れられ、さらにラナという超絶美少女とよろしくやりましたとさ……。
(なんだ、その妄想、イタイ奴だ!)
槙矢は頭を抱える。
妄想だったらどれだけいいだろう。
もぞもぞとベッドで動くそれを目にして、槙矢はため息をついた。
うら若き乙女の肉体が、すぐそこにある。悪魔に恋した赤毛の少女が眠っている。
彼女は、じきに目を覚ますだろう。そして初めて見る異世界の光景に愕然とするに違いない。例えこの異世界――地獄に堕ちたと覚悟していても。そのときは、優しく接してやろうと槙矢は心に決める。何故なら、彼女は恋人と呼んで差し支えない仲と言えるからだ。
ただ問題はこれからだ。
異世界から女の子が来ました――それは大問題である。
第一、両親にこの件をどう説明するのか。周囲への説得も槙矢の役目だ。当然ながら、うまく納得させられる自信はない。だがやらなくてはならない。世界を飛び越えてでもやってきた女の子のために。
説得がうまく言ったら、次は彼女の面倒を見なくてはいけない。それなりに不自由のない生活を送れるように気を配り、またそのために必要なことは率先してやる。親に迷惑をかけないようにしなくてはならないが、学生である槙矢には簡単なことではない。
考えただけで頭が痛くなる。
(でも……俺のためにしてくれたんだよな)
世界を飛び越えて、槙矢を元の世界に帰すために。自分を犠牲にして――
槙矢が天使化=女体化してもなお、ユリカたちを守るために悪魔と戦った時のように。
(ていうか、わざわざ契約とかしなくても、俺が帰った後、また召喚すればよかったんじゃね?)
頭が痛くなってきた。
(つか、それに気づかなかったのかよ! ドジっ子か? そうなのか、ユリカ!)
ユリカの迂闊さに、槙矢は言葉もない。
(でもあれだ。俺召喚するのに、三日かかったって言ってたし、面倒だったとか)
それで悪魔のしもべになるってどうなんだろう。やっぱり気づいてなかったんだ。この娘は。やれやれだ。
「責任、とってやんないとな……俺も」
きっと楽な道ではないと思う。それでも、頑張ろうという気にさせられる。悪魔に恋して異世界にまでやってきた少女のために。
槙矢は手を広げる。そこにあるのは、勇者バッジ――ユリカの宝物。
(結局、こいつは、俺のもとに戻ってきたと)
槙矢は頭をかく。
その時、どさりと何かが落ちてベッドが揺れた。
びっくりしてふり返る。そして仰天した。
ユリカと槙矢を挟んだ反対側に、もう一人、眠り姫がいた。長い銀髪がその白い肌にかかっている。豊かな胸に、ほっそりした腰回り、曲線を描くヒップライン――完璧ボディの超絶美少女が、すやすやと眠りこけている。
「嘘だろっ?」
依武頭ラナ。
(いや、待て、冷静に考えろ。ラナがいるはずがない。……これはいったい?)
しかし間違えようがなく、ラナ本人だった。どこをどう間違ったのか。彼女も世界を越えたらしい。槙矢と魂の契約をした彼女がここへ来るとすればその条件は、大会で一番になること。
(くそ……誰かが彼女を一番だと認めちまったんだ)
本人がそれに納得してしまったとき、契約に従いラナは世界を飛び越え、槙矢の元へ来たのだ。
(何とかなるのか、これ……)
人も羨む美少女を手に入れた。それも二人も。
お互いが槙矢に好意を寄せている。異世界に飛んできたのが自分以外にいたと知れば、彼女たちははたしてどんな顔をするのか。魔法でかわすか――しかし、残念なことに、この世界では魔法は使えない。
「これは罰なのか……? 悪魔に対する神様の……」
阿武隈 槙矢。異世界では天使であり悪魔だった男。
そして一日は始まる。
【END】
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました!
古い作品でツッコミどころもいっぱいあったでしょうが、お付き合いいただき、本当に感謝です。
ありがとうございました!




