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第25話 天使と悪魔

 宮戸クラトはそのとき、観客席にいた。漆黒のマント――憧れだった魔法使いのコスチューム――を身に付け、天を指差した。

 青天を覆い隠す厚い雲。クラトは叫んだ。


 ボクは破壊の使者!

 つけあがる魔法使いどもを粛清する!

 出でよ、地獄の軍団!

 正義の鉄槌を魔法使いどもに下せ!


 現れたのは禍々しい姿の異形たち。コウモリの翼や、おどろおどろしい牙や爪を持った醜悪な魔物たち。人間どもに仇なし、牙をむく。

 観客席はたちどころにパニックに陥った。魔物から逃げようと慌てふためく人間たち。押し合いへし合い、悲鳴ど怒号が飛び交う。

「愚かな人間め、勝手に自滅しておるわ」

艶やかな声を発したのは、美しい黒髪をなびかせた女性の戦士だった。右手に剣を、左肩には髪の色と同じ色のカラスがとまっている。彼女の足元には、漆黒の毛並みの狼が、低い唸り声を発していた。

 黒髪の戦士は、恍惚とした表情を浮かべる。

「やつらを喰らえ、我が軍団よ。血祭りだ!」


 ・ ・ ・


「あー……あれはアントラですな」

 アグレスはのんびりとした声を出した。

 競技グラウンドを挟んだ対岸の観客席に現れた異形軍団を、槙矢たちは見つめていた。周囲には逃げまとう人々。異形がまだこちらへ来ていないせいか、対岸に比べてまだ混乱の度合いは低い。

「アントラ?」

 槙矢が聞けば、アグレスは答えた。

「我輩と同じ、南方地獄軍団の大悪魔の一人です。まあ、なんと申しましょうか、戦争好きで残虐なやつでございます」

「それが何でこんなところに!」

 槙矢は唸る。異形たちは害意をばら撒き、人々を襲っている。

 すると魔魂杖を持った女性数人が、異形たちに挑みかかった。選手たちではない、本職の対魔戦闘士だ。そして槙矢のそばにも。

「まさか、こういう事態になるなんて」

 リリナだった。いつもの穏やかな表情は消え、凛々しい横顔を見せる。

「休暇返上ですね」

 彼女は荷物からナイフを二本取り出す。槙矢は目を丸くする。

「それは?」

魔牙まがです。魔魂杖のバリエーションと言うやつです。……では」

 そう言い残し、リリナは跳んだ。対岸の観客席まで。

「飛びやがった!」

 そうだった。リリナも対魔戦闘士だった。彼女は、仲間たちと共に異形たちを狩りはじめる。その動きは、さながら突風だった。異形たちの動きがスローモーションに見えるほど、リリナの動きは素早く、攻撃を寄せつけなかった。

「マスター」

 呆然とする槙矢に、ヘイゼルが声をかける。

「この場を離れますか? それとも、この騒動を見学されますか?」

「は、何言ってるんだ?」

 槙矢は目をむいた。

「見学って……どうしてそんな言葉が出てくるんだ?」

「人間と悪魔が戦っているだけです、マスター」

 忠実なる魔法人形は、感情の欠片もない顔で告げた。

「我々に、何の関係がありますでしょうか?」

「関係って……」 

 絶句する。人が襲われているのだ。そしてリリナをはじめ、異形たちと戦っている人がいる。何かできないか、と思った。

 だが、何ができる?

 そう考えていたときのヘイゼルの言葉である。槙矢は面食らう。

「逃げる人を助けたりとか、リリナさんたちを手伝うとか、そういう考えはないわけ?」

「ありません、マスター」

 ヘイゼルは即答した。槙矢は視線をそらした。

「レオ!」

「僕らには関係ない話です」

 レオは小首をかしげた。

「ですが、シンヤさんがそうしろと言うのなら、やぶさかではありませんが」

「アグレス!」

「我輩にどうしろと?」

 アグレスはじっと槙矢を見つめる。

「アントラに加勢すればよろしいですか、閣下」

「加勢……」

 さっきからショックを受けてばかりだ。考えてみればアグレスは悪魔であり、槙矢自身、この世界では悪魔である。どちらに手を貸すかと言われれば、人間側より悪魔側のほうが自然だ。

「まさか、閣下。我輩にアントラと戦えと?」

 アグレスが問う。槙矢は苛立ち混じりにため息をついた。

「もしそうしろと言ったら?」

「本当ならお断り……ですが閣下の頼みとならば、我輩従います」

 ゴールデンレトリバーはうなずいたが、すぐに首を振った。

「ただ、我輩の軍団を呼び出したとして、双方の軍団がぶつかれば、その……周囲に相当な被害を与えると思われます。閣下は、それを望まれていないとお見受けいたしますが?」

 たしかに悪魔と悪魔、その軍団がどれほどのものかは知らないが、正面からぶつかればさらなる惨事は目に見ている。別の手を考えるしかなさそうだ。

「そのアントラに戦いをやめるように言うのは?」

「それはよしたほうがいいかと」

 アグレスは賛成しなかった。

「何故だい? 俺は東方悪魔筆頭。西方なんたらと南方なんたらの悪魔たちも恐れる存在なんだろう?」

「それはそうなのですが、閣下。もし、アントラが召喚されてこのような事態を引き起こした場合……その可能性は高いですが……いくら閣下の命令でも聞きはしますまい」

 悪魔の掟は絶対ですから――アグレスの言葉に、槙矢はまたも方針転換を余儀なくされる。

 そうこうしているうちに、魔物たちに立ち向かう対魔戦闘士の数が増えていた。増援――ではなく、見れば大会参加の高校生魔法使いたちが何人か加わったのだ。ラナも、そしてユリカも。

「何やってるんだあいつ!」

 槙矢は声を荒げた。いくらバラックが戦闘術を元にしているスポーツとはいえ、所詮は素人だ。それが正規の対魔戦闘士に混じって魔物と戦うなど、正気の沙汰ではない。

(くそっ!)

 槙矢の身体が動いていた。バッグからラナからもらった魔魂杖を引っ張り出し、観客席から十メートル下の競技場へ飛び降りる。周囲の声を無視し、一目散にユリカのもとへ駆け寄る。ワニの頭と、コウモリの羽を持った魔物が飛び掛ってきたが、槙矢は魔魂杖で頭から叩き潰す。

(魔法の杖ってこういう武器じゃないよな……)

 元の世界ならこうはいかない。魔力で身体能力が常人を超える今だからこそできることだ。それがなければ、すでにこの場から逃げ出していたかもしれない。冷や汗が出る。心臓が爆発するくらい跳ねていた。

「ちくしょう……」

 ユリカたちは山羊頭にゾウの巨体を持つ魔物と戦っていた。だがやはり異形と接した恐怖からか、動きが硬い。山羊の角に、正規の対魔戦闘士が吹き飛ばされる。その先にはユリカがいて、彼女も巻き添えを食らう。

「何をやっているのユリカ!」

 ラナが叱責する。彼女は魔魂杖の先に光の刃を形作ると、山羊頭に斬りかかる。

 槙矢はユリカに駆け寄る。ユリカは対魔戦闘士に圧し掛かられていたが、当の戦闘士が気絶しているせいか身動きできなかった。槙矢は対魔戦闘士の身体をずらし、ユリカを救出する。

「生きてるか? 怪我はないか?」

「シンヤ……」

 ユリカが起き上がる。

「どうしてここに……?」

「それはこっちのセリフだ。どうして逃げない!」

「だって」

 揺れる瞳を向け、ユリカは言った。

「父さんが生きていたら、きっと戦ったから」

 麻桐ユウヤ。亡き父。ユリカの憧れ。将来の夢、対魔戦闘士。

「こういうときのために、いままでやってきたんだから」

 ユリカは立ち上がる。

「ひとつ聞くけど、この騒ぎ、あなたの仕業?」

「まさか」

 否定すると、彼女は微笑んだ。

「よかった。なら、心置きなく戦える」

「馬鹿言うな! 怪我するぞ!」

 ユリカは背を向けた。魔魂杖を握る手が震えていた。怖いのだ。彼女も。化け物たちを前にして、怖気づかないほうがどうかしている。

「ユリカ、願え」

 槙矢はその背中に声を投げつけた。

「この化け物たちを退けろと、俺に願うんだ」

三つの願い。最後の一つを。不良たちを退けたように、ユリカが願えば、彼女が戦わずとも事態は収束する。掟は絶対、槙矢が認めれば、ユリカのために戦える。アグレスやヘイゼルが何と言おうと。自分がこの世界で悪魔だったとしても。

「やっぱり、あなたは悪魔らしくないね」

彼女は笑った。だが次の瞬間、ユリカは戦場に戻った。ラナを加勢し、異形たちに立ち向かう。敵の数は相変わらず多く、倒しても倒しても次が現れた。

 槙矢は、赤毛の少女の背中を見送る。彼女も戦っている。それなのに……。

(俺は何をしているんだ……願えだなんて)

 異世界での出来事だ。この世界の人間がどうなろうとも、槙矢には関係ない。元の世界に帰れば夢だったと済まされる。

 はたしてそれができるのか。槙矢は自問する。

 わずかな時間とはいえ関わった人々、その人たちを見捨てることができるのか。

 できるさ、悪魔なら。

 できないね、人間なら。

 ここで武器を振るうことができるかもしれない。悪魔が悪魔を傷つけたところで、それが何だというのだ。だがそうすれば――

 天使に――女体化する。

 身体が変化してしまう。善行に対して、男である槙矢は女に変わってしまう。自分が変わってしまう恐怖。そして戻れなくなってしまうことへの恐れ。元の世界に戻っても身体が変化したままでは……意味がない。

そのとき、あるモノが視界に入った。

 それは小さな、小さなバッジだった。

 ユリカの宝物。吹き飛ばされたときに、落としたのだろう。

 槙矢はそれに手を伸ばし、声を失った。

(なんで、こんな……ところに……)

 彼女が落とした宝物のバッジ――それは槙矢が小さな頃になくした勇者バッジだった。

昔やったゲームのキャラクターがプリントされた手作り感抜群のバッジ。父親が造ってくれた槙矢の宝物。だけどなくてしまって、とても悲しかった思い出の品。

(このバッジは、勇気の証だ――!)

 ゲーム中に出たセリフが、槙矢の脳裏をよぎった。

 勇者は、大切なモノを守るために戦う。姿かたちなど、些細な問題だ。己を捨て、他人を守り、勇気と誇りを胸に戦うものだ――

 それは大きくなって忘れた心。

 勇者なんて、絵空事。そんなものを振りかざすことはかっこ悪いと思うようになった。

 世界は綺麗じゃなくて、もっと退屈で、息苦しくって――でも。

 勇気、そして誇り。

 だけどそれはずっと持ちつづけてもいいものだ。

 槙矢は顔を上げる。手にしたバッジを握りしめて。

 ユリカが戦っている。ラナも、リリナも、他の対魔戦闘士たちも。命がけで。

 魔力があるのが女たちの方が多い?

 だから何だ。ここで何もしないのは男が廃る。

(女になってもいいじゃないか。俺は俺だろ!)

 例え自分を失うとしても、後悔はしない。

「俺は阿武隈 槙矢! 悪魔とか天使とか、男とか女とか関係ない! いま! できることをするッ!」

 この力は想像力。それがあれば、この世界で恐れるモノなど何もない。

 万物の法則? 捻じ曲げて見せよう。そして恐れるがいい。東方悪魔筆頭と呼ばれる者の力を。天使と謳われるその力を!

 槙矢は悠然と一歩を踏み出す。魔魂杖を軽く振るえば、黒水晶から魔力に溢れて輝き出す。

 髪が伸びる。胸元が膨らむ。身体が熱い。変化していく。槙矢は気づかなかったが、その背中には、白く輝く天使の翼が出現する。

「消えろ……悪魔ども」

 天使は飛んだ。魔魂杖が輝く。愚かにも挑んできた魔物たちはたちまち浄化される。一振りの光刃は、魔物たちを次々に裂いていく。

「あ、あれは……?」

 ラナが驚愕する。

「シン、ヤ……?」

 ユリカが息を呑む。

 光り輝く天使は、悪魔軍団を統べる女悪魔に迫る。

「聖天使……!」

 アントラはゴクリを喉を鳴らした。天使は命じた。

「地獄へ帰れ!」


 嘘だ、どうしてこんなことに。

 クラトは身体を震わせた。

 悪魔の力を得たのだ。悪魔たちを使い、憎い魔法使いたちがノコノコ出てきたところを全滅させてやるつもりだった。その後に、半人前魔法使いたちを追いつめ、彼女らが泣き喚き、命乞いをする姿を堪能するはずだった。

 なのに、どうして。

 それはとても神々しい光をまとっていた。

 天使。

 悪魔を呼び出した代償なのか。

 地上の悪を払うために天使が遣わされたのか。

 神よ、どうして。

 クラトは後ずさる。

「シンヤくん……?」

 その眼前には、大悪魔を消滅させた天使が迫っていて。

 次の瞬間、少年は魔魂杖によって張り倒された。

次話、明日20時更新予定。

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