第1話 召喚されたら悪魔と言われた少年
魔法のランプが欲しいと思ったことはあるだろうか。
ランプを擦ると、魔人が出てきて願い事を叶えてくれる……アラジンの魔法のランプ。 誰もが子どもの頃、一度は聞いたり読んだ事がある話だ。映画だと魔人は三つの願いを叶えてくれたが、自分だったら、三つの願いは何にするか、想像したのではないだろうか。
ヒーローになりたいとか、王様になりたいとか。漠然とお金持ちになりたい。ちょっと背伸びして不死身になりたい……。
三つの願い。それをもう少し大きくなったときに聞かれたらどう思うだろう。
そんなのは夢物語だと笑い飛ばすだろうか。
それとも考えるだけなら、妄想するだろうか。
もし願い事が何でも叶うとしたら、いったい何を願う?
金持ち? 世界征服? 魔法使い? 不老不死? 勉強しなくていい世の中? それとも性格がよくて、とびっきりの美人を恋人にする?
幼い頃に比べ、少し具体的に――悪く言えば俗物感あふれるものになるのではないか。
阿武隈 槙矢の場合、まずお金が欲しかった。アニメや漫画、ラノベが好きで、関連グッズも欲しいモノがいっぱいだったが、高校生の身分では毎月のお小遣いだけではぜんぜん足りなかった。バイトができればよかったのだが禁止されていてそれも駄目。
次のお願い――可愛い女の子と付き合うこと。
彼には、彼女がいなかった。二次世界の嫁は、それこそ大勢いたが、三次元の女性とお付き合いしたことはなかった。口ではどれだけ二次元を賛美しても、リアルな出会いに憧れないといえば嘘だった。若い高校生男子が望むことといえば……異性とのHな関係なのだ。その点では、槙矢は健全な男子だった。
第三の願いは……じつは中々決まらなかったりする。絶対的な力、とか王様みたいな権力もいいかもと思うが、不老不死というのも考えないではない。
とはいえ、この手の妄想は、あくまで想像の産物であり、実際に都合よく叶わない。それ相応の努力をすれば、お金も彼女も作れるが、努力をしてはお願いではないのだ。
それを現実で思い知らされるのは、月曜日の朝だ。
勉強嫌いな学生なら、憂鬱の始まりであり、起きるのも嫌になる。時間よ戻れ、とか、勉強しなくてもいい世の中に、なんて、簡単に願ってしまうだろう。
自分の家の自分の部屋。見慣れた天井。それは一日の始まり。
槙矢は布団を払いのけ、寝ぼけ眼でまず時計を確認。
部屋の窓にかかったカーテンの隙間から、光が差し込む。壁にかけられたカレンダーを睨めば、今日はうんざりな月曜日であることがわかる。自然とこぼれるため息。
三つの願い――
思わず呟いてしまう。そのとき、ベッドでもぞもぞと何かが動く。
槙矢は視線を落とす。払いのけられた布団の下に、白い肌があった。
裸。
膨らみのある胸、ほっそりしたウエスト、丸みを帯びた尻に、肉感的な太もも。うら若き女性の肉体が、手を伸ばせば届くところにある。抱き枕ではない。念のため。
ゴクリと、槙矢は喉を鳴らした。
ここで訂正しなくてはならない。槙矢は実は、リアル世界の恋人を手に入れていたりする。これには少々込み入った話があるのだが……先に出た三つの願い事に関係があった。
時間は少しさかのぼる。
それはそうと、こんな話があるのを知っているだろうか。
魔法のランプの魔人は、実は悪魔だった、という話だ。
気がついたら、部屋の配置が変わっていた。何より、テレビがなくなっている。
テレビだけではない。阿武隈 槙矢の眼前から、見慣れた自分の部屋のものすべてが、そっくりそのままなくなっていた。部屋の一面を制圧するベッド、物置同然の学習机、クローゼットに、趣味であるゲーム機や漫画本の納まった棚――
「どこだ、ここ……?」
槙矢は固まっていた。目だけをキョロキョロと動かす。
木造の部屋。天井、壁や床がすべて木でできていて、まるで童話の世界の小屋か何かみたいな古めかしさがあった。壁には分厚い本が納まった本棚がそびえ、他にも本や木箱が壁沿いに並べられていた。物置か倉庫かもしれない。少なくても人が寝起きする場所ではなさそうだ。窓には黒いカーテンがかけられていて暗く、蝋燭の光が室内をぼんやりと照らしていた。
足元に視線を向ける。うっすらと埃が床を覆っているが、自分を中心に放射線状に赤いペンキか何かで描かれた線――模様が描かれていた。
この形はまるで……魔法陣のようだ。
そこで気づく。
女の子が立っていた。体格は標準的、年は槙矢と同じくらいの一六、七だろう。ちらちらと輝く蝋燭の光に照らされて、少女の、背中にまで伸びている髪が艶やかに赤く輝いていた。小ぶりな顔は形よくまとまっている。やや吊り上がった目。気の強そうな、それでいてどこか冷徹な印象の少女だった。なかなかの美少女である。
槙矢とその少女の視線が合う。こちらを観察するようなその瞳に、槙矢は居心地が悪かった。少女はセーラー服っぽい衣服をまとい、ファンタジー世界の魔法使いがしているような小さなマントのようなものを羽織っている。手にはこれまた魔法使いの必需品、水晶のような球体のついた杖を持っている。
魔女?
槙矢は思った。いや、それにしか見えない。
(コスプレ少女? ……いやいや、それなら俺がこの場にいる説明にならないぞ。というか、ほんとここはどこなんだ?)
いやな予感がした。それは直感だった。だが槙矢は、その考えのあまりの馬鹿らしさに、それを否定してしまう。
……異世界に召喚された、なんて。
そんなことが起こるはずがない。だがそれしか納得の――それらしい――答えは浮かばなかった。大掛かりなドッキリにしては不自然すぎる。
(するとあれか。これは夢なんだ。そうに違いない)
槙矢は、逃避することにした。
そこで、沈黙を守っていた少女が小さく口を開いた。
「まさか本当に召喚できるなんて。おばあちゃんの言ったとおりだった……やればできるじゃない、わたし」
(や、召喚だって……マジかよ……)
槙矢は苦笑い。
やはり、ここは異世界のようだった。まったくファンタジーアニメの見過ぎのようだ。こんな夢を見てしまうなんて。はやく起きないと――
さあ、起きよう。目をぎゅっとつむって心で念じる。起きろ、起きろ、起きろ――怖い夢を見ている最中、これが夢だと本能的に悟った際に槙矢がとる起きるための儀式。ふつうならこうすると起きられるのだが……今回はまるで変化がなかった。
そもそも夢にしてはリアルすぎるというか何というか。
(これ、ひょっとして夢じゃない?)
ほんとのほんとに、異世界に召喚されてしまったのか。
(なんで? 俺は何か得たいの知れないものに選ばれる星とかに生まれたの? ごくごく平凡を絵に書いたような、何の特徴もない俺が? ……どうして)
首をひねっている槙矢を尻目に、赤毛の少女はキッと瞳を輝かせて見つめ返してきた。
「現世に召喚された悪魔よ。呼び出してあげたのはわたしよ。わたしの願いを叶えなさい!」
「はぁ?」
この娘は何と言ったか。
(何をトンチキなことを言ってるんだ、こいつは!)
正気を疑った。人様に向かっていきなりの悪魔呼ばわり。ジョークだとしても、ちっとも笑えない。
この姿のどこを見たら――槙矢は自分の姿を見つめる。手は二本、足は二本、どこからどう見てもふつうの人間である。コウモリっぽい羽根もなければ、頭に角が生えているわけでもなく――触って確かめた――肌の色が変化しているわけでもない。
「悪魔! 黙ってないで何か言いなさい!」
少女は声を張り上げる。何とも威圧的で、しかも罵倒する勢いである。思わず怯む槙矢だが、歳も近いだろう少女にビビるのも面白くなく、眉をひそめた。
「んー、いったいお前が何を言っているのかわかんないんだけど……厨二病?」
「わけがわからない? 悪魔って頭が悪いのね」
少女は胸の前で腕を組んでにらみ返してくる。
「わたしが召喚の儀式を行い、あなたはそれに応え、ここに現れた。自分でやってきて、何を言っているの?」
「ちょっと待て」
槙矢は額に指を当てる。話がおかしかった。
「俺はその召喚に応えたつもりはないし、自分でやってきたわけでもない。俺は部屋でアニメを見ていて、気がついたら、この部屋にいたんだ」
「……意味わからない」
少女は肩をすくめた。どこか小馬鹿にした態度に見えた。槙矢はカチンと来た。
(こいつ……人を悪魔呼ばわりしたあげく、恩着せがましく呼び出してあげた、だと!)
一方的に呼び出しておいて、頭悪いとまで言いやがった。これ、怒っていいよね――槙矢は自分の中で確認をとった。
「それが人を呼び出して言うセリフかぁぁっ!」
ぶち切れた。身勝手過ぎる。
いきなり怒鳴った槙矢の態度にびっくりしたのか、少女は後ずさりした。だが、すぐに気丈にも言い放った。
「ふ、ふん。さすが悪魔ね、一筋縄ではいかないわ。で、でも、ちゃんとあなたに贈り物を用意してあるわ!」
そういうと少女は自身のスカートの下に手を入れ、すっとそれを下げた。
「わたしの穿いていた下着……これをあげる!」
生下着、薄い青色のパンツ――。
槙矢は目を回した。
「なんで俺がそんなもん欲しがらなきゃいけないんだよ!」
顔が真っ赤になる。何故だか知らないが、初対面の女に変態扱いされた。
「なに? わ、わたしが穿いていたパンツじゃ、だ、駄目なの……?」
愕然とする少女。当たり前だ。いろいろとマズい。
「さ、さすが悪魔の中の悪魔……も、もしかして、それ以上に、か、身体を……」
「だからっ、なんで俺がそんな変態扱いされてんだよ!」
怒鳴ってから、がっくりときてしまう。
「悪魔……恐るべし」
少女はしみじみと呟いた。女の子の冷めた目が痛い。
「とにかく、俺は家に帰る。アニメの途中だし、まだ他にもチェックしないといけないものがあるから――」
「冗談じゃないわ! あんたを呼び出すのにどれだけ苦労したと思ってんのよ!」
「……知らないよ、そんなこと」
「三日間の準備と三時間の呪文詠唱をしたのよ! 簡単に逃がすもんですか!」
少女は、じぃっと槙矢を見つめ、次の瞬間、ブンブンと人差し指を向けてきた。
「それに、あんたのことなんかどうでもいいのよ。ただあんたはわたしに召喚された以上、願いごとを叶えなくちゃいけないの!」
(なに、その無茶ぶり)
槙矢は呆れた。
「なんで俺がお前の願いを叶えなくちゃいけないんだ? 願い事なら、俺のほうが叶えてほしいくらいだ」
「あなたは悪魔だもの。願いを叶える以外に存在価値なんてないのよ」
なんという、暴言。そもそも悪魔って、そういうものなのか。人を貶め、悪事を働く恐ろしい存在なのではないのか。……もっとも、本当のところはよくわからないが。
「悪魔の扱いひでぇ……それにそれが人にお願いする態度かよ」
「人じゃないわ、悪魔よ」
少女は言い放った。
「別にあんたがごねるのは自由だけど、さっさと自分の世界に帰りたければ、わたしの願い事を叶えるのが利口だと思うけど」
「……願いを叶えれば、俺は帰れるのか?」
しぶしぶ聞いてみれば、少女はふんと鼻で笑った。
「わたしを試そうというの? いいわ。あなたはシーンヤーで、シーンヤーは召喚された者の願いを三つ叶えなければいけない。そうしないとあなたは自分の住処である地獄に帰ることができない……」
「俺の家は地獄ですか」
ていうかシーンヤーって何だ――槙矢はそう口にしようとしたとき、はたと気づいた。そういえばまだ名前を名乗ってないことに。
「俺はシーンヤーじゃない。槙矢だ。阿武隈、槙矢」
「……」
少女はポカンとした顔になる。ようやく思い違いに気づいてくれたか……。
「あくま、シーンヤー……」
「こらこら」
ガキの頃だってそんな酷いあだ名はなかった。
「やっぱりシーンヤーじゃない」
少女はどうあっても槙矢を悪魔にしたいようだった。
「違うだろう! ……どんな耳がしてんだよ!」
槙矢はあからさまなため息をつく。
「まあ……なんだ、お前の願い事を三つ聞けば、俺は帰れるわけだな?」
コクリとうなずく少女。だがそこでふと顎に手を当て、真顔で考え出す。
「三つ……いえ五つだったかしら。いや七つだったかも」
「三つって言っただろう!」
素早くツッコミを入れる。だが少女は吊り目がちな瞳を向けて。
「もっといっぱいだったかしら。困ったわ、そんないっぱいお願いごとなんてないわ」
「三つでお願いします」
槙矢は頭を下げた。面倒が増えるのは嫌だ。
「でも俺、そんな人の願いとか叶える力ないよ」
「そうやってサボろうってしたって、願いを叶えなければ帰れないんだから無駄な抵抗よ」
こちらの言い分をまったく聞いてなかった。槙矢は何度目かわからないため息をつく。
「じゃ、聞きましょう。お前の願い事って」
「ユリカよ。お前って名前じゃないわ」
少女――ユリカは名乗った。
槙矢は苦虫を噛み潰したような顔になる。この少女を相手にしているとムカムカしてたまらない。
「で、願い事は?」
「わたしを魔法使いにして」
「魔法使い?」
目が点になった。
(魔法使いって、アレだよな。ホウキに乗って空飛んだり、杖から炎や稲妻だしたりする……つか、そもそもお前、魔法使いじゃねえのかよ?)
多分にイメージが含まれているが、杖をもって、魔法陣書いて、槙矢を呼び出したのだ。それでも魔法使いではないというのか。
「魔法使いって、どうやって?」
「あなたの力でよ。ほら、魔法とか何でも使って、わたしを人並みの魔法使いにしてほしいの」
「無茶言いやがって」
なんだよ、人並みの魔法使いって。この世界では魔法使いがデフォですか、お嬢さん。
「悪魔には不可能はないって聞いたわ」
「俺は人間だ! 悪魔じゃねえ!」
「はいはい、悪魔だからって気をつけていたけど、こんなあからさまな嘘は子どもでも引っかからないわ」
ユリカは鼻で笑った。槙矢はうなる。
「そんな簡単に魔法使いにできるなら、俺が魔法使いになりたいわ! 炎を出したり、空を飛ん……!」
言葉と同時に目の前で炎がはじけた。ユリカが目を見張り、当の槙矢自身、驚いた。
(いま……火が出た……?)
次に槙矢の身体がふわりと浮いた。
(うそ、マジ? 俺、浮き上がって………)
ガンと頭から天井に激突した。目の中で星がちらつき、床に落下する。
「…………バカ?」
「~くぅっ」
槙矢は頭を抱えて、埃まみれの床をジタバタと悶える。ユリカの冷めた視線も気にする余裕がなかった。
それよりも、槙矢の心境は別の感情が支配していた。
(どうしよう、いま……俺、魔法みたいなの使えたっぽい……)
本当に夢ではないだろうか。何か特別な力に目覚めてしまったのか。あるいはこの世界に来たせいで、本当に悪魔になってしまったのか。
痛む頭を撫でつつ――たんこぶができてた――槙矢は起き上がる。
「……うむ、練習すればできるかもしれない」
「もしかしてボケたつもりだったかもしれないけど……いまのところ、笑えるところは一つもなかったわ」
ユリカは地面の上のアリを見るような、冷やかな視線を浴びせてきた。
「どうでもいいけど、さっさと願い事を叶えなさいよ」
「んなこといってもな……いちおう何か使えるみたいだけど、魔法の使い方なんて知らないし」
「……」
無言の視線が突き刺さった。
次話、明日21時少し前に投稿予定。