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エモーショナル・バウンサー9

 二人は煙を呼吸し、寒空が造る夜の下に佇む。白い煙のそれは、しかし直ぐに空へと登る前に黒の中に霧散していった。


 軽い沈黙の間。煙草は人を静かにさせる。その一息の中に、様々な思いを馳せるからだ。肺に入れるというのはこうでいいのか、喉に絡みつくもやもやが少し心地悪い。吐き出す時は口からでいいのか、……少し、「美味い」かも。そんな初心(うぶ)な事を、こんな深刻な事態の最中(さなか)に深之介は考えていた。


 一服、とはこういう事なんだろう。少し落ち着く事が出来た。どうでもいい事を考えてみるのも、なるほど。ありだ。


「……時にアンタ」


 少しして、沈黙を破ったのはイオリの方だ。


「はい」


「シェイドのメンバーだと聞く。人を殺した事はあるかい?」


 当然のごとく。


「……はい」


 紛れもない事実。これまで、何人かをこの手で殺めた事はある。胸糞悪い悪党、偉ぶった貴族、死を望んだ子供。殺したという事実は一つであれど、その人種は様々だ。それは、どうしようもなくて。「そうしなくちゃ生きてこれなかった」と免罪符を常に深之介は心の中で打って来た。


「そうか。ならいい」


 イオリは煙を吐いた。瞳の行き先はどこか遠く。


「命は皆平等に等しく安い。優劣など存在しない、あるとすれば価値観のみだ」


 男は呟いた。それもまるで免罪符のように。


「俺のも安い、お前のも安い。人間なんてのは所詮、生態系の頂点に偶然立った種族にしか過ぎない。そしてやがて消え逝く。人は何れ死ぬと知れ(メメント・モリ)、生きるか死ぬかは早さの違いだ」


「……何故、今そんな話を」


 深之介は不思議そうな顔で目の前の男を見た。彼の言いたいことが分からない。すると男は、鼻で嗤う。


「シャノワール・ミュンヒハウゼンに対して下された「死罪」の判決が気に食わない顔をしていた。気に食わないというのは重要な感情だ。気に食わないのなら足掻いていい」


「……!!」


 まるで心を見透かされたみたいで。その男の鈍く光る目には、何が見えているのだというのか。少し、気構える。


「何が必要か、何がいらないかはお前で決めろ。お前が選んだそれはお前に何を与えるのか、お前が要らないと言ったそれがお前の心に何を穿つか。……好きにすればいい。」


 イオリは言い終わると、短くなった煙草を灰皿にねじ込んでとっとと何処かへ行ってしまった。その場には一人、残ったコーヒーといまいち吸いあぐねた煙草を摘んだ深之介が残された。


「……何が必要か……」


 と、問われたのなら。彼にとって答えは一つしかない。


 どこか勘違いしていた。楽園に辿り着いた自分が、全てを手に入れた感覚になっていた。いいや、違う。何も手に入れちゃ居ない。手元に残っただけだ。


 あの時、深之介がまだ「ミカエル・アーサー」だった時。リーダーの男、ロイ・アルカードから幾度となく聞かされた言葉を思い出した、


『神は人を救わない、神では人を救えない。(ねが)うな、強請(ねだ)るな。欲しがれ、そして勝ち取れ』


 何が「月の女神(アルテミス)」だ。他者に幸せを乞うな。生きたいのならば、戦うしかない。いつだって、そうやって生きてきた。そうしなくちゃ、生きてこれなかった。


 彼は思った筈だ。「俺には雨京しか居ない」と。


 ならば。やる事は決まっていた。


 深之介は残された珈琲を煽った。眠気を否が応にも消し飛ばす為に。だって、まだ夜は長いんだ――


――統括管理局、管制塔。地上から遥か高く、300メートルを越えるその建物の先、赤いライトが光る頂点にイワコフ・ナナイは立っていた。


 防寒の為に黒いスーツの上から羽織ったカーキのパイロットジャンパーを風に棚引かせてナナイは下に広がる街を眺めた。夜に灯る明かり、あれは人の営みの証だ。あれを守る為に、私達は戦っている。


「……未熟千万也」


 大宮吾郎の言葉に揺れ動いた自分が居る。太陽だの、劣情だの、なんだの……。あれは褒められているのだろうか。彼が私に投げかけた言葉とは、「私が彼をああした」とでも?


 なんて、考えをかなぐり捨てる。


「無情、無力、無理……。全ては其処に集約する」


 それは自分に言い聞かせるように。サー・ニワなら鼻で笑って大宮吾郎を殺しただろう。ただの逆恨み程度で立ち止れる程、彼は暇ではない。見習わなくては。


 自分だってそうだ。目的の為に立ち塞がるのなら、「仕方なく」屠れるはずだ。以前、シュヴィアタの雪原で対峙したアムールタイガーを思い出す。


 吹雪の中、街から街へと薬を運ぶ途中に出逢ってしまった「偉大なる友」。……あの血肉を噛み締めて、私は今、此処に立っている。倒した強敵(とも)を、喰らうという事は何よりも悲しかった。


 生きるということは、先に進む事だ。ならば、私は躊躇わない。


「おーい、此処に居たのか」


 管制塔の下から、光の柱を足場にして如意棒のように登ってきた青年をナナイは捉えた。シャイン・ジェネシスだ。あの足場、確か「天橋立(あまのはしだて)」と言ったか。器用な男だ……。張り詰めていたナナイの目が、同期を捉えて少し和らぐ。


「そろそろ戻ってこいって連絡が……何か考え事か?」


 首を傾げてナナイの顔を覗き込むシャイン。起伏の少ない表情とはよく言われるが、よく見ているようだ。


「ノープロブレム。戸惑わんと決めた」


 戻って来いというなら、行くしかあるまい。イワコフ・ナナイは管制塔の上からジャンプすると、遥か下の地面へと落下していった。


「……ひゅぅ、カっきー」


 その様子を足場「天橋立」を徐々に短くして管制塔の頂上から降りながら眺めるシャイン。相変わらずやる事が人間じゃないと、感心しながらその後ろ姿を見ていた――


――「やぁ、凶獄ぅ。暇してるぅ?」


「……暇なんだろうね、アンタらからしたら」


 病室に入るなりいきなりイヤミをぶつけてくる丹羽天津魔に対して、ベッドに横たわった凶獄夏恋は鬱陶しそうに返した。表情からはそれが嫌なんだと、プンプン分かる。


 丹羽はドアを閉めて壁にもたれ掛かった。部屋には夏恋と丹羽、二人きりになる。


「ねぇ、凶獄ぅ。君をそうしたのは誰だい?ミュン君?大宮?それとも――さ、緑ちゃん?」


「……答えない」


 にっこり顔の丹羽だが、夏恋は目を合わそうとしない。その瞳の奥が、うっかり見えてしまったから。


「釣れないなぁ。いいんだよ?僕はいつだって君の味方だぁ。君が安全な場所で、安心して暮らせるように、安定した社会を作る為なら。僕はなんだってしてあげる(・・・・・・・・・・)よ?」


「……アンタは、」


 夏恋は左手で額を抱えた。彼にとっては、正義とはそういうものなんだろう。でも、それは。


「アンタは、そうやって私の為に自分を差し出す――っていうか、「出来るからやるんだ」ってぇ、そんなのじゃ「釣り合わないんだ」っての!」


 がなる夏恋。しかし、丹羽はそれが当然かというように驚かない。首を傾げ、疑問を浮かべたような表情で。


「その感覚、わかんないなー。いいじゃん。適材適所って、良い言葉だよぉ。僕は君の為に、君は僕の為に。それって、素晴らしい事だと思うなぁ。やるべき正義を正当性として君が掲げれば、僕が振り下ろす。そういう関係でいいんじゃぁ?」


「私はっ!!」


 一瞬の沈黙。夏恋がついに丹羽の目を見た。いつだって無機質で、けれど「夏恋にだけ優しい」目。昔からそうだった、コイツはそうだった――!


「そうやって、アンタが「人を殺す」トコを、もう見たくないっっ!!!」


「……」


 夏恋はショートして動かなくなった右腕の「義手」を左手で押さえ、悲しそうな声色でそう叫んだ。

 その義手はとても精巧に作られており、見た目ではとてもじゃないが区別の出来ない程によく造られている。


「……僕は、守るためならなんだってやるさ。だって嫌だもん。大切で綺麗な物が、どこぞの何かに踏みにじられるのが」


 それは丹羽天津魔の真意。嘘偽りない、心の底からの言葉だ。


「幸せを壊すやつは、ぶっ壊す。僕にならそれが出来る」


「丹羽がやるなら、絶対そうなるんだ。けれど、そんな結末私は望んでない、丹羽だけの手が汚れるなんて、そんなの不公平だ」


 瞳と瞳がぶつかり合う。凶獄夏恋の瞳と丹羽天津魔の瞳が静かに衝突した。


「せめて、平和に。静かに今夜を終わらせて」


「……それ、僕に何もするなって言ってるようなもんじゃん。ま、いいけど。ミュン君如き他のだれかがやってくれるでしょ。あーあー」


 丹羽は身体を伸ばした。もうちょっとだけ、今日は続く。身体を動かして、起こしてやるのだ。


「あ、そういや、ミュン君の防御壁って何?話でしか聞いてないんだけど、凶獄なら分かる?」


「……あれは、私の目が間違いないなら。勘違いでないなら、分かる」


 夏恋は、自分の右腕に視線を移した。多分、間違いない。


世界樹(システムツリー)のシステムの一つ、この街を守る物「電磁フィールド」。その発生装置……奴は、どうやったか知らないけどそれを使える。この街の根本を支える「ノアのシステム」を」


 ノアのシステム。それは、永久的にエネルギーを生み出す新社会の為の画期的な装置。新社会「イクシーズ」を創る為に生まれた、神のシステムだ。

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