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神の手と二天一流

 ムサシは構えた。小刀を中段、大刀を上段にするあの構え、ジャックにはあれがなんだか分かる。


 ジャックも右手で武器を抜く。白衣の内側から、一本のメスをだ。


「開幕の合図は要るか?」


「いらないよ。なんなら、そら。はじめようか」


 そして、ジャックは左手でも白衣からメスを抜き、そしてムサシに投擲した。


「では、御免(ごめん)!」


 次の瞬間、ムサシはその構えのまま瞬間移動する事になる。メスは中段の小刀で斬り伏せ、足を素早く動かしてジャックに接近した。


 ジャックの顔から笑みがこぼれる。口角が釣り上がった。


 ジャックはバックステップでそれに「なんとか」対応した。ムサシの大刀の剣閃が、空間を切り裂く。僅かの差、ジャックの白衣の先端に切れ込みが入った。間一髪。


 は……速い!予想以上に!見えない!侍とはこういうものか!


 決して余裕から来る笑みじゃない。怖さを笑って紛らわせているというだけだ。ムサシの歩法、「摺り足」。その想定外の速さに驚いた。正直、意味が分からない。ありゃ歩くというより、ワープだろう!?

 だからこそ、恐怖するというのは有り得ない。恐怖は人を動かなくする。医者であるジャックには、それがよく分かっている。そして、生身じゃ到底あれに対応出来ない事も。


DRUG(ドラッグ)!!」


 叫ぶ。「薬」を意味する言葉をだ。その一言で脳内の信号が活発になり、身体全体に異常なまでの活性化が起こる。


 ジャックは右手のメスを投擲、さらに両手で白衣の内側から無数の「まち針」を手に取り、ムサシの方に「何度も」それを(ほう)った。


「正気じゃいられない境地。「強制的なプラシーボの促進」か……!」


 メスを回避するムサシだが、その眼前に幾多数多ものまち針が迫った。決して刺さっても痛くは無い。所詮、針に過ぎないからだ。だとすれば、これが意味する事は一つ。


 ムサシは大刀で風を起こすようにまち針を払った。当たるわけにはいかない。


「毒か!」


 そして、刀を振るった後にジャックが構えた物は。


「ご名答」


 拳銃。白衣の内側から取り出したそれを、ジャックはノータイムで撃つ。射線に問題はなし、むしろ大刀でムサシがまち針を払った為、その隙間は綺麗な物だ。


 迫る弾丸。迫る迫る。ならどうするのか。斬ればいいだろう。


 そんな、如何にも簡単かのようにムサシはそれを横の一閃で斬って払った。小刀の一閃、そして弾丸はもう「その場に存在しない」。不在を証明する一閃。


(ぜつ)燕返(つばめがえ)し……」


 嘘のような技法、「弾丸反(たまが)ね」。銃弾を「斬る」という行為、フィクションでも多く語られてきた。実は理屈的にはそんなに難しい事じゃない。


 素早い速度の弾丸に鋭い刀の鋒を当てれば、自然と「斬る」事が出来る。これは鉄同士がぶつかり合って熱を帯びるのと、丸い銃弾に対して鋭い刃が「摩擦無し」で滑らすように当たる事、そして弾丸の速度故に「切った方向に弾が反れる」事で人の体に結果的に当たらないことが理由になる。俗に言う「斬鉄剣(ざんてつけん)」の理論だ。その条件をぬるくしたものである。ここまでは「銃弾を斬る」事が出来るなら誰でもこなせることである。そもそも銃弾に対して刀を当てるのが無理というならば諦めていい。そんなレベルの人間は世界で指を折って数えれるほどだろう。「視力」だけでも「反射神経」だけでもこれらの条件は満たせないのだから。


 そして、あまりにもその熱が大きかった場合。弾丸の速度と刀の速度がある一定値を超えた場合にのみ、それは存在する。そうした場合、刀で切られた弾丸は不思議な事に異次元の彼方へ葬られるのだ。


次元斬(じげんざん)……ッ!?」


 空間のメルトダウン。溶け落ちた次元に弾丸が飲み込まれた。別にだからどうしたって事は無い。ただの「弾丸反ね」と戦闘結果に変わりはない。もし、これに意味があるとするなら……。


 くそっ、今、私は「恐怖」した!まずい、まずいまずいまずいまずいまずいッ!


 銃弾を乱射するジャック。その全てを、ムサシは摺り足で進みながら次元の彼方へと葬っていく。気が付けば弾切れに。ジャックは拳銃をムサシに向かって投げた。ええいっ、こんなものもういらん!


 ムサシが拳銃を両断するのを尻目に、ジャックはひたすら距離を取った。距離を取るという事は、そもそも有利になるというわけではない。「神の手」という能力の特性上、ある程度の距離を詰めないとそもそも攻撃に移れない。そこは問題ない、ムサシが「摺り足」による瞬間移動で追いかけてきてくれるのだから。

 だから今のこの時間稼ぎにしか過ぎない逃走は、破れかぶれの作戦を実行するため。ジャックは逃げつつも、白衣の内側からまち針をムサシの方に送っていった。


「どうした、戦いはもう終わりか?」


 刀でまち針を退けるムサシ、距離は15メートル。このぐらい……かッ!


「「今から」始まるのさッ!」


 ジャックは空へと大地を蹴って飛び跳ねた。人間の跳躍では無い。勢いを付けて飛び跳ねたそれは、とても高く、高く飛んだ。そして、飛び跳ねる途中もまち針をムサシの方へ。


 そして、最後。ジャックは空中で両手で計六本の「メス」を同時に、ムサシに投擲した。


「かっ、(ぬし)の白衣は四次元ポケットぞ?」


 もう空っ穴だよ……!


 高い位置からの投擲、これに意味がある。大事なのは相手の視界をかく乱する事だ。丹念に込めたこの一撃で、お前のナトリウムチャンネルを揺さぶってやる!


 幾つものまち針と六発のメスをムサシは大刀と小刀で切り捨てた。そして、気が付けば左手に違和感。気が付けば、ムサシは小刀を地面に落としていた。


 何……ッ!?


 ムサシの左腕から、ポロっと落ちる何か。ギラリ、と一瞬だけ空からの光に反射して、そしてそれは草原の地面に落ちて見えなくなった。


 裁縫……針……ッ!!


 ジャックは最後の針投げの時に幾つかの裁縫針も混ぜていた。メスの投擲時にも乗せるようにして投げた。まち針もメスも、視覚の攪乱。本命は何よりも見えない「裁縫針」。そのうちの一つだけがムサシに当たった。一つだけしか当たらなかったが、逆に言えば一つも当たったのだ。ならば、効果は覿面。


 ムサシの左腕は活動を停止している。今空中に居るジャックだが、直ぐにでも落ちてムサシに接近したい。片付けるなら相手が戸惑っている今だ。ならば……!


 ゆらり、とムサシの体が揺らめいて。次にザン!と両足で大地を捉えて腰を据えた。右手だけで握った大刀を左の腰に携え、ジャックに対してプレッシャーを放つ。


綺羅星(きらぼし)明里(みょうり)脳裏(のうり)(かん)()()け」


 ……いやっ、いやいや嘘だろう?お前は片手じゃないか。さっき「恐怖」した物がここで一気に来た。だから嫌だったんだ。


白玉楼(はくぎょくろう)(もん)(くぐ)れ!鬼羅夢刃(きらむじん)奥義(おうぎ)――」


「なぜそんな鬼迫を出せる!?15メートルの距離に届くと思ってるのかあァァァッ!!?」


「――「魔王(まおう)」!!」


 その一言と共に、ムサシは大刀を空中のジャックに向かって振るった。豪快な一閃だ。脳内の警報がサイレンをけたたましく上げた。ジャックの目には、どうしてもその刀が「空の向こう側まで」を斬り裂く物にしか見えなかったのだ。


 駄目だっ!「当たる」!あれは「当たる!」


BLOOOOOOD(ブラーーーーーッド)!!!」


 最終決断。ジャックは迫り来るその刀に対して、この身に届く寸前で刀身の腹を右足で下から蹴っ跳ねた。


 確かにそこに在る刀を(いち)(ばち)かの賭けで蹴って、その勢いでジャックはまるで鉄棒で逆上がりをするような体勢とムーブで地面へと急降下、大地にその足を付けることに成功した。体内からどっと嫌な汗が噴き出した。


 死の意識。人の最後の生命線。


 人間は常にリミッターをかけた状態で生活している。性能を引き出せるのはその中で精々30%が限度……。それより先を踏み出すと身体が壊れてしまう。脳がストップをかけるのだ。

 そんなリミッターを外せる方法がある。それは生命の危機だ。脳が「死」よりも「身体の崩壊」を選ぶため、人はその瞬間にだけ限界を超えることが出来る。尚、その後はお察しだ。それで命が買えるなら安いもんだろう。


 このジャック・ザ・リッパーという者。いつでもリミッターを外すことが出来た。脳内で意識するだけで強制的に「プラシーボ効果」を発生させ、身体を縛るタガを外し、その全力を行使出来る。これは「神の手」とは違って異能力では無く、特技である。特技も昇華すれば「二天一流」のように異能力に成り得るが……。

 そして成立する「100%」。これは脳内麻薬によるものだ。そこからさらにジャックは「身体の崩壊」を選ぶ事が出来る。これはいつでもとはいかない、生命の危機のみだ。既に限界を超えた彼女だからこそ、その限界を超えた限界という壁を突き破る事が出来た。「身体の崩壊」と引き換えに、だ。


 心臓を異常という言葉では生ぬるいほど強制的に酷使し、全身に血液を壊れるほど促進。その状態で得られる身体パフォーマンスはおよそ1.8倍。100%の1.8倍だから、「180%」。通常が「30%」だとしたら、その方程式の末はこういう(かい)で差し支えないだろう。


 通常の六倍。


 持つかっ!?後15秒!持たせる!それだけあればケリを付ける!大刀を振るったムサシ、左手は動かない――攻めるなら今だ!


 15メートルの距離をジャックは駆けた。ストップなど効かない、もう食い殺す事前提で。そもそもチャンスを逃した場合、次のチャンスは回って来ない。じゃあ殺す。今すぐ殺す!死んでも殺す!


 駆けたジャック、最後の武器「ジャックナイフ」を右手に持ち、ムサシの首元に食いつくとでも言わんばかりに飛び込んだ。


 ザシュン!とても心地の良い音だった。ジャックはこの音をよく知っていた。肉が、内蔵が切り裂かれる音だった。心地の良い音だった……。


「極一刀流・奥義「剛の一太刀」」


 その眼に映った直前の景色は、「両手で大刀を構えた」ムサシの姿だった。


 え……?何で……?


「心に刃を持つ者、故に「忍」なり」


 武芸百般(ぶげいひゃっぱん)(さむらい)とは、「(そうろう)」。(さむら)う者の意である。即ち、「あらゆる物事に対応出来る者」の事。それは芸者の「見栄切り」然り、忍者の「忍び足」然り。

 侍は凡ゆる物事に精通する。それは知識・技術に限らず、身体的にも。


 忍者は幼い頃から毒を微量に摂取し続け、成人した頃にはどんな有事に対しても毒の効果を受け付けず行動出来る正に「死の美」とも言える状態になるそうだ。現代では毒に耐性を持つ者を挙げるなら世界一防御力の高い「プロレスラー」を挙げる者も居るだろう。


 侍もまた、毒に対して耐性を持っている。左腕の麻痺は、既に剥がれた。


 ジャックの左手が直前でムサシの腕を握りつぶしていたが時既に遅し。その心の刀は、ジャックの体に深く深く。鎖骨を胸骨を貫き、左胸部に突き刺さっていた。心臓を潰してしまえば人の機能は停止する。

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