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4 謎だらけの選抜試験

 えーっと、これは何の試験ですか?


 乃江流は半ば呆然としたまま広間を歩いていた。

 先ほどまでいた広間だ。座布団はよけられ、何もなくなってがらんとした部屋は、何畳あるかわからないくらい広い。その部屋の中を、まっすぐ歩いていく。横目で隣を歩いている巫女達を見ると、彼女達は平然としているように見える。なぜ平然とできるのかわからない。困惑したまま、隣と同じ歩調で歩いていると、当然のように壁にたどり着く。そして反対方向を向き、また歩き出す。元いた場所へと。


 もう一回言っていい?これ何の試験?

 

乃江流は目だけを動かして壁際に座っている武士達を見た。彼らはにやけた表情で5人の巫女達が歩く様子を見ていた。畳に置かれた和紙に筆で何か書き込んでいる者もいる。

 一体何の意味があるのかわからないまま、元いた場所に戻ると、入れ替わりに次の5人が歩き出す。

「あの、何これ?」

 先に歩き終わっていた美少女イタコに声を掛けてみると、彼女は美しい表情を崩しもせず平然と言った。

「暇つぶしよ」

「でもこれ、巫女の力と全然関係ないですよね?」

 名を聞かれ、五人横に並ばされて、室内を往復歩かされただけだ。巫女も何も関係ない。

「ただ歩いただけで、一体何がわかるんですか?」

 美少女は目を細めて口角を上げた。

「そのうちわかるでしょう」

 彼女は目を細め、妖艶な笑みを浮かべて言った。

 意図を教えてもらえるんだろうかと乃江流が首を傾げていると全員が歩き終わったらしい。しばらく待つように言われ、武士たちはどこかへ行ってしまった。

 入れ替わりに女中たちがわらわらと入って来て、全員に茶菓子が振舞われた。銘菓だという雷おこしという名の菓子はとても美味しかった。これを土産に買って帰りたいと思っていると、武士たちが戻ってきた。

「一次試験の合格者を発表する。名を呼ばれた者だけ残るように。呼ばれなかった者は帰ってよい」

 帰ってよいとは酷い言い草だ。近所ならともかくこのために長旅をしてきた者に対して、ただ歩かせただけで礼もなく帰ってよいとは、なんとも失礼ではないか。 乃江流はそう思いながらも、少し安堵した。

 試験は意味不明だったが、帰れるならばそれでいい。安堵の息を吐いた乃江流は、次の瞬間凍りついた。

「宮坂乃江流」

 野太い声で名を呼ばれた気がした。

 みやさかのえるって言った?聞き間違い?

 ギギギ、と顔を上げると、隣で美少女が笑った。

「あなた、みやさかのえるっていうの?」

 自己紹介すらしていなかったが、今ので名前がわかってしまったらしい。教えることもなく帰れると思っていたのに。

いつのまにか名前を呼び終えた武士が大きく咳払いをした。

「名前が呼ばれた者は二次試験を行う。他の者は速やかに出て行くように」

 名を呼ばれなかったらしい巫女達が次々と出て行った。残った人数は二十人ほどだ。

「うそ、なんで私……?」

 呆然としている乃江流と対照的に、美少女はその場に座ったままのんびりと茶を飲んでいた。

「美少女さんも呼ばれたの?」

 美少女は茶碗を置くと、美少女なんてやめて、と言って笑った。

「森橋さゆりよ。よろしく」

「さゆりさん?宮坂乃江流です。よろしく……」

 片手を差し出されて、乃江流は反射的に握り返した。細くて真っ白な手だ。美人は手まで美しいらしい。

「乃江流って変わった名前ね」

「そうなんですよ」

 乃江流はその言葉に大きく頷いて同意した。詳しい由来を話そうとしたとき、また野太い声の武士が静まれ、と叫んだ。

「第二の試験を執り行う」

 今度は一体何をするのか、と身構えたのは乃江流だけではなかった。巫女達の間に緊張が走る。ぴりっとした空気の中、武士は野太い声で言った。

「今からお前たちに墨画を描いてもらう」

 室内に沈黙が落ちた。その沈黙は巫女達の心情を大いに表していた。

 ―――なんで?

 疑問をぶつけることもできず、乃江流はさゆりを見た。さゆりも困惑しているのではないかと思ったからだ。

 ところが、彼女はうっすら笑みを浮かべている。少し前から思っていたが、さゆりはこの試験を楽しんでいるようだった。乃江流には何が楽しいのかさっぱり理解できない。

「さゆりさん、この試験はどういう意味があるの?」

「さあ。でも変わってて、ちょっと面白いわ」

「全然面白くないよ!私、絵なんて描けない!さゆりさん描けるの?」

 こそこそ話していると、横のほうで見張るように立っていた武士に睨まれてしまった。人が少なくなったせいか、話をしていると目立つようだ。

 全員に墨と筆、和紙が配られたことを確認し、武士は開始を告げた。

「では、始め!」

 よくわからないまま始まってしまった。

 乃江流はどうしよう、と白い和紙を眺める。描けと言われても、何を描けとは言われていないのだ。すらすら描けるほうがどうかしている。

 周囲の巫女達も、まだ筆を動かしていない。悩んでいるのだろう。

 ―――どうしよう。白紙で出すわけにもいかないし。いや、白紙で出せばいいのかな。そしたら絶対不合格!……いや、待てよ。白紙で出したら、なんで白紙で出したんだって怒られるかもしれない。そしたらどうしよう。こういう場合『幸せを呼ぶ巫女』なら「この白は幸福を呼ぶ色です、黒を入れると訪れるはずの幸せが飛んでしまいますよ」なんて言えば簡単に丸く収まるんだけど。いやいや、丸く収めて気に入られたらどうしよう?

 つらつらと考えていると、隣で、もの凄い勢いで筆を動かしている人に気がついた。

 さゆりだ。淀みなく滑らかに筆が動き続けている。どうやら風景画を描いているようだが、素人目に見ても完全に玄人の技巧だった。

 ――凄い。凄いというか、怖い。

 目が据わっている。一心不乱に描いているというよりは、何かにとり憑かれているようだ。

 たぶん、とり憑かれているのだろう。絵師の霊でも呼び出して憑依させているに違いない。先ほどまでのさゆりとは明らかに違う。それは完全に異様だった。

 さゆりは壁際で見守っている武士たちの注目も集めていた。

「……さすが……」

 本当にこういう人っているんだなあ、と感動しながら呟いた言葉はさゆりには聞こえていない。神や霊を見たことのない乃江流には、イタコという存在は半信半疑で聞いていただけだったが、こうして間近で見ていると信じずにはいられない。

 

 ――これは優勝だわ。

 

 なるほど、こういう試験だったのか、と乃江流は一人納得して頷いた。

 霊的能力を使っていかに上手く画を描くかが求められているのだ。将軍がこの試験でさゆりのような巫女を求めていたのは間違いないだろう。

 天は二物を与えず、ということわざは完全に間違いだ。天は気に入った娘には二物も三物も与えるに違いない。乃江流はがっくり肩を落としたが、どこか吹っ切れた気分になった。

 美人な上に、霊的な力を持つさゆりに勝てる要素は一切ないとよくわかったのだから気負っても意味はない。周囲を見回すと、他の巫女達も何か描き始めているようだ。

「……なんでもいいか」

 勝てるわけもないし、何か適当に描いて帰ろうと乃江流は筆を持ち上げた。

 



 半刻ほど経って終了が告げられると、武士たちは和紙を回収していった。再び待つように言われ、茶菓子が振舞われた。

「さゆりさん、凄かったね。あの風景画、ものすごい上手かったし」

「そうね。なかなかの腕だったわ」

 さゆりは茶を啜りながら他人事のようにあっさり言った。

「さっきの、あの世から呼び寄せた霊?」

「いいえ、すぐ近くにいたのよ。元々何代か前の将軍お抱えの絵師だったみたいで、この城に居着いてたのね。久しぶりに描けるって喜んでたわ」

「その霊はどこ行ったの?今もいる?」

「描き終ったら満足してどっか行ったわ。あの世に行ってればいいけど」

 乃江流は嘆息した。やっぱり霊の見える人は違う。非現実的な会話だ。

「乃江流は何描いたの?」

「あ、うーん、適当に描いた。絶対ここでさよならだと思うよ。このお饅頭、柚子餡ですごく美味しい!さゆりさんも食べてみて!」

 饅頭の話題から美味しい食べ物の話題に移ったところで、武士たちが戻ってきた。

 これで帰れる、と乃江流はほっとする。

「名前の呼ばれた者だけ残るように。――森橋さゆり」

 ああ、やっぱり。

 乃江流はさゆりを見て頑張れ、と内心激励した。さゆりは相変わらず冷静で眉ひとつ動かさない。

「織田島寧々、藤田沙夜子、佐伯文子、宮坂乃江流。以上五名だ」

 

 はい?


「あら、乃江流も残ったじゃない。良かったわね」

 さゆりが楽しそうに言ったせいで、幻聴でないことがわかった。

「大丈夫?目が点になってるわ」

「っそりゃ点にもなるよ!何がどうなって勝ち残ったの!?なんでこうなるの!?」

 本当に意味がわからなかった。さっき描いた下手くそな絵のどこに勝てる要素があったのだろうか。

 乃江流は呆然と座り込んでいたが、ふと前方で騒がしい声がして顔を上げた。一人の巫女が壮年の武士に向かって何か抗議しているようだ。

「どうして私が!納得できません!私はあの出雲大社の巫女ですのよ!負けるはずなどございません!」

 出雲大社は日本中に知られている有名な神社だ。出雲は神々のふるさととも呼ばれている。そこの巫女ならば誇りも人一倍あるだろうし、何らかの力の持ち主なのではないだろうか。

「控えろ!御上の決定であるぞ!」

「あんな試験で一体何が量れるというんですの!もう一度やり直してくださいませ!私が日本一に決まっております!」

 見たところ年の頃は二十歳くらい、気の強そうな女性だ。こんな意味不明な試験で負けるのはさぞかし屈辱だろう。文句を言いたくもなるはずだ。乃江流は彼女を見て、なぜ自分が残っているのかあらためて不思議でならなかった。

 諌められてもまだ騒ぎ立てている巫女を、体格の良い武士達が力ずくで連れ出していく。

「そんなに残りたいなら私交換するのに……」

 ぽつりと言うと、さゆりに腕を取られた。

「駄目よ。私たち、もう運命共同体なのだから」

 さゆりは誰もが見惚れそうな綺麗な微笑を浮かべたが、なぜか乃江流はとてつもなく不吉なものを感じた。

「絶対さゆりさんが勝つと思うし……」

「そんなのわからないでしょう。これは暇つぶしなんだから」

 暇つぶし。さゆりはこの数時間で何度かこの言葉を使った。その度に何か違和感を覚えてしまう。

「……ねえ、さゆりさん、何か知ってるの?」

「まさか。御上の考えなんかさっぱりわからないわよ」

「……だよねぇ……」

 乃江流は背中がゾッと粟立つのを感じながら、引き攣った笑みを返した。





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