3 集められた巫女たち
江戸はとても賑やかな町だった。活気があり、人々の声も明るい。駕籠の中にいて景色が見えないのが残念だった。乃江流は様々な音を聞きながら、自分で町を歩きたい衝動を抑えた。
時刻は正午近くだ。従者達は時間に間に合うよう一目散に乃江流を城へと運んだ。
「何者だ?」
硬い男の声が聞こえ、従者達の脚が止まったことで、城に着いたのだとわかった。将軍に呼ばれた巫女であると従兄弟が告げ、文と手形を見せると、ややあって城内へと入ることができた。
やっと外に出られる、と息を吐いたのもつかの間、周囲の光景に乃江流は固まった。
「どういうこと?」
城の入り口、すぐ近くに巫女装束を着た娘が3人いる。皆駕籠に乗せられてきたようで、従者と別れの挨拶を交わしている。
「乃江流、どうやら俺たちはここまでしか入れないようだ」
従兄弟に声を掛けられ、乃江流は困惑しながら聞いた。
「私の他にも巫女が来てるの?なんで?」
「わからない。が、ここまで来たら行くしかないだろう。逆に一人きりじゃなくて良かったじゃないか。お前とちょうど同じ年頃の巫女だ」
「皆一緒には来られないの?月子さんも?」
「付き添いは一人までだそうなので、私がご一緒いたします」
月子が微笑んで、乃江流はほっとした。従兄弟が小さな声で続ける。
「俺たちは近くに宿を取って用が終わるのを待ってる」
「宿はどこ?」
「安い旅籠だ、ここからは少し遠い。とりあえず夕方また来るから、頑張れよ」
従兄弟は笑みを見せて励ますように乃江流の肩を叩いた。従者達もそれぞれ乃江流を激励し、城を出て行った。
「さ、行きましょう」
月子に促され、乃江流は大きく深呼吸して城内に足を踏み入れた。
女中に案内されて城の奥へと進むと、大きな広間があった。女中が襖の戸を引くと、その中の光景に乃江流は目を剥いた。
巫女、巫女、巫女。
どこを見ても巫女だらけだ。何人いるのか、数えるのも面倒なくらいだった。皆静かに畳の上の座布団に座っている。
「お付の方はこちらへ」
「待って!どこに行くの?」
女中が月子を連れて行こうとするので、慌てて月子の袖をつかむと、女中にやんわりと諭された。
「お付の方は別室でお待ちいただくことになっておりますので」
月子は乃江流の手を握った。
「大丈夫ですよ、お嬢様の他にも巫女さんがいらっしゃるようですし。私はお待ちしています」
月子は不安げな乃江流を安心させるような笑みを残して廊下を歩いていった。
仕方なく室内に入り、後方の座布団に正座する。よくよく見てみると、近くに座っている巫女達もどこか不安気でそわそわした様子だった。左隣に座っていた同じ年頃の巫女と目が合った。
「あの、これから何が始まるんですか?」
静かな部屋に声が響かないよう、小声で聞いてみると、彼女は困った顔で軽く肩を竦める。
「私にもわかりません」
状況がわかっていないのは自分だけではないらしい。そのことに少しほっとした。
しかしこんなに巫女を呼んで何をするつもりなのだろうか。
「……よくない予感がするわ」
ぽつりと聞こえた言葉に右隣を見ると、先ほどまで誰もいなかったはずの場所に同じ年頃の巫女がいた。
いつの間に、と思いつつも顔を見ると、見たこともないような美少女だった。
うわあ、すっごい綺麗!
艶のある長い黒髪は一部の乱れもなく肩下で切りそろえられ、猫のような大きな目は睫毛が長く、黒い瞳が黒曜石のように輝いている。乃江流はこれほどまでに顔貌の整った少女を見たことがなかった。思わず拝みたくなるような美貌だ。
一日だけでも顔を交換してほしい、と感動していると、彼女は乃江流の顔を見てスッと目を細めた。
「あなた、どちらの巫女?」
「か、華道川神社です」
「ああ、幸せを呼ぶとかいう……」
「えっ!」
乃江流は飛び上がりそうになるくらい驚いた。噂が届いているということは、近所の巫女だろうか。これほどの美少女が巫女ならば華道川神社なんかよりずっと噂になりそうなものだが。
「あの、あなたはどこから?」
「私は下北の霊場恐山から」
恐山。それは下北半島にある日本三大霊場に数えられる霊験あらたかな場所だ。巫女達は特別な力を持って霊と対話したり、あの世から霊を呼び寄せるといわれている。いわゆるイタコと呼ばれる巫女だ。全然近所ではない。乃江流の故郷よりもっとずっと北だ。
「わあ、それは……遠かったでしょうね」
「そうね、突然だったからかなり急いで来たわ。それにしても江戸って暑いのね。夏みたい」
「あ、それは私も思いました!やっぱり南のほうは違いますよね」
親近感が沸いて思わず微笑んだ乃江流を、恐山のイタコはじっと見つめ、少しだけ口角を上げた。
「あの、これから何が起こるか知ってます?」
「さあ、わからないけれど」
美少女は口元に手を当てた。良くない予感がすると言っていたのはただの勘のようなものらしい。
ほら来たわ、と美少女に相応しい美しい声で言われて前方を見ると、武士らしき男性が数人顔を出した。彼らは巫女の数を数え、なにやらこそこそと話をしている。そして顔を見合わせて何度か頷き合った後、やっと巫女達の前に出てきて言った。
「諸君、此度はよく集まってくれた。これから将軍秀尊様の命により、日本一の巫女を決定するため、選抜試験を行う。諸君の巫女としての技量を見せていただこう!」
乃江流はぽかーん、と効果音がつきそうな状態で固まった。たぶん他の巫女も同じようになっているだろう。
と思ったら、右隣から小さな笑い声が聞こえた。美少女は乃江流の顔を見て笑っている。
「ふふふっ!その顔!」
いやいやその顔ってひどいな、顔は生まれつきです!
乃江流はそう思いつつ、口に出す余裕がない。美少女の白い袖をぎゅっと掴む。
「今日本一の巫女って言いましたよね?選抜試験とか言いましたよね?聞き間違いじゃないですよね?」
「ええ、そうね。私にもそう聞こえたわよ」
「なんで?なんでそんなことするんですか!」
小声で必死に言い募ると、美少女は笑いを引っ込めて言った。
「どうやら私たちは将軍の暇つぶしか余興に呼ばれたようね」
「……暇つぶし……」
将軍というのはそんなにやることがないのだろうか。というか、こんなことのためにわざわざ長旅をしてきたのかと思うと馬鹿げている。
日本一の巫女を決めてどうするのか。巫女に順位を付けるなど、どうかしている。日本一かどうかなど競って決められるものではないだろうに。
周りの巫女達もぽかーん状態から我に返ったようで、ざわついている。
「静まれ!これは我らが将軍秀尊様の直々の命である!」
前に立っていた位の高そうな壮年の武士が大声を出すと、再び室内は静まり返った。
「見事日本一となった巫女には、褒美を取らせることとする。皆全力で取り組むように」
褒美。現金な乃江流は、一体どんなものが貰えるのかと心を動かされた。しかしすぐに雑念を払うように首を横に振る。
そもそも何も力のない乃江流が日本一になれるわけもないのだ。今すぐ辞退して帰りたい。
「あの」
ふいに前方で控えめな声がした。顔は見えないが長い黒髪を背中で纏めた巫女が立ち上がる。
「私にはあまりに身に余るお話です。辞退させていただきたいのですが」
巫女の言葉に、乃江流は背筋を伸ばした。彼女が思っていたことを代わりに言ってくれたのだ。
ここでお許しが出れば自分も辞退しよう。そう思った矢先に、武士から非情な言葉が放たれた。
「辞退は認めぬ!ここに集められた者は皆広く名の知れた巫女ばかり。その名に恥じぬものを各々が持っておるはずであろう」
そんなもの持ってませんけど!
乃江流は心の中で叫んだ。実際に叫んでしまいたかったが、そんなことはできない。一応名の知れた巫女の一人として呼ばれたらしい乃江流がそんなことを言えば、華道川神社は終わりだ。ここに集まった巫女達も皆、自分や神社の名誉のために、何も言えないのだろう。発言した巫女も何も言わず座り、室内は再び静まり返る。
だ、誰か!助けて――!
心の中の叫びも虚しく、武士は大声で言い放った。
「では、第一の試験を執り行う」