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2 突然の呼び出し

 それは突然の知らせだった。

「乃江流―!」

 雨が降ったり晴れたりで天候が安定しないせいか、客の少ない日だった。桜は既に見ごろを終えて葉桜になっている。竹箒で花びらや葉を掻き寄せながら、母親を見る。雨は止んだが、地面はびしょびしょで、着物の裾を汚してしまっていた。いつもは「はしたないから走らない!」と怒られている乃江流だが、しめたとばかりに口を開いた。

「お母様、はしたないから走ってはいけないのでしょ?ほら泥がついてる」

 ふふんと笑った乃江流の眼前に、母親はひらひらした紙を差し出した。何事かと顔を顰めると、母親が息を切らしながら言った。

「そんなこと言ってる場合じゃないの!これ、江戸からよ!」

「え?」

 江戸とは南方の都の名だ。大きな都だと話には聞いている。だが、乃江流の知る限り、江戸に知り合いなどいないはずだ。

「江戸って、誰から?江戸に親戚がいたの?」

 のんきに聞き返した乃江流に、母親は叫んだ。

「違うわ!将軍様よ!江戸幕府の将軍、徳川秀尊様よ!」

 乃江流は数回目を瞬いたあと、絶叫した。

 

 

 再び雨が降ってきたため、二人は家に戻った。すぐに父親と祖母がやってきて、緊急家族会議が開かれた。母親が言うには、将軍の使者が江戸から直々に文を持ってきたらしい。使者はすぐに去ってしまったようだが、その文には、すぐに江戸に来るようにと書かれていた。関所を通るための通行手形までしっかり用意してあった。

「どういうこと?」

 乃江流は呆然と言った。両親は難しい顔をしている。

「幸福を呼ぶと名高い巫女である貴女に是非とも会いたい、と書いてある。その通りなのだろう」

「でも!なんで私!?どう考えてもおかしいでしょ?私がそんなに有名なはずない!」

 江戸は遠い。江戸までは歩いて十日は掛かるという。この地の近隣ではある程度有名でも、江戸まで評判が届くとはとても思えなかった。一介の巫女に将軍が興味を持つなど有り得ない。

「……どこからか聞きつけたのかもしれん」

「将軍様自ら会いたいだなんて、どうしたのかしら」

 母親も首を傾げて唸った。

「ご病気とか?悩みがあるのかもしれないわ。それで巫女の力が必要になったのかしらね」

「待ってよ。江戸には優秀な医者とか祈祷師とかいろいろいるでしょう?私でなくてもいいじゃない!なんでわざわざ江戸まで行かないといけないの!?」

「乃江流。これは将軍直々の命令だぞ。行かなければどうなると思う」

 乃江流は口を引き結んで文を見た。将軍の署名が視界に入り込む。確かに、国で一番えらいお方だ。命に従わなければ打ち首獄門の刑かもしれない。かもしれないというか、絶対そうだ。間違いない。

「いいじゃないかい、せっかくの機会だから江戸を見ておいで。女が旅する機会なんて滅多にないべよ」

 黙っていた祖母がのんびりと言った。一切危機感のない祖母を見て、乃江流は項垂れる。

「行くだけならいいよ!でも、もしも病気を治せとか変な願いを叶えろって言われたらどうしたらいいの。私が幸せを呼ぶ巫女なんかじゃないってよーく知ってるでしょ!違うって知られたらっ……!」

 そのあとは恐ろしくて言葉にならなかった。両親は暗い顔で顔を見合わせ、諦めたように言った。

「それならそれで仕方がない。誠心誠意謝罪することだ。とにかく行ってみなさい。行かなければ私たちはお終いだ」

 行かなければ命に従わなかったと家族揃って打ち首。行って無理難題を吹っかけられ、応えられなければ乃江流が打ち首。行っても地獄、行かなくても地獄というわけだ。乃江流はお先真っ暗、という状態を初めて実感した。


 

 迷っている暇はなかった。五月の末日、正午ちょうどに江戸城に参るようにとのお達しに、急いで旅支度を整え、七日後には出発した。乃江流は歩いても一向に構わなかったが、名高い巫女として将軍に会いに行くのに徒歩は有り得ないだろうと、両親が駕籠を運ぶ男手を雇った。

 乃江流は駕籠に乗せられ、男性四人が交代で担ぐことになった。それから女一人だと何かと心細いだろうと、女性も一人付き添ってくれることになった。神社で手伝いをしてくれている月子という三十代半ばの女性だ。近所の下級藩士の妻である彼女は、子育てを終えて時間が空いているからと一緒に来てくれることになった。乃江流は彼女が一緒ということで少し心が安らいだ。また旅慣れた三十代後半の従兄弟も一緒に江戸に行くことになり、六人の旅となった。

 

 生まれた土地から出るのが初めてである乃江流は、家族と別れた当初は悲しみに暮れていたものの、何日か経つと、新しい景色に感嘆したり宿に感動したりと忙しかった。駕籠に乗っていたのは最初だけで、すぐに皆と一緒に歩くようになった。

 雇った男性陣は気さくな人たちで、道すがら雑談をしたり、しりとりをしたりと、道中は想像よりずっと楽しい。景色はそれほど代わり映えしなかったが、知らない土地の名物を食べられるのが楽しみになっていた。

 いくつかの関所を通り過ぎ、出発して六日経ったころから、乃江流の表情はどんどん暗くなっていった。田畑が広がる景色を眺めながらぼんやり歩いていると、月子に声を掛けられた。

「お嬢様、疲れませんか?駕籠に乗られた方が」

「いえ、大丈夫です!今日はまだそんなに歩いていないし」

 笑みを作って答えた乃江流だったが、前を歩いていた従兄弟が真面目な顔で振り向いた。

「あと二日で江戸に着くから、明日からは駕籠に乗ってもらうよ。巫女様が歩いてきたなんて外聞が悪いから」

 乃江流はため息を噛み殺した。

 江戸に着いたらどうなるかなんて、想像したくもない。このまま遠くへ逃げたい気分だ。聞くところによると、江戸を通り過ぎてずっと行くと、江戸以前の古都があった有名な地があるのだという。いっそそっちまで行ってしまいたい。

「将軍様が直々にお呼びだなんて、凄い事ですよね?一体何用なんでしょうか」

 背後で駕籠を担いだ若い従者が言うと、年配の従者が笑った。

「そりゃあ、幸せを呼ぶ巫女様にあやかりたいってことだべ。なあお嬢さん」

 乃江流は頭だけ振り向いて小さく微笑んだ。たぶんそれは間違いない。

「今の将軍様にはまだ子がいないって話だ。子宝をってことじゃないか?」

 従兄弟が振り返って言った。一同から納得したような声が漏れる。

「ね、将軍様ってどんな方なのかな?」

 将軍のことなど地方住まいの身には関係がないと思っていたので、乃江流は何も知らなかったが、ふと気になって尋ねてみた。仕事で江戸へ何度か行っている従兄弟が難しい顔で唸る。

「さあ、俺も詳しくはわからない。高貴なお方の噂はあまり下には流れてこないからなあ。ただ、まだ若いはずだ。二十になるかならないかじゃないか?」

 若い人と聞いて少し気分が上向く。いや、でも若い人でもとんでもない暴君で、命をなんとも思わない人だったら一貫の終わりだ。

「変な人じゃないならいいんだけどね……」

「将軍に選ばれるくらいだから、そこまで変な人ではないだろうよ」

 そんなに心配するな、と従兄弟は楽観的に笑って言った。

 こんな風にのんきに笑いたいものだ、と乃江流は思った。そもそも用件も言わずにすぐに来い、という文だけ寄越してくる時点で礼節に欠けている。どんな無理難題を言われるかわかったものではない。従兄弟が言う様に子供の件だったとしたら、子宝祈願に強い神社の巫女を呼ぶべきだろうに。

「祈祷したらすぐ帰れればそれでいいな……」

 子供ができるまで祈り続けろ、なんて言われなければいい。今回雇った従者達にとっては乃江流を故郷に戻すまでが仕事だ。滞在が長引けば彼らにも負担がかかってしまう。

 早く終わって無事に家に帰れれば良い。願うのはそれだけだった。





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