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「乃江流、ほら」

 目の前に美味しそうなみたらし団子を差し出されて、乃江流は思わず口を開けてしまった。秀尊はどこか楽しそうに団子を口元に運ぶ。そんな様子を、少し離れた場所で侍女や従者たちが見守っていた。

「美味いか?」

 天然醸造醤油を使ったというみたらし団子はもちろん素晴らしく美味しい。頬が緩みそうになるが、素直に喜べないのは人目があるからだろうか。皆微笑ましいものを見るような目で見てくるのだ。すごく微妙な気分になる。

「小豆の団子もあるそうだぞ。頼むか?」

「い、いいです!もうお腹いっぱいです!」

「そうか?たいして食べてないだろう?」

「いっぱい食べましたよ!お昼ごはんもいっぱい食べたし、蒲鉾とかお饅頭に水ようかんも食べましたもん。これ以上食べたら太ります!」

「お前は痩せている方だろう。別に俺は気にしないが」

「……っ私は気にするんです!」

 さすがにこのまま美味しいものを食べ続けていたらまずい気がする。あまり太るのは嫌だ。

 将軍は僅かに首を傾げて、すっと立ち上がった。

「じゃ、行くか。歩いてれば腹も減るだろ」

 促されるままに歩きながら、乃江流は将軍の横顔を見上げた。

 やはり明るい所で見ても整っている、と思う。

 こんな人が自分を本気で側室にしようと思うなんて―――好きだなんて、とても信じられない。

 なんだかむず痒いような気分になって、乃江流は余計なことを考えないよう、隣を見ないようにした。

「御上、こちらは寄木細工の店でございます。最近人気があるということです」

 従者の声で、傍らの店を見る。

「ふうん。少し見てみるか?」

 乃江流は好奇心のままに頷いた。

 

「わ、すごい」

 店は小さいながら、沢山の木製品で溢れていた。お盆や箸、茶托、茶筒、小箱、手鏡、引き出しなど様々なものがある。その中で最も数が多いのは宝石箱や小箱だった。

 大小様々な美しい模様の箱に思わず惹きつけられた。

「こちらは細工箱となっております」

 店の女性に言われて、乃江流は目を瞠った。

「細工箱?」

「仕掛けがあり、すぐには開かないようになっているのでございます。箱の面を何度か指定の方向にずらすことで、箱が開く仕組みです」

 売り子の女性が箱を開けて見せてくれた。箱の側面と上面を少しずつ動かすことで、箱が開くようだ。

「へえ~」

「どうぞ、お試しください」

 勧められて、自分の手でもやってみた。何十回も動かさなければいけないものもあるらしいが、一番仕掛けの少ないものは覚えてしまえばすぐに開けられるようになった。

「なんだそれ?」

「将軍様、見てください!これ、こういう風にやると開くんですって!」

「ふうん、面白いな」

「でしょう!?」

 将軍が同意してくれたので、思わずはしゃいでしまったが、売り物をずっと手にしているのはよくない。すぐに箱を展示されていたように戻した。

「この柄が好きか?」

「え?好きです、けど」

 唐突に言われて目を丸くすると、将軍は売り子を呼びつけて「これを貰う」と言い放った。

「ありがとうございます」 

「え、あの」

「こちら現物でよろしいですか?お時間をいただければお気に召すようにおつくりすることもできますが」

「いや、いい。これを妻が気に入ったようでな。すぐに持ち帰りたい」

「畏まりました。ただいまお包みいたします」

 呆然としていると、勝手に話が進んでしまった。

 欲しいとは一言も言っていないのに。というか、結構良い値段なのではないのだろうか。将軍は代金も確認せずに即決してしまった。

「あの、将軍様、いいですよあんな高価なもの!」

「小さい箱だし、たいして高くもない。それよりせっかく来たんだから土産がいるだろう」

「食べ物もいっぱい貰ったし、お部屋だって凄いし、充分です。これ以上望んだら罰が当たりそうですよ」

 本気でそう言うと、将軍は笑った。

「乃江流は本当に欲がないな。でも今日は形に残るものを贈らせてくれ。なんたって俺達の初めての旅行だろう?」

 そう言われて、乃江流は黙り込んだ。

 初めての旅行。その響きがなんだか甘くて腹の辺りがむずむずするのだ。そっと手を握られて、体温が急上昇するのを感じた。

「行くか」

「はい……」

 店を出ようとすると、背後で小さな声が聞こえた。

「将軍様は奥様ととても仲睦まじいご様子ですのね。何よりですわ」

 売り子の女性が従者に品を渡しながら、そんなことを言った。

 ―――奥様。それが自分を指す言葉だと思うと、なんだか恥ずかしくていたたまれない。将軍も自分を妻だとか言うし。

 顔が熱くなる。一体自分はどうしてしまったのだろうか、前まではこんなことなかったのに。

「乃江流、どうした?」

「いえ、別に……」

 なんとなく顔を見られたくなくて、俯いたまま歩き出した。







 

 ―――もう何も食べられない。

 乃江流は自分の行動を心底悔やんだ。旅館の夕食が美味しいと思って、あんなに食べるべきではなかった。将軍がいらないと言った水菓子まで貰ってしまったのだ。完全に失敗だった。

 気を紛らわすために今日買って貰った小さな細工箱を眺めてみる。全体は紅色で、幾何学模様が花のように見えてとても綺麗だ。何を入れようか考えるのも楽しくて、うきうきしてしまう。

「まだ腹が苦しいのか?」

 風呂からあがってきた将軍に言われて、乃江流は頷いた。

「風呂に入って消化して来い。明日の朝には発つからな、ゆっくりできるのは今日のうちだぞ」

 そう言われて、あっという間の旅行だった、と思った。

 将軍は忙しいらしく、三日休みを取るだけて大変だったらしいが、せっかく来たのだからもう少しゆっくりしたかった、などと贅沢なことを思ってしまう。

 今日は二人で散歩をして、いろんなものを食べて、店を覗いたりして、とても楽しかった。


 温泉につかりながら、ふと考える。

 今夜はどうなるのだろう。昨夜は子どもの話なんかが出たが、将軍は何もしてこなかった。今夜も何もしないのだろうか。

「……いやいや、されても困るんだけど……」

 急がないと言っていたけれど、そういう気があるのだろうということはわかった。どれくらい手を出さずにいるつもりなのだろうか。

「……どうしよう」

 考えるだけで顔が火照ってきた。さすがに昨日の今日でするということにはならない、と思いたい。けれど、対外的に見れば一応妻なのだし、どうなってもおかしくないのだ。

 そのことに、今日気づいた。

「…………」

 とりあえず、身体だけは念入りに洗っておこう。

 乃江流はそう思った。





 風呂から出ると、将軍の姿がなかった。布団は二組並んで敷いてあるが、そこにもいない。暗い部屋を探して歩くと、窓際に佇んで月を見上げていた。

 将軍は乃江流に気づき、来い、と低く言った。抗う気も起きずに近寄ると、腰を抱かれて引き寄せられた。

 どきどきと鳴る心臓の音を聴かれないように願った。将軍は乃江流を胸に抱いたまま微動だにしない。そっと見上げると、将軍は真っ直ぐ月を見ていた。

 今夜は雲が少しあるものの、月がとても綺麗に見える。乃江流も黄金の月をじっと見つめた。

「綺麗、ですね」

 小さく言うと、将軍は乃江流を見下ろして微笑んだ。

「そうだな……」

 髪を梳くように頭を撫でられ、乃江流は身体を固くした。将軍はゆっくりと唇を寄せ、乃江流の頭のてっぺんに口付ける。

「……そろそろ寝るか」

 やはり、そういうつもりなのだろうか。

 ここはやはり、ちゃんと聞いた方がいいのかもしれない。でないと悶々としてどうにかなりそうだ。

「あの……将軍様」

「ん?」

「あの、昨日、その、いろいろ、話を、その、子どものこととか、話をされ、ましたけれど……その……私、その……あの、」

 上手く切り出せずにまごついてしまう。将軍がぷっと噴き出した。

「なんだ、今夜『子ができるようなこと』をするかどうか気になるのか?」

 暗い部屋でも顔が真っ赤になったのがわかったのだろうか。将軍は笑って言った。

「急がない、と言ったはずだ。お前が良いと言うなら考えなくもないが?」

 乃江流は慌てて首を振った。

 猶予を貰えるなら有り難いことこの上ない。

「そうだろうと思ったよ。今日はしないから普通に眠ろう」

 内心ほっとして布団に潜り込むと、将軍も隣に寝転んだ。

「なあ、江戸では毎年夏に大きな花火大会があるんだ」

「花火大会?」

「ああ。優れた花火師たちがこぞって集まる、夏の風物詩だ。打ち上げ花火は凄いぞ。俺はいつも城の高い所から見るんだ」

「へ~!良いですね、あのお城の上の方なんて、特等席ですね!」

「今年は一緒に見ようか」

「私と?」

「見たいだろう?」

「……はい」

 素直に頷くと、将軍は優しく微笑んだ。その顔に、どきりとする。

「これからは、いろんなものを一緒に見よう」

「一緒に……」

 本当に、この人とずっと一緒にいるのだろうか。

 決して嫌ではない。

 それどころか、嬉しいような気持ちになっているのだけれど。

「そうだ、乃江流の子どもの頃の話を聞きたいんだ」

「私の子供の頃の話ですか?」

「ああ。お前のことが知りたい」

「……いいですけど、将軍様の話もしてくださいね?」

「ああ、わかった」

 その夜は、2人で長い話をした。そして、手を繋ぎあって眠った。

 

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