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10 日本一の巫女

 夜が明けて、陽が高くなった頃、五人の巫女達は再び江戸城に集められた。座敷に座ってた乃江流の元にさゆりが近寄ってくる。

「乃江流、大丈夫だった?」

 心配そうな顔をするさゆりに、乃江流は笑って見せた。とりあえず唇以上のものは奪われなかった。あれから、将軍は自室に戻り、乃江流は用意されていた布団で一人朝を迎えた。

「大丈夫。ちょっと話しただけで終わったよ」

「そう、ならいいんだけど……。乃江流は可愛いから、あの男何かしたんじゃないかって心配してたのよ」

「なにを言って……可愛いのはさゆりさんでしょ」

 乃江流は呆れた顔をしたが、さゆりは何もわかってないわね、と溜息を吐いた。

「お世辞はいいよ!それよりさゆりさん結婚してたの?」

「ええ。今度是非青森に遊びに来て頂戴。旦那を紹介するから」

 さゆりは綺麗に笑った。

 きっとものすごく格好良い旦那なのだろう。ぜひ一度見てみたい。

「おはようございます」

「おはよう。ご機嫌いかが?」

 文子と寧々が同時に室内に入っていた。

「なんだかとんだ茶番だったわね。早く帰りたいわ」

 文子の言葉に皆は苦笑した。

「でも結局日本一の巫女は誰になるんでしょうね」

 寧々が小首を傾げた。

「そんなのわたくしに決まっているでしょっ!」

 甲高い声に振り返ると、沙夜子が憤慨していた。毛を逆立てている子猫のようだった。

「茶番だろうと何だろうと!わたくしこそが最高の巫女ですわ!これは神が定めた紛うことなき決定事項よ!」

「あら、そんなこと言ってるけど、沙夜子さん。貴女本当はろくに力なんてないでしょ?」

「貴女の付き人のおばあさんは霊感のある人みたいだけどね」

 文子とさゆりが言うと、沙夜子は目を極限まで見開いて顔を真っ赤にした。乃江流は唖然として沙夜子を見た。

「なっ!ななな、な……」

 いつもの強気な物言いはどこへやら、沙夜子はろくに言葉を紡げずにいた。完全に図星らしい。

「な、にを!言うんですのっ!」

「だってほら、今貴女の目の前、霊が通ったわよ。見えないでしょ?」

 さゆりがにやりと笑うと、沙夜子は真っ青になって悲鳴を上げた。自分が日本一だと騒いでいたのは、コンプレックスの裏返しだったようだ。乃江流はぽかんと口を開けた。

「別にいいじゃない、特別な力のない巫女なんて大勢いるんだし。私は多少霊感があるけど神のお告げなんて聞いたことないわ」

 文子がくすくすと笑った。

「そうですね。正直言うと私も特別な力はないですよ」

 寧々もそう言って微笑む。乃江流は目を剥いた。

「ええっ寧々さんも力ないの?」

「ええ。幼い頃から舞を練習していたので、舞姫なんて呼ばれてますけど、それだけです」

「なんだ、私だけじゃなかったんだ……」

 乃江流がはぁぁ~と安堵の息を吐くと、さゆりが笑った。

「乃江流って変わってるわよねぇ。本人には何の力もないし、どこか天然で鈍いのに、なんでか神の加護がついてるみたいなのよ」

「本当ね。こんな変な試験なのに将軍本人に教わるまで何にも気付かないなんてね」

 文子にも笑われ、乃江流は肩を落とす。

「なんで?皆いつから気付いてたの?夜伽なんて……」

「試験の最中からおかしいと思ってましたよ。将軍様は一切出て来ないし、武士たちはいやらしい目で私たちを選別してるんですもん」

 寧々が苦笑して言った。そうそう、とさゆりと文子が笑う。乃江流は黙ってうつむいている沙夜子を見た。

「沙夜子さんも気付いてたの?」

「……気付いてましたわよ。私は地獄耳なんですもの。あの武士たち、将軍の側室にはどの女が一番いいかってこそこそ喋ってましたわ」

 沙夜子はぽつりと言って、勢い良く顔を上げた。

「乃江流さんは鈍すぎますわ。そんなんじゃこの先誰かに騙されますわよ!」

 大きな瞳でキッと睨まれて、乃江流は縮こまった。

「……す、すみません」

「ま、誰が日本一の巫女になるか見物ね」

 文子がからりと笑った時、武士達がぞろぞろと現れた。

 

 空気が張り詰め、物々しい雰囲気が流れる。武士のお決まりの口上の後、将軍が入ってきた。

 明るいところで将軍を見るのは初めてだ。昨晩とは違い、紺に金糸で模様を描いた豪華な着物をきっちり着込んでいる。乃江流が将軍を目で追っていると、一瞬目が合った。

「では、厳正な審査により選ばれた日本一の巫女を発表する」

 一体誰が選ばれるのかと乃江流は生唾を飲み込んだ。たぶんさゆりか文子ではないかと思うのだが。


「華道川神社、宮坂乃江流」

 

 瞬間、全ての視線が自分を射抜くのを感じて総毛だった。

「……え?」

 夢でも見ているのでは、と思ったが、隣でさゆりがこめかみを押さえた。「将軍に一体何をしたの」と目が訴えている。何もしてない、と首をぶんぶん横に振って見せるが、文子も寧々も不思議そうな顔で乃江流を見ていた。沙夜子にいたっては頬を膨らませている。

「褒美として、華道川神社には金一封と米俵を遣わす。また、宮坂乃江流を側室として召し上げることとする」

 

 な ん で そ う な る の。

 

 上座で将軍が小さく笑うのが見え、乃江流は気が遠くなりそうだった。

「また、最後まで残った四人の巫女達にも、褒美として金一封を遣わす。皆のもの、此度はご苦労であった」

 

 終わった。

 何が終わったって、人生が終わった感じだ。

 

 乃江流は一人放心状態だった。さゆりが同情の目で大きく溜息を吐いた。

「乃江流……あなた将軍に気に入られたのね?」

 さゆりの断定しきった言い方に、乃江流は放心したまま首を傾げた。文子はそんな乃江流をしげしげと眺める。

「じゃなきゃ側室になんてされないわよねぇ、普通は。まさかあの夜将軍に抱かれた?」

「ばっ!そんなわけないですよ!ただ話をしただけで!」

 乃江流が反論すると、文子は頷く。

「そうよね。あの人ああ見えて潔癖っぽいし。だけど、ただ話しをしたっていうのが問題だわね」

「乃江流は何の計算もしなかったんでしょう。本当残念というか……可愛いというか……将軍が気に入るのも無理ないと思うわ」

「えっ!?さゆりさん、何言ってんの?気に入られるとか、絶対ないよ!ないない!」

 どこに気に入る要素があったのかさっぱり理解できない。昨晩は将軍を敬うどころか失礼な発言をいっぱいした。乃江流は将軍をその辺の相談者と同列に扱ってしまったことについて今朝方猛省していたくらいだ。乃江流が有り得ないと首を振ると、さゆりは再び溜息を吐いた。

「私は結婚してるから、わざと思い切り惚気話をしたわ。皆は?」

「私にはお慕いしてる方がいるので、はっきりそういいましたし、自己主張の強い女性が御嫌みたいでしたから、少々傲慢に振舞いました。私は日本一の巫女です、なんて啖呵切るのはこれっきりにしたいと思いますけど」

 寧々が少し恥ずかしそうに笑う。

「わたくしは、誰が何と言おうと、力がなかろうと、血統としては日本一の巫女だと思ってますから!もちろん私が最高の巫女だと言いましたわ!あの方はわたくしに最初から興味なさそうでしたし、純潔を失うのは困りますから、これで良かったですわ。日本一になれなかったのは悔しいですけれど、側室になるなんてまったくうらやましくないですわ、馬鹿馬鹿しい!わたくしさっさと帰ってお勤めしますから、勝手に頑張ってくださいな」

 沙夜子はぶつぶつと言うと、ふんっと鼻を鳴らした。

「私もわざと自分の力がどれだけか誇張して話をしたわよ。なのに乃江流さんは一人だけ普通に話をしたのね」

 乃江流は昨晩のことを思い返した。力があるか聞かれて、わからないと答えたのだ。確かに将軍は、他の巫女は皆自分が日本一だと言っていた、と言った。それがわざとだったなんて。

「……えええ~……」

 乃江流は時間を巻き戻して全てやり直したい、と初めて心から思った。


 長々と話をする暇もなく、巫女達の迎えが来てしまった。これでお別れだ。皆故郷に帰れば、もう二度と会えない可能性もある。たった数日の付き合いではあったが、妙な試験を潜り抜けた五人の間には細い絆が生まれていた。

「これでお別れなんて、残念ですね」

 寧々が寂しげに呟くと、文子が寧々の手を取った。

「またいつか逢えたらいいわね。そうだわ、また江戸に集合しましょうよ。乃江流さんもいることだし」

 文子が微笑むと、さゆりが笑った。

「それはいい考えだわ。乃江流が祈祷の名目で私たちを呼べばいいのよ。旅費は将軍持ちで」

「いいですわね。乃江流さん、将軍家の財布の紐を握ってくださいな」

「ええー……そんな……」

 乃江流がろくな言葉を返せないうちに、皆は去って行った。

 お元気で、世継ぎを楽しみにしていますわ、きっと元気な男の子を産めるわよ、などと勝手なことを言い残して。

「乃江流、大丈夫よ。将軍は悪い人じゃなさそうだもの。きっと良い夫になるわ。文を書くから、貴女も書いてね」

「ま、待ってさゆりさん!行かないで」

 藁にも縋りたい思いなのに、置いていかないでほしい!そう思っても、どうしようもないのが現実だ。

 さゆりは乃江流の手を最後にぎゅっと握ると、付き人と共に出て行った。

「っ待って……!」

 乃江流はたった一人、この城に取り残されることになってしまった。






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