辛口の兄妹愛
例によって電撃チャンピオンロード落選作を手直ししたものでございます。
「うわあ、またやられてる……」
拡散していた漫画本は棚で窮屈な整列を強いられ、影で塔を築いていたゲームソフトは段ボール箱の中へ乱雑に詰め込まれている。
まるでモデルルームのような僕の部屋。今朝はこうではなかった。
羞恥と怒りで頬に熱が昇る。
「このギャルゲーなんて、扱いに困るなら手を出さなきゃいいだろ!」
似たような事件は過去にもあった。そのときは、お気に入りの薄い本が消失していた。その本は消息不明だ。
だが犯人の正体ならばわかっている。
顔を火照らせたまま、踵で廊下を踏み進む。開け放った扉が大きな音を立てた。しかし一瞬で空気が張り詰めるようなことはなく、部屋には小さな寝息が響いている。
「七海……僕の部屋、また勝手に掃除しただろ!」
ようやく犯人__妹の七海は身体を起こした。眠たげに目を擦る。
「……なによ、帰ってたの?」
「なによじゃなくて! お前、部屋には入るなっていつも言ってるだろ!」
呆れたような表情でしれっと七海は答える。
「だって、あの部屋ホントに汚かったもん」
そして、溜息とともにやれやれと頭を振る。
「あのな、僕にはあれが良かったんだよ……。というかまず扉を開けるな!」
僕の両親は共働きで、父も母も僕が風呂を上がる頃に帰宅する。そんな家庭を任されているのは七海だ。掃除に洗濯、料理といった家事をそつなくこなす妹。兄である僕の仕事は就寝前の戸締り程度だ。
加えて七海は口うるさくお節介。兄の分までしっかりしなければという意思だろうか。
僕は自分を情けない身の上だと自覚してはいるが、恐らく僕のような生活を送っていれば誰もがこう思うはずだ。
__この借りは、いつか返す。
そして十日後の夕方。遂に復讐のときがやって来た。
震える右手には包丁。その柄では滲み出た汗が大きな染みを作っている。
「本当に僕は正しいのか? 他に方法はなかったのか?」
胸騒ぎを落ち着けようと独り言を並べる。何にしても、バレたらタダでは済まされないのだ。視界の端には赤色が映る。その緊張感に耐え切れず、とうとう僕は刃物を振り下ろした。
刃と屍肉が触れ合った瞬間に伝わる弾力。しきりに刃を動かすと、確かな感触を伴って屍肉は切り裂かれてゆく。瑞々しい肉を損壊させる行為に芽生えた快感。
やがて刃が骨に到達したことを察した。あと少しで足の切断は完了する。返り血を予想していたが、血が飛散するようなことはなかった。
包丁を握り直す。
そのときだ、背後から腕を掴まれたのは。
腹が竦み上がる。身体は硬直しているのに、全身から汗だけが吹き出すような感覚。
震える視線が、目の前の赤色から離れない。
誰だ? この家には僕しかいないはずだ!
「……何してるの?」
猫撫で声。ゆっくりと振り向く。
そこに立つのは、しかめっ面の七海だった。
「包丁、降ろしなさいよ」
刺すような視線は、僕の手元から顔をじっと眺めていく。
その瞳は凍っているようにも、燃え盛っているようにも思える。
「わかった、わかったよ。そう睨むなって」
包丁を手放す。背筋を水が伝うような金属質の音。
そのとき七海の身体が動いた。ぐっと伸びた手は僕の背後、そして顔へと飛ぶ。避ける暇なんてない。次の瞬間、息苦しさに僕は口を開いていた。鼻の穴が塞がれている。違和感を解消するべく手をやると、摘み出されたのは真っ赤な鮮血に染まった___いや、これは唐辛子だ。七海は僕の鼻の左穴に、この唐辛子を詰め込んだのだ。
「白状しなさい。いったい何を企んでいたの?」
七海の顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
馬鹿な僕でもわかった。僕の小さな復讐劇が失敗に終わったことを。
こうなれば正直に答えるしかない。
「晩御飯の準備をしてたんだ。たまには僕がやろうと思って」
「……ふうん。で、何を作ってくれるつもりだったの?」
「カ、カレーだよ。チキンカレー」
訝しげに七海は目を細める。
「その材料でカレーを作るの?」
視線の先には山盛りの唐辛子。その横には、僕と対峙していた鶏の屍肉。
「へえ。私の苦手なものが辛い料理だと知っていて、それに私の好物がチキンカレーだと知っていて、わざわざ激辛のチキンカレーを作ろうと思ったのね」
見事に正解。__だけど、チキンカレーを作ろうとしたことには別の意図もあったんだ。それに、唐辛子の山の裏にはリンゴも用意している__なんて言い訳はしない。素直に叱られる覚悟を決めた。二発目の唐辛子を恐れた鼻の、痙攣を感じる。
しかし七海は顔を伏せたきりで、説教や攻撃は一向に始まらない。言葉も出ないほど激憤しているのだろうか。
ぼそり、と七海は何事かを呟いた。
「……ごめん、なんて言った?」
その途端、真っ赤に染まった七海の顔が跳ね上がった。
「もういい! 全くなんでチキンカレーの材料に鳥脚肉を買ってくるのよ? 私が手伝ってあげるから早く包丁貸して!」
お読みいただきありがとうございました。




