武者小路博士と助手とメイド
サァサァ皆さまお立合い。
今よりワタクシお話しするは、世にも不思議な怪奇譚。
可愛い坊やはネンネしな、聞けば厠が遠くなる。
ちょいとそこゆくモダンガァル、あんたも恋には気を付けな。
ひととき拝借いただいて、知恵を授けてあげようか。
~~
時は大正仇拾仇年。所は我らが大帝都、東京のある一角。
「博士! また勝手に手形を振り出しましたね!」
突然叫ぶこの男、扉を開けて押し入るは、この物語の主人公、武者小路博士の研究室でありました。
「今度は何に使ったのですか!」
男はカッカとオカンムリ。それもそのはずこの男、博士の助手の水無月氏。
「何じゃい、やかましいなあ」
書を投げ散らかした書斎にて、新聞読んで知らんぷり。
「博士、勘弁してくださいよ。これ以上借金を増やさないでください」
「水無月君、心配はいらん。今度の研究は人類未だ経験せざる大極致に到達しそうじゃ。特許を取って大儲け、いやいや、帝大乗っ取りも夢ではないぞ!」
呆れ顔の水無月助手。大風呂敷は広げても、畳んだ試しがありません。
「この前だってそんな事言っていましたよ。蓄音機を懐に入れて持ち歩けるだなんて与太話、誰も信じやしませんよ」
「何じゃ君は! わしの研究に文句を言うか! お役御免にするぞ!」
「博士、そんな事言っていつも後で泣きついてこられるではありませんか。私だって博士の才は尊敬しておりますが、もう少し実用的な物をお作りいただいてですね」
「うるさいうるさい! 他人の作っておる物なんぞ作れるかい!」
追い立てられた水無月助手。ため息ついて書斎を後に。ところがどっこい。
~~
「水無月君! 水無月君! これじゃ、これを見よ!」
研究室に飛び込む博士、手には先程の新聞が。
「何ですか博士……」
「こいつじゃ! この記事!」
「……ええと『近頃女学校周囲にて生徒暗闇に乗じ小指切り落とさる怪事件頻発。現場周囲、赤き糸繋ぎ替えマス云々言葉巧みに女生徒へ近寄る怪人物目撃証言有』と。この記事が何か?」
「欲しい!」
目を輝かす武者小路博士。それを見つめる水無月助手、嫌な予感がいたします。
「……何がですか」
「こいつだ! 赤き糸繋ぎ替え装置! これが欲しい!」
「……またですか」
「取って来い!」
「勘弁してください博士。こんなもの狂言に決まっているではありませんか」
「狂言にこんなに多勢の女子が騙されるものか! はよう行ってこい! この怪人物に交渉するのじゃ!」
「……しかしですね、女生徒に近寄るとありますよ。男の私では……」
その時表の扉が開き、入り来るは紅一点。
「ただ今戻りました」
齢拾六うら若き乙女、清閑寺玖良羅嬢。秋葉原キャフェーにて給仕に勤しむ看板娘、武者小路研究所の世話焼き娘でもありました。
「はよう行け! 女装して行け!」
「無茶な事言わないでくださいよ!」
「あらあら、くすくす」
玉を転がすが如き笑い声。博士が気付き、言いました。
「おう戻ったか玖良羅君。君に良い話があるのだよ」
「まあ、何でしょう博士」
「セヱラア服を着たくはあるまいか」
「あら素敵、ぜひ着させていただきたいものですわ」
「いけません、玖良羅さんいけません、あのような破廉恥な」
「こら水無月君、邪魔をするんじゃない! 君が行かんから頼んでおるというに!」
「其れと之れとは話が違います! 博士の気まぐれに玖良羅さんを巻き込むなんて!」
言い合う二人を見つめつつ、につこり笑う玖良羅嬢。
「でも私、女学生さんをお見かけするたびに、羨ましく思っておりましたもの」
「ほうれみろ、玖良羅君もこう言っておるじゃないか」
「いえね、玖良羅さん。博士がそんな親切な訳がないのは貴方もご存知でしょう。服だけでなく、危険な事をもさせようとしているのですよ」
「まあ怖い、くすくす」
「なあに玖良羅君、簡単なことだ。お買い物じゃよ」
「まあ楽しそう、くすくす」
「はぁ……」
ため息漏らす水無月助手。こうなれば博士も玖良羅嬢も止まりません。
「赤き糸繋ぎ替え装置じゃ。ところで……赤き糸って、何じゃろう?」
「あら博士、ご存じないのですか?」
「知っておるのか! 玖良羅君!」
「もちろんですわ。それは、乙女が見たいと切に願うもの」
「ほおう、見えんのか! 見えんのに繋ぎ替えるとは、何という超絶技術じゃ! なあ、水無月君!」
~~
呉服屋に走る水無月助手。セヱラア服は未だ少数なれば、女生徒の憧れでありました。
「……あんた、娘いるのかい? 若く見えるけどさ」
呉服屋女将がじろりと睨み、立ちすくむ哀れ水無月助手。
「いえ、いや……その……い、妹が……」
「ふうん、まあ、売ってやるけどさ。あんたの体の寸法でいいのかい?」
「いやいや! 私が着るのではありませんから! 断じて! 決して!」
気は優しくて力なし、いつでも損な役回り。
「くそう、やめてやる、これが終わったら、あんな人の助手なんか!」
半ベソかいて、心に誓う、これで何度目のことだったやら。
~~
「あの、いかがですか? 初めて着るのですが」
「……可憐だ」
先程の決意も胡散霧消、言葉を失う水無月助手。玖良羅嬢の女学生姿、彼には刺激が強すぎました。
「おお着替えたか! それでは早速行ってくれ! 女学校じゃ!」
「そこで、カイジンブツ様にお会いして装置をお売りいただければよいのですね」
「そういうことじゃ!」
「駄目です! こんな可憐な玖良羅さんには危険すぎます! さらわれてしまう!」
「うっるさいのう、玖良羅君には金も渡したし、ちゃんと払えば大丈夫に決まっとるわい」
「はい、参拾参銭ありますわ」
「……少ないでしょう……じゃなくて! そもそも奴は犯罪者! 甘言で乙女を惑わし狂気に及ぶ、完全なる変質者です!」
「もう行ったぞ、玖良羅君」
「ああっ! もうっ!」
「おい水無月君。行くんならこれ、渡しといてくれ」
何やら投げる武者小路博士。あわてて受け取り大疾走。
「はぁはぁ……ぜぇぜぇ……」
辺りはすっかり暗くなっておりました。
~~
「ぜぇぜぇ……ここか」
時計塔そびえる洋建築。大きな門に高き壁。嗚呼これぞ花園、女学校。
「はっ、いかんいかん……玖良羅さんは……」
その時、背後に忍び寄る影が! 危うし水無月助手!
「あのう……カイジンブツ様でいらっしゃいますか?」
ふと振り向くと、真っ暗闇に一つの影。
「ぜえぜえと気味の悪い息使いのはずだと、使いに出した私の主人が申しておりましたので、あるいはと」
「私ですよ! 水無月です!」
「あら、助手さんでしたの? どうなさったんですか?」
「帰りましょう! 危険ですよ!」
「ですが……博士のお使いがまだ済んでおりませんので……」
「いや、そもそもお使いというのもおかしな話でですね……」
「あら、何をお持ちなのですか?」
「……え? ああ、博士が渡せと……何だろう、これ」
「まあ可愛い。ネコの耳、かしら」
ネコ耳受け取る玖良羅嬢。頭にちょいと乗せ、ご満悦。
その時でありました。
「待ったわ」
「……えっ!」
突然の声に驚く水無月助手。正門から歩み寄る影。奴が変質者! 恐怖に立ちすくんで震え出す。
「今夜、あなたね」
どうも様子がおかしいと、目を凝らして見てみると、影は可憐な女学生。
「はい。私です。お売りいただけますか」
呑気に答える玖良羅嬢。
「さあ、私の小指よ」
謎の女学生、差し出す手の平その上に、腐りかかったちぎれた小指。
「ひ、ひいっ!」
腰を抜かした水無月助手、顔色変えない玖良羅嬢。
「あらあら、困りましたねえ。私がお売りいただきたいのは、小指でなく赤き糸繋ぎ替え装置なのですが」
「ええ。あなたの小指、お切りなさい。そこに私の小指、お付けなさい。それで、赤き糸は繋ぎ替わる」
「ああ、なるほど」
「あなたの指を切り、あなたに私の指を渡せば、私の恋は成就する。永遠に結ばれるのです」
己が手を掲げる謎の女学生。そこには、肉落ち骨見え異臭放つ誰ぞの小指、ちぎれ跡に強引に膠で貼り付けてありました。
「うお……っぷ」
水無月助手、おぞましき光景に息も絶え絶え。
「あなたは、後日私と同じ事をなさい。それであなたの恋も成就するわ。そうして赤き糸の繋ぎ替えは綿々と続いてゆくのです」
「あら、私の恋だなんて。くすくす」
「さあ、無数の小指を切り続け、受け継がれてきたこの聖なる小刀で、あなたの小指も切って差し上げます。手をお出しなさい!」
狂乱如き女学生。暗くて見えぬ切っ先に、恐れおののく水無月助手、あまりの恐怖に気を失い、次に起きるは……。
~~
「おい、起きろ!」
誰かの呼ぶ声、太い声。あわてて起きて、目をこする。
「また貴様か。まったく、面倒事にはいつも貴様らが絡むなあ」
眼前近寄る顔一つ。よおく見ると、見知る顔。
「貴様の所の博士に言っとけ。あんまり余計なことするなと」
帝都警視庁、番簿凡警部。
「こうして我々が張っていたから良いものの、下手すりゃ貴様はお陀仏だぞ」
「はあ……あの、可憐な少女が二人、いたはずなのですが……」
「ああ。一人、身柄を押さえたよ。何やら意味不明な事を言うものだから、病院だ」
「一人だけですか?」
「一人しかいなかったが。貴様、寝惚けているのか」
「いえ……」
「早く帰れ。貴様の取り調べは、もう飽きたわ」
~~
後日談でございます。
研究室にて。博士と助手、新聞読んで、合点顔。
「乙女の噂というものは、時に恐ろしいものですねえ、博士」
「科学装置かと思いきや、小娘どものお遊びだったとは、がっかりじゃ」
新聞見出しにでかでかと『被害者加害者 共に女学生』と。
「玖良羅さん、よく無事に戻れましたね」
「わしの作った『猫眼-弐拾八式』のおかげじゃな」
「ああ、あの猫の耳ですか」
「猫のように暗闇で目が利き、自由に跳ね回れる、わしの大発明じゃ」
「もう私たちを事件に巻き込むようなこと、しないで下さいよ……」
「おや、水無月君。ここ、見てみい」
「聞いているのですか、博士」
「凶器の在り処不明、だと。どこ行ったんじゃろう」
「話をはぐらかさないでくださいよ……」
何事もなかったかの如く、相も変わらずキャフェーで給仕に励む玖良羅嬢。現在厨房にて調理中。
「あら、この小刀、よく切れるわね。くすくす」
~~
このお話は、ここまでだ。
御ひねり投げ銭、大歓迎。
博士と助手と可憐なメイド、彼らの活躍これだけじゃないよ。
聞きたかったらまたおいで。楽しみ後に取っておこう。
いつかどこかで会う日まで。
大正仇拾仇年シリーズ第弐弾。
乱歩みたいに書けるようになりたいです。