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九話

 頬にひんやりと冷たい感触を覚えた理緒は目を覚ました。

「飲み食いしないから倒れちゃったじゃないか」

 目に飛び込んできたのは、上から覗き込んでくる鏡弥だった。鏡弥に膝枕をされていることに気がつく。

 ああ、何て気持ちが悪い。

 理緒は飛び起きた。

 あれ、おかしい……。

 死ぬことを決め、不眠と絶食をして弱らせた体。瞼を下ろし、あの世に逝こうとしたときは、動くこともままならなかった。それなのに体は、ここに来たときと同じくらいの調子に戻っていた。

「何で死んでないの……?」

「三日間、理緒を操って飲み食いさせて眠らせたんだよ」

「操ったって何? どういうこと⁉」

 理緒は怒声を上げる。鏡弥は動じることなく、冷静だった。

「俺の力で理緒がちゃんと飲み食いして眠るようにしただけ」

 操られていたという三日間の記憶が、理緒には全くない。三日間、自分がどんな風に操られ、鏡弥が何をしてきたのか。想像しただけで恐ろしい。

「私を操ってる間、変なことしたんじゃないでしょうね?」

「何もしてないさ。本当に飲み食いさせて眠らせただけ。信じてよ」

 鏡弥の言葉を理緒は信じられないでいた。けれど、何かをされたという証拠がない以上、言い争いをしたところで堂々巡りになってしまう。真実は鏡弥のみが知る。

「もし何もやってないんだとしても、人を操るなんて最低!」

 理緒はまた閉じこもるため、右側の部屋に向かった。

「あれ? 開かない」

 力をこめて取っ手を引いても、全く動かない。

「理緒が閉じこもってばかりだから、開かないようにした」

「はっ? 余計なことしないでよ」

「また倒れられたら困るからここにいてよ」

「嫌だ」

 理緒はびくともしない取っ手を引き続ける。

「言うこと聞いてよ」

 冷めた声に、背中がぞくりとした。それと同時に、体が扉から離れていく。自分の意思ではない。鏡弥の声から引っ張られる感覚があった。

 理緒は強制的に床に座らされ、鏡弥と向き合わされた。

「俺は理緒のことを操りたくないし、理緒だって操られたくないでしょ?」

 また食事を抜いて死のうと思っても、操られて食べさせられる。蛇様鏡弥の前では、自分は無力なんだ。理緒は悟り、ギリリと唇を噛んだ。

「だからここにいてよ」

 もう体は自由に動かせた。理緒は部屋の隅に走った。そして膝を抱えて座る。鏡弥がこちらを振り返った。

「こっち見るな!」

 金切り声で言うと、鏡弥は静かに背を向けた。

 気持ち悪い最低なやつ。理緒は、火がついていない囲炉裏の側に腰を下ろした鏡弥の後ろ姿を睨みつけた。

 しばらくすると、鏡弥が腰を上げた。社の出入り口に向かい、扉を開け外に出た。

 理緒は扉に向かって走った。

 あいつが外に出られたんだから、私も出られるかもしれない。扉の向こう側に飛び出す。だが、自分は社の中に戻ってしまう。

「だから無駄だって」

 鏡弥はおにぎりとナスの浅漬けを手に、社の中に戻ってきた。鏡弥はもう一度外に出る。今度は水が入った器を持ってきた。鏡弥が扉に触れていないのに、扉は自動的に閉まった。

「はい。昼ご飯」

 鏡弥は、おにぎり三つ、漬物、水を理緒に差し出した。

「いらない」

 理緒は昼餉を受け取らず、そっぽを向いた。また部屋の隅に行こう、と鏡弥に背を向ける。

「自分で食べないなら、また食べさせてあげようか?」

 操られて食べさせられる。そう言われると食べざるを得ない。

「自分で食べるから気持ち悪いこと言うな」

 理緒は振り返り、鏡弥の手に触れないようおにぎり、漬物、水を受け取った。部屋の隅に行って、下を向いてちょこんと座る。

 どこの誰が持ってきたのか分からないものなんて、食べたくない。

 山のように綺麗な三角形のおにぎりを見ていると、口元にじっとりとした嫌な視線を感じた。顔を上げると、鏡弥がこちらをじっと見ていた。

「こっち見るな」

「理緒がちゃんと食べるところを見たら、前を向くよ」

「……いただきます」

 理緒はしぶしぶ言って、おにぎりに噛みついた。

「残さず食べるんだよ」

 鏡弥は約束通り、前を向いた。

 じめじめとした山奥の空気にさらされたおにぎりは、生ぬるくてまずかった。水を飲んで無理矢理胃に流し込む。

 おにぎりだけでは食が進まない。理緒はナスの浅漬けを口に入れた。こちらも温もっている。温もって味が落ちていても、漬物は美味しいと思えた。ここに連れてこられるまで食べていた味。石田家の漬物だ。

 こんなところから出て、家に帰りたい。理緒の目から涙が溢れ出す。涙は頬を伝い顎先まで流れると、ぽたりとおにぎりの上に落ちた。

 理緒は漬物をおかずに、なんとかまずいおにぎりを食べきった。

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