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二十五話

 理緒は夜中に目を覚ました。本が読めそうなくらい明るい月影が、部屋の中に差し込んでいる。

 窓を開ける。寒風が室内に吹いた。ぶるりと震えたが、理緒は窓から顔を出し、空を見上げた。

 凍空にまん丸な月が浮かんでいる。理緒は月を見ながらはあー、とため息をついた。月影が、吐いた息を宙に浮かびあがらせる。

 社から出られてもう二ヶ月が経った。

 いつまでも玉川家の世話になるわけにはいかない。年が明けたら出て行こうと思っているが、出て行ったところで生きていけるか不安だ。

「今晩は月明かりが美しいですね」

 横から声がした。見ると、新平が隣の部屋の窓から顔を出していた。眼鏡をしていないし、月明かりの下だからか、新平は雰囲気が違う。

「すみません。起こしてしまいました?」

「いえ。僕も夜空を眺めていました」

「そうなんですね」

 理緒は月を見上げる。新平の視線が月ではなく、自分に向いていることに理緒は気がついた。

「理緒さん、最近、浮かない顔をしていますよね」

 心に留めていたのに、不安は顔に出ていたようだ。

「いつまでもここにやっかいになるわけにいかないので、年が明けたら出て行こうと思っているんですけど。でも出て行って、生きていけるのかなって……」

 理緒は月を見上げたまま言った。どこかから流れてきた薄雲が、月の上を通過した。

 夜の静寂に、新平がごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

「あの……」

「はい?」

 理緒は新平を見る。唇を巻き込んでいる新平は、しきりに瞬きをしていた。目が合うと彼は瞬きをやめ、口を開いた。

「理緒さんがよければ、僕の妻になってくれませんか?」

「えっ」

 わずかに吹いていた風がぴたりと止まった。理緒も驚きで動きを止める。

「あっ、急に変なことを言ってすみません……」

 新平は視線を左右に揺らし、頭をかいた。

「結婚するなら、損得勘定なしでばあちゃんに親切にしてくれる理緒さんがいいな、と思って……」

 理緒は身よりがないのと同じ。新平と夫婦になれば、気兼ねなく玉川家にいられる。それに、真面目な新平となら一生添い遂げてもいいと思った。

「いえ、とっても嬉しいです」

「本当ですか⁉」

 新平は目を見開いた。月明かりが、興奮を隠せていない新平の瞳を優しく照らす。

「でも……」

 嬉しいと言っておきながら、理緒が視線を下げるものだから、

「あっ、やっぱり僕なんかと結婚なんて無理ですよね」

 新平が勘違いして、表情を曇らせる。

「無理なんかじゃないです! 私なんかでよければ、新平さんの妻にしてください!」

「よかった……」

 新平は胸に手を当て、ふっと息を吐いた。安堵で口元が緩んでいる。

「勘違いさせてごめんんなさい。ちょっと、お話しておかないといけないと思ったことがあるんです」

「何でしょう?」

「そちらの部屋に行って、お話してもいいですか?」

 新平は一瞬戸惑いを見せたが、

「ええ。どうぞ」

 と、了承してくれた。

 理緒は窓を閉め、隣の新平の部屋に向かった。

 新平の部屋は八畳だった。室内は箪笥と文机しかなく物寂しい。

 理緒は、中央に敷かれている布団の側に腰を下ろした。

「話とは何でしょう?」

「実は私、夫がいたんです。大火の影響で亡くなってしまったんですけど」

 鏡弥のことを新平には話しておきたかった。

「そうですか。……お悔やみ申し上げます」

「ありがとうございます」

 重苦しい空気が二人の間に満ちた。気まずくなったのか、新平が口を開いた。

「その、理緒さんの前夫はどんな方だったんですか?」

「村民から崇められる人でした」

 『崇められる』なんて仰々しいと思ったのだろう。新平はわずかに口を開け、不思議そうな顔をした。だが、鏡弥は本当に崇められていた。理緒は詳細を言わずに続けた。

「私は彼のことが嫌いな村民を、聞いたことがありません。でも私は彼のことが大っ嫌いでした。無理矢理、彼の家に連れて行かれて妻になり、ずっと幽閉されていました。二度、家から脱走したんですけど、見つかって連れ戻されました」

「理緒さんにはむごいことをするのに、崇められる人ですか……」

 新平は眉をひそめ、柔和な顔を歪めた。

「彼にもいいところはありましたよ。彼、大火を鎮めるために尽力して命を落としたんです」

「村民のためには力を尽くしたようですが、彼は理緒さんのために何かしましたか?」

 鏡弥が自分のためにしてくれたことを思い出す。

「花を摘んできてくれました」

「そんなことですか……」

 花を摘んでくるなんて、子どもが母親のためにするようなことだ。それを大の大人がしたのだから、新平が顔を歪めたままあ然とするのも無理はない。

「私のほうが酷いかもしれないです」

「なぜですか? 彼のほうが酷いでしょう?」

「一緒に住んでいたとき、私は彼に何も与えなかった。顔を合わせず、避けてばかりでした。それなのに彼は、私と一緒に暮らせて幸せだったと言ったんです」

 死に際の鏡弥の姿。虚ろな赤い眼に冷たい手。瞼を閉じれば、感触も熱も鮮明に思い出せる。

「息を引き取る直前、彼は『私の幸せを願っている』と言ったんです……」

 あの日を思い出すと、涙があふれ出てきて止まらなかった。月明かりが乱反射し、新平の顔がよく見えなくなった。

 涙を拭っていると、新平から抱きしめられた。物静かな彼の大胆な行動に、理緒は固まった。

「僕は何も取り柄はありませんが、理緒さんのことは絶対に幸せにします。そして、天国にいる彼を安心させましょう」

「……はい。お願いします」

 理緒は新平の背中に手を回し、彼の胸に顔を埋めた。彼の体温は春の空気のように温かかく、夜風で冷えた体を温めてくれた。

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