二十三話
翌朝、目を覚ました理緒は、一階の居間に向かった。居間の時計を見ると、八時十五分だった。実家にいた頃は日の出と共に起きていたから、こんな時間まで寝ていたことがない。
理緒は閉まっている襖を少し開け、店側を覗いた。団子の焼けるいい匂いが鼻をくすぐる。土間を掃いていたエツがちょうどこちらを向き、目が合った。
「おはようございます」
「あら、おはよう。昨日はよく眠れた?」
「はい。おかげさまで」
「そりゃあ、よかった」
と、エツは目尻にシワを寄せた。
「すぐ朝ご飯、準備してあげるからねぇ」
エツは箒を壁に立てかけた。
「私のことなんか後回しでいいですから。先に開店準備をしてください」
「理緒ちゃんのご飯のほうが大事だから」
よいしょ、とエツは居間に上がってくると、奥に消えていった。理緒はその隙に土間に降りて、エツの代わりに掃除をする。
「新平さん、おはようございます」
団子を焼いていた新平が振り返った。
「おはようございます」
新平は理緒の手元をちらりと見た。
「理緒さんが掃除をしなくてもいいんですよ」
「いえ、申し訳ないので」
「そうですか。ありがとうございます」
新平は会釈をすると前を向き、団子を反転させた。
理緒が土間を半分ほど掃き終えると、朝餉を持ったエツが居間に戻ってきた。
「あー、理緒ちゃんがしなくていいんだよ」
「掃き掃除くらいさせてください」
と、手を止めない。やっかいになっているから、何かしないと気が済まない。
エツは眉尻を下げ、
「もう半分掃き終わってるみたいだし、任せようかねぇ」
申し訳なさそうに言った。
「はい!」
理緒は残り半分を、さらに丁寧に掃いた。
掃除を終え、朝餉をいただいていると、「お礼」といってエツがあん団子をくれた。
九時になると新平が表のすだれを開け、開店した。
居間にいる理緒は、襖を少しだけ開けて店の様子を観察した。客はぽつぽつとやって来る。
開店して二時間。
「いたた……」
立ちっぱなしのエツが前屈みになり、拳で腰を叩いた。
「ばあちゃん、昨日から腰が痛いんだろう? 休んでおきなよ」
新平の声が聞こえた。
「ちょっと、座らせてもらうよ」
エツが居間に向かって歩いてきた。理緒は襖を全開にする。
「ありがとうね」
エツは、居間の襖の敷居の上に腰を下ろした。
『昨日から』ということは、一昨日まで痛くなかった。もしかして、私を支えてここまで歩いたときに痛めたのかも。罪悪感が理緒の胸に現れる。
「エツおばあちゃん、私が代わりに店に立ちます」
「いいよぉ。理緒ちゃんが気を遣わなくて」
「いや、立たせてください」
「悪いねぇ。お願いするよ」
「はい!」
理緒は気合いを入れて、店に立つ。社に幽閉されるまで、毎日店に立っていたことを思い出す。
さっそく、五十代くらいの夫人が来た。
「いらっしゃいませ」
「あら!」
夫人は、にやにやしながら理緒と新平を交互に見た。
「あなたお嫁さん?」
「えっ、違います」
「違うの? なら親戚の子?」
「えっと……」
なんと言おうか理緒が困っていると、
「彼女は……」
新平が、理緒が玉川家にいる経緯を夫人に話してくれた。
「エツさんも物好きねぇ~」
夫人は呆れ顔だ。理緒の後ろで、エツはにこにことしていた。
それから来る人来る人、理緒を新平の妻と勘違いする。その度に新平が経緯を説明した。
皆、エツのことを冷笑した後、『新平くんもう二十七でしょ? 早く身を固めて、エツばあちゃんを安心させなさい』と、似たようなことを言って帰る。
新平は言われる度に、苦笑を浮べていた。
久地縄村も男は二十五歳、女は二十三を過ぎれば、『早く身を固めろ』と周囲がうるさかった。どこの村も同じのようだ。
十七時半を過ぎると、客足はぱたりとなくなった。
十八時に表のすだれを下ろして、閉店した。
理緒は店の掃除をしながら、
「新平さんは、エツおばあちゃんと二人暮らしなんですか?」
問う。
「ええ」
新平は炭を火消し壺に移しながら言った。
「両親が早くに亡くなったので、七歳のときからばあちゃんと暮らしています」
「そうなんですね」
「ばあちゃんは、僕にとってばあちゃんであり母親です」
「エツおばあちゃん、いい人ですよね。見ず知らずの私に、こんなによくしてくれるんですから」
ふっと新平が表情を曇らせた。
「美点であり、欠点でもありますけどね」
「欠点ですか?」
「ええ」
理緒は首を傾げた。人に親切にすることは、素晴らしいこと。なぜそれが欠点になるのだろうか。
「近いうちに分かると思いますよ」
新平は炭を火消し壺に入れ終えた。理緒も掃除を終え、一緒に居間に上がった。ちゃぶ台にはすでに、夕餉が用意されていた。
「理緒ちゃん、ありがとうね。助かったよ」
理緒の茶碗に、こんもりと白米が盛られていた。こんなに食べられない。エツの茶碗を見ると、茶碗の三割ほどしかよそわれていなかった。
「ありがたいですけど、私はこんなにご飯はいらないので、エツおばあちゃんがたくさん食べてください」
理緒はエツの茶碗に白米を分けた。
「あー、いいんだよ。理緒ちゃんは今日、店番を頑張ってくれたから」
「いえ、お世話になっているので、当たり前のことをしただけです。こんなにいただけません」
「いい子だねぇ」
エツはしみじみと言った。
夕餉後、理緒は風呂でエツの背中を流した。
「ありがとうね。涙が出てくるよ」
と、エツは浴室で涙を流した。
翌日、エツは売り物の団子を「昨日、背中を流してくれたお礼」と言ってくれようとした。だが、理緒は断った。




