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十五話

 ある日の昼餉後。鏡弥が腰を上げ、こちらを振り返った。

「ちょっと、外に行ってくるよ」

「……いってらっしゃい」

 理緒が言うと、鏡弥はにこにこと笑みを浮べながら社の外に出て行った。

扉が完全に閉まったことを確認し、理緒は床に大の字に寝転がる。天井を見ながら、ため息をつく。

 鏡弥から脅されて、借りてきた猫のようにすっかり大人しくなってしまった。鏡弥といるときは全神経と尖らせて、鏡弥の気を損ねないように気をつけているから、疲れとストレスが溜まる。

 理緒はさっき吐き出したため息を吸い込むように、深呼吸をした。そして、

「あー、気持ち悪い! 大っ嫌い!」

 大声で言う。鏡弥がいないときに、大声で鏡弥の悪口を言ってストレスを発散している。こうでもしないとやっていられない。

 しばらくすると、鏡弥が戻ってきた。にやけ面の彼は、背中側に両手を回したまま、こちらに近づいてきた。不気味に思った理緒は後退る。

「理緒にお土産」

 はい、と鏡弥は背中側の手を前に持ってきた。小さな薄紅色の花弁が咲き誇る枝が、彼の手の中にあった。

「桜だよ。子どもの頃、二人で一緒に見た思い出の桜の木から取ってきた」

 理緒もあの桜の木はよく覚えている。理緒にとってあそこは、思い出の場所ではない。鏡弥に咬まれた忌々しい場所だ。

「綺麗だよね」

 理緒には、咲いたばかりであろう薄紅色の花弁が汚れて見えた。

「あんたが持って帰った桜なんて、ちっとも綺麗じゃない」

 はっとする。鏡弥の気に障りそうなことを言ってしまった。彼の表情がわずかに曇ったように見えた。逆鱗に触れて、操られるかもしれない。

「ごめん」

 とっさに謝る。すると、鏡弥はにやけ面に戻った。

「いや、いいよ」

 鏡弥は桜の枝を、理緒の耳にかけた。

「理緒の髪で咲いてるのが一番綺麗だね」

 そのまま髪を撫でられた。理緒が最近、大人しくなって噛みつかなくなったからか、遠慮なく触ってくるようになった。理緒は、「触るな」と言って鏡弥を突き飛ばしたい気持ちをぐっと堪える。

 理緒の髪から手をどけた鏡弥は、右側の部屋に入っていった。理緒は耳から桜の枝を外し、じっと眺める。やはり花弁は薄汚れて見えた。

 すぐに鏡弥が背の低い花瓶を持って戻ってきた。それを理緒の前に置く。覗いてみると、中は水で満ちていた。きっと鏡弥の力で創り出した水だ。

「髪に飾らないときは、水に挿しておきなよ」

 と言い、鏡弥は囲炉裏側の定位置に戻っていった。

 理緒は桜を花瓶に挿した。桜は好きだ。でも鏡弥が持って帰った桜は嫌い。理緒は花瓶を壁際に押しやった。

 その後、夕餉を食べて風呂に入りそろそろ就寝時間かな、と思っていると鏡弥が近づいてきた。中腰になって、目を合わせてくる。

「そろそろ寝床で一緒に寝ない?」

 あの鮮明で汚らわしい夢が脳裏に浮かぶ。

「それだけは絶対に嫌!」

 理緒は首を横に振る。髪の毛が左右に激しく揺れて乱れる。

「理緒が思っているようなことはしないから」

「信用できない!」

 絶対に一緒の部屋では寝ない、と言い切る。

 鏡弥は眉をひそめると、

「わがままだね」

 と、理緒の手首を掴んだ。

「だから、嫌だって言ってるでしょ」

 振り払おうとしたが、だめだった。理緒は立たされ、奥に連れて行かれた。

 観音開きの扉を開けると、ぱっと明かりがついた。理緒がこの部屋に足を踏み入れるのは、あの世に逝くことを阻止されて目を覚ました日以来だ。

「理緒の布団を取ってきてあげるよ」

「私が行く」

「いや、俺が行く」

 と、鏡弥は寝床から出て行った。

 絶対にここで寝るもんか。布団なしでいいから、中央の部屋で寝る。理緒は扉を押してみるが開かない。瞬時に結界を張られたようだ。

 鏡弥が戻ってきて、扉が開いた。理緒は鏡弥を押しのけて、寝床から脱出しようとした。だが、社の出入り口と同じく室内に戻ってきてしまう。

「往生際が悪いよ」

 鏡弥は唇を尖らせながら、中央の部屋から持ってきた理緒の布団を敷いた。そしてその隣、出入り口側に自分の布団を敷いた。

「さあ、眠ろうか」

 寝転がった鏡弥が理緒を見上げる。

「嫌!」

「だから、何もしないってば。同じ部屋で並んで眠るだけだから」

「あんたのことなんて信用できない!」

 鏡弥がふーっ、と重い息を吐いた。

「いいから寝るよ」

 理緒の体が勝手に動く。言うことを聞かない体は、鏡弥の隣に横になった。

「また私のこと操った!」

 体を起こそうとしたが、布団に縛り付けられているみたいに動けない。

「何もしないって言ってるのに、信用してくれないからだよ」

 俺のこと信じてよ、と念押ししてくる。

「……もし変なことしてきたら、私、帯で首を絞めて死ぬから」

 理緒は鏡弥を睨みつけながら言う。あの夢のようになるなら、怖くても自分の首を絞めて死ぬ。

 鏡弥はため息をつくと、

「おやすみ」

 と、呆れ気味に言った。同時に部屋の明かりがすっと消える。

 鏡弥のことを全く信用していない理緒は、瞼を下ろさない。頭上の暗闇を見つめ続ける。

 目が慣れて天井の木目が見えはじめた頃、規則正しい寝息が聞こえてきた。とりあえず眠ったようだが、理緒は安心しない。もしかしたら、途中で起きて襲ってくるかもしれない。警戒心を緩めず、目を開け続けた。

 途中、理緒は猛烈な眠気を感じたがなんとか耐えた。

 まだ夜は明けないの? そう思っていると、真横の鏡弥が動いた気配がした。

 鏡弥がむくりと起き上がると、暗かった室内は日が差したように明るくなった。

「おはよう」

 と、鏡弥はこちらを見てきた。本当に鏡弥は何もしてこず、ただ隣で眠っていただけだった。それなのに、満足そうな顔をしている。

「……おはよう」

 理緒は素っ気なく言う。

 鏡弥は立ち上がると、布団をたたみ始めた。

「理緒も起き上がって布団をたたんで。早く中央の部屋に行こうよ」

 試しに脚を動かすと、自由に動いた。一睡もしていない体をしぶしぶ起こし、布団をたたんで壁際に押しやった。

「さあ、行こうか」

 と、鏡弥に腕を引かれた。理緒は中央の部屋に連れて行かれ、囲炉裏の側に座らされた。だが鏡弥が朝餉を取りに行ったときに、部屋の隅に逃げた。角に収まるように腰を下ろす。

 おにぎり三つ、漬物、水を持った鏡弥が、こちらに歩いてきた。

「たまには並んでご飯食べない?」

「嫌」

 理緒は首を振る。

「そっか」

 鏡弥は苦笑を浮べながら、理緒の前に朝餉を置いた。そのまま、自分の定位置に戻って行く。昨晩みたいに無理矢理連れて行かれるかと思ったけど、今回は諦めたみたいだ。理緒はほっと胸をなで下ろし、おにぎりに噛みついた。

 朝餉を食べて腹が膨れたからか、睡魔に襲われた。理緒は抗えず、瞼を下ろした。

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