十四話
「理緒、おはよう」
鏡弥の一声で、理緒の瞼はぱちりと開いた。
「春になったよ」
寒さを感じないし、喉の痛みはなく咳も全く出ない。囲炉裏の火も消えている。どうやら眠らされている間に風邪も治って、春になったようだ。
理緒はおもむろに体を起こす。蛇の鏡弥ではなく、人間の自分が冬眠していた。まるで私が蛇じゃないか、と思った。
「理緒が眠っている間、寂しかったよ」
鏡弥が顔を覗き込んできた。彼の顔を見て、ふと脳裏によみがえる。
囲炉裏の側に座っている鏡弥に自分から近づき、隣に腰を下ろして彼の肩に自分の頭を乗せた。
『理緒は本当に俺のことが好きだね』
と、鏡弥から頭を撫でられた。
他にも、口づけをしたり、体を重ねたり。
夢だと思うけれど、夢にしてはあまりにも鮮明で、感触もあった。もしかしたら、夢じゃないのかもしれない……。
理緒は思わず、鏡弥の白い頬を平手打ちした。パチン、と軽い破裂音が室内に響く。
「痛っ……」
鏡弥は赤くなった頬に手をやって、困惑顔で理緒を見た。
「急にぶつなんて。痛いじゃないか」
「あんた、私を眠らせてるときに操って変なことしたでしょ⁉」
汚らわしい、と言い放つ。
「眠っている理緒を見つめることはしたけど、触れてはいない。理緒の言う、変なことって何?」
自分の口からこんなことがあった、と言うなんてとんでもない。
「口にも出したくない!」
「まあ、理緒がこんなに激怒してるってことは、触る以上のことなんだろうね。大丈夫。それは夢だから」
「あの汚らわしい夢、あんたが見せたんじゃないでしょうね?」
「夢を見せるまでは多分、俺でもできないよ」
あれだけ不思議な力を使えるのだから、夢を見せられないなんて言われても信用ができない。
鏡弥はぶたれた頬をさすりながら、にやりと笑った。
「理緒が俺の夢を見てくれたなんて嬉しいな」
向けられたにやけ面に、理緒は全身鳥肌が立った。
「気持ち悪いこと言うな!」
と、さっきとは反対側の頬に平手打ちをする。さすがに二発も平手打ちをすると、にやけ面だった鏡弥の表情が険しくなった。
「妻にぶたれるなんて、きっと俺が始めてだよ」
「そりゃ、久地縄村の人は蛇様を大事にするから、ぶったりなんかしないでしょうね」
「まあ、ぶたれないよ。だって理緒みたいに自分の意識を持っていなかったから」
「は?」
理緒は首を傾げる。「自分の意識を持っていない」とは、どういう意味なのだろうか? 従順だから、「意思を持っていない」の間違いではないのか?
「教えてあげるよ。俺の母親のことを」
鏡弥は険しかった表情を改め、口を開いた。
「俺の父親は、母親のことをずっと意のままに操っていたんだ」
「えっ……」
理緒の心臓はヒュッとなった。意のままに操っていたから、鏡弥は「自分の意識がない」、と言ったんだ……。
「母親の姿はよく覚えているよ。いつも父親の側にいた母親は、一切の感情がなかった。俺が話しかけてもうんともすんとも言わない。まるで人形のようだった」
人間なのに人形のように感情がないなんて、恐ろしい。理緒は言葉を失った。
「父親だけじゃない。先代たちが残してくれている記録によると、先祖は皆、妻の意識を操っていたみたいなんだ」
非道極まりない。こんな悪魔みたいなやつらを、村民は崇めているなんて。
「俺は怖いと思った。だって、母親だけじゃなくて、先祖の皆が同じ目に遭っていたって考えたらさ……」
こいつは蛇様なのに先代たちとは少し違うんだな、と理緒は、しきりに瞬きをする鏡弥を見て思った。
「俺は理緒のことが好きだから、極力、操らないって決めてた」
でも、と鏡弥は瞬きをやめた。数秒瞼を閉じると、じっとりとした目つきに変わり、こちらを見つめてくる。
「ぶたれて気持ちが揺れた。また俺のことぶったり、怒らせたりしたら、俺も理緒の全て操るからね」
こいつも先代たちと変わらないじゃん。理緒はついさっき思ったことを撤回する。そして、鏡弥のことがさらに大嫌いになった。




