一話
理緒は足を止め、顔をしかめた。
畑に挟まれた道の真ん中、アオダイショウがとぐろを巻いてトカゲを食べている。学校から家に帰るには、この道を通るしかない。
夏の日差しが肌を刺してくる。早く帰りたいが、アオダイショウに近づきたくない。仕方なく、アオダイショウがどこかに行くのを待つことにした。
アオダイショウは五分ほどでトカゲを食べ終わると、にょろにょろと動いて畑の中に姿を消した。理緒はアオダイショウがいた場所を避け、家路についた。
帰宅した理緒は、着物からもんぺに着替えて、裏口から外に出た。
水が入った桶と柄杓を持って、家の裏の畑に向かう。畑には、柄杓できゅうりに水やりをしている母親、奈津の姿があった。
「ただいま」
理緒が母親の背に声をかけると、奈津は振り返った。
「お帰り」
奈津はにこりと笑った。彼女の額には大粒の汗が光っている。
理緒は奈津がいるところから離れ、ナスに水やりを始めた。
石田家は漬け物屋を営んでいる。店番は祖父と父親の庄一が主で、漬け物の管理は祖母が行っている。漬け物に使う野菜は、自分たちで作っている。野菜作りは奈津が主に担当している。昨年までは祖母も畑に出ていたが、足を悪くし、農作業ができなくなってしまった。石田家の畑は、一人で作業をするには広すぎる。だから、理緒は学校から帰ってきたら奈津を手伝っている。
ナスの水やりが終わった。理緒は今度、白瓜に水をやる。奈津もきゅうりの水やりが終わったようで、こちらにやって来た。
風が吹いていないのに、白瓜の葉が揺れた。目をやるとシマヘビがいた。シマヘビはぺろぺろと舌を出し入れしながら、こちらに向かって来る。
「お母さん、シマヘビがいる」
理緒は奈津の背に隠れた。今日はよく蛇を見かける最悪な日だ。
「もうちょっとで水やり終わるから、先に家に戻っていいよ」
理緒は桶と柄杓をその場に置いて、全速力で走りだした。
理緒の住む久地縄村は、蛇を大切にしている。蛇はぞんざいに扱ってはいけない。もしかしたら、「蛇様」かもしれないからだ。
遙か昔、雨が降らずに川が干上がったという。作物は枯れ、村民も脱水で次々と死んだ。村存続の危機を救ってくれたのが、村の山奥に住んでいた大蛇という話だ。大蛇は不思議な力を使い、村に雨を降らせた。おかげで川の水は元に戻り、作物は育ち、村民も生き残ることができた。
大蛇は雨を降らせた見返りとして、村で一番美しい娘を要求した。村民は娘を捧げ、山奥に二人が住める社も建ててあげた。その後、二人の間に大蛇の力を持つ子が生まれた。その子は蛇の姿にも人間の姿にもなれた。それが初代の「蛇様」だ。今も社には何十代目かの蛇様が住んでいて、村民が順番に、朝昼晩、社に食事をお供えしている。
蛇様は、蛇の姿をして村に来ているという噂だ。だから、蛇をいじめたり、追っ払ったりしてはいけないのだ。
そんな村に住んでいるのに、理緒は蛇が大嫌いだ。特に、密集した鱗が気持ち悪くて仕方がない。「蛇が気持ち悪くて嫌い」と言ったら、祖父母と庄一から叱られてしまった。そして、「絶対に村民の前では蛇が嫌いと言うな」と釘を刺された。久地縄村出身ではない奈津だけは、「嫌いなものは仕方がない」と言って尊重してくれる。
明日は蛇なんかに遭遇しませんように。そう思いながら、理緒は家まで走った。
翌日、理緒が登校すると、友人の朝香が、指に包帯を巻いていた。
「その怪我、どうしたの?」
「昨日、蛇に咬まれちゃった」
理緒は眉をひそめた。けれど、すぐに表情を改める。この村で、毒を持たない蛇に咬まれることはいいこととされている。
「マムシじゃなくてよかったよ」
と、朝香はあっけらかんとしている。そして、朝香は包帯が巻かれた自分の指を見つめた。
「お父さんが、蛇様ならいいのに、って言ってた」
二十五年ごとに、蛇様は村の娘を妻に娶っている。妻になれるのは、蛇様が咬みついた娘。婚姻の時になると、蛇様が迎えに来るというのだ。蛇様に娘を選ばれた家は、隆盛を極める。十五年前、蛇様に娘を選ばれた家は、息子が逆玉の輿に乗り、大金持ちになった。村の金持ちは、皆、蛇様に娘を選ばれたという家ばかりだ。何不自由なく暮らしている金持ちは、憧れの的。だから、娘を積極的に蛇に咬ませる親もいる。
蛇様の妻になんて、絶対になりたくない。妻になるくらいなら、死んだ方がましだ、と理緒は思っている。理緒は今、十歳。十年後、蛇様が妻を娶るとされるときは二十歳になっている。そのとき、もし結婚していても、選ばれていれば強制的に蛇様に連れて行かれてしまうという。だから、蛇に咬まれるわけにはいかない。幸いにも、両親、祖父母は蛇様に咬まれればいい、とは言ってこない。自分が気をつければ、絶対に回避できるのだ。
「私、蛇様の妻になってもいいけどね」
朝香の言葉に、理緒は思い切り顔をしかめた。今度ばかりは、表情を改めようと思っても、上手くいかなかった。
「蛇様って、村を救った大蛇と同じ力が使える人間なんだよね? それなら別に蛇様のところにお嫁に行ってもいいな、って思う。そうしたら、家もお金持ちになれるだろうから」
朝香の家の貧しさは、理緒が見てもよく分かる。持ってくる弁当も、一口大のおにぎりが二つと漬け物が三切れだけで、おかずがない。今年に入ると、おにぎりが一つ、漬け物が二切れに減った。
今年、朝香には弟が生まれた。両親待望の男の子。両親は、弟を猫かわいがりしているらしい。弟をお腹いっぱいにさせるため、朝香の食事は、お乳をあげる母親に回されるようになったという。
朝香の腕は枝のように細い。元々細かったが、弟が生まれてからさらに細くなってしまった。大人が力一杯握れば、簡単に折れてしまいそうだ。
「蛇様の妻になったら、朝香の家はお金持ちになるんだろうけど、朝香は家にいられないんだよ?」
「いいよ。家がお金持ちになって、お父さんたちが喜んでくれるなら」
妻に選ばれた娘が、蛇様の元でどんな暮らしをしているのか誰も知らない。もしかしたら、想像を絶する酷い扱いを受けているかもしれないのに。自分が犠牲になってでも、家族の幸せを願う優しい朝香。理緒は今日、弁当の焼き魚を半分、朝香にあげようと思った。




