第九話 学園の闇、動き出す黒幕
図書館での戦いから三日後。私立桜ヶ丘学園は、月曜日の朝を迎えていた。見た目は普段と何ら変わらないが、トシオたちにはわかる。空気に漂う魔力の気配が、図書館と公園の節点が破壊されたことで、学園の節点に集中し始めている。
「濃度が上がっている」登校途中、シルフィアが小声で言う。「生徒の中にも、敏感な子は頭痛やめまいを訴えているようだ。保健室が混雑している」
トシオは心配そうにミユを見る。彼女はこの三日間、比較的安定していた。記憶の断片は時折よぎるものの、もうあの夜のような崩壊は見せていない。
「大丈夫?」
「うん。でも……学園に近づくほど、胸がざわざわする」
校門をくぐると、そこで思いがけない人物に出会う。ダークだった。彼は今、職員証を首から下げている。
「おはようございます。今日から、臨時の図書司書として勤務することになりました」
「何のつもりだ」トシオの声は警戒に満ちていた。
「監視と、支援です」ダークは淡々と答える。「レオンとゴルは校外で待機しています。純血派の残党が学園に潜入するのを防ぐためです」
「それで、学園の節点については?」
「旧校舎の地下室にあります。しかし……」ダークの表情が曇る。「単なる魔力増幅装置ではありません。もっと古い、この土地に元からあった何かと接続されています」
「何が言いたい」
「公園と図書館の装置は我々が設置したものですが、学園のものは……既にあったものを利用しているだけなのです。その正体は――」
その時、校内放送が流れる。
「三年B組のトシオさん、職員室までお越しください」
トシオはダークを見る。
「用心してください」ダークが忠告する。「学園長が、転生者について何か知っている可能性があります」
職員室に向かう途中、トシオは様々な考えが頭を巡る。学園長――確かにこの学校の創設者一族の出身だ。この土地に代々伝わる何かを知っているのか?
職員室のドアをノックする。中から「お入り」という落ち着いた声がする。
学園長の部屋は、重厚な木の机と壁一面の本棚で埋め尽くされていた。机の向こうには、銀髪を後ろで束ねた、六十代ほどの男性が座っている。その目は、驚くほど若々しく鋭い。
「トシオ君か。座りたまえ」
「学園長、私に何か用でしょうか」
「まあまあ、そう急くな」学園長は微笑みながら紅茶のカップをすすった。
「君は……普通の転入生ではないようだな。最近、学園の周りで奇妙な事件が相次いでいる。公園の工事事故、図書館の盗難……それに君の周りには、面白い人々が集まっている」
トシオは警戒して黙っている。
「心配するな。私は敵ではない」学園長が立ち上がり、窓の外を見る。
「実を言うと、私の一族は代々、この土地の『守護者』を務めてきた。魔力の節点を監視し、悪用されないように」
「つまり……全てご存知なのですか」
「転生者たちの存在も、節点のことも、ある程度は」学園長が頷く。「だが、最近の動きは予想外だ。特に……『あの方』が動き出したようでな」
「あの方?」
「名乗るべきではない。ただ……彼は『転生の輪廻を観測する者』と呼ばれている。千年以上の時を生き、数え切れぬほどの転生者を見てきた」
トシオの背筋が寒くなる。図書館で見た光景の、あの警告を発した存在か?
「彼の目的は?」
「わからない。ただ、この学園の地下にあるものに、強い関心を持っていることは確かだ」
学園長が机の引き出しから、古い羊皮紙を取り出す。
「これは、学園建設前に発掘された遺跡の設計図だ。地下には、古代の『転生装置』と呼ばれるものが眠っている」
「転生装置……?」
「魂を次なる生へと送る、古代の魔法機械だ。それが、なぜか三年前から微弱ながら活動を再開した。そして君たちが転生してきた時期と、不思議と一致する」
全てがつながり始める。偶然ではない転生。意図的に結び直された因縁。
「その装置が、三つの節点の中心なのですか?」
「そうだ。公園と図書館の節点は、この装置から漏れ出た魔力が自然に集まった場所だ。君たちが破壊した装置は、それを増幅するために後から設置されたに過ぎない」
「では、真の問題は学園の地下に」
「その通り」学園長の表情が真剣になる。
「だが、問題はそれだけではない。装置は誰かの手で、意図的に再起動させられた。そして今、完全な覚醒を待っている」
「覚醒? 装置が?」
「いや……」学園長がトシオをじっと見つめる。
「装置の中に封印された、『ある存在』がだ」
その瞬間、職員室のドアが勢いよく開く。ミユが息を切らして立っている。
「トシオくん! ダメ、ここは……!」
彼女の目が黄金に輝き始める。同時に、地下から低い轟音が響き渡り、校舎全体が微かに震える。
「目覚めた……! あいつが……!」
学園長の顔に驚愕の表情が走る。
「まさか、こんなに早く……!」
「何が起こっている!?」トシオが叫ぶ。
ミユが痛そうに頭を抱えながら、断片的に言葉を紡ぐ。
「地下……勇者……ではない……魔王でもない……両方であり……どちらでもない……!」
轟音が次第に大きくなる。窓のガラスが震え、本棚の本が次々と床に落ちる。
「校内放送で避難を!」学園長が指示を出す。
「でも、生徒たちを外に出せば、純血派の残党に狙われるかもしれない」トシオが反論する。
その時、ダークが職員室に駆け込んでくる。
「レオンから連絡! 純血派の残党が学園を取り囲んでいる! 校外はもはや安全ではない!」
「ならば、地下に封じ込めるしかない」学園長が決断する。「トシオ君、君とミユさんには、地下に行ってほしい。装置を止め、あの存在を再び封印するんだ」
「私たちにできるのか」
「できる。君たちは、前世であの存在と深く関わっていたはずだ」
トシオとミユが顔を見合わせる。二人の過去には、まだ知らない真実が隠されていた。
「シルフィアとガルドにも協力を頼もう」トシオが言う。
「彼らはすでに旧校舎に向かっています」ダークが報告する。「私も同行します。技術的な知識が必要かもしれませんから」
地下への入口は、旧校舎の地下室にある。普段は重い書架で隠されているが、今は学園長の鍵で開けられる。
階段を降りると、そこは想像以上に広い空間だった。古代の遺跡そのものだ。壁には理解不能な文字が刻まれ、中央には巨大な円形の装置が光を放っていた。
「これが……転生装置……」シルフィアが息をのむ。
「でも、誰かが……改造している」ダークが装置の周りを調べる。「元の機能に加え、何かを『呼び覚ます』ための回路が追加されている」
ガルドが弓を構えて周囲を見回す。
「ここ、やばい気配がする。何かが、たくさんいるみたいだ」
「転生装置は、長い年月で無数の魂の断片を蓄積している」ダークが説明する。「それらが、今覚醒しようとしている」
装置の中心で、光が強くなる。そして、ゆらゆらと、人影が現れ始める。
「あれは……!」ミユの声が震える。
光の中から現れたのは、トシオでもミユでもない、第三の人物だった。しかし、その顔は二人の特徴を不可思議に混ぜ合わせたようで、見ているだけで頭が混乱する。
「ようやく……目覚めた」
その声は、トシオとミユの声が重なったように聞こえた。
「お前は……誰だ?」トシオが問い質す。
「私は……お前たちが捨てたもの。否定したもの。殺し合いの果てに、この装置に封印された、『もう一つの可能性』だ」
その存在が一歩前に出る。光が形を変え、よりはっきりとした姿になる。それは、魔王の軍服と勇者の鎧を合わせたような服装をしていた。
「前世、お前たちが最後の一撃を交わした時、生まれたものだ」存在が説明する。「互いを殺すという選択以外の、全ての可能性。和解の可能性。愛し合う可能性。それら全てが、転生装置に吸い込まれ、私として結晶化した」
「そんな……」
「だが、お前たちは再び転生し、再び出会った。そして今、新たな関係を築き始めている」存在の目が、悲しみと期待が入り混じった感情で輝く。
「私の役目は終わった。お前たちが、新たな道を歩み始めたのだから」
しかし、その時、地下空間の入り口から声が響く。
「素晴らしい! まさにこれが私の求めたものだ!」
現れたのは、図書館のカフェにいた男だった。その顔はダークに似ているが、より年齢を重ねたものだ。
「先生……!」ダークの声に驚愕が宿る。
「おや、ダーク。よくここまで私を手伝ってくれたな。優秀な弟子よ」
「あなたが……全ての黒幕なのか」トシオが身構える。
「黒幕? そんな下品な言葉で呼ばないでほしい」男が優雅に手を広げる。
「私はただ、転生の真実を探求している学者だ。クロノスと申す。ダークの前世の師でもある」
クロノスが装置に近づく。
「千年以上、転生者を観察してきた。だが、魔王と勇者が互いを殺し合うという因縁を越え、愛し合う可能性など、一度も見たことがない。これは……史上初のケースだ」
「だからお前は、我々を実験台にしたのか」トシオの声に怒りがこもる。
「実験台ではない。観測対象だ」クロノスの目が熱狂的に輝く。
「そして今、ついに最高のデータが得られる。お前たちの愛が、この装置の中に封印されていた『可能性の結晶』と共鳴し、新たな転生の法則が生まれる瞬間を!」
装置が轟音を上げ、さらに強く光り始める。中央の存在が苦悶の表情を浮かべる。
「やめて……私はもう、消えたい……」
「だが、私はお前を生かしたい。お前のデータは、私の研究に不可欠だ」
クロノスが何かの器械を取り出す。それは、純血派が使っていたものよりはるかに精巧だ。
「これで、お前たち三者の魂を一時的に融合させる。そして、転生の新たな可能性を――」
「許さない!」
トシオとミユが同時に動く。トシオはクロノスに飛びかかり、ミユは装置の中心に走る。
「愚か者めが!」クロノスが杖を振るう。衝撃波がトシオを吹き飛ばす。
「トシオくん!」
「心配するな!」レオンの声が響く。彼とゴルが入り口から駆け込んでくる。
「外の純血派は片付けた! こっちは任せろ!」
戦闘が再開される。レオンとゴルがクロノスを、シルフィアとガルドが装置の防御システムを相手にする。
ミユは装置の中心にたどり着き、中央の存在の前に立つ。
「あなた……苦しんでいるね」
「ああ……長い間、暗闇の中にいた。光が眩しい」
「私たちが、あなたを苦しませたんだね」
「違う。お前たちは、ただ運命に従っただけだ」
存在がミユの手を取る。その手は、温かくも冷たくもない、奇妙な感触だ。
「私は、お前たちのもう一つの可能性。でも、今のお前たちは、私よりも美しい関係を築き始めている。それで……いいんだ」
「でも、あなたが消えるなんて……」
「消えるのではない。お前たちの中に、溶けていくんだ。お前たちが選んだ道が、私の存在意義を超えたから」
装置の光が極限まで強くなる。クロノスが叫ぶ。
「今だ! データを収集し――!」
「先生、もうやめてください!」ダークがクロノスの前に立ちはだかる。
「ダーク、お前まで私に叛くのか」
「私は、陛下やミユさんたちと過ごす中で、学びました。力や知識よりも、絆の方が大切だと」
「愚かな……!」
その隙に、トシオが装置の制御盤にダークから教わった停止コードを入力する。しかし、今回は効かない。
「ダメだ……クロノスがシステムを乗っ取っている!」
「なら、物理的に破壊するしかない!」レオンが炎の剣を構える。
「待って!」中央の存在が叫ぶ。「私が……装置と共に消える」
「そんな……!」
「これが、私の意志だ。お前たちには、自由に生きてほしい」
存在が全身を光に変える。その光が装置全体を包み、徐々に収縮していく。
「ありがとう……トシオ、ミユ。お前たちが、私に安らぎを与えてくれた」
「ごめんなさい……」ミユの目から涙が溢れる。
「謝るな。むしろ、感謝する。さようなら……もう一つの私よ」
光が一点に収束し、そして――静かに消える。
装置の動作が停止する。轟音が止み、地下空間が突然の静寂に包まれる。
「な……なんてことを!」クロノスが絶叫する。「貴重なデータが……!」
「先生、もう終わりです」ダークが諭すように言う。「彼らは、あなたの実験体ではありません。生きる者たちです」
クロノスは崩れるように膝をついた。長年の研究が、一瞬で無に帰した。
トシオはミユの元に駆け寄り、抱きしめる。
「終わった……のか?」
「うん……でも、彼がいた場所が、少し寂しい」
学園長が地下に降りてくる。
「装置は完全に停止した。これで、節点の問題も解決するだろう」
「純血派は?」ガルドが尋ねる。
「警察に引き渡した。転生者の記憶は公式には認められないが、器物損壊と不法侵入の罪で処罰される」
レオンがトシオの肩を叩く。
「よかったな、陛下。これでようやく、平凡な生活が送れる」
「ああ……でも、君たちは?」
「俺たちも、この時代で生きていくよ」レオンが笑う。「ダークは研究者として、ゴルは……何か力仕事を見つけるだろう。俺は、消防士になろうかと思ってる」
シルフィアが優しく微笑む。
「私たちも、普通の学生に戻りましょう。でも、記憶は大切に。前世の経験も、今の私たちの一部ですから」
数日後、学園は平常を取り戻していた。純血派の事件は「ガス爆発事故」として処理され、生徒たちの記憶には混乱した夢として残るだけだった。
放課後、屋上でトシオとミユは並んで夕日を見ていた。
「トシオくん」
「ん?」
「あの存在……もう一つの私たちは、本当に消えちゃったのかな」
「わからない。でも……」トシオがミユの手を握る。「今の私たちがいる。それで十分だ」
ミユはトシオの方に寄りかかる。
「前世のことは、全部許せたわけじゃない。まだ、時々怖くなる」
「わかっている。俺も、全部忘れられるわけじゃない」
「でも……これからも、一緒にいようね。ゆっくり、時間をかけて」
「ああ。約束だ」
夕日が二人を包み、長い影を屋上に落とす。前世の因縁、殺し合いの記憶、それらを超えて、新たな絆が生まれた。
すべてが終わったわけではない。転生の謎はまだ深く、クロノスのような存在が他にいるかもしれない。しかし、今は――この平和な瞬間が、すべてに勝る。
「ねえ、トシオくん」
「なんだ?」
「今度の日曜日、デートに行かない? 普通のカップルみたいに」
「……いいな。どこに行きたい?」
「うーん、パンケーキ屋さん! 前から行きたかったんだ!」
トシオは笑った。三度目の人生は、ついに彼が望んだ平凡さを手に入れようとしている。戦いや因縁ではなく、パンケーキとデートの話で。
「わかった。じゃあ、日曜日はパンケーキだ」
「やった!」
ミユの笑顔は、夕日に照らされて金色に輝いていた。それは、勇者としての輝きではなく、一つの少女としての、無垢な喜びの輝きだった。
すべての因縁を超えて、新たな物語が始まる。魔王でも勇者でもない、ただの少年と少女として――。
そして、誰も気づかなかった。屋上の影の中で、微かに光る一粒の結晶が、二人の絆を静かに見守っていたことを。それは、消えたはずの「もう一つの可能性」の、最後の残滓だった。
物語は終わらない。転生の輪廻は続き、新たな冒険がいつか訪れるだろう。しかし、今日という日は、平和に暮らす二人のためにある。
夕日が沈み、最初の星が空に輝き始めた。




