第八話 地下室の真実と、甦る記憶
夜明け前の地下室。ミユの涙はやがて静かな嗚咽へと変わり、トシオの胸で微かに震えるだけになった。黄金の瞳は閉じられ、長い睫毛が涙に濡れている。
「……眠ったみたいだ」
シルフィアがそっと近づき、ミユの脈を取る。
「精神的に消耗しきっている。完全な覚醒を強制されかけた上に、感情の激しい起伏……彼女の心は限界だった」
トシオはミユをそっとベッドに横たえ、毛布をかけた。彼女の顔は幼さを残しながらも、どこか大人びた苦悩の影を宿していた。
「完全に記憶は戻ったのか?」
「部分的に、でしょう」シルフィアがため息をつく。「特に強い感情と結びついた記憶が先に蘇った。憎しみと……愛情が混ざり合った複雑な状態」
ガルドが入口を警戒しながら言う。
「外は静かだ。純血派の連中は撤退したようだ。でも、あいつらが図書館と学園の節点を狙う可能性は高い」
「ダークの停止コードはまだ有効だ」トシオが立ち上がる。「今日中に図書館の節点を破壊しなければ」
「待って」シルフィアがトシオの腕をつかんだ。「ミユさんを置いていくの?」
「危険すぎる。しかも、彼女自身が今、最大のリスクかもしれない」
その時、ミユが微かにうめき声を上げ、目を開ける。瞳は通常の碧色に戻っていたが、深い悲しみと混乱が澱のように沈殿している。
「……トシオくん」
「ここにいる」
「夢を見てた……また、あの戦いの夢。でも、今度は……」彼女の目がトシオの顔を探る。「あなたが私を抱きしめてた。『好きだ』って言ってくれた」
トシオの喉が詰まる。
「夢じゃない。本当に言った」
「……なぜ?」
その一語には、千年の時を超えた問いが込められていた。なぜ魔王は勇者を殺したのか。なぜ殺した相手を、転生してまで愛そうとするのか。
「答えはわからない」トシオは正直に言った。「ただ、今の気持ちは嘘じゃない。お前が好きだ。守りたい」
ミユはゆっくりと起き上がり、自分の手のひらを見つめる。
「私の手であなたを……あの時、確かに剣を突き刺した。温かい血の感覚も、あなたが倒れる時の重みも、全部覚えてる」
「俺も覚えてる。胸を貫かれた痛みも、最後に君が流した涙の温もりも」
二人の間には、前世の死と再生を超えた奇妙な親密感が漂っていた。互いを殺し、殺された者同士の、歪で深い結びつき。
「図書館に行くんだよね?」ミユが突然、現実的な話題を持ち出す。
「ああ。でも、お前は――」
「連れて行って」
「ダメだ」
「なぜ!? 私にも責任があるはず!」ミユの声に力がこもる。「私が完全に覚醒しなければ、純血派に利用されることもなかった。それに……私の記憶の中には、図書館に関する何かがある気がする」
シルフィアが興味深そうに眉を上げる。
「前世の記憶ですか?」
「わからない。ただ……『禁書庫』という言葉が浮かんでくる。そこに、何か重要なものがあるような」
トシオとシルフィアが顔を見合わせる。歴史図書館の地下には、確かに一般公開されていない古文書庫があるという噂だ。
「危険すぎる」トシオは依然として反対した。
「でも、私が行かなければ、もっと危険かもしれない」ミユの目が真剣に輝く。「私の記憶が鍵になるかもしれない。それに……」
彼女はトシオの手を握った。
「あなた一人に全てを背負わせたくない。私も……一緒に戦いたい」
その言葉に、トシオは反論できなかった。彼女はもはや、守られるだけの存在ではなかった。覚醒した勇者としての自覚が、少しずつ目覚め始めている。
「……わかった。でも、絶対に後ろにいてくれ。何かあれば、すぐ逃げるんだ」
「約束する」
ガルドがうんざりしたように首を振る。
「まあ、最強の勇者が味方なら心強いか。でも、ちゃんと戦えるのか?」
「……練習する」ミユが小さく言う。「まだ、力の使い方がよくわからないけど」
シルフィアが優しく微笑んだ。
「大丈夫。私たちがサポートします。でも、まずは装備を整えましょう。普段着では戦えませんから」
昼前、一行は図書館に向かった。日曜日ということもあり、周囲は静かだ。しかし、図書館の入口には「本日休館」の張り紙。
「やはり、何かある」ガルドが警戒して周囲を見回す。
「地下書庫への入口は裏手にある」シルフィアが案内する。「管理用の通用口から入れますが……」
裏口に近づくと、既に鍵が破壊されている。中からは、微かな魔力の気配が漏れている。
「来たようだな」トシオが身構える。
地下への階段は薄暗く、埃っぽい。壁には古い電球がちらちらと光り、長い影を落としている。降りていくにつれ、魔力の濃度が増していく。
「ここだ」シルフィアが地下書庫の重厚な扉の前で止まる。扉は少し開いており、中から物音が聞こえる。
「誰かいる」
トシオがそっと扉を開ける。中は想像以上に広く、天井の高い空間だった。壁一面に古い書架が並び、中央には机がいくつか置かれている。
そして、部屋の奥には、純血派のリーダーと、数人の転生者が立っていた。彼らの囲む中央には、第一節点と同じタイプの装置が設置されている。
「来ると思ったよ」リーダーがにやりと笑う。「でも、まさか勇者様まで連れてくるとはね。ちょうどいい。完全覚醒したところで、実験材料にさせてもらう」
「やめろ!」トシオが前に出る。
「お前たちの目的はもう失敗だ。装置は止める」
「あの幼稚な停止コードのことか?」リーダーが嘲笑する。「あれはもう無効化したよ。ダーク君の裏切りは予想してたからね」
(ダークが……?)
トシオの胸に不安がよぎる。ダークは本当に味方だったのか?
「でも、お前たちが来てくれたおかげで、面白いことができそうだ」リーダーが装置のそばに立つ一人の転生者にうなずく。
その男が何か呪文を唱え始める。
「あの呪文は……!」シルフィアの顔が青ざめる。「記憶強制抽出の儀式!」
「図書館の節点を中継器にして、直接勇者様の魂にアクセスするんだ」リーダーが説明する。「前回みたいに器械が壊れても、今度は大丈夫さ」
ミユが突然、頭を抱える。
「あっ……また、あの声が……」
「ミユ!」
「大丈夫……まだ耐えられる……」
しかし、儀式が進むにつれ、ミユの表情が苦しさで歪んでいく。彼女の体から再び微かな光が漏れ始める。
「シルフィア、あの儀式を止められるか!?」
「装置を破壊しない限り……!」
「なら、破壊する!」
トシオが突撃を試みるが、純血派の転生者たちが壁のように立ちはだかる。ガルドが矢を放ち、シルフィアが防御魔法を展開するが、数の差は歴然だ。
その時、ミユの口から、トシオの知らない言葉が漏れる。
「……エル……ドラ……イト……」
それは、古代語だった。図書館の壁が微かに震え始める。
「な、何だ!?」
リーダーが周囲を見回す。
ミユの目が再び黄金に輝く。しかし、今度は意識的な輝きだ。
「禁書庫……ここは、私が前世で封印した場所……」
彼女がゆっくりと手を上げる。その動きに合わせて、部屋の奥の壁が音もなく滑り、隠し部屋が現れる。
「まさか……禁書庫の封印を解くのか!?」シルフィアが驚愕の声を上げる。
隠し部屋の中には、一冊の古びた分厚い本が、光を放ちながら浮かんでいる。
「あれは……『世界編年記』原典!」ガルドも目を見開く。「失われたと思われていた、転生と魔力の真実が記された書物!」
リーダーの目が貪欲に輝く。
「それを手に入れれば……!」
「遅い」
ミユの手が一振りされる。本から一条の光が放たれ、純血派の装置を直撃する。装置が爆発的に破壊され、儀式は強制終了した。
「くっ……!」
「図書館の節点も……破壊された!」シルフィアが感知する。
ミユがその場に崩れ落ちる。トシオが駆け寄り、支える。
「大丈夫か!?」
「うん……でも、今の……私がやったの?」
ミユの瞳は再び碧色に戻り、混乱した表情を浮かべている。
「覚醒と封印が不安定に入り混じっている」シルフィアが分析する。「危機的状況で、前世の記憶と力が一時的に表面化したが、すぐに戻ってしまう」
リーダーは破壊された装置を見つめ、怒りに震えている。
「貴重なデータが……! でも、まだ学園の節点は残っている! 次は絶対に……!」
その時、地下書庫の入口から新たな人影が現れる。レオンと、その後に続くダーク、ゴルだ。
「お前たち……!」リーダーが警戒する。
「あんたたちの遊び、ここまでだ」レオンが炎の剣を構える。「陛下と話して、考えが変わった。力は必要だが、お前たちのような方法じゃない」
ダークが眼鏡を押し上げながら説明する。
「私は二重スパイでした。純血派の計画をレオンに伝え、同時に陛下に協力するふりをして情報を流していた。すべては、彼らを一網打尽にするためです」
「裏切り者が……!」
「裏切りではない」ダークの声は冷たい。「私は最初から、レオンたちの真の仲間だ。お前たちのような粗暴な方法を好まないだけだ」
ゴルが無言で前に出る。その巨体は、純血派の転生者たちを威圧するには十分だった。
「撤退だ!」リーダーが叫ぶ。
「逃がすか!」レオンが炎の渦を放つ。
戦闘が再開されるが、今回は形勢が逆転している。レオンたちの加勢により、純血派はたちまち押され始める。
その隙に、トシオはミユを連れて『世界編年記』の傍へと向かった。本はまだ微かに光を放ち続けている。
「この本……何か重要な答えが書かれているかもしれない」
「触ってみていい?」ミユが小声で聞く。
トシオがうなずく。ミユが慎重に本に手を伸ばす。指が触れる瞬間――。
二人の視界が一変する。
■■■
暗闇の中、光の断片が舞う。
──玉座の間。魔王トシオは、勇者ミユの剣を受けながら、微かに笑っていた。
「ようやく……これで終われる」
「なぜ……なぜ笑えるのですか!? 私はあなたを……!」
「わかっている。それがお前の役目だ」
血の泡が喉から溢れる。
「だが……次に生まれ変わったら……戦わずに……会いたいな」
「……なんて、ことを」
「約束だぞ、ミユ。次は……友達になろう」
光が消える。
■■■
別の光景。
──転生の狭間。魂の状態で漂うトシオの前に、光の存在が現れる。
「三度の転生を許す。だが、代償として、全ての記憶を封印する」
「構わない。ただ……彼女にも会わせてくれ」
「因縁は深い。再会は避けられまい。だが、それが新たな悲劇を生むかもしれぬ」
「それでもいい。もう一度……チャンスが欲しい」
■■■
そして最後の光景。
──今世、転生直後。幼いトシオのベッドサイドに、一人の女性が立っている。その顔はシルフィアによく似ていた。
「覚えているかしら、小さな魔王様。私はかつて、あなたの城の魔法顧問をしていました」
「今世であなたがたが再会するのは、偶然ではありません。誰かが……意図的に因縁の糸を結び直したのです」
「その目的はまだわかりませんが……一つだけ忠告します。『世界編年記』には、転生の真実だけでなく、大きな危険も記されています」
「それを読む者は、過去と未来の全てを知る代償に、今という時を失うかもしれません」
■■■
視界が元に戻る。トシオとミユは、まだ図書館の地下書庫で、互いの手を握りしめていた。『世界編年記』は光を失い、ただの古い本になっていた。
「今の……あれは?」ミユの声が震える。
「記憶……いや、もっと深い何かだ」トシオも混乱している。
「転生が偶然じゃないだなんて……」
シルフィアが近づいてくる。
「二人とも大丈夫? 急にぼーっとして」
「シルフィア……あなたは」トシオが彼女を見つめる。
「え? 私がどうかした?」
「いや……何でもない」
(まだ言えない。あの光景の意味がわかるまで)
戦闘は終わっていた。純血派は全員拘束され、レオンたちが監視している。
「陛下、残りは学園の節点だけだ」レオンが報告する。
「でも、あいつらが言ってた通り、学園は罠かもしれない。準備が必要だ」
トシオはうなずく。しかし、彼の頭は別のことでいっぱいだった。
転生が偶然ではない。
誰かが意図的に因縁を結び直した。
そして『世界編年記』の危険な警告。
(全てが、もっと大きな計画の一部なのか?)
ミユがトシオの袖を引く。
「トシオくん……あの光景で、あなたが言ってた。『次は友達になろう』って」
「ああ」
「それ、今でも……そう思ってる?」
「うん。それ以上に」
二人の手が自然に結ばれる。前世の敵対、殺し合いの因縁を超えて、新たな絆が生まれようとしていた。
しかし、図書館の外では、新たな影が動き始めていた。
街角のカフェで、一人の男がコーヒーをすすりながら、図書館の方向を見つめていた。彼の目は、深い知性と、計り知れない年月を感じさせる。
「ついに『編年記』に触れたか。では、次の段階へ進める」
彼がタブレットを開き、あるファイルを表示する。そこには、私立桜ヶ丘学園の設計図と、地下に隠された古代遺跡の調査データが。
「最後の節点で、全ての真実が明らかになる。転生の輪廻を支配する者こそ、真の魔王となれるのだから」
男が立ち上がり、街の中に消えていく。彼の後ろ姿は、どこかダークに似ていたが、より古く、より深い闇をまとっているようだった。
トシオたちはまだ知らない。
三つの節点が破壊される時、転生の秘密が暴かれ、彼らを待ち受ける真の敵が姿を現すことを。
学園の地下には、単なる魔力の節点ではない、もっと恐ろしい真実が眠っていた。
そしてそれは、トシオとミユの新たな関係に、最大の試練をもたらすことになる――。




