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第六話 動き出す歯車、揺れる心

レオンの返信が示す現実は冷酷だった。装置は起動し、もう後戻りはできない。三つの節点全てを破壊する――それはつまり、レオンたち旧魔王軍転生者との直接対決を意味する。


トシオは一晩中、眠れずに窓の外を見つめていた。街の夜景は平穏そのものだが、その下では魔力の波が少しずつ、確実に広がり始めている。ミユが感じた「声」は、その最初の波紋に過ぎない。


(破壊するしかないのか……)


だが、単純に装置を破壊すれば済む問題でもない。レオンたちは味方になり得る存在だ。前世の部下たち。歪ではあるが、確かな絆で結ばれていた者たち。彼らを敵に回すことは、トシオにとって容易な選択ではなかった。


翌朝、学校へ向かうトシオの足取りは重かった。校門の前で、彼は思いがけない人物と出会う。


「おはよう、陛下」


眼鏡をかけた細身の青年――ダークが、さりげなく本を読みながらベンチに座っていた。学生服を着ているが、それは完全な変装だ。


「ここで何をしている」

「観察です」ダークはページをめくりもせずに答えた。「ミユさんの様子を。レオンからの報告を受けました。装置の影響が出始めたと」


トシオは警戒して周囲を見回した。幸い、登校する生徒たちは二人にほとんど注意を払っていない。

「あの装置を止める方法は本当にないのか」

「理論上はあります」ダークはようやくトシオを見上げた。「設計者の私が、バックドアを仕込んでおけばね」


一瞬、希望がトシオの胸に灯った。

「仕込んでいたのか」

「もちろんです。レオンは熱血漢ですから、全てを計算に入れて動くとは限りません」ダークは薄く笑った。「各装置には、特定の周波数の魔力パルスで動作を停止させる機能を隠し持たせています。しかし――」


ダークの表情が曇る。

「それを使うには、各節点に物理的に近づき、正確なパルスを送信しなければなりません。レオンやゴルが守っている場所に、単身で侵入するようなものです」

「それでもやる」

「そうでしょうね。ミユさんのためなら」ダークの目が一瞬、興味深そうに輝いた。「ところで、陛下。一つ気になることがあります」


ダークは本を閉じ、真剣な面持ちで言った。

「ミユさんの覚醒速度が、予想以上に早い。通常、転生者の記憶戻りは数ヶ月から数年かかるものです。しかし彼女は、装置起動からわずか数日で、ここまで影響を受けている」

「何が言いたい」

「彼女の魂には、何か特別なものがある。あるいは……誰かが、意図的に彼女の覚醒を促進している可能性も」


トシオの背筋が寒くなる。

「誰が?」

「現段階では不明です。しかし、この街には我々以外の転生者も存在します。シルフィアやガルドのような勇者側だけではありません。中には……第三勢力がいるかもしれません」


第三勢力。その言葉は、トシオに新たな不安を植え付けた。


「私も調査を続けます」ダークが立ち上がり、学生服のほこりを払った。

「第一節点の停止コードは、これです」

彼は小さなメモ帳の切れ端をトシオに渡した。そこには複雑な数式と記号が書かれていた。

「公園の装置は、東側の樫の木の根本にあります。レオンが常時監視していますが、夜間はゴル一人です。明日の夜、チャンスがあるかもしれません」


「なぜ手伝ってくれる」

ダークは一瞬、言葉を探すように空を見上げた。

「前世、陛下は我々に居場所を与えてくれました。この時代に転生した今、私は……単なる破壊よりも、もっと賢い解決策があると信じたい。レオンたちがそれに気づくまで、時間を稼ぎたいのです」


そう言うと、ダークはさっさと去っていった。彼の背中には、かつての忠誠心と、新たな信念が同居しているようだった。


教室に入ると、ミユの様子は明らかに悪化していた。彼女の顔色は青白く、目には疲労の色が濃くにじんでいる。

「トシオくん……」

彼女の声はかすれていた。

「また、あの声が……今度はもっとはっきり聞こえる。『戻れ』『思い出せ』って……」


「休め」トシオは自分のジャケットを脱ぎ、ミユの肩にかけた。「今日は保健室に行った方がいい」

「ううん、大丈夫。トシオくんがそばにいてくれるから」

しかし、その言葉の直後、ミユは突然机に突っ伏し、苦しそうに頭を抱えた。


「ああっ……! 映像が……炎と剣と……それに、暗い城の中で……誰かが倒れて……」

「ミユ!」

「その人が……『ごめんなさい』って言って……私、なぜかすごく悲しくて……」


トシオはミユを支え、急いで保健室へ連れて行った。途中、シルフィアとすれ違う。

「トシオくん! ミユさんは!?」

「様子がおかしい。装置の影響だ」

「私も手伝う」


保健室で、ミユはベッドに横たわった。彼女の額には冷や汗がにじんでいる。

シルフィアが優しく彼女の額に手を当てる。微かに光る手のひらから、穏やかな魔力が流れ込む。

「これは……記憶封印を解く呪いのようなもの……誰かが意図的に、彼女の記憶の扉をこじ開けようとしている」


「ダークの言った第三勢力か」

「そうかもしれません」シルフィアの表情が険しくなる。

「このままだと、彼女の精神が耐えられない。完全な覚醒を強制されれば、自我が崩壊する恐れさえあります」


「止める方法は」

「二つあります。装置を破壊するか、あるいは……彼女の記憶を一時的に封印し直すか」

シルフィアがトシオを見つめた。

「後者を選ぶなら、私の力だけでは足りません。あなたの協力が必要です。前世の絆があれば、もっと強力な封印がかけられます」


「何をすれば」

「彼女の記憶の中心にある、最も強烈な感情に触れることです」シルフィアがためらいながら言った。

「おそらく……あなたとの決戦の記憶でしょう。その感情を一時的に鎮め、新しい記憶で上書きするのです」


「そんなことが可能なのか」

「危険を伴います。あなた自身も、あの記憶と向き合わなければなりません。そして、もし失敗すれば……二人とも深く傷つくでしょう」


その時、ミユがうわ言のように呟いた。

「……トシオ……なぜ、殺さなければならなかったの……」

その言葉は、トシオの胸を貫く刃となった。


シルフィアが息をのむ。

「彼女の記憶は、すでにかなり深いところまで戻っています。時間がありません」

「……やる」トシオは覚悟を決めた。「今夜、やろう」


「了解しました。私が準備を整えます。場所は……安全なところが必要です。私の家の地下室を使いましょう。そこなら外部の干渉を防げます」


トシオはうなずき、ミユの手を握った。冷たかったその手は、徐々に温もりを取り戻し始めていた。

「ごめんな、ミユ……全て俺のせいだ」


放課後、トシオはダークから第二、第三の節点の情報を受け取った。図書館の装置は地下書庫の奥に、学園の装置は旧校舎地下室の排水口付近に隠されている。

「全ての停止コードです。成功を祈ります」


しかし、トシオの計画は既に漏れていた。


夜、シルフィアの家に向かう途中、トシオは路地裏で一団に囲まれた。彼らは学生服を着ているが、その目つきは明らかに普通の学生ではない。

「トシオ先輩、ちょっと話があるんだ」

リーダー格の男がにやにや笑う。

「君、最近ミユちゃんと仲良しそうだな? あの子、俺たちの『お姫様』なんだよね。余計なことしたら困るんだ」


「何者だ」

「転生者だよ。でも、レオンたちの仲間じゃない。俺たちは……『純血派』って呼んでる」男の目が危険に光る。

「前世の因縁なんてどうでもいい。ただ、強い力が欲しい。そのためには、覚醒した勇者が必要なんだ」


「ミユを利用するつもりか」

「利用って言うなよ。彼女が本来の力に目覚めれば、俺たちもっと強くなれる。それに……」男が卑猥な笑みを浮かべた。

「あの可愛い顔と体、無駄にするのはもったいないだろ?」


怒りがトシオの全身を駆け巡った。彼は無意識に拳を握りしめ、かつて魔王として戦った時の感覚が蘇る。

「ミユに近づくんじゃない」

「おっ、怖い怖い。でもな、先輩」男が一歩近づく。

「君も転生者だろう? ならわかるはずだ。この世界で生き残るには力が必要だって。君だって、かつては魔王だったんだろ? その本能、わかるよ」


「俺はもう、戦わない」

「そう? じゃあ、試してみようか」


男が手を上げると、他の三人が一斉に襲いかかってきた。だが、彼らの動きはトシオには遅すぎた。前世の戦闘経験が、体を自然に動かす。


一瞬のうちに三人を地面に叩きつけ、トシオはリーダーの男の襟首を掴んだ。

「二度と近づくな。次は許さない」

「くっ……覚えてろよ……!」


男たちが逃げ去った後、トシオは自分の手の震えに気づいた。久しぶりに戦闘本能が呼び起こされ、魔王としての血が騒いでいた。


(ダメだ……平和に生きると決めたはずなのに)


シルフィアの家に着くと、彼女は既に準備を整えていた。地下室は魔法の結界で覆われ、外部との遮断が完璧だった。

「遅かったですね。何かあったのですか?」

「些細な問題だ。ミユは?」

「まだ眠っています。薬で鎮静させました」


横たわるミユの顔は安らかだったが、時折まぶたが痙攣し、苦しそうな表情を浮かべる。

「始めましょう」シルフィアが言った。

「あなたの手を彼女の手に重ねてください。そして、あの日の記憶を思い出してください。私はそれを媒介に、封印の術式を構築します」


トシオはミユの手を握り、目を閉じた。あの日――。


暗黒の城、玉座の間。傷だらけの二人。ミユの剣が振り上げられる。

「なぜ……そんな道を選んだのですか!」

「それが……魔王の定めだ」

「違う! あなたはもっと……!」


剣が閃く。胸を貫く痛み。そして、最後に見た彼女の涙――。


「今です!」シルフィアの声が響く。


トシオの手から光が溢れ、ミユの体を包む。彼女の体が弓なりに反り返り、苦悶の声を上げる。

「無理……だめ……思い出さないで……!」


「トシオくん、しっかりと! 彼女を現世に引き戻してください!」


トシオはミユの手を強く握りしめ、叫んだ。

「ミユ! 戻ってこい! 今は違う! 俺はお前を――守る!」


その瞬間、ミユの目がぱっと開いた。碧眼は混沌と覚醒の狭間にあった。

「トシオ……くん……? それとも……魔王……?」

「トシオだ。今の俺は、トシオだ」


光が急速に収束し、地下室は再び静寂に包まれた。ミユの目に焦点が戻り、彼女はゆっくりとトシオの顔を見つめた。

「……ああ、トシオくん。夢を見てた。怖い夢」

「もう大丈夫だ」


ミユの手がトシオの頬に触れる。

「その夢の中で……トシオくんが私を守ってくれた。あんなに優しくて……それで、目が覚めたら、本当にトシオくんがいてくれて」


彼女の目から涙がこぼれた。

「ありがとう……トシオくん」


シルフィアがほっとしたように息をつく。

「成功しました。記憶は一時的に安定しました。でも、これは応急処置に過ぎません。根本的な原因を解決しなければ、また同じことが起こります」


トシオはうなずいた。もう逃げられない。彼は立ち上がり、決意を新たにした。


「明日の夜、第一節点を破壊する。その後、残り二つも片付ける」

「私も手伝います」シルフィアが言った。「ガルドも協力してくれるでしょう」

「ありがとう」


ミユがベッドから起き上がろうとする。

「私も……」

「ダメだ」トシオはきっぱりと言った。「お前は安全なところにいてくれ」

「でも、トシオくんが危ない目に遭うのは嫌! 私も力になりたい!」

「ミユ」トシオの声は優しく、しかし確固としていた。「お前が無事でいてくれることが、一番の力なんだ。約束してくれ。俺が戻るまで、ここで待っていて」


ミユは唇を噛みしめ、ようやくうなずいた。

「……わかった。でも、絶対に戻ってきてね。約束だよ」

「約束する」


トシオは地下室を出た。夜空には半月が浮かんでいる。次の満月まで、残り二週間。その前に、全てを終わらせなければ。


街の灯りが遠くに輝く。その中の一つに、旧城址公園の節点がある。そして明日の夜、彼はそこでレオンたちと対峙することになる。


(レオン……お前たちを敵に回したくはない。だが、ミユを守るためには――)


三度目の人生で初めて、トシオは戦うことを決意した。平和のためではなく、守るものがあるから。


すべての歯車が動き出し、因縁の糸が絡み合う。次の夜、旧城址公園で、過去と未来が交差する。



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